志純太平記
第八話 『暗躍する時代』
「仕事はまだ終わりませぬか?」
京の都にて政務に励む男の後ろから、同僚の男が声をかける。二人とも若い公家のようだ。
「仕事は多く、作業は皆遅い。とてもやっておれぬよ」
「まあ、当然ですな。幕府はあれを好機に持明院統と結んで帝の退位を迫っておられ、我々帝側の公家は何をやるにも肩身が狭い。仕事を手伝ってくれる者など誰もおりませぬ」
「帝は、お辛いだろうな」
「時代が時代なら、恐らく日の本一の名君になれるお方なのに」
「我々大覚寺統に属する公家達も、多くが邦良親王様の早期即位を期待しておられる。中院殿はどう思われる?」
邦良親王は後醍醐天皇の甥であり、皇太子である。後醍醐天皇は元々彼が成人するまでの中継ぎ的な天皇と見られていた。
「親王様は病弱であり、意思も弱い。帝や我らの悲願である朝廷の天下統一など、とても出来ぬものと思います」
「やはりか、私もそう思っていた。そもそも鎌倉幕府が始まって120年。武士のような蛮人が天下を統治するなど、間違っておるのだ」
中院定平はその言葉にうんうんと頷く。そこに、廊下を渡って三条実忠が現れた。
「おやおや、花山院殿、中院殿、ここにおられましたか」
「三条殿、なぜここに?」
「1年前のあの事件に関する資料がようやくまとまったので、花山院殿にお渡しに参った」
「あの事件の資料を?花山院殿、なぜ今更?」
あの事件とはもちろん、『正中の変』のことである。朝廷や幕府を巻き込んだ後醍醐天皇による倒幕未遂事件。帝に対する処罰は何もなかったが、いまだに風当たりは強い。
「事件に関わった人々のリストを作成してもらったのだよ。朝廷、幕府、または民間人。あらゆるところで多くの者達が動いた。その動きを知りたいのだよ、私は」
花山院師賢は眼を輝かせて三条が作った書物に向き合う。
「う〜む。いまいち、花山院殿の意図がわかりませぬぞ」
「あの事件は言ってみれば帝の負けであった。しかし大事なのは負けを活かすことだ。あの事件で我々朝廷に協力した者達、もしくは友好的だった者達と密かに情を結んでも、損はあるまい」
「そのような者達、居たとしても頼りになりますかな」
「幕府を倒すには我々だけではダメだ。巨岩を倒すには人手が、多くの者達の手が必要なのだ。今は無理でも、いずれ皆が手を取り合って行動する日が必ず来る。帝が倒幕の意思を捨てぬ限り、我々も捨てぬ。我々が捨てねば、天も見捨てはしないのだ」
パラパラとめくる関係者書物の中に、偶然にも花山院はある男に眼が留まった。
「…………児島高徳」
伯耆国
名和長年が注いでくれた酒を、高徳は一気に飲み干した。
「そうか、お前は嫁を貰ったのか。家族が増えるのはいいことだな」
「まだ出来たばかりの家族ですが」
「それに何だ、赤尾丸だったか?京から妙な坊主を拾ってきたな。あれも養子にしたのだろう?いきなり子供持ちとは、お前もなかなかやるな」
長年は豪快に笑うが、高徳はただ黙って酒を飲んでいるだけだ。高徳は誰と飲んでもこういう態度を崩さないが、長年は気に入ったようだ。
「だがまさかお前がここを訪れるとは、どんな風の吹き回しなのだ?」
「色々と話がしたかったのです。あなたと」
「この長年に?一体何の」
「昨年の倒幕未遂事件。なぜあのようなことが起きて、あのような結果になったのか。俺は知りたいのです」
「なぜ……知りたいのだ?」
長年の眼が探るようなものに変わる。
「理由が、いりますか?」
「お前……ふふ、まったく面白い奴だよ」
酒を一気に飲み、長年は海を眺めながら話し出した。
「俺は長話が苦手だからな、率直かつ簡潔に言うぞ」
名和長年は現在の幕府や朝廷の現状について話、高徳も真剣に耳を傾けた。高徳はその話を聞くうちに、あの日野俊基がなぜあそこまで幕府打倒を目指したのか、少しわかった気がした。
