戦国島津伝




 第四章 『小さな竜』

 「兄様」

 小さな少年が駆け寄って来る。

 まだ幼く、顔は丸い餅の様だ。

 「家久、元気にしてたか」

 「はい、兄様も変わりなく」

 少年は義久の服に抱きつく。

 そんな幼い子供の甘え心に思わず頬が緩む。

 島津家久。

 今年で五歳になる。

 利発で明るく、中々どうして機転が利く幼い俊才である。

 家中の誰もが、この小さな少年に期待していた。

 普段は寡黙な義久も、武芸一辺倒の義弘も、短気な歳久も、彼の前では笑みを浮べ肩の力を抜く。

 「どれ家久、抱っこをしてやろう」

 家久の体を持ち上げると、不意に不思議な気持ちに襲われた。まるで自分の子供と遊んでいる様な、何とも言えぬ感じ。

 「兄様?」

 「え?ああ、すまぬすまぬ。所でどうだ家久、内城は?」

 島津の本拠、内城。主君の島津貴久や義久達の母親もいる。

 「つまりませぬ、新納もあまり遊んでくれませぬ」

 新納とは島津家の重臣・新納忠元(にいろただもと)の事である。

 最初は大隈の島津分家に仕えていたが、分家が降伏したため貴久に仕える事になった男である。

 その穏やかな風貌は武士と言うより、学問の先生を思わせる。

 文武両道に優れ、今は家久の教育係である。

 「これはこれは家久様。お言葉ですが新納は精一杯家久様に付き合っているではありませんか」

 噂はすれば、新納忠元が廊下を渡りやってきた。

 「新納はすぐに腰を下げてしまうではないか、私はもっと遊びたいのに」

 「家久様、この新納はすでに歳も歳、とても家久様の元気には敵いませぬ。出来る事は碁や将棋を打って差し上げる事だけですが、これにも負けるとなるとこれは、どうにも」

 新納は愉快そうに笑った。

 歳だと新納は言ったが、義久から見ればまだまだ若く、戦場では鬼の如く暴れる事から『鬼武蔵』の異名すら持っていた。

 「あ、そうだ兄様!私と碁を打ってください。加減はなりませぬぞ」

 「ほう、家久。この兄に碁を打ってくれとな。ははは、面白い」

 「義久様。気をつけなされ、家久様の俊手にはこの新納も手を焼きまする」

 碁が得意な新納が言うのだから、家久の素人勝ちも油断ならんな。

 さっそく碁盤に対峙して、家久から打ち始めた。

 パチ!・・・パチ!・・・パチ!

 小気味よく碁が打たれていく。

 その内に勝負も大詰めを迎えた。

 「あ」

 と思わず口から漏れた義久の声。

 勝負は、家久の勝ちだった。

 「・・・・」

 純粋に勝利を喜ぶかと思ったが、家久は今回の勝負をじっくりと自分なりに検討している。顔を碁盤に乗り上げて。

 しばらく動きそうにないので、新納と二人少し離れて話をした。

 「ふ〜む、末恐ろしいの」

 「そうでしょう義久様。最初に負け続けたのを教訓に、勝敗を徹底的に研究する癖がついたのでございましょう」

 「それは良しとしても、遊びではな」

 「義久様。家久様は身内の方々が来た時にはあの様に甘えますが、普段はそれは立派に学問や武芸に打ち込み。遊ぶ時は大いに遊び、座を正した時には夕刻まで本を読んでおるのです」

 「なるほど」

 まだ五歳なのに、既に名君の素質を持っていると言っていい。

 チラッと視線を家久に向けると、まだ碁盤の真上で腕組をして考えていた。

 途中からは、本気でやった。だが、結果は。

 「ふ、わしもまだまだだな」

 見ると新納は何が嬉しいのか、暖かな微笑を浮かべていた。

 寡黙な義久、武芸の義弘、短気な歳久、そして俊才の家久。

 後にこの四人が、九州全域を席巻(せっけん)して行く事になる。そんな予感を持った者達は、静かに、顔をほころばせた。


 第四章 完


 もどる inserted by FC2 system