志純太平記




 第十二話 『別れ』

 後醍醐天皇による2度目の討幕運動は再び失敗した。天皇を初め多くの公家や武士が捕縛され、幕府は新たに光厳天皇を即位させて支配権の強化を図った。

 だが、後醍醐派の残党は各地へ潜伏し、いまだ天下には暗雲が漂っていた。





 鎌倉へ続く街道を早足で歩く男。姿は修験者であり、時々お経を唱えながら地蔵などに頭を下げる。

 男の名は児島高徳。鎌倉へ護送された日野俊基を追って現在の東海道を自慢の健脚で黙々と歩き続ける。

 彼は他の残党勢力のどれにも加担せず、ただ俊基の後を追った。

 彼は無心だった……。





 鎌倉

 「高時様、捕縛した帝への処罰。いかが致しましょうや?」

 「うぅむ」

 「まさか、今回も処罰はなし。ではありませぬな?」

 長崎高資の言葉に、高時の顔も曇る。確かに新たな帝を即位させ、当面の問題は解決した。だが、後醍醐天皇の進退をどうするかは、最大にして最後の大仕事だった。相手は天皇。むげには扱えない。判断を誤れば、残党勢力を初め新たな火種を呼ぶかもしれない。

 「この際、処刑しては」

 高資がさらりと恐ろしいことを言う。

 「帝を殺したくはない。京の民に嫌われるのは嫌じゃ」

 「ですが、帝は」

 「もっとも理想的なのは、あの方が自然に亡くなられることじゃ。しかも手足を縛った状態での」

 「といっても、まさか本当に手足を縛って死ぬのを待つことはできますまい」

 高時はしばらく考えた後、弱弱しく

 「島にでも流すか」

 と言った。

 「島流しですか……まあよろしいでしょう。では帝に従った公家達は?」

 「それに関してはこの高資に任せてもらいたい。よろしいですな、高時様」

 「……わかった」





 簡素な屋敷。兵達が周囲を固め、睨みを利かす。高貴な公家のための牢獄。そこに長崎高資が訪れた。

 「蔵人殿は中か?」

 「はい。大人しくしております」

 「であろうな。公家とは本来そういうものだ」

 部屋に通されると、若い公家が本を読んでいた。

 「蔵人殿。お初にお目にかかる。それがしは幕府の内管領(秘書)を務める、長崎というものでござる」

 「……日野俊基であります」

 「このたびは、危ないまねをされましたな。命を落とすかもしれぬ戦時を」

 「帝のお心に従ったまでのこと」

 「愚帝に仕えし臣下の悲劇。お察しいたす」

 「口に気をつけられよ。あのお方は愚帝などではない。誰よりも天下を思い、誰よりも気高き神君などだ」

 「……まあ、よいでしょう。どうおっしゃっても、あなた方は敗北したのですから。待っているのは、死のみ」

 「内管領殿。愚昧な口と態度でこの俊基を愚弄しに来たのであれば、早々に立ち去られよ。この俊基、逃げも隠れもせぬ。死しても帝のお側にあり、必ずや幕府を討ち滅ぼすであろう」

 (これが、公家か)

 長崎は少しだけ驚いた。今まで見てきたどの公家とも違う。内からみなぎる闘志は、武士のそれにも匹敵する。

 手をひらひらと振って場の空気を払うと、長崎は続けた。

 「まあまあ、そう怒らずに。それがしが本日参ったのは、俊基殿のお命を助ける相談をしに来たのです」

 「相談?」

 「さよう。このたびの幕府に対する謀反は、帝を含め多くの方々に厳罰を科して当然のこと。ですが、帝お一人の考えということならば、話は違います。俊基殿を初め公家の皆様はただ、狂人と化した帝の暴挙に嫌々従った……。ということにして頂ければ、あなたを含め他の方々のご処分も随分柔らかなものになる」

 俊基は無言で背を向けた。

 「?」

 「内管領、長崎高資よ。恐らくその話は他の公家にも言っていることであろう。全ての責任を帝一人に背負わせ、あわよくば命を取ろうとしているのであろう。そのような無礼で無知な知恵を晒すこと自体、我々に対する侮蔑と心得えるがよい。貴公のような愚か者が内管領などについておるならば、幕府も長くはない。早々に立ち去れ」

 「よろしいのですか?お命を落としますぞ。たかが一人の帝のために」

 「命など、あのお方のためならば千回でも捨てられる。我が名は日野俊基。先祖より貰った名を汚させはせぬ!」

 「わかりました。最期に後悔なされても知りませんぞ」

 心は散々に乱れ、怒りに震えたが、努めて冷静に長崎高資は帰っていった。

 (後醍醐天皇……やはり危険なお方だ。何としても息の根を止めねば)

 長崎は慎重で臆病な策士である。幕府と自身の権威確保のためなら、あらゆる手段を講じる覚悟だった。





 長崎が去ってしばらくした後、俊基の部屋の襖が静かに開いた。

 「誰だ?」

 振り向いた俊基は、我が目を疑った。そこに居たのは、不思議な縁で結ばれた男・児島高徳だったからだ。

 「貴公……どうしてここに」

 「護良親王様と別れた後、ここに来た。見張りにも気付かれてはおらぬ」

 「そうか、わざわざ来てくれたか。礼を言うぞ」

 「俊基殿、脱出しないか。ここから」

 「…………」

 「後醍醐天皇にはまだ、あなたが必要なのだ」

 「聞きなさい。高徳よ」

 俊基は優しく高徳の顔を見た。その顔を見た途端、なぜか、高徳は全てを諦める気分になった。





 「私一人が逃げても、どうにもならん。大事なのは帝ご自身だ。貴公には帝の事を頼みたい。私の変わりに」

 「なぜです、俊基殿。なぜ」

 「私の務めだからだ。帝の為に働き、同志達と共に死ぬ。その先にある、素晴らしい未来を信じてな」

 「俊基殿……」

 「貴公とも、不思議な縁であったな。よく今まで私に付き合ってくれた。改めて礼を言うぞ」

 深々と頭を下げる俊基。高徳は体が震えた。大切な人を失うことに、生まれて初めて体が震えた。恐怖した。

 そんな高徳の姿を見て、俊基は目に涙を溜めながら、優しく言った。

 「さらばだ…………友よ」





 静かに夜道を歩きながら、高徳は月を仰ぎ見た。

 こんな気持ちになったのは、いつ以来だろうか。悲しみも、怒りもなく、ただ、空虚である。

 しばらく彼は、その場を動かなかった。動けなかった。





 その後、日野俊基、日野資朝、北畠具行らの公家衆は処断された。



 第十二話 完


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