志純太平記




 第一話 『出会い』

 備前国(現在の岡山県東南部)

 穏やかな平地が続くこの国の片隅に、他より少しばかり大きい屋敷があった。

 「お久馬、お久馬は居るか?」

 屋敷の主人・和田範長が廊下を歩く。彼は備前国邑久郡の豪族で、三宅氏や河野氏との繋がりも深い土地の有力者である。

 その範長に呼ばれ、一室で本を読んでいた若い女が顔を出す。

 「お呼びですか、父上」

 「お久馬よ、三郎はどうした」

 「さあ」

 「知らぬはずはあるまい。お前には今朝から奴の監視を頼んでいたはずだぞ」

 「確かに今朝からずっと見ていましたが、少し目を放した隙に逃げられました」

 ガックリと肩を落とす範長だが、娘のお久馬はケロリとしている。

 「ならばさっさとわしに報告せんか。まったく、お前も三郎も、小難しい人間になりおって」

 「すみません」

 「探してまいれ」

 「今、ですか?」

 「今だ」

 お久馬はしぶしぶと本を片付け、早足で屋敷を出た。





 馬に乗り、お久馬はすれ違う農民と軽く話をしながら邑久郡を回る。彼女には何となく兄の居る場所の見当が付いていた。兄は昔から修験者と親交があり、よく一緒に修行と称して各地を歩き回っていた。つまり、修験者の修行場にいる可能性が高い。

 彼女はとある小高い山の下まで来ると馬を降り、慣れた足取りで岩の間を登って行く。

 付いたのは山の頂上。大きな岩の上に探し人は座っていた。

 「兄上」

 妹の言葉に振り向きもせず、児島高徳(本名は三宅三郎)は目を閉じ、瞑想にふけっている。

 「兄上、父上が呼んでおりましたよ。今日は大事な日ではないのですか?」

 「…………」

 「そうやってずっと座って、耳が腐りましたか?それとも私の言葉が理解できませぬか?」

 「聞えている」

 ようやく声を出した高徳は、ゆっくりと振り向いた。

 「ああよかった。てっきり兄上がおしにでもなったのかと思いました」

 「瞑想していただけだ。途中で止めるわけにはいかん」

 「とにかく兄上、屋敷に戻ってください。今日は大事な日ですよ」

 「大事な日……将来の嫁との顔合わせがそんなに大事か?」

 肥前国の豪族和田氏と、伊予国(現在の愛媛県)の豪族河野氏との婚礼。その相手が児島高徳なのだ。そして今日は、河野氏側の姫が顔見せに来る日。

 「兄上は今年でおいくつですかな?」

 「ふむ、18歳だな」

 「ではそろそろ家庭を持ってもよろしいですね」

 「気が進まぬ」

 「私にわがままを言っても困ります。不満なら父上に」

 「それも、そうだな」

 児島はやっと岩から降りた。





 お久馬は馬に乗り、児島は歩きながら屋敷への道を進む。すると、前方から荒々しく馬を走らせる三人組に出会った。三人組は児島を見ると、そのまま馬を寄せてくる。児島も歩を止めた。