「朝廷は……帝は幕府を倒そうとしている。そしてそれは不可能ではないと俺は思う。ただし、帝や公家の力だけでは無理だ。大事なのは確固たる信念を持った者達。それらの力が結集するかどうかで、全ては決まる」
「…………」
「児島高徳、天下は確実に動こうとしている。お前は、何をする?」
「……わからない」
「ふむ」
「わからないことは、愚かですか?」
「お前さんに政治の世界は向かねえよ。わからなくて良いんだ、大事なのは何をしたいかだよ」
「何をしたいか……俊基殿にも同じことを言われた気がします」
「日野俊基か、公家には勿体無い御仁だな。あのような者がいれば、朝廷は幕府を倒せるかもしれん」
「長年殿は、この機会に何をお望みで?」
まったく、と名和長年は溜息をついた。本当にこの児島高徳という男は、バカ正直というか、真っ直ぐというか、暗い雰囲気を出しながらも、その実は純粋な魂を持っている。
名和長年は伯耆国の有力者だ。その発言は近隣の勢力にも少なからず影響を与える。迂闊なことは言えない。だが高徳の前でそのような外面の問題など微々たるものに思えた。腹を割って話せる男だと、長年は感じていた。
「俺はな高徳よ。初めて会ったときにも言ったが、多くの守るべき者達がいる。おいそれと決断はできぬのだ。妻を持ったお前にも、いずれわかる。どんな男も、大切なものを背負って生きているのだ」
高徳は何となくわかった気がしたし、やはりわからない気もした。それから黙って長年は酒を飲み、高徳も黙って海を眺めた。
家に帰ると妻の貞子が迎えた。
「あらあら、もうお帰りですか。晩御飯はまだ出来ていませんよ」
高徳と貞子の屋敷は和田範長の屋敷から程近い場所にある。貞子の要望で瀬戸内海が見渡せる小高い丘の上に立てられた。結婚してから貞子は高徳の一族や風習にもなれ、今では高徳を犬か猫のように扱う。一族の若い衆は高徳を「尻に敷かれている」と笑うが、高徳は別段気にしなかった。ともに暮らす夫婦の間に上下優劣の差など不要だという考えなのだ。
高徳が部屋に入ると赤尾丸が本を読んでいた。
「まだ起きていたのか」
「どうも、お帰りなさい」
赤尾丸は学問が好きらしく、もっぱら本を読み、囲碁や将棋などで遊んでいる。
「なぜ俺の部屋の本を読むのだ」
「自分の部屋の本は全て読んだし、いちいち部屋から持ち出すのもどうかと思って」
「ああ、なるほど」
貞子と下女が料理を運んできた。貞子は海の豪族出身らしい、魚を使った料理が得意だ。
「変わったことはなかったか、貞子」
「そうですね、昼頃に客人が見えましたよ。何だか妙な話し方の」
「客人?どのような」
「う〜ん。確か名前は……」
「伊賀兼光。六波羅探題に仕える官僚にして重鎮」
赤尾丸が子供とは思えない冷静で冷ややかな回答をする。貞子と下女は驚いたが、高徳は気にしない。
「伊賀兼光……ええっと」
「昨年の京で、会いました」
「ああ、あの男か」
昨年の正中の変にて自分と日野俊基を見つけ、俊基を事実上六波羅探題に捕縛させた男。恨んでもいなければ気にしてもいない。あの場合、兼光や俊基の決断は正しかったと思う。
「あの男が、なぜここに?」
「さあ」
赤尾丸は興味なさそうに答え、貞子は興味津々に質問してくる。その質問に軽く答えながら、高徳は再び運命というものが動き出すのを感じるのであった。
備前国の宿舎で夜中の月を眺めながら、男が二階から夜風に当る。
「名和長年、菊池武時、赤松則村、細川頼春……駒は揃いつつある。児島高徳、あなたもこの祭に参加してもらいますよ。ただし」
(重要な駒となるか、捨て駒となるかは、あなた次第ですがね)
夜風に吹かれながら、伊賀兼光は不気味に微笑んだ。
第八話 完
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