戦国島津伝
第十章 『舎弟』
島津領飫肥城
再三の伊東氏、肝付氏の攻勢にも屈せず、日向方面の島津家の要衝と言っていいこの城で、二人の若者が稽古に励んでいた。
ガキ!
バシィ!
「とお!」
「やあー!」
掛け声と共に繰り出される木刀。稽古をしている一人は義弘、もう一人は小姓の町田忠綱(まちだただつな)である。
「せいやーー!」
ガキィィン!
「うわぁ・・・っ」
義弘の強烈な一撃、町田の木刀は吹き飛び、本人も尻餅を着いた。
「うぅ、イテテテ」
「これで俺の二十連勝だ、町田、もっと胆力をつけろ!」
町田はその言葉に、悔しそうな目を向けて来る。
家中随一の猛将に成長した義弘は、多くの小姓や従者の中で、この町田を一番気に入っていた。
義弘に次ぐ武芸の才を持ち、何度倒れても立ち上がってくる根性、若さ故の強い闘志、全てが義弘の満足する資質だった。
「く、もう一度お願いします義弘様」
「おう、ではもう一度だ」
町田はこの所毎日、義弘に稽古を付けてもらっていた。
だが、いくら町田が本気で打ち込んでも、彼の木刀が義弘の体に触れる事はなかった。
結局その日も、町田は自分の体が地面に倒れるまで、稽古を止めなかった。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」
「町田よ、筋は良くなってる、だがまだまだだ」
義弘が愉快そうに木刀を振り回す。彼の体には余力が十分残っている様だ。
「お二人とも、いい加減にして下さりませ、特に義弘様」
「あ、綾子。いや〜すまんすまん、何せ体を動かさねば落ち着かぬものでな〜」
「義弘様、少しは久保(ひさより)の面倒も見たらどうですか?毎日毎日、武芸に茶道にと、はぁ〜」
大きなため息を吐く義弘夫人。
彼女にとっても父親の義弘にとっても初めての子供である久保には、出来る限りの愛情を注いでやりたい。その事を義弘にも理解して欲しい彼女の苦労は絶えない。
「う〜ん、久保よ、はよ〜大きくならんかな〜。そしたら一杯稽古を付けてやるのに」
「もう!そんな事ばかり言って、子供は勝手に大きくなるものではありません」
「ああ、はいはい。綾子には苦労ばかりかけてると思っとるよ本当」
「私はただ、義弘様にも父親らしい事をして欲しいのです」
「父親らしい事、それはなんだ?」
「だから、それは、その・・・」
口籠る義弘夫人。彼女は外で夫が戦うよりも、中で息子の面倒を見て欲しいと願う。だが、乱世のこの時代、彼女のそんな望みは叶う筈もない。
困惑していると、腕の中の久保が泣き出した。
「あ」
木刀を拾ってた町田が慌てた声を出す。
「まあ、どうしたのでしょう?」
「どれどれ、かしてみろ」
義弘が夫人の腕の中から息子を取上げる。
「どーれ、どーれ」
妙な言葉と共に子供を左右にゆっくりと揺さ振る義弘。不思議な事に久保はそれで泣き止んだ。
「・・・・」
義弘は赤子をあやすのが上手い。そんな光景を微笑ましく見つめる義弘夫人と町田。
「はよう大きくなーれ、大きくなーれ」
義弘の声に、飫肥城城主で養父の島津忠親が顔を出した。
「なんじゃ、義弘か、何処の若者かと思うたぞ」
「これは親父殿、何か」
「いや、近くを通ったら声がするからの、寄ってみたのじゃ」
「義弘様、そろそろ久保を此方に」
「ははは、そうじゃな、それにしても、可愛く寝よってこいつ」
義弘が赤子を妻に手渡すと、赤子は再び泣き出した。
「ええ!そんな〜」
再び困惑する義弘夫人。
「あちゃ〜、おい町田、あやしてみよ」
「え、俺ですか?」
「武将は赤子もあやせねば、一流とは言えんぞ」
そんな事は聞いた事も無かったが、義弘が赤子を渡して来たので、町田はさっき義弘がやった様に赤子を揺さ振ってみた。
「お、泣き止んだぞ、流石は町田」
「あ、ありがとうございます!」
喜ぶ義弘や町田を尻目に、一人落ち込む義弘夫人の肩に手を当てる忠親。
「そんなもんじゃて」
飫肥城は、外の戦乱の空気とは違い、暖かい風が流れていた。
第十章 完
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