志純太平記




 第七話 『四国からの嫁』

 備前国に秋風が吹くこの頃。各農村では収穫祭が行われ、人々は見事に実った稲に顔をほころばせる。

 備前は地理的に農業や経済の便に恵まれ、国土は小さくとも律令制(古代東アジアの統治制度)では上国(政治的・経済的に2番目の豊かさ)と位置づけられた。

 そんな恵まれた国の丘に、児島高徳は身を横たえ、空を眺める。彼は孤独が好きだった。一人で何も考えず、ただ流れる雲を見るのが唯一の趣味といってよい。

 高徳の様子を見ていた少年。日野俊基から預かった少年は一言。

 「楽しいですか?」

 と言った。





 正中の変から約一ヶ月。高徳は日野俊基から預かった少年を連れて京を脱出し、備前国に帰還した。高徳は少年に赤尾丸という名前を与え、自分の息子だといって屋敷に住まわせた。

 「どうせなら弟でしょう」

 赤尾丸は少し不満そうだったが、高徳は

 「弟は一人で十分だ」

 と言って聞かなかった。赤尾丸は今年で8歳。高徳とは10歳しか違わない。傍目から見れば立派な兄弟である。

 赤尾丸は高徳にくっついて過ごし、あまり他の人間とは親しくしなかった。二人とも、京で大事なものを失い、同時に何かを得たが故の固い絆があったのかもしれない。





 赤尾丸は高徳にくっついて色々と彼の人となりを見てきて、つくづくこの男は武士らしくないと思った。

 武術や弓術、馬術などの武士として一通りのことは出来るが、別にそれ以上の上達を目指すこともなく、暇があれば外に出て雲を眺め、釣りをし、書物を枕代わりにする。

 「あなたは本当に武士ですか?」

 ある日赤尾丸は聞いてみたが、高徳は決まって

 「武士とは何だ?」

 と逆に質問を返した。だが、それでも赤尾丸は自分と高徳のほかとは違う絆を感じていた。高徳はあまり人の話しに耳を傾けない、いつもどこか上の空。まるでいつも瞑想ばかりする坊主のように、静かにその場の空気に溶け込む。しかし赤尾丸と接するときだけは、真剣に話を聞き、真剣に答えを返す。「武士とは何だ?」という返答も、高徳自身がずっと考えている彼なりの疑問であり、答えなのだろう。





 高徳の住まいであり、備前国の豪族和田範長の屋敷はこのごろ慌ただしい。

 赤尾丸が一応の叔父に当る三宅宗助に理由を聞いてみた。

 「義兄上のお嫁さんが四国の伊予国から参るのです」

 そう、伊予国の豪族河野和道の娘貞子がまもなく嫁ぎに来るのだ。

 「河野貞子様?」

 「ああ、顔見せはもう終わっているから、すぐに婚儀にまで行くと思うよ」

 「伊予の豪族……」





 範長は朝から忙しく立ち回った。下人や下女を全て動員して式作りをし、親戚へのお知らせ、神主の要請も抜かりなくやった。それでも彼は何か見落としがないか廊下をウロウロする。昔から心配性なのが範長の悪い癖である。

 「迎えの舟も用意できた……親戚にも連絡した。後は……高徳!」

 もっとも肝心な存在。新郎のことを忘れていた。

 (こんなときまで手間をかけさせおって、馬鹿者が!)

 考えてみれば、高徳を養子にしてから範長の人生は色んな意味で派手になった。

 無口で何を考えているかわからない少年だったが、根は真っ直ぐで優しい奴だとは範長にもわかった。だからこそ、お久馬をはじめ親戚の子供達が彼によくなついたのだ。

 ある意味、範長こそ高徳の最大の理解者なのかもしれない。

 (あの風来坊が結婚か……ふふ、年月は早いな)

