戦国島津伝




 第十三章 『大進撃!』


 1566年、家督を貴久より受け継いだ義久は、弟達や重臣を前に宣言した。

 「大隈、日向を十年で攻略し、九州平定を二十年で終わらせる」

 弟達を含め、家臣団全員が驚愕した。

 確かに大隈、日向の攻略は、島津家の悲願である。だが、それを十年で終わらせ、なおかつ九州全域を二十年でとは、無茶苦茶である。

 そんな者達の心配をよそに、義久は次々と下知を下す。

 「まずは大隈を平定する。歳久は南から船で進撃、家久は北西、義弘は北から一直線に高山城を目指せ!」

 確りと受け答え出来たのは、義弘ぐらいである。

 「川上久朗(かわかみひさあき)は後詰を担当し、新納忠元は義弘と共に北から進撃!わしは本隊を率いて西より大隈に入る」

 全ての作戦配置が終わった後、義久は弟達を呼んだ。

 「義弘、歳久、家久、お前達にわしが父から貰った兵の一部を貸す」

 「兵?」

 「ただの兵ではない。恐らく、九州随一の軍だ」

 その言葉に驚く歳久と家久。

 「な、九州随一?」

 「それは本当ですか、兄上」

 「ああ、本当だ。実戦経験はないが、万人に匹敵する力があると思う」

 「その兵達を、我らに?」

 「そうだ、存分に扱え。日新斎様と、父が残してくれた兵だ」

 「大隈と日向の併呑を十年で、本気なのだな、兄者は」

 「父上の無念、我ら兄弟で晴らすぞ!」

 義久の言葉に、義弘は握り拳を見せ、歳久は頷き、家久は笑った。




 島津軍は各領内に兵を配置し、義久の進撃に呼応して、一斉に進軍を開始した。

 この非常事態に、大隈の大名でかつて島津貴久に打撃を与えた肝付兼続は、全軍に出撃を命じた。




 島津歳久軍

 船から大隈の南に出陣し、上陸を開始した歳久軍は、早速敵との交戦に入った。

 「大隈を取る戦だ!全軍進めぇー!」

 時代の流れか、最初は鉄砲の存在に疑問を持っていた歳久だったが、鉄砲について調べれば調べるほど、その驚異的な力を目の当りにした。

 そして今では、率先して鉄砲戦術の研究に余念がない。




 兵達を横に配置し、自らも鉄砲を構える歳久。

 歳久軍の鉄砲射撃で、敵は次々と倒れていく。中でも際立っていたのが、兄の義久から借りた兵達である。

 「さすがは、大兄上が賞賛する事はある。凄まじい働きだ」

 義久は父から貰った軍団を『隼人軍』と呼んだ。

 古代の勇猛果敢で俊敏な一族、『隼人族』から取った名である。

 彼らの活躍で、歳久軍は着実に進軍を進めた。




 島津家久軍

 鎌田、忠倉を従軍させ、家久軍は国境付近にある城、霧島城に迫った。

 「この城を手始めに落とす、鎌田!」

 「はい」

 「鉄砲隊を前に出し、一斉射撃」

 「心得ました」

 鎌田が風の様に去り、次に伊集院忠倉が幕舎に入った。

 「私は?」

 「忠倉、鎌田隊が射撃を終えたら裏門に回り、待機」

 「はっ」

 家久は槍を構え軍の前に立つ。大将が先頭で指揮する事は、島津家の伝統である。

 大将が勇気を見せれば、兵は全力でそれに応える。島津家は昔からその伝統を守り、戦に勝ち続けてきた。

 「家久様、使者からの報告では、敵は降伏する気はないと」

 「やはりな、よし、全軍攻撃開始!」

 家久の号令に、鎌田率いる鉄砲隊が一斉に射撃を開始した。




 島津義弘軍

 北から進軍した義弘軍は、敵総大将・肝付兼続の重鎮、伊地知重興の軍勢に押されていた。

 だが誰も、今の状況に緊迫してはいなかった。

 それは何よりも、自分達の大将、義弘の存在があったからである。

 常に先頭を駆ける馬上での武者振りは、将兵全員を鼓舞するに足りる頼もしさだった。

 その義弘が、落ち着いて槍を磨いている。全員が逸る気持ちを抑え、義弘の言葉を待った。

 敵がいよいよ攻め寄せて来た時、義弘が立ち上がった。

 「では、そろそろ行くぞ」

 「おおぉう!」

 馬に乗り、槍を構え、軍の一番前に出る。その姿は、島津兵が崇拝する島津忠良(日新斎)に瓜二つであった。

