志純太平記




 第四話 『旅の終わり』

 伯耆国(鳥取県)の海に程近い屋敷の中で、一人の正装した武士が座っていた。彼は屋敷の奥から主人らしき男がやってきても、座ったまま相手を睨んだ。

 「随分と待たせられましたぞ、名和殿」

 「いや〜すまん、すまん。どうか許されよ。最近便が近くなってな」

 「そのような年寄りには見えませぬがな」

 主人らしき男は薄い髭を蓄えてはいるがまだ若く、体は真っ黒に日焼けしていた。その彼が白い歯を見せながらどかっと上座に座る。

 「改めて、名和長年と申す。以後お見知りおきを」

 「ふむ、わしはこの伯耆国守護の糟尾氏にお仕えする者だ。分け合って此度は忍びの用で参った」

 「ふむふむ、ではその用件とは?」

 男は咳払いを軽くすると、威厳を正して言った。

 「近頃、怪しい公家を見かけてはおりませぬかな?」

 「怪しい公家?さあ、存じませぬな。何しろここは田舎ゆえ、公家など滅多に来ぬ」

 「さようか……」

 長年を探るように見つめる男だが、長年は意に返さず、陽気にしゃべる。

 「公家がどうかしたのですかな?」

 「……いや、何もござらん。ただ幕府の許可なく諸国を巡る公家が最近多いゆえ、見つけ次第京に帰国させておるのだ。公家の一人旅は危ないゆえのう」

 「確かにその通り。ですが、なぜ公家が諸国を巡るのでしょうな」

 「……狭い京にばかりいると、思いもよらぬ考えを持つことがあるのですよ。公家というものは」

 「ふぅ〜む」

 男はそれだけ言うと、屋敷を後にした。





 長年は密使が去った後、急いで屋敷の奥に戻り、襖を開けた。

 「おおう、やはり守護からの使いだったぞ」

 部屋の中には日野俊基と児島高徳が神妙な顔で座っていた。

 「それで、私達はどうなるのでありますか?」

 俊基は生きた心地がしないのか、顔を青くさせて尋ねる。

 「まあ、心配するな。公家を見なかったかと聞かれたが、知らないと答えておいた。もうここには来ぬは」

 俊基はホッと安堵の溜息を出すが、高徳はまだジッと長年を見ていた。

 「まずはお礼を申し上げる。名和長年殿」

 昨夜、日野俊基と児島高徳はこの伯耆国に到着し、そのまま名和長年の屋敷に居座った。名和氏は伯耆国では有名な海運業を営む豪族で、周辺の海賊や地理に詳しいだけでなく、潤沢な財力を持っていた。日野俊基はその名和氏の内面的な力に目をつけ、京からやって来たのだ。

 俊基が朝廷から言われた使命は「西国の豪族や国人と深く親交を深め、いざ事が起こったら味方してくれるように働きかける」ことであった。その為の味方につけるべき人選・方法は俊基に一任されていたが、悪く言えばどこで俊基が死のうと、朝廷は知らぬ存ぜぬを決め込む算段でもある。

 名和長年は名和氏の若き当主で、歴代の当主達の中では最も海運の術に長け、商才があった。その為、名和氏は今や伯耆国に確固たる地位を築きつつある。

 長年は面白そうに俊基と高徳を眺める。

 「では日野殿、さっそくお話を聞こうか。昨日はゴタゴタしていたゆえ、あまり詳しくは話を聞けなかった」

 「よろしい。高徳、貴公はここで待っておれ」

 「承知した」





 別室に通されると、俊基は長年に礼を言った。

 「長年殿、まことにかたじけない。貴公には何と言って礼をすれば」

 「おっと、俊基殿とやら、俺はまだ誰の味方になったわけでもない。ただ面白そうだったから先程の男は追い返したまでだ」

 「それでよろしい。既にお分かりと思うが、この俊基は朝廷に仕え、ある重大な任務を帯びているのだ」

 俊基は朝廷が幕府を倒そうとしていること。その為に方々に公家達を派遣し、地方の豪族達を都に呼び集めていること。そして現在の幕府の腐敗ぶり、武家社会の終わりが近いことを訴えた。

 一通り俊基が話し終えると、長年は静かに組んでいた腕を外す。

 「なるほど、幕府を倒し、平安時代以来の公家社会を取り戻す。それが朝廷の、いや、帝の望みか」

 「いかにも。長年殿が生粋の武士であることは承知しております。ですが、所詮幕府というものは一部の力がある武士が支配し、残りの者達は上から虐げられるが実情。武士の作る世界は、そういった血も涙もない身分社会でありまする。更に幕府は同じ武士達だけではなく、我々公家すらもむげに扱う。本来武士は軍事を、公家は政務を司る古来よりの常道も忘れ、世界はどこまでも自分達のものだと偉ぶる。幕府を支配するそういった一部の武士達の傲慢によって、今の世は乱れ、人心は荒んでおりまする。長年殿、どうか帝にご加勢し、世の乱れを正しき道に戻そうではありませぬか!」

 「ふむ、帝に味方し、幕府を倒す。そして世の覇権は、再び朝廷が握るか。それで本当に世の中が変わるのか?」

 「少なくとも、今の幕府は根から腐っておりまする」

 長年は何度も頷き、何度も唸った。彼の癖であるらしかった。

 「俊基殿の言っていることもわかる。だが俺は名和氏の当主として、妻子を持つ者として、おいそれと帝の下へ馳せ参じることはできぬ。従って、いますぐに都へ上ることはできぬ」