 「ひひ、これは三郎ではないか。邑久郡の三宅三郎」

 三人組のリーダー格の男は、髭もじゃの意地汚い顔を寄せて児島を見下ろす。

 「勝則よ、俺の名は児島高徳だ。忘れるな」

 「ああ、そうだった、そうだった。邑久郡の三郎殿は名を変えたのであったな」

 別の男がお久馬に近寄る。

 「お久馬ちゃんも久し振りだねぇ〜。すっかり見違えて、どうだい、俺の嫁にならないかい」

 「ふふ、私はもう人の妻ですよ」

 「あちゃ〜、そうだったわ。惜しかったよ、もっと幼い頃に手をつけときゃよかった」

 「お前達、何かこの俺に用か?」

 前方を塞いでいた髭もじゃの男・和木勝則が思い出したように笑った。

 「ひはははは!そうそう、お前を誘いに来たんだよ。もうすぐこの土地に公家が通るんだ。そいつを脅かそうと思ってな」

 「公家が?なぜ公家だとわかる」

 「わかるさ、見ればお前にも。どうだ、来るか?」

 児島はしばらく考えるふうに目を閉じた後、

 「そうだな、行こうか」

 と言った。

 お久馬は別段慌てたふうではないが、兄をたしなめる。

 「兄上、お忘れですか?今日は大事な」

 「すぐに戻るさ。公家の顔を見たらな」

 そう言うと、児島は三人組の馬に乗り、颯爽と去っていった。





 しばらく走った三人組は馬を止め、付近の草むらに隠れた。

 こちらに近づいてくる、比較的整備された道路を通る一行。五人ほどの人が一つの駕籠を守るように進んでいる。

 「あれだ、駕籠の豪華さ、従者の顔立ちを見ても、京風の者達ばかりだ」

 「確かに公家のようだな。従者達の服もこの辺りでは見られぬ立派な服だ」

 「ひはは、まるで宝物をぶら下げて歩いている様なもんだな。身包みを剥いでやろう」

 三人組はこの邑久郡周辺で好き勝手に暴れる不良で、いつも暇を持て余していた。彼らに見つかった一行は不幸としか言えない。

 児島も黙って頷く。彼は身包みよりも、気になっていることがあった。

 「三手に別れよう。前と左右、急げ」

 児島の指揮で散っていく三人組。彼らにとってここは庭のようなものだ。そして、ちょうど謎の一行が目の前を通り過ぎたとき、児島は口笛を高く吹いた。

 辺りに響く口笛の音。たちまち前と左右の草むらから三人組が飛び出した。

 「おらおら、大人しくしやがれ!」

 錆びた刀を振りかざし、我武者羅に怒号を上げる三人に驚いた五人の従者と駕籠担ぎの二人は一目散に逃げ出した。

 「あっ、逃げたぞ!追え!」

 三人組は少しでも金目の物を分捕ろうと躍起になって逃げた従者達の後を追った。

 児島は一人、ゆっくりと草むらから出ると、残された駕籠に近づいた。

 (勝則達も甘いな。一番の大物を逃がしてどうする)





 駕籠の側まで来ると、児島は声をかけた。

 「出て来い、お前の従者は全て逃げたぞ」

 返事はない。児島が無造作に駕籠を覗き込むと、若い男の声が飛んできた。

 「無礼者!気安く触るな!」

 興奮気味に駕籠から出てくる男。青白い顔立ちが恐怖のためか、更に青くなっている。小奇麗な公家の服も、小刻みに震えている。

 「こ、このようなことをしおって、ただではおかんぞ!」

 「気にするな。いつものことだ」

 「い、いつものこと!?貴公らは、いつもこのような大それたことをしているのか」

 「そうだ」

 「な、なぜじゃ。何か深い仔細でもあるのか?」

 「いいや、ただの暇つぶしだ」

 相手はこの言葉に完全に激怒したようで、顔を真っ赤にして喋りまくった。

 「暇つぶし!?単なる暇つぶしとな、ああ、何と情けない。大丈夫たるものが、自らの欲のために愚かな罪を犯しているとは」

 児島は黙っていた。相手は児島が明確な敵意を出していないのをいいことに、罪やら何やら喚き続けた。

 「よいか!男が産まれてくるのは、山賊や泥棒のごとき畜生に成り下がるためではない。天下に成すべきこと、果たすべき使命を持って産まれてくるのだ。それなのに、貴公らのような存在は蟻のごとくこの天下を覆っている。ああ、情けない、やはり幕府など創ったのがそもそもの間違いだったのだ」

 恐怖のためか、怒りのためか、立場を忘れて叫びまくるこの若い男。児島は興味を持った。だが、児島の後ろから三人組が引き返してくる。手には服やら金やらをぶら下げている。

