戦国島津伝
第三章 『刀よりも筆を!』
「何で兵糧の着服を七日も気付かなかったのだ!」
「はっ、それが、巧みに少しずつ行っていたらしく、我々も先ほど報告を受けたばかりでして」
「馬鹿者が!あれは困窮している農村を救う為の兵糧だぞ。こちらが遅れれば、民が困るのだ」
「そ、それは承知しております。しかし」
「もうよい!貴様がしっかり職務を果たしておればもっと早くに気付けていたはずだ、しばらく謹慎しておれ。後処理は拙者自身がする」
報告して来た文官はトボトボと来た道を帰って行った。
報告を受け激怒していたのは島津歳久。義久、義弘の弟。
兄弟一の激情家であり、最も体が弱い。
「はぁ、はぁ、はぁ、・・・いかん動悸が」
少し苦しそうに自分の胸を押さえる。
何故こんな事になったのか、兵糧の着服事態は大した問題ではない、だが、自分の配下からそんな事をした奴が出た事が許せない。
昔から負けず嫌いだった。何でも自分が一番でなければ気が済まない。
太刀も馬も、一番良い物を商人から買った。武芸に関しても、体が弱くなければ兄の義弘にも勝てる自信がある。
今回の事は兵糧の移送の担当者を選んだ自分の責任だ。
さっきの文官はただの管理者に過ぎない。全部が全部把握出来るわけがない。
全部、何もかも全部自分の不始末だ。折角自分自身で統治できる土地を貰ったのに。
「何時まで嘆いていらっしゃるのですか?」
声の聞えた方を振り向くと、一人の初老の男が立っていた。
「伊集院・・・ふん、拙者を笑いにでも来たか」
「おやおや、随分と気分が悪そうですな」
伊集院忠朗(いじゅういんただあき)。島津家では古参の将。戦場よりも城の中で政務をさせていた方が役に立つ男だ。
そして、何より、自分から刀を奪った男。
「兵糧の着服があったのだ」
「存じております」
「大した量ではない。ただ、拙者の統治内でそんな事があったのが許せぬ」
「お言葉ですが歳久様、貴方の統治者としての評判は随分良いものですぞ。この岩白城での政務に励んで半年、失敗らしい失敗は今回が初めてではありませんか。やはり、私の目は確かでしたな」
体が弱く、何度も義弘に倒され、他の武将と調練しても直ぐに息が切れる、動悸が早くなる。こんな事で武士と言えるのかと、傍にいた伊集院に嘆いた事があった。
その時伊集院は、「武士は戦場で刀を振り回すより大事な事がある」と言った。
それ以降、伊集院は歳久に文官としての心構えや大切さ、仕事を教えた。歳久は伊集院でも驚くほどの政治能力を見せ、十四歳にして与えられた岩白城の民政を飛躍的に大きくした。
激情家の性格が、戦場ではなく机の上で爆発したのである。
「今回の後始末は補佐である私がやっておきます。歳久様は少々お休みなさい」
「いや、今度の事は拙者に甘さがあったからだ。もっと徹底的に人選にしても何にしても、初めから見直す」
やれやれと、伊集院は心の中で苦笑した。自ら公私公道を掲げ、不正を一切許さない歳久の治世は領民にも慕われている。こういう武士は、奪った敵の領地の政治も任せられるし、他の戦しか能がない武士よりも民の心を直ぐに掴める。つまり、戦国の世に最も必要な人材なのだ、歳久の様な男は。最近では歳久も、自分の居場所は戦場ではなく、城の中なのだと思い始めている。
「そうそう歳久様、水田の投資は滞りなく進んでおります。この分ですと来月の収穫はかなりの量が期待できそうです」
報告を受けた時、歳久が一瞬嬉しそうに笑ったが、直ぐに真顔に戻した。
「そうか・・・よしご苦労。あとは実りの出来次第だな」
生き生きと政務に動き回る歳久を見て、ある意味体が弱くて良かったのかもしれないと、伊集院は思った。歳久には、刀より筆と紙が似合う。
第三章 完
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