志純太平記




 第十一話 『戦線崩壊』

 吉田定房からの密告によって勃発した戦線は、笠置山、吉野、赤坂城の3点を軸に拡大した。

 幕府は六波羅探題を中心に数十万規模の軍勢を派遣し、それぞれの地点の同時一斉攻撃を決定。特に天皇自身が立て籠もる笠置山へは精鋭の部隊が送られた。





 笠置山 天皇御所(仮)

 挙兵宣言とそれに伴う義勇兵への綸旨によって、各地の浪人、比叡山を中心にした僧兵がここに集結。何とか数千人の混成軍が誕生した。

 日野俊基や比叡山から帰還した花山院師賢などの若い公家が仮御所に集った。

 「もはや後戻りはできませぬ。ここまできたら、幕府を滅ぼすまで戦うのみ……」

 「方々から帝をお慕いする兵がぞくぞく集まっている。これで幕府軍とも何とか」

 そこに、一人の中年の公家がのっそりと顔を出した。

 「お邪魔してよろしいかな?」

 「おお、四条様ではありませぬか」

 四条隆資は天皇に仕える公卿。高位高官でありながらも優しく温厚な性格で、誰からも好かれていた。だがそれゆえに、激しい政争、ましてや戦場には間違いなく向かない人物である。

 実際、彼が顔を出して何人かは微妙な表情を作った。大事な会議の最中なのに、緊張が崩れてしまうと思ったのだ。

 隆資は席に座り、どこか楽しそうな感じで周囲を見渡した。

 「いや〜、大変なことになりましたな〜」

 「大変なのはこれからですよ、四条様」

 「先程、帝へ挨拶に行ったら、あの方も興奮なさっておられた。ここから鎌倉へは遠そうじゃな〜、ともおっしゃっておったよ」

 俊基と一部の公家は頭を抱えた。

 もう鎌倉攻略へと心が沸き立っている。ここに至るまでに裏で幕府と暗闘してきた俊基達にとって、幕府はあまりに巨大なのである。

 その事実を認識しない限り、勝機は薄い。

 そんな彼らを他所に、隆資は話を続けた。

 「さて、実はここに参ったのは、此度の籠城において全軍の指揮官は誰がよかろうという話じゃ」

 一瞬、公家達の動きが止まる。実のところ、そこにまったく気が付いていなかったのだ。

 「この件に関しては、千種の子倅(こせがれ)がどうしても自分がやると言っておるのじゃが……よろしいか?」

 「忠顕殿が……」

 千種忠顕は天皇に仕える公家の一人。若い頃から武芸にばかり励んで父親に勘当された暴れ者である。今回の天皇挙兵に際し、時機到来とばかりに自らの武勇と指揮能力を見せ付けようとしていた。

 ただ、日野俊基をはじめ公家達にとっては他に適任者がいないのも事実。ここは彼の力に頼るほかない。

 そういう結論が出るのに時間は掛からず、俊基が皆を代表して

 「全軍の指揮は忠顕殿にお任せする」

 と宣言。隆資も満足げに帰っていった。





 一方、皇太子・護良親王が守る吉野山は一足早く戦闘状態に入っていた。

 風光明媚な美しい山々も、今は攻め寄せる幕府軍と護良軍とで木々は倒され、民家は焼かれ、人々の死体で地獄絵図となっていた。

 各所で戦局が報告されるが、どれもあまりおもわしくない。護良親王は吉野山本陣と前線とを馬で往来して将兵を鼓舞し、児島高徳も側近くで彼を守った。

 ときより飛び交う矢玉も親王は恐れず、時には自ら抜刀して敵を斬った。

 「親王様!あまり無理をなされますな!」

 たまらず高徳が叫ぶが、若い猛君は清々しい笑顔を向ける。

 「このようなところで果てるようでは、余の天運もそれまでということよ。高徳、そちも天運を信じるならば見事に武功を立ててみせよ!」

 「承知!」

 乱戦に躍り出る高徳を、周囲の雑兵が刀や槍やと様々な獲物で仕留めようとする。高徳にとってこれは始めての戦である。半ば混乱しつつ我武者羅に刀を振るうが、敵には当らない。そのうち、馬脚を叩かれ、地面に落ちた。