 慎重な男だ。俊基はじっと長年を見つめ、深く溜息を吐いた。

 「何も事はいますぐ起こることではありませぬ。ただ、帝のお心は知っておいていただきたい、長年殿」

 「うむ。わかっている。……俺は臆病な男なのかもしれん」

 幕府を倒す。それは途方もないことに思えた。同時に、ある種の興奮を長年は感じていた。それは武者震いなのか、恐怖なのか……。





 俊基が部屋に帰ったとき、高徳はじっと縁側から海を眺めていた。

 「話は終わった」

 「そうですか」

 「長年殿の腰は、重たいようだ」

 「残念だ」

 長年は別室から再び現れた。

 「せっかくきたのだ。どうだ、海に出てみないか。中々面白いぞ。都にはない風流がある」

 「いや、船は苦手で」

 「共の者はどうだ?確か児島高徳殿と言ったか?」

 「船には乗ったことがある」

 「ならば行こう。今なら綺麗な眺めが見られるぞ」

 俊基が「行って来たらどうだ?」と眼で促し、高徳は腰を上げた。彼には長年が見せたいものが大体予想がついていた。





 名和氏が所有する小型船に乗ると、長年と高徳は二人だけで沖に漕ぎ出した。辺りは夕日が沈みかけている。

 巧みに船を操りながら、長年は落ち着いた声で話をした。

 「俊基殿から、ともに幕府を倒そうと言われたよ」

 「…………」

 「確かに今の幕府は、世の中には不満がある。幕府を支配する執権の北条氏がのさばって、天下を好き勝手にしているからだ。そんなことは、公家の俊基殿よりも良くわかっている。だが……」

 「幕府と戦って勝てるか。勝ったとしても、世の中は良くなるのか」

 「そうだ、お前の言うとおり。何かを変えるとき、必ず多くの血が流れ、天下は二転三転する。それは歴史が証明している。高徳、お前は歴史を学んだか?」

 「少し」

 「俺は失いたくない。命も、地位も、家族も、だから今、帝に味方はできぬ。わかるか?」

 「わかる。だがあなたは迷っている。迷っているから俺に話し、自分の中で決着をつけようとしている」

 「ふふ、どうやらお前を侮っていたようだ。ただの従者ではないらしい。何者だ?」

 「備前国和田範長の子、児島高徳」

 「和田範長……備前では名の知れた豪族だな。なるほど、どうりで海にも慣れているわけだ。高徳、お前はどう思う、そして俺はどうすれば良いと思う?」

 「五日前の俺なら、恐らく何の興味もなく、ただ毎日を食って寝て過ごしていただろうな。だが今は、俊基と一緒に幕府と戦っても良いと思っている」

 「ほう、なぜだ?」

 「…………わからん。ただ、そう思った」

 「ふふ、児島高徳。お前は面白いな」

 船がある場所で止まった。そこは目の前に尖った岩が見える場所だった。

 「あの岩は先端がちょうど三日月のように見えるだろう?あそこに夕日が被ると、なかなか見応えがあるのだ」

 夕日がゆっくりと下に落ちる。先端が三日月に削られた大きな岩に夕日がすっぽり入り、長年と高徳の顔を照らす。場所もタイミングもピッタリだ。

 「普通に夕日が落ちるのを見るより、こうした場所で見たほうが、風流があると思わないか?何気ないものでも、角度や見る場所によって大いに違ってくるものだ」

 長年は感激そうに夕日を見ているが、高徳は何がそんなに感動するのか、よくわからなかった。それよりも、これから俊基はどうするのだろうか、そっちの方が気になった。





 夜

 日野俊基は児島高徳と二人で縁側に腰掛けた。

 「ここまで来られたのは貴公のおかげだ。礼を言うぞ」

 「礼は必要ない。元々の元を辿れば、俺の仲間があなたを襲わなければとっくについていた」

 「いや、あそこで襲われなくても、美作国で幕府の密偵にでも捕まっていただろう。幕府は今やっきになって私のような公家を捕まえ、帝を廃位させる口実を見つけようとしている。備前国で襲われ、貴公と出会い、ともに旅をしてたどり着けたのも、今にして思えば不思議なめぐり合わせ、よき縁だったと思う」

 「そう思ってくれたのなら、幸いだな」

 「私はこの伯耆国で旅を終える。長年殿を説き伏せることはできなかったが、親交は結べたつもりだ。帝もお喜びになる」

 「京へ帰るのか?」

 「ああ、帝にご報告せねばならぬ。世は動いていると」

 「俺も家へ帰ろう。あなたのこれからの人生が素晴らしいものであることを祈っている」

 「児島高徳、もし…………いやなんでもない。またいつか会おう」

 「備前国の児島高徳、できるなら、忘れないでほしいな」

 「忘れるものか。貴公のような風変わりな武士。忘れはせぬ」

 二人はそういうと、互いに酒を酌み交わし、ともに夜空を見上げた。





 翌朝、日野俊基は名和氏の郎党に守られながら伯耆国を後にした。児島は見送らなかった。

 また、どこかで会える。本当にそんな気がした。



 第四話 完


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