戦国島津伝
第十六章 『裏切り』
義久達が初陣を飾った岩剣城攻略戦。その岩剣城を所有していた蒲生氏は、1558年の貴久率いる島津軍に敗退。味方の祁答院(けどういん)氏と共に降伏した。
それにともない、彼が作り出した『反島津連合』に参加した菱刈氏や渋谷一族も和議を申し入れた。
それから九年・・・島津忠良死去の前年
菱刈氏の実力者、菱刈重広(ひしかりしげひろ)は、大口城で男と密会していた。
「なるほど、近々島津家は我が城に急襲の予定・・・か」
「その通り、こんな大事な情報を寄越したのだ、それ相応の温情を頼みますぞ」
「分かっている。だが、そちらも気を付ける事だ。島津家の実力、特に義弘の力は侮れんぞ」
「猪武者一人、葬るのは簡単な事」
それを聞いた伊東祐安は静かに立ち上がり、大口城をあとにした。
数日後
「覚兼!」
島津家の内城で、義久の声が響いた。
「はっ」
呼ばれたのは上井覚兼(うわいかくけん)、義久の参謀として使える少々顔が暗い男である。
「予定通り、義弘と歳久に伝令!伊東の三山城に急行せよ!」
「かしこまりました」
覚兼が即座に部屋を飛び出す。
こうして義久を総大将に、義弘と歳久の軍が三山城に向けて進軍した。
島津軍本陣
「此度の戦、先鋒は・・・」
その言葉に、真っ先に歩を進める義弘。
「殿!俺が行きます」
勇敢な義弘は、自分が参戦する戦では先鋒を誰にも譲った事はなかった。
「うむ、では義弘、頼むぞ」
「はっ!」
本陣を出て行く義弘を見送る義久。
本当は義久も、島津家の伝統にのっとり、先鋒で華々しく戦いたい思いがあった。
だが、義弘と二人でその事を語った時、言われた。
「俺は戦でしか頭も体も活かせん、俺が兄者の分も戦場で暴れてやるから、兄者は堂々と後ろで構えていてくれ」
弟の言葉の奥にある優しさと頼もしさが、兄の心を軽くした。
自分は総大将、自分が本陣でどっしりと構えているからこそ、兵も将も安心して敵に向かっていける。
前は義弘、後ろは義久
そんな構図が何時の間にか出来上がっていた兄弟であった。
伊東氏三山城
「手筈通りだな、弓隊は前に、先鋒は必ず義弘だ!義弘を狙え!」
二の丸で指示を出す伊東祐安。
伊東方の総大将、伊東義祐は、ただ城に籠もって震えていた。
「祐安殿!準備整いました!」
報告しに来たのは主君・義祐の三男で美男子の伊東祐平(いとうすけひら)。
「今日こそ、今日こそ義弘を討つ!奴さえ討てば島津家は柱を失う、祐平、お前は私の傍に」
「はい」
祐安、祐平が見守る中、島津義弘を先頭に島津軍が押し寄せて来た。
島津軍
前章にも述べたとおり、島津軍の鉄砲は、所有数も兵の腕も、他の大名より圧倒的である。
島津貴久が重視した鉄砲の必要性。それを強く受け継いだ義久は、家臣達はもとより、兵一人一人にも鉄砲の腕を磨かせた。
島津家ではどんな重鎮でも、鉄砲を扱えなければ一人前ではなかった。
その結果、誰もが鉄砲の名人となっていた。
バン!バン!バン!
