志純太平記


[人物辞典と年表]
・・・ネタばれに注意!

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主人公と一族 天皇家と南朝 足利家と北朝 鎌倉幕府

主人公と一族

児島高徳(こじま たかのり) 生没年不詳
備前国の武士。
自分の生き様を探し続ける風来坊。
強い精神力と忍耐で乱世を駆ける。


和田範長(わだ のりなが) ?〜1336
備前国の豪族。
児島高徳の養父。


お久馬(おくま) 生没年不詳
和田範長の娘。
児島高徳の義妹。


河野貞子(こうの さだこ) 生没年不詳
伊予国の河野和道の娘。
児島高徳の妻。



天皇家と南朝

後醍醐天皇(ごだいご てんのう) 1288〜1339
第九十六代天皇(南朝の初代天皇)。
朝廷政治の復活を目指して倒幕を決意する。
『元弘の変』で幕府を滅亡させた後、足利尊氏と対立。
京を追われて吉野へ退き、南朝を開いて没した。


護良親王(もりよし しんのう) 1308〜1335
後醍醐天皇の皇子。
大塔宮と呼ばれた天台座主。
『元弘の変』では吉野や高野山に潜伏して幕府と戦う。
建武政権から失脚して鎌倉へ幽閉され、『中先代の乱』の混乱に乗じて暗殺された。


西園寺禧子(さいおんじ きし) 1303〜1333
後醍醐天皇の中宮(妻)。
懽子内親王を出産するが、寵愛を阿野廉子に奪われる。


阿野廉子(あの やすこ) 1301〜1359
後醍醐天皇の寵妃。
天皇の隠岐島配流にも随行した。


楠木正成(くすのき まさしげ) ?〜1336
河内国の武士(悪党)。
天皇の信頼を得た『三木一草』の一人。
『元弘の変』で天皇と共に挙兵し、幕府滅亡まで抵抗を続けた。
『湊川の合戦』で戦死。


結城親光(ゆうき ちかみつ) ?〜1336
元々は幕府軍の一員。
天皇の信頼を得た『三木一草』の一人。
足利尊氏に呼応して幕府から離反した。
最期は偽りの投降を見破られ、足利軍の大友貞載と相討ち。


千種忠顕(ちぐさ ただあき) ?〜1336
若い頃から天皇に仕えた公家。
天皇の信頼を得た『三木一草』の一人。
隠岐島配流にも随行し、脱出後は六波羅探題攻撃に参加した。
近江国で足利直義に敗れ戦死。


名和長年(なわ ながとし) ?〜1336
伯耆国の武士。
天皇の信頼を得た『三木一草』の一人。
隠岐島から脱出した天皇を船上山で迎えた。
建武政権から離反した足利尊氏に敗れ、京近郊で戦死する。


日野俊基(ひの としもと) ?〜1332
天皇の側近。
諸国を巡って反幕府勢力を募るが発覚し、捕縛される(正中の変)。
1331年・『元弘の変』で再び捕縛され、鎌倉の葛原岡で処刑された。


日野資朝(ひの すけとも) 1290〜1332
天皇の側近。
『正中の変』で捕縛され、佐渡島へ流される。
帰還できぬまま『元弘の変』が起こり、処刑された。


新田義貞(にった よしさだ) 1301〜1338
上野国の名門武士。
1333年・天皇に味方して挙兵。
鎌倉を攻略して幕府を滅ぼし、建武政権の主要人物となる。
南朝の主力として足利軍と戦い、越前国で壮絶な最期を遂げた。


多治見国長(たじみ くになが) 1289〜1324
美濃国の武士。
天皇の招きに応じて京へ入り、倒幕計画を練るが事前に発覚。
六波羅探題の攻撃を受けて戦死した(正中の変)。


北畠親房(きたばたけ ちかふさ) 1293〜1354
天皇に仕えた『後の三房』の一人。
南朝の実質的な指導者。
『建武の親政』を批判していた。


北畠顕家(きたばたけ あきいえ) 1318〜1338
北畠親房の息子。
建武政権では奥州の軍権を任せられる。
足利尊氏を九州へ敗走させるが、『石津の合戦』で戦死。
『風林火山』の旗印を使用していた。


万里小路宣房(までのこうじ のぶふさ) 1258〜1348
天皇に仕えた『後の三房』の一人。
1336年・足利尊氏が京を制圧すると北朝に降伏した。


吉田定房(よしだ さだふさ) 1274〜1338
天皇に仕えた『後の三房』の一人。
『元弘の変』では倒幕計画を六波羅探題に密告した。
幕府滅亡後、再び天皇に仕える。


四条隆資(しじょう たかすけ) 1292〜1352
天皇に仕えた公卿(身分の高い公家)。
南朝の中心人物として活躍。
後村上天皇(南朝の第二代天皇)を守る為に戦死した。


伊賀兼光(いが かねみつ) 生没年不詳
元々は六波羅探題の一員。
早くから天皇の倒幕計画に参加していた。


菊池武時(きくち たけとき) 1292〜1333
肥後国の武士。
『元弘の変』で天皇に味方して北条英時と敵対したが、敗れて戦死した。


花山院師賢(かざんいん もろかた) 1301〜1332
天皇に仕えた公家。
『元弘の変』で天皇の身代わりに比叡山へ入った。


中院定平(なかのいん さだひら) 生没年不詳
天皇に仕えた公家。
『元弘の変』では花山院師賢に従って比叡山へ入り、その後は護良親王に仕えた。
1336年・足利尊氏と天皇が一時的に和睦した後の消息は不明。



