戦国島津伝
第八章 『男色の恐怖』
本拠地・内城で、父貴久や兄達の愛情を受けて育った家久は、十三歳の春を迎えていた。
今年は、駿河の戦国大名今川義元が、尾張の小大名織田信長に討たれ、天下を騒がせた。
このニュースは遠い島津内でも話題になった。
「万の兵を有し、一気に上京しようとした今川義元が奇襲に遭い戦死・・・」
十三歳の家久は側近の鎌田政年(かまたまさとし)に事の顛末を出来る限り調べさせた。
鎌田は大商人や旅芸人を集め、戦の終始、ついでに本土の情報を大分掴んだ。
「信長は雨天を利用し、今川が布陣した桶狭間に強襲を仕掛け、混乱に乗じて義元を討ち取ったと言うのが世間の見解です」
「う〜〜ん、義元公は東海一の弓取りと言われ、布陣した桶狭間は地理的に危険な場所だったと聞く。武田や北条と並ぶ今川の大将殿が、そんな油断をするだろうか」
世間はどうか分からないが、少なくとも家久は、義元を屠った信長が何等かの謀略を用いたと見ていた。しかも巧妙に。
「織田信長・・・憶えておいた方がよろしいかと」
言いつつ鎌田は家久の右手を握り締める。
慌てて家久はその手を振りほどく。
この鎌田政年、別に何するわけでもないが、やたらとベタベタと家久に触りたがる。
最初はスキンシップの一環と思い、さして気にしなかった家久だが、最近はどことなく身の危険を感じている。
「さ、家久様。今日は風が寒い、お茶を」
「あ、うん」
家久が鎌田の手から茶を受け取ろうと手を伸ばす。
ガシ
パシ
家久が茶を手に取ると、その上から鎌田が手を重ねる。
「・・・・」
「・・・・」
静寂・・・鎌田は不敵な笑み、家久は汗ダラダラ。
家久が残った左手で脇差を掴もうと考えた時、鎌田は手を離した。
「まだ熱いだろうと思いまして」
それと人の手を握るのと何の関係があるのか。
父上に頼んで解雇するなり、配置変えをして貰うなり、とにかく自分の近くから鎌田を本気で離したい家久の今日この頃。
平穏であった島津家に久々に乱世の匂いが濃くなって来た。
日向の伊東氏が自領と島津領の境界にある城、飫肥城(おびじょう)に度々攻撃を繰り返して来たのである。
城主の島津忠親(しまづただちか)は養子となった義弘と、日向の豪族・北郷時久(ほんごうときひさ)と共に飫肥城を辛うじて守っていた。
大隈地方では、海路を活用して物資を充実させていた肝付兼続(きもつきかねつぐ)が伊東氏と結び、島津家の高岳城を落とす勢い。
日向の伊東氏、大隈の肝付氏という宿敵と再び覇を競う事になった島津家。
主君貴久の望みは三州(薩摩・大隈・日向)の統一。
だが息子、義久の望みは違った、伊東や肝付など眼中に無い。
1560年、義久兄弟の新しい戦いが始まった。
第八章 完
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