志純太平記




 第十六話 『元弘の変・再』

 京都に戻った児島は、再び足利直義に会った。

 「お前という男がわからん」

 直義は児島をそう断じた。

 「そう思いますかな?」

 「わざわざ俺の命を忠実に守り、そしてまた舞い戻った。つい先日まで敵だった男のためにだ」

 「……どうでもいいことですな」

 「お前の心はどこにあるのだ?お前は真の忠義の士なのか?」

 「……それも、どうでもいいことだ」

 「この足利直義、曲がりなりにも兵を率いる者。人を見る目には自信があるつもりだが、児島高徳よ、お前の心中はまるでわからん」

 「実を言うと、この高徳自身にも自分がよくわかりませぬ」

 「お前は、アホだな」

 「はい」





 「おかつを泣かせたようだな。旅は散々だったという話だぞ」

 「あの女子が早く用事を済ませないからです。直義殿こそ、あのような覇気も根気もない者を金剛山になど、むごいことを」

 「おかつはあれで面倒見が良く根が明るい。少しでも楽しい旅路になるようにという配慮ではないか」

 (真の物見遊山ならば、問題はなかった)

 口には出さず、高徳は静かに座を後退した。

 「そろそろお引き取りいたします。家族も心配いたしておることでしょう」

 「そうか、帰るか。野良犬、もう迷ってはならぬぞ」

 「足利直義さま、その名は胸に留めておきましょう」





 備前国への帰路は、高徳にとって金剛山に行くとき以上におっくうなものだった。帰ったところで、何をして生きればよいのか。貞子と子供達の顔を見ながら毎日を過ごすのか。そうしていつの間にかそんな生活にも慣れ、自分が足を踏み入れた乱世の世界とも離れていくのか。高徳の足は重かった。





 金剛山に潜伏中の楠木正成は弟や部下を集め、密談を重ねていた。

 「護良親王さまが綸旨を作成しておられるのだな?」

 「はい、赤松殿から確かに」

 先の戦いで本拠である河内国の赤坂城を幕府に奪われた後、正成とその一派は金剛山に潜伏。密かに別の赤坂城、千早城などを築くまでに勢力を回復させていた。

 浅黒い筋骨は更に逞しくなり、目には確かな希望が宿っていたが、顔はどこか痩せこけ、恐ろしいものになっている。

 「親王さまが挙兵なされれば、播磨の赤松氏も動く。播磨が動けば、帝のご帰還も夢ではなくなる」

 弟の正季(まさすえ)は兄とよく似た顔に大きな目をぎらつかせながら興奮気味に言う。

 「ようやくここまで来た。兄上、それでいつ、起ちますか」

 「……全ては天が示してくださる」

 これは正成の口癖だった。





 足利の屋敷

 部屋の中には3人の男達がいた。

 足利直義、その兄の尊氏、そして伊賀兼光である。

 「なにやらまた天下には不穏な空気が流れている模様ですな」

 兼光の言葉に、尊氏は眉をかすかに動かした。

 「兼光殿は何かご存知なのか?」

 「さてさて、何かとは、何でござる?」

 「金剛山の楠木正成」

 「正成?確か死んだと聞いておりますが?」

 「真にそう思いか」

 「尊氏殿は真面目なお方だ。下手な考えは捨てなされ」

 「……そうだな」

 「ところで」

 直義が話しに割り込むように酒を注ぎ足した。

 「先日、私は面白い男と会いましてな」

 「ほう」

 「お前が助けた男、確か児島高徳といったか」

 「はい、その男がまた何というか。昨今なかなか見かけぬ類の男でしてな」

 直義は児島高徳のことを面白おかしく語った。確かに聞く者にとってはアホな話である。

 「手土産はありませんでしたが、わざわざ私の家に別れの挨拶をしに参りましてな。野良犬の考えることはわかりません」

 「一度牙を抜かれれば、獣も可愛くなるものですな」

 話を聞いた兼光はどこか自虐的に笑った。

 「違うな」

 「違うとは、兄上?」

 「恐らくその男、諦めが悪いだけだ。誰かが導けば、また牙を剥くかもしれんぞ」

 「誰が導き、誰に牙を剥くというのですか」

 「いまの世の中、そういう男達がまだまだ多いということだ」

 言った直後、尊氏は兼光をチラッと見た。兼光は静かに酒を飲んでいた。





 1332年11月

 再び鎌倉幕府に激震が走った。金剛山に潜伏していた楠木正成が遂に挙兵したのである。

 だが執権の北条守時を始め、多くの幕臣は楽観視していた。

 「いかに先の帝の亡霊が現れようとも、今度こそ完膚なきまでに叩き潰せばすむ話でござる。六波羅探題に迎撃させよ!」

 幕府の実質的な指導者である前の執権北条高時、長崎高資らの意見によって幕府内部には比較的平穏な空気が流れた。だが、数ヵ月後にはこれが地獄へと変わることに、まだ誰も気付かなかった。



 第十六話 完


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