 「兄者から借りた兵、どれ程のものかな」

 「義弘様、右はお任せを」

 進言したのは、義弘が一目置く側近、町田である。

 「町田、無理はするなよ」

 「はっ!」

 義弘が槍を回転させ、そのまま重興本隊に矛先を合わせる。

 「突撃!!」

 義弘を先頭に、島津軍が一斉に山を駆け下りる。




 重興軍は、まるで槍を食らった様に割れた。

 いくら攻撃しても、勢いは止まらない。その光景は、指揮官の重興を震撼させるものだった。

 「何だ、あれは、化け物か」

 特に一番前で槍を振るう男の凄まじい覇気。あれが・・・

 「あれが、島津義弘・・・か」

 恐怖は恐怖を呼び、軍全体に連鎖する。

 重興軍は次々と敗走を始めた。

 「おのれ!」

 槍を掴み、重興は恐怖を押し隠す様に、義弘に向かって行った。

 「おおー!我が名は伊地知重興!義弘よ、勇気あるなら、我と勝負致せ!」




 その叫びは、義弘の耳に届いた。

 「何?」

 義弘が横を見ると、一人の武者が真っ直ぐに駆けて来る。

 「俺と勝負か、いいだろう」

 義弘が馬首を変えようとすると、一人の男が先に重興に向かった。

 「義弘様は先に行かれよ、あの者はわしがお相手いたします」

 「忠元・・・」

 義弘が何か言う前に、既に忠元は重興と槍を合わせていた。




 突然の攻撃に一瞬怯む重興。

 「何者か!」

 槍を突き出してきた男は、微笑みを浮かべながら近寄ってくる。

 「なるほど、重興殿でござったか・・・わしは新納忠元と申す」

 「新納忠元・・・鬼武蔵か。そこを退け、わしは義弘に用がある」

 「は、は、は、その程度の腕で義弘様の武術指南はまだ早うござるぞ」

 その言葉に、見る見る顔を紅潮させる重興。

 「うぬは、言わせておけば!」

 重興の強烈な一撃を、苦もなく受け流す忠元。

 数合遣り合った後、重興は馬から叩き落された。

 苦しさに顔をしかめる重興。

 「重興よ、御主はもちっと頭の良い男だと思ったがな」

 「な、にぃ」

 「いつまでも肝付という家に縛られていかがする、肝付では、乱世は渡れんぞ」

 「貴様に、そんな事を・・・」

 「まあ、よく考えよ」

 それだけ言うと、忠元は馬を走らせた。

 しばらくして・・・・・

 重興が体を起すと、既に周囲は夕焼けに染まっていた。




 義久軍

 西より進軍した義久本隊は、敵総大将・肝付兼続の軍と激闘を繰り広げ、疲労していた。

 だが、肝付軍の疲労はそれ以上だった。

 「殿、各地の御味方は次々に撃破され、伊地知重興殿も敵軍に降伏したようです」

 「・・・・」

  肩で息をする兼続。

 「あの、殿」

 「聞いておる」

 「あ、はい、申し訳ありません」

 「まさか、貴久の小倅(こせがれ)にここまで敗れるとは」

 「殿、一度高山に撤退し、籠城しては」

 「ふん、この状況では、城に篭った時点で我等の負けじゃ」

 「しかし・・・」

 「もういい、行け!」

 「は、はい!」

 慌てて部下が幕舎を出る。

 「わしは負けぬ、わしは・・・」

 ぶつぶつと、兼続は独り言を口走った。




 「兼続、焦っておるな」

 陣から出て、戦の状況を見守る義久。

 近くには武将の平田が控えていた。

 「そろそろ頃合かと」

 「うむ、時間は十分に稼げたであろう」

 「後詰の川上隊も、間も無く到着の予定です」

 「いや、川上隊を待つ必要はない、このまま一気に前進する!」

 平田が大声で命令を下すと、一気に軍勢は動き出し、攻撃態勢に入った。

 「兼続よ、疲れたであろう。直ぐに終わらすぞ」

 義久の顔は無表情のまま、冷徹に敵軍を見据えていた。




 島津軍の驚異的な進軍速度に驚いたのは、肝付家だけではなかった。

 肝付家の同盟者である伊東氏もまた、島津軍に戦慄した。

 特に、主君・伊東義祐(いとうよしすけ)の甥で、武勇に秀でた伊東祐安(いとうすけやす)がである。