 「ぬぬ……」

 頭を抑える高徳に迫る敵兵。そこを護良親王と近衛兵が突進して彼を助け出した。

 馬に乗せられ、前線から脱出する高徳の横から親王が声をかける。

 「はっはっは、そちも余と同じで戦は初めてか」

 「面目ない」

 「よいよい、人には得手不得手があり、戦には勝ち負けがある。大事なのは、己の心の持ちよう。であろう?」

 「はっ、まことに」

 (この護良親王というお方、本当に若年なのか?とても信じられん)

 高徳はそこに、時代と闘う若き英雄の姿を見た。





 吉野山は修験道の修行場にも使われる険峻な山である。幕府軍は当初こそ手間取ったが、数に物をいわせ、徐々に包囲網を縮めていった。

 児島高徳は山間部に侵入した敵兵を少数のゲリラ部隊で襲い、それなりの戦果を得たが、やはり大局は覆らなかった。

 彼はこのような状況になったことに、一切の迷いも後悔もしなかった。伊賀兼光の話に乗って朝廷の『影』となり、諜報活動に従事するようになってから、いつかはこのような日が来ると直感していた。故郷に残した家族は彼の立場を知らない。妻の貞子は女子を産んだが、あまり顔も覚えていない。

 ただ、彼を動かすものは、親友の日野俊基が夢見る世界を、いつか自分も見てみたいという気持ちだけかもしれない。





 吉野山で抵抗を続ける護良親王の下に、衝撃の情報が入る。

 「報告します。ただいま笠置山から伝令が参り、笠置山は幕府軍の攻撃でもはや陥落寸前とのことです」

 ある程度は予期していたが、それでも早すぎた。親王は残念そうに息を吐く。

 「そうか……父君もだらしないことよ」

 側で話を聞いた高徳も、拳を握った。

 (帝は……俊基殿は無事であろうか……)





 1331年 9月

 笠置山は陥落した。

 公家衆、僧兵、浪人が立て籠もる笠置山は堅牢ではあったが、千種忠顕らの指揮系統がうまくいかず、方々で混乱を呼び、遂には奇襲を受けて陥落した。





 吉野山にやってくる伝令兵も、まさに命からがらといった風体で、戦いの激しさを思わせた。

 「伝令!帝は笠置山を脱出し、赤坂城へ向かったとのことです!」

 「赤坂の楠木を頼るか。父君の安否が気がかりだが、いまはこちらも大詰めなのでな」

 笠置山を攻略した幕府軍はその余勢を駆って吉野山へ向かい、吉野山攻略軍は倍加した。

 いかに勇猛な護良親王では、これはいよいよ抗えそうもない。彼は各所に築いた砦から全軍を本陣に集め、最後の号令を下した。

 「余は大変満足しておる。なぜなら幕府を倒す最初の戦いを余自身が経験できたからだ。この戦いは小さきものでも、いずれは大きなうねりとなって幕府を倒す浮力となろう。余はここを離れ、高野山に移る。諸君は自らのままに行動してほしい。最後に、余は共に戦った諸君を決して忘れない。以上だ!」

 この集った兵達が反旗を翻し、親王を捕らえる。もしくは逃亡先を密告すれば、その時点で親王の命はないだろう。だが誰の顔を見ても、そのようなやましい顔をしているものはいない。全員がこれからも続く『戦』に向けて闘志を巡らし、来るべき未来を信じている。





