志純太平記




 第十四話 『野良犬』

 足利直義と名乗った大柄な武士は、鋭く冷徹な瞳を高徳に向けたまま太刀を向ける。

 「児島高徳とか申したな。見たところこの辺りの土豪か浪人のようだが、ここは貴様のような者が入ってよい場所ではない。失せろ」

 だが、侵入者児島高徳は不敵な笑みを浮かべる。

 「御所を守るわ本来、北面武士などの名士達であるはず。お主らは時代が時代なら帝に近づくこともあい叶わぬ」

 「浪人風情が、よくもぬけぬけと。やはりここが帝の仮御所と知って忍び入ったか。その首、打ち落としてくれる」

 言うが早いか、直義の太刀が真っ直ぐに振るわれる。高徳は「バッ!」と獣じみた動きでそれをかわすと、自らも小さな小太刀を引き抜いた。

 「くっくっく、帝のおわすこの場を血で汚そうとは、ますますもって不届きな賊軍め」

 「…………言うわ」

 「直義様、何事です!」

 騒ぎを聞きつけ、周囲からも番兵が集まってきた。

 「何者か!」

 「武器を捨てよ!」

 殺伐とした空気が辺りを支配する中、高徳の神経はますます冴え渡り、その心は異常なほどの興奮と、冷たさがない交ぜになっていく。

 「ふ、ふふ」

 思わず笑みがこぼれる。周りの番兵は皆不気味がった。

 だが、直義はこの高徳の眼や空気に覚えがあった。

 すなわち、「死兵」である。

 戦場などで稀に見られる人間の現象。死を前に一歩も退かず、ただひたすら攻撃行動をとり続ける狂人だ。

 (こやつ、本当に何者か?)

 直義は不覚にも身震いした。





 高徳はぎらぎらと狂気を帯びた眼で周囲を眺める。恐怖も、怒りも、悲しみもなく、ただ彼は嬉しさと興奮があった。

 目の前には帝に敵対する幕府の兵。そしてすぐそばには帝のおわす仮御所がある。ここで自らが命を賭けて一人でも多くの朝敵を殺し、帝の前でその忠を示せば、友との約束が果たせる。自らの人生に一つだけでも、誇れるものができる。

 そんな小さな功名心だけが、児島高徳を支えていた。

 「お前もまた、先の世にすがる武士なのか?」

 足利直義がどこか哀れんだ声で問いかけた。彼はこれまでいくたびも先の世の象徴、後醍醐天皇に忠義を尽くさんとする者達を斬り捨ててきた。公家、武家、寺社、敵の多い天皇だが、逆に彼に心酔する者達もまた多かった。

 まこと、時代が時代なら後醍醐天皇は良き英主であったかもしれん。

 高徳は直義の質問に答えず、小太刀を構えて真っ直ぐに直義を見る。

 「俺は逃げも隠れもせぬ。ふふ、さあ足利殿、この場を血で汚すがよい。参ろうぞ、参ろうぞ」

 「……よかろう」

 互いに距離を縮め、再び直義が太刀を振るった。まともに斬りあえば相手は生粋の武士。とても高徳のかなうものではない。高徳は一撃必殺の刃を異常な反射神経でかわしつつ、その一瞬を待った。

 やがて、大振りな一太刀を交わし、一挙に距離を縮め、小太刀が直義の喉下に迫る。

 「ああっ!」

 兵から悲鳴が上がった。

 次の瞬間、聞えたのは腹を蹴り上げる殴打音と、高徳の呻きだった。





 あえて素早い高徳を懐に飛び込ませ、無防備な腹に蹴りを放った直義だが、自身の頬にも少し傷が付いた。

 立ち上がろうとする高徳を番兵達が滅多打ちにする。

 しばらく棒や足で痛めつけられ、とどめに首を落とされようとしたとき

 「もうよい。捨て置け!」

 直義が制した。番兵達が顔を見合わせる。直義は任務に忠実な男である。このような侵入者を見逃すなど普段はあり得ないはずだが。

 「こやつの始末は俺がつける。お前達は下がれ」

 番兵が下がり始めたとき、場違いな元気な声が響いた。

 「直義様、賊がこの御所に侵入しようとしておりましたが、この佐々木が撃退いたしましたぞ!」

 赤や青など、派手な衣装を甲冑の下に付けているこの男は佐々木道誉(ささき どうよ)。今回の後醍醐天皇の隠岐島配流への道中警護を務めている男だ。

 たちまち直義の怒号が飛ぶ。

 「たわけ者が!お前は警護責任者でありながら、この不始末はなんじゃ!」

 「やや、この男は誰ですかな?」

 「この御所に侵入してきた男じゃ」

 「死んだのですか?」

 「いや……まだ生きておる」

 「なぜに見せしめに殺さぬのですか?」

 「この男、なかなか面白い。兄者に会わせてみたい」

 「ほほぅ、尊氏様。それはまたなぜ?」

 「お前には関係ない。たまたま俺が様子を身に来たからよかったものの、これからはしっかりせえよ」

 「ははっ!それはもう」

 どこか抜けたような調子のよい口調で頭を下げる道誉に、直義は静かに苦笑した。





 美作国の雪山を掻き分けて三宅宗助と赤尾丸は走り続けていた。

 「義兄上は、無事だろうかな」

 「さて、分かりません」

 「もう追っては来ぬようだ。少し休もう」

 木々に腰掛ける三宅宗助。あまり体力はないらしく、息を荒く吐いている。今年で23歳だが、いつまでも頼りがいがない。

 かたや赤尾丸は今年で16歳。そろそろ元服してもよい年齢だが、どうやら背は伸びない体質らしく、顔も童顔なので、いつまでも子供のような姿形だ。だが日頃から精進はしているらしく、厳しい雪山の逃避行でもあまり疲れた様子はない。それに記憶力もよく、戻る道のルートをしっかり頭に思い描き、宗助を導いていた。