 彼は島津家が大隈を制するのを確信した。そこで主君の義祐に。

 「殿!今が好機です!北より我等が進軍すれば、島津家の領土の大半を手中に出来ます」

 だが、義祐の心は別の所にあった。

 「北から進軍、と言うてもの〜、ほれあれじゃ、日向の豪族達が我等の留守の間に、城を襲って来るともかぎらんじゃろう?」

 伊東義祐が躊躇う理由は、彼が最近戦に興味を失った事と、日向の豪族北郷時久の存在があった。猪か狼が人間になったような北郷の気性は、日向の名門伊東氏も手を焼くほどである。

 「しかし!このままでは肝付が」

 「肝付など、ほっとけば良い」

 「何と!」

 「元々は肝付と島津の争いじゃろう?我等には関係ないわい」

 「・・・大隈の次は、この日向に攻めて参ります」

 「その時は、追っ払えばよい、簡単な事じゃ」

 祐安は主君の笑いを聞きながら、心の中で肝付家に合掌した。




 本隊敗北の報告は、肝付領内を駆け回り、家臣団の心に深い絶望を与え、遂には降伏する者達も現れた。

 そんな中、肝付領内の志布志城には、疲れ果てた肝付兼続の姿が在った。

 「どいつもこいつも不甲斐無い。良兼(よしかね)も、重興も、実に不甲斐無い」

 この戦には、兼続の息子肝付良兼(きもつきよしかね)も参戦していたが、隠居後も実権を譲らなかった父兼続の為に、思う様な戦いは出来なかった。

 「ふふ、貴久には勝てど、息子の義久に敗れるとは、しかも、同盟者の伊東も我を見捨てたか」

 兼続は一人、部屋に籠もった。




 肝付家居城 高山城

 到着一番乗りを果たした義弘軍は、勢いをそのままに城攻めに入った。

 「俺に続け、城門を破壊せよ」

 最前線に立って指揮をする義弘の姿に、味方は奮い立ち、敵は恐怖した。

 そして遂に、高山城の城門が破壊され、島津兵が殺到した。

 「義弘様!高山城守兵は武器を捨て敗走、我等の勝ちです」

 声を嗄らせて報告する町田忠綱に微笑み、義弘は将兵に叫んだ。

 「もうよか!もうよか!無用な殺生は止めよ、勝敗は決した。直ぐに負傷者の手当てと、戦死者全ての弔いの準備をせよ!」

 ここに義弘の戦の哲学が滲み出ている。

 戦の後は、敵も味方も丁重に供養する。

 この優しさ、人間味が、将兵の心を捉えて離さない。

 義弘のこの行いは、祖父の日新斎の教えでもある。

 武人であり、儒教者でもあり、慈悲深い男。領民や家臣から、『菩薩の分身』と言われ愛される男。義弘は容姿や武勇だけでなく、そんな日新斎の精神にも強く影響を受けていた。

 「町田!」

 「はい」

 「兄者を含め、他の軍の経過はどうだ?」

 「はっ、義久様本隊は直ぐにこちらに到着の予定。歳久様、家久様の軍も順調に進軍しているようです」

 「勝ったか・・・父上、やりました」

 義弘は改めて勝利の雄叫びを上げた。




 義久軍

 総大将義久の下に、緊急報告が入った。

 「申し上げます。間者(スパイ)の報告によれば、肝付兼続は志布志城で自害なされました」

 肝付兼続死去 享年五十五歳。

 その報告を聞いた義久は、全軍に総退陣を命じた。

 「もはやこれ以上の戦闘は無用、薩摩に帰還する」

 肝付家は、実質的な指導者を失い、混乱を極めている。

 こちらが動かずとも、あちらから自滅すると義久は読んだ。

 島津兵も流石に疲労の色が濃く、兵糧も危うい、ここらが潮時である。

 総兵力一万を越えた今回の大進撃は、大隈の大半を手中に収め、居城高山を落とし、更に総大将の肝付兼続を自害に追い込んだ。

 大勝利と言って良い。

 だが、大隈の豪族や諸将の抵抗に、味方の被害も多少なりと出た。

 四男の家久は、自慢の斬馬刀が折れ。三男の歳久は緊張と疲れで真の臓に異常を起し倒れた。次男の義弘は愛馬を失い。総大将で長男の義久は三日間声が嗄れた。


 第十三章 完


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