 しばし高徳探しを中断し、昔を思い出す範長だった。無論、その後正気に戻った範長によって高徳は捕まり、屋敷に半ば監禁されたのは言うまでもない。





 翌日早朝

 瀬戸内海の荒波を越え、数隻の舟が備前国の湾に入った。出迎えたのは和田範長、三宅宗助など。

 舟から先に降りたのは褐色の肌に逞しい腕を持つ初老の男。

 「おお、和道殿。はるばるようこそ」

 呼ばれた男はニッコリ笑うと、範長の腕を取った。

 「いやいや、範長殿こそわざわざのお出迎え、感謝いたす」

 後から次々に降りてくる伊予国河野氏の郎党、親戚、従者。船旅には慣れているのか、皆手際よく荷物などを降ろしていく。

 最後に降りてきたのが、少数の女達に付き添われた若い娘。

 「貞子様ですな。今日はまた一段とお美しい。まさに三国一の姫ですな」

 娘は笠を急いできて無言で頷き、歩き出した。服から覗く肌の色など父親の和道に瓜二つである。

 「落ち着きましたら今日にでも式を始めましょうかな、和道殿」

 「うむ、わしも婿殿の顔を早く見たいものです」

 二人の父親は和やかに笑いながら海岸を後にした。





 夜

 部屋で着替え、床に寝そべる高徳の側に赤尾丸がやってきた。

 「だいたい親戚も集まってきましたよ、高徳さん」

 「そうか」

 「高徳さんは花嫁さんを見たことがあるの?」

 「ああ」

 「美人だった?」

 「……なぜ聞く?」

 「どうせなら美人のお嫁さんのほうがいいはずでしょ?」

 「なかなか一端のことを言うな。美人薄命と知っているか?美人と言われる者は不幸になるのだそうだぞ」

 「それは人の言葉。僕はあなたの答えを聞きたいな」

 「それはもちろん……美人がいいな」

 「やっぱり」

 微笑んだ高徳に、赤尾丸も釣られて笑った。

 やがて、正装した宗助が呼び、高徳は花嫁と親戚が待つ部屋に向かった。





 厳粛な空気が漂う部屋に通される高徳。奥には白無垢に着替えた花嫁が待つ。

 新郎の自宅に身内が集まって行う祝言や酒を酌み交わす三々九度なるものが正式に確立されたのは江戸時代に入ってからである。この時代は平たく言えば両家の承諾が得られればすなわち結婚成立という簡素なものであった。

 高徳が花嫁のとなりに座ると、早速大人達が酒を注いで回って騒ぎ始める。範長も和道もそれぞれ親戚から酒をもらう。そんな中、高徳は河野氏側の一番奥に座る男がチラチラとこちらを見ていることに気付いた。

 その男と視線を合わせた瞬間、高徳は直感的に花嫁の顔を少し見た。花嫁は恥ずかしいのか、高徳の視線から逃れようと顔を背ける。

 やがて和道が静かに盃(さかずき)を持ちながら寄ってきた。

 「娘をよろしく頼むぞ、婿殿」

 「和道殿、この娘ことは夫婦になれません」

 比較的大きな声で言ったので、場が一瞬で凍りついた。





 途端に和道の顔が険しくなる。

 「なぜでござる」

 「この式が、まったくおかど違いなものになっているからです」

 「ほう、お門違いとな、それはまたどうして」

 「それがしのとなりにいるべき人は」

 高徳は立ち上がると、先程眼の合った男の前に立った。

 「こちらのお方でござるから」

 「ば、馬鹿者!何を血迷ったことを!」

 範長は顔を真っ赤にして怒り、宗助はただオロオロしている。

 やがて

 「ふふ、うふふふ!」

 名指しされた男からうら若い娘の声が出た。今度は和道を除いた河野氏側の人間が仰天する。

 「その声は!」

 「貞子様!」

 「お見事です高徳様」

 白無垢を着ていた娘は静かに立ち上がり、席を外して笑った娘と並んだ。

 「私の名は静子と申します。河野貞子の妹です。そしてこちらが」

 男が立ち上がり、カツラを解くと、中から高徳の見覚えのある娘の顔が現れた。静子と名乗った娘と顔も背格好も同じだが、輝く黒い瞳が特徴的である。

 「お久し振りですね。河野貞子です。よく見破りましたね」

 「ふっはっはっは。いや〜すまん、すまん。貞子がどうしてもと言って聞かなかったのだ」

 つまり、河野貞子と静子の姉妹が結婚式で互いを交換して高徳をからかおうとしたのだ。

 「それにしてもよくわかりましたね、高徳様」

 可愛らしい褐色の顔をニッコリと微笑ませる貞子。高徳はどこか気恥ずかしくなって頭を掻きながら

 「なんとなくな」

 と答えた。





 「美人かどうかはわからないけど、相性は良さそうだね、高徳さん」

 夜空の星を見ながら、赤尾丸は一人、虫の声に耳を傾けるのだった。



 第七話 完


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