 笠置山陥落から数日後、吉野山の護良軍は余力を残したまま方々に逃亡した。





 笠置山、吉野山と天皇軍の防衛戦線を次々に攻略した幕府軍は、最後に残った赤坂城に攻め寄せた。城の主将は楠木正成。戦力差は五百対二十数万。

 圧倒的に幕府軍優位だが、ここで幕府軍は苦戦することになる。





 標高185mの赤坂城本丸から眼下の幕府軍を睨む正成は、部下の将兵に命じて様々な作戦を立案、決行した。

 近づく幕府軍に矢、泥、はたまた熱湯や大木、岩を落とした。時には城門から打って出て弱った敵兵を散々に追い散らした。

 「我こそは河内の楠木正成なり!大義のため、帝にお味方致す。朝敵ども、我が城に来るものは命がないものと思え!!」

 攻める幕府軍に守る楠木軍。既に孤立無援と化しても、正成は諦めなかった。実際、幕府軍は彼について何も情報を得てはいなかった。わかっているのは河内国で悪党と呼ばれる在地武士であるということだけ。まさにふって沸いたような敵将なのだ。

 幕府軍司令官は床机を叩いて将兵を一喝した。

 「あの程度の小城一つ落とせぬとは、恥を知れ恥を!」

 怒りが収まらぬ司令官は、一人の男を指差した。

 「尊氏(この時代はまだ高氏)!今度はお主が先鋒を務めよ。見事に正成を討ち取ってみせよ!」

 呼ばれたのは河内源氏の名門出身・足利尊氏。彼は眠ったようにまぶたを閉じて瞑想していたが、呼ばれても顔を向けることなく眼だけを赤坂城に向けた。

 「お断りいたします」

 「なんだと!?臆したか小僧!」

 「真正面からの城攻めは闇雲に犠牲を多く出すだけであります。ここは下手なことはせず、兵糧攻めに切り替えるがよろしかろう」

 「知ったような口を利くな!命令に従わぬと、鎌倉に報告するぞ!」

 尊氏の妻子は鎌倉に在住している。今回のことで反乱勢力に対して神経質になっている鎌倉の北条氏の耳に変なことが入れば、家族の身に危険が及ぶかもしれない。尊氏は一瞬相手を睨むが、仕方なく席を立った。





 足利尊氏は部隊の兵を軽装させ、軽くて丈夫な竹の盾を装備し、なるべく素早く進軍させた。更に後方には強弓の兵達を布陣させ、赤坂城に迫った。

 やはり今回も様々な投射物で応戦する楠木軍に対して、足利軍は弓で応戦しつつ素早く城門に取り付こうと全力で走った。

 訓練された足利軍の動きは俊敏かつ正確であり、赤坂城の本丸寸前まで到達した。だが、そこにまた罠があった。

 「どうした?」

 「大量の落とし穴です。兵達は混乱しています」

 「楠木正成……なかなかやるな」

 落とし穴に加え、前線の楠木軍は方々から「援軍だ!」、「幕府軍が退却しておるぞ!」といった虚言を発しており、足利軍はますます混乱した。

 その時、足利尊氏は自ら馬に乗って前線に打って出た。

 「落ち着け!こんな子供だましなど、所詮は田舎侍の浅知恵よ!」

 「そこに居るは大将か!?名を名乗れ!」

 城壁の上から正成が顔を出した。彼から見た尊氏は眼光鋭く、雰囲気が暗そうな将軍である。

 一方の尊氏も、顔を上げて正成を見た。薄い無精髭を生やしているが、汚くはなく、浅黒い逞しい顔をしている。

 「我が名は足利尊氏。楠木殿、貴殿らは十分に戦った。ここで降られよ。さすれば命だけは助けようぞ!」

 「名門足利のご子息が簒奪者の使い走りか。お主にとって真の敵は我らではないはず。早々に国に帰り、よく考えられよ!」

 正成が言う簒奪者とは執権北条氏のこと。本来の最高元首(征夷大将軍)である皇族出身の守邦親王などの歴代将軍を差し置いて権力をほしいままにする北条氏に対して、正成はしばしばこの言葉を用いる。