 「義兄上は大丈夫だろうか。もしや何かあったのでは……」

 しきりに高徳を心配する宗助だが、赤尾丸は黙って高徳が侵入した仮御所のほうに顔を向けた。

 (あの男が死ぬものか。あの悪運の強い男が)

 赤尾丸は日頃から児島高徳と接してきて、彼の不思議な運命と悪運を信じていた。

 とてもくだらぬ最期をするような男には見えぬ。それに、まだ一度も「養父(ちち)」とは呼んでいない。無論、呼ぶ気はないが。

 こういうとき、人間はああだこうだと過去を悔やむものだ。





 「さっ、行きましょう」

 再び歩き出す宗助と赤尾丸。その背に家族の安否を思いながら、美作国を後にした。





 1332年

 先の戦争に敗北した後醍醐天皇は隠岐島に流された。随行したのは阿野廉子、千種忠顕などの側近や愛妾などであった。

 児島高徳がしてのけた『白桜十字詩』に関しては、翌朝天皇が庭に出てみると兵達が木に刻まれた漢詩を見つけた。兵達は刻まれた意味が分からなかったが、天皇だけはその意味を悟られ、深く感激したと言われる。





 全身の痛みと空腹、緊張感から高徳は眼を覚ました。薄暗い部屋だが、造りはそれなりに立派だった。

 高徳は警戒しながら辺りを見渡すが、どうやらどこかの屋敷らしい。外は暗いから、もう夜だろう。

 やがて、廊下を伝う人の気配を感じた。

 「……起きられました?」

 若い女だった。女は障子を少し開けて中の様子をうかがい、高徳が起きているのを確認すると、彼を安心させるために障子を大きく開けた。

 「夜か……」

 「はい、夜でございます」

 「俺は運ばれたのか?」

 「はい、運ばれました」

 「この屋敷は?」

 「足利の、直義様のお屋敷でございます」

 「あなたは?」

 「おかつと申します。側使いです」

 おかつは言われたことに正直に答え、高徳を安堵させていった。彼は自らの置かれた立場を冷静に分析し、それによって自分の心身を休める術を知っていた。おかつのしてくれた言葉による好意は、目覚める前の高徳の荒く、飢えた獣のような心を慰めた。

 「水が飲みたい」

 「はい、持ってまいります。直義様は明日帰ります。お待ちになりますか?」

 「…………ああ」

 まさに合点がいかないことである。なぜ直義は自分を助け、しかも明日帰るなどと時間的余裕を与えているのか。居るも帰るも勝手にしろということなのか。

 しかし、そのことをおかつに言ったとて彼女にもわかるまい。ただ高徳は深い脱力感と共に、運ばれてきた水を飲むと再び布団に潜り込んだ。

 翌朝

 「ほう、まだいたのか」

 何食わぬ顔で直義が顔を出した。高徳はしっかり身じまいを正し、彼を迎えた。

 「……なぜ、助けた」

 「児島高徳、備前国邑久郡に威を張る和田範長の養子。それ以前の出生、経歴、家族、一切不明とは、いやはや面白き男よ」

 「よく調べてある。流石は足利の武士か」

 「調べるまでもないことよ。まあ、それはよい。お前を助けたは単なる気まぐれに過ぎぬ。お前は公家ではないし、武士でもない。所領といったものもないし、周囲に悪名の類もない。いうなれば単なる『野良犬』だな」

 「野良犬は相手にせぬか」

 「……野良犬にも優劣がある。俺はお前が少し気に入った。単身で先帝の下へはせ参じる度胸と忠義。面白い男よ」

 どうやら足利直義は高徳の行動を気に入ったようだった。それは直義自身が人間のそういう美徳に惹かれていることでもある。だが、高徳はいまいちわからない。忠義やら何やらと言われても、自分はただ、「湧き出る衝動」に従ったまでだ。

 「先帝は……後醍醐の帝は事を急ぎすぎた。そう思わぬか?」

 「はあ」

 「天下は治まらぬ。この直義はそう思っている。一度離れた人心は、必ず大きなうねりとなって幕府に向かおう。我が足利も、事態を大きく見ねばならん。わかるか、乱世だよ」

 「……乱世」

 「ふふ、わからんか。やはりお前は小さい。小さくて、バカだ。バカはバカなりに世を渡れ。うまくいけば成り上がれる。それが乱世だ」

 「……家に帰る」

 「帰るなら、河内国の金剛山に入ってみるがよい」

 「金剛山?興味はないな」

 「金剛山には多くの寺社仏閣がある。実はその中の一つに観心寺という古寺があっていな。おかつが一度そこに参りたいと言っておったのよ。どうだ、おかつを連れて行ってもらえんか、この際」

 「直義殿、何を考えておられる?」

 「ふふ、兄者はよく言っておった。人生は楽しむものだとな。お前も通りかかった船なれば、乗ってみろ」

 (面倒なことになった……)



 第十四話 完


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