 「ひひひ、五人もいるのに一人も歯向かってこなかったぜ、他愛もねえなぁ〜、京の奴らはよ」

 「やはり京人だったのか」

 「ああ、こいつら伯耆国(鳥取県中部と西部)に行く途中だったらしいぜ」

 馬から降り、刀を突きつける和木勝則。

 「さあ、ある物全部出してもらおうか。それとも命まで差し出しちまうのかい?」

 若い男はこの状況でも屈せず、涙を溜めながら和木を睨んだ。

 「殺すなら殺すがいい!私の名は汚しはせぬぞ!」

 「……そうかい」

 和木は刀を振り上げるが、その腕を児島が掴んだ。

 「待て、殺すな」

 「いいじゃねえか、高徳。それともこの男に惚れたのか?ひひひひ」

 「どうせ野垂れ死にだ。その代わり、俺の取り分をやろう」

 「……ひひ、まあいいさ、暇つぶしにはなった。おい公家、命拾いしたな」

 三人組は再び馬に乗ると、下卑た笑い声を出しながら駆け去った。





 公家は危険が去ったと知ると、ヘナヘナとその場に腰を落とした。

 「大丈夫か?」

 児島の言葉に、再び怒りが燃え上がったのか、若い公家は児島を睨んだ。

 「なぜ私を助けた。情けをかけたのか、貴公のような男になど情けをかけられたとあれば一門の恥。この場で斬れ!」

 どさっと大の字に倒れる公家。

 「お前は本当に公家か?今までの公家のイメージとはだいぶ違うな」

 「貴公がどのような公家を見てきたかは知らぬが、少なくとも私は恥を背負って生きようとは思わぬ。さあ、殺せ!」

 「俺はただ、お前達がなぜ伯耆国に行こうとしていたのか、知りたかっただけだ。公家が都を出ることなど、とても珍しいからな」

 「……私は大義に生きる男であり、心は常に帝の下にある」

 「どういう意味だ?」

 「わかるまい。強力を振りかざし、他者を屈服させ、自らを満足させることしか知らぬ貴公らには、永遠にな」

 「……お前は大した男だ」

 児島はそれだけ言うと、倒れている公家を置いて歩き出した。





 不思議な出会いだった。あの公家は何者で、何が目的だったのか。結局聞き出せなかった。いや、正直に言うと、相手の気高さに追い払われたのだ。あの公家の言葉や態度を見ていると、自分の存在を小さく感じた。

 (姿かたちも、口上も、小奇麗な奴だったな)

 児島が和田範長の屋敷に着いたのは、既に辺りが夕暮れに染まっているときだった。

 当然、範長は怒った。

 「三郎、どこをうろうろしておった。お久馬に聞いたが、また勝則達とどこかへ行ったらしいな」

 「はい、養父上(ちちうえ)」

 「三郎よ、血は繋がっていないとはいえ、お前はわしの息子なのだ。だからお前も、わしの意思に従ってもらうぞ。もう何年も言い続けていることだがな」

 「承知していますよ、養父上」

 「ならばよし、幸いに河野氏の姫はまだ到着してはおらぬ。恐らくは夜になるだろう。それまで、一歩も屋敷を出るなよ」

 「もう夕暮れです。出たくても出ませんよ」

 「……言い忘れたが、宗助が妙な男を連れてきた」

 「宗助が?」

 宗助とは三宅宗助のことで、和田氏に従う三宅氏の若者であり、お久馬の夫である。

 「道端をフラフラしておったのを助けらしい。どうも京の公家らしくてな、少々扱いに困っている」

 児島は妙な期待感を募らせ、早々に部屋に向かった。





 「「あっ!」」

 「えっ!?」

 案の定、客は昼に襲った若い公家であった。ところどころ服がボロボロになっているが、元気そうだ。その側では三宅宗助がポカンとしている。

 「おのれ、ここまで追ってくるとは!!」

 公家は叫ぶと児島に掴みかかった。予想外の力だったので、二人は廊下を転がり、庭で取っ組み合いを始めた。

 「お止めください、お二人ともお止めください」

 宗助が情けない声を出しながら喧嘩を見守る。





 やがて、騒ぎを聞きつけたお久馬が二人に冷水を浴びせ、喧嘩はピタリと止んだ。

 「喧嘩なら外でどうぞ」

 公家は児島から手を離すと、睨みつけて叫んだ。

 「ううむ、貴公は一体何者だ!」

 「この屋敷の者で三宅三郎。もっとも世間では児島高徳と名乗っている。この屋敷は俺の養父の屋敷だ」

 「そうか、範長殿と貴公は親類だったか。妙な縁で結ばれ、はなはだ迷惑だ!」

 「さっき聞きそびれたから言うが、お前の名はなんというのだ?」

 「無礼者が、畜生ごときに名乗る名などないわ」

 「宗助よ」

 「はっ、はい。なんでしょうか義兄上」

 「この男の名は聞いたか?」

 「確か、公家の日野俊基様だと聞きました」

 「なるほど、名門の日野家の人間だったか」

 「ぐぬぬぬ、貴公、許さぬぞ!!」

 再び取っ組み合いを始める日野と児島。お久馬は再び冷水を汲みに走り、宗助はあたふた。結局は和田範長の怒号で喧嘩は終わったが、この妙な出会いが、児島高徳の運命を大きく変えることになる。





 ときは正中元年(1324)、8月のことであった。



 第一話 完


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