足利家と北朝

足利尊氏(あしかが たかうじ) 1305〜1358
室町幕府初代将軍。
後醍醐天皇に味方して六波羅探題を壊滅させる。
1335年・建武政権と対立して北朝や室町幕府を開いた。


足利直義(あしかが ただよし) 1306〜1352
足利尊氏の弟
兄に従って各地を転戦した猛将。
高師直と内部分裂を起こし、『観応の擾乱』の末に急死した。


高師直(こうの もろなお) ?〜1351
足利尊氏の側近。
北畠顕家を討ち取り、南朝の本拠地である吉野を陥落させた名将。
室町幕府内で足利直義と争い、敗れて京への護送中に殺された(観応の擾乱)。


赤松円心(あかまつ えんしん) 1277〜1350
播磨国の武士。
後醍醐天皇が隠岐島から脱出後、倒幕を掲げて挙兵する。
足利尊氏が建武政権から離反するとこれに味方した。


佐々木道誉(ささき どうよ) 1296〜1373
近江国の武士。
独特の美意識を持つ『ばさら大名』として知られる。
後醍醐天皇の隠岐島配流の道中警護などを担当した。
幕府滅亡後は足利尊氏の側近として活躍。


細川頼春(ほそかわ よりはる) ?〜1352
足利尊氏に従った武士。
建武政権の崩壊後は北朝に仕えて四国に勢力を張った。


光明天皇(こうみょう てんのう) 1321〜1380
北朝の第二代天皇。
足利尊氏に擁立されて即位した。



鎌倉幕府

北条高時(ほうじょう たかとき) 1303〜1333
鎌倉幕府第十四代執権。
実質的に最後の幕府指導者。
新田義貞に鎌倉を攻略され、一族と共に東勝寺で自害した。


北条仲時(ほうじょう なかとき) 1306〜1333
幕府の京都守護機関である六波羅探題の北方司令官。
足利尊氏に敗れて東国へ敗走。
進路を佐々木道誉に阻まれ、蓮華寺で自害した。


北条時益(ほうじょう ときます) ?〜1333
幕府の京都守護機関である六波羅探題の南方司令官。
足利尊氏に敗れて東国へ敗走。
道中野伏に襲われて死去した。


北条英時(ほうじょう ひでとき) ?〜1333
九州を統治した鎮西探題。
『元弘の変』で菊池武時を倒す。
六波羅探題の壊滅後に諸豪族の反乱が続き、博多で自害した。


北条守時(ほうじょう もりとき) 1295〜1333
鎌倉幕府第十六代執権(最後)。
新田義貞に敗れ、洲崎で自害した。


長崎高綱(ながさき たかつな) ?〜1333
鎌倉幕府に仕えた御内人。
幕府内部で大きな影響力を持っていた。


長崎高資(ながさき たかすけ) ?〜1333
鎌倉幕府に仕えた御内人。
長崎高綱の嫡男として絶大な権勢を誇った。


長崎高重(ながさき たかしげ) ?〜1333
鎌倉幕府に仕えた御内人。
長崎高資の嫡男。
武蔵国で新田義貞と激闘を繰り広げた。





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[年表]

1324年・正中の変 後醍醐天皇の倒幕計画 失敗
1331年・元弘の変(乱) 後醍醐天皇の二度目の倒幕計画
     ・天皇が笠置山で挙兵(笠置山の合戦) 幕府軍に敗北
     ・楠木正成が赤坂城で挙兵(赤坂城の合戦) 幕府軍に敗北
1332年・天皇が隠岐島に配流
     ・児島高徳が天皇救出を企てる(白桜十字詩)
     ・楠木正成が千早城で再び挙兵(千早城の合戦) 幕府滅亡まで戦い抜く
1333年・天皇が隠岐島を脱出
     ・足利尊氏や新田義貞らが挙兵 六波羅探題壊滅 鎌倉幕府滅亡
     ・建武の親政が始まる 元弘の変(乱)終結
1334年・護良親王が鎌倉へ幽閉される
1335年・中先代の乱 幕府残党に鎌倉が占拠される
     ・足利尊氏が鎌倉を奪還 独自の武家政権を創り始める
     ・天皇が新田義貞に尊氏討伐を命じる
1336年・足利尊氏が京を制圧 天皇は比叡山へ逃れる
     ・奥州から北畠顕家が攻め寄せる 尊氏は九州へ敗走 赤松円心が追撃を阻止する
     ・湊川の合戦 楠木正成が戦死 天皇は再び比叡山へ退去
     ・光明天皇が即位 北朝が開かれる
     ・建武式目の制定 室町幕府成立
     ・後醍醐天皇が吉野で南朝を開く 南北朝時代の始まり
1338年・石津の合戦 北畠顕家が戦死
     ・新田義貞が越前国で戦死
     ・足利尊氏が征夷大将軍に任命される
1339年・後醍醐天皇が崩御

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