 尊氏は馬首を返した。

 「正成殿、この戦いに勝機はない。さらばだ!」

 撤退命令を受けた足利軍は被害もそこそこに退却。結局、幕府軍は赤坂城を何重にも包囲して膠着した。





 赤坂城攻防戦から約一ヶ月。さすがに心身ともに限界に近くなった楠木軍。総司令官の正成は将兵を集めた。

 「もはやここまでである。城に火を放て」

 「大将!」

 「帝への忠義、もはや十分に果たした。あの世でご先祖様も誉めてくださろう」

 そこに、正成の弟・正季(まさすえ)が疲れた顔ながらもしっかりした声で反論した。

 「御大将ともあろう者が愚かなことを……。命を全うしてこそ忠義とは輝くもの。このような城一つと道連れでは単なる犬死に。そうではありませぬか?」

 「正季……」

 「兄上が亡くなられてはこの正季も生きてはおられませぬ。この正季、まだまだ帝の為に働きたく存ずる。どうか、今一度のご再考を」

 正季に続き、将軍達も頭を下げる。

 正成は静かに眼を閉じ、頷いた。





 翌日、赤坂城は真っ赤に炎に包まれた。それを唖然と見上げる幕府軍。やがて、口々に歓声が上がった。

 「正成め、自害しおったな!はっはっはっは、我らの勝利じゃ!」

 互いに健闘を称え合う将兵を尻目に、尊氏は陣中を去った。

 (死んだ……か。案外、詰まらぬ男よ)

 好敵手を失った尊氏の心は、冷め切っていた。





 吉野付近の山中をさまよう児島高徳。彼は幕府の残党狩りから逃れつつ、かねてより打ち合わせていた伊賀兼光や同僚が密かに作った山小屋を目指した。

 山林に覆われ、日も差さない暗い山小屋の中に入ると、一人の老僧が待っていた。

 「文観和尚!」

 「ほほぅ、お前も生き残ったか。兼光に聞いたとおり、なかなか幸があるようじゃな」

 文観とは兼光の仲介が知り合った。当時は邪教と呼ばれた真言宗立川流の僧で、友人の円観という僧と一緒に都で活躍していた。今回の幕府打倒計画にも参与し、多くの僧兵を集め、幕府誅滅の祈祷を行ったりしていた。

 「和尚だけですか?」

 「ふむ。皆バラバラに逃げ去ってしまった。ここに着たら、誰かに会えると思って楽しみにしていたが、お前だけとは、やれやれじゃな」

 「帝は、笠置山の公家衆はどうなりましたか?」

 この時代、僧とは便利な職業である。僧兵という戦力を持ち、国々の情報を集めるのも容易だ。文観ほどの僧ならば、天下の情勢は手に取るようにわかるだろう。

 老僧は渋い顔で高徳を見た。

 「笠置山は幕府軍によって陥落し、帝は逃亡中に捕らわれた。わずか三日前のことじゃ」

 「帝が捕まった……公家衆は?」

 「大方、捕らわれたよ。帝と一緒に逃亡していた千種忠顕、日野俊基らもな」

 「俊基殿も、捕らわれたか」

 「そういえば、俊基とお前は知り合いだと言っておったな。残念じゃな、友を失うというのは」

 「それはつまり……」

 「帝はともかく、それに与した公家衆の命はあるまい。俊基は七年前にも捕らえられておるし。いやいや、本当に残念じゃ。よければ御経を唱えてやってもよいぞ」

 老僧の言葉など、少しも聞えてはこなかった。ただ思うのは、あの清々しい言葉と魂を持った友人が死ぬかもしれないということ。

 (日野俊基が死ぬ。そんな馬鹿な)

 「わしも疲れた。そろそろ幕府に出頭しようと思う。お前はどうする?」

 「……鎌倉へ行く」

 「ほほぅ、お前も出頭するか。では一緒に行くか?」

 「いや、一人で行きます。和尚もお元気で」





 山小屋を後にした児島高徳は、自慢の健脚で山を駆け下った。

 心は掻き乱れ、嫌な汗が浮ぶ。

 天皇方の密偵・児島高徳としてではなく、一人の友人として、彼は鎌倉へ急ぐ。自分の心を導いてくれた、友の下へ。





 後醍醐天皇の倒幕戦線は、わずか二ヶ月程度で幕を閉じた。天皇は捕らわれ、多くの公家や僧も捕縛された。ただ、護良親王や楠木正成の死体は発見されず、幕府は大きすぎる禍根を残したまま戦乱の収束を宣言。

 1331年 10月のことであった。



 第十一話 完


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