志純太平記




 第五話 『嵐の前』

 お久馬やその夫の三宅宗助は、血の繋がっていない親族である児島高徳が好きだ。寡黙で暗い男だが、根は決して悪人ではなく、不器用な優しさを持っている。それになんと言っても、彼が幼い頃に体験した様々な土地での冒険談がお久馬や宗助らの心を捕らえる。普段は滅多に話してくれないが、二人は事あるごとに高徳の短い人生の物語を聞きたがる。

 伯耆国から一人で帰国した児島高徳を、二人は待っていましたとばかりに問い詰める。

 「兄上、兄上、どうでしたか?旅は?」

 「あの俊基殿とやらとは別れたので?」

 高徳は何も語らず、ゆっくりと自室に戻っていった。若夫婦は顔を見合わせる。これはなかなか難しそうだ。





 瞬きもせず、高徳は天井を見上げる。彼の心はいまだ、熱い激情の中にあった。

 『幕府を倒す、それが帝のご意志だ』

 俊基の言葉が胸を打つ。彼のどこか虚無的だった心が熱を帯びる。自分の知らない所で、天下が動こうとしている。そしてそれをわかっていても、何もできない自分がいる。

 高徳は横に寝返ると、そのまま眼を閉じた。





 京都

 古よりこの島国の中心であった都の一角、六波羅の豪華な屋敷に二人の人物が座っている。

 二人のうち、背が高い偉丈夫が話し出した。

 「どうも朝廷……ひいては帝に不穏な動きがある」

 「だが所詮は公家、何もできはしまい」

 側で聞いていたもう一人の男が敵をさげすむように言う。

 「どうかな、窮鼠猫を噛むとはよく言うものよ。まして帝という存在はやはりこの国にとって重要なのだ」

 「維貞殿、何が言いたいのかな?」

 名を呼ばれた偉丈夫・北条維貞は飲んでいた酒を置き、相手と向き合う。彼は京の都と朝廷を監視する幕府の出先機関である六波羅探題南方の司令官である。

 「範貞殿、わしは近々職を解き、鎌倉に帰還せねばならぬ。その間に何か起こるのではないかと心配なのだ」

 維貞と同じく六波羅探題の北方司令官である北条範貞は持っていた酒を一息に飲み干すと。

 「案ずることはあるまい。どの道、後醍醐天皇の親政は間も無く終わる。それで世の中も静まるわ」

 「そうであればよいが」

 維貞は心の不安を打ち払うように、再び酒を飲み始めた。暗闇が屋敷を包み、酒を飲む続ける二人の会話を盗み聞く者の存在に、二人は気付かない。





 備前国に守護の使いが来たのはそれから数日後だった。

 和田範長に謁見した守護の使いは、まず簡単な挨拶を済ませた後

 「兵を出していただきたい」

 と言ってきた。

 「兵を?またなぜ」

 「仔細はわからぬが、そうですな、20人もおれば事足りるでしょう」

 「そうですか、まあ承知しました」

 この時代、常備軍なるものは存在せず、土地を持つものがその土地に住む農民を使役し、それが自動的に兵となる。備前国邑久郡に住む豪族である範長ももちろん、ある一定の兵力は持っていた。

 (なぜ兵が急に入り用なのか。まあいい、戦ではなかろう)

 どこか都辺りでの警護を仰せ付かったのだと思い、範長は娘婿の宗助を呼んだ。





 緊張した面持ちで部屋に入ってくる宗助。範長は咳払いをして先程の一件を話した。

 「はあ、大変ですね」

 まるで他人事の口の聞きように範長は眉を吊り上げる。

 「なにが、大変ですねだ!よいか宗助、お前は我が一族を代表して20人の兵を指揮するのだ」

 「ええっ!」

 「なんだ、その声は情けない。別に戦に行けとはいわぬ、ただ守護様のご命令どおりに任地に行けばよいのだ」

 「その任地とは、ど、どこですか?」

 「知らぬ」

 「そんな……」

 「まあ案ずるな、どうせ都の警護か何かだろう。命までは取られぬは」

 「…………」

 「わかったら明日中に出発せよ!良いな!」

 「は、はい!」





 高徳の部屋

 「という訳なのですよ、義兄上。私は生まれてこの方、この土地を離れたことはないのに……はぁ〜」

 義兄上である児島高徳の部屋に入り、早速ぶつぶつと愚痴をこぼす宗助。高徳は横になったまま、静かに愚痴を聞いていた。

 「それで、どこに行くんだ?」

 「義父上の話では、もしかしたら京に行くかもしれぬと」

 「よかったな」

 「なぜ私のような若輩者が、兵の指揮など」

 「人生は経験と……」

 「経験と?」

 「敗北で成り立つ」

 「嫌だあああぁぁぁぁ!」

 そんなこんなで宗助と話をしているとき、高徳の心中にある考えが浮んだ。

 「宗助」

 「はい?」

 「話がある」





 次の日

 和田範長の屋敷を出発する20人の兵の中には若き大将三宅宗助と、雑兵に化けた児島高徳の姿があった。

 備前国の守護大名である松田氏に命じられ、20人の三宅隊は京を目指した。ここに至り、高徳の心は静かな興奮で波立っていた。京に行っても何も変わらないかもしれない。だが少なくともあの男、日野俊基が命を掛けている男の屋敷ぐらいは見られるだろう。目指すは京の都、そして皇居である。





 その日の深夜

 京の都に入る数十人の武士団があった。彼らを都で出迎えた男は、俊基と背格好がよく似ている若い公家。

 「ようこそおいで下された、多治見殿」

 その言葉に、無精髭を蓄えた大柄な男が豪快に笑う。

 「ふははは、これは資朝殿、わざわざのお出迎え感謝いたす」

 迎えた公家の名は日野資朝、迎えられたのは美濃国の武士・多治見国長とその一党である。

 「今夜からは我が屋敷をお使え下され。近いうちに帝への謁見も叶いましょう」

 「うむ、万事はわしらに任せておけばよい」





 同じ頃、皇居では後醍醐天皇に仕える最高幹部と言ってよい三人が集結していた。万里小路宣房、吉田定房、北畠親房である。

 「どうあっても帝は幕府を武力で持って滅ぼす気らしい」

 「幕府は巨大だ。いかに辺境のならず者を集めても勝てるものではない」

 「帝も愚かではない。全てわかっているはずだ。だが……」

 「伊賀兼光殿が持ってきた情報では、近々六波羅探題南方で人事異動がされるらしい」

 「その情報、帝のお耳には?」

 「日野俊基、資朝の二人も知っている。間違いなく帝もご存知だろう」

 「もし帝が時期にはやり、事を起こしたら」

 「わからぬ。最近の帝は幕府を倒すことしか頭にはないのだ。我々の言葉もろくに聞いてはくだされぬ」

 「せめて、上皇様がご存命だったなら」

 「…………」

 『後の三房』と呼ばれ、天皇の厚い信頼を受けて高位に上った三人ではあったが、事態は既に三人の予想を上回る速度で動き始めていた。





 伯耆国から京を目指す備前国衆およそ100人は、静かな足並みで京へと進む。その一部の20人を指揮する三宅宗助はただただ何事もなく故郷へ帰れるように祈り、児島高徳は久し振りの都、そして友の顔を思い浮かべながら深夜の山道を歩くのであった。



 第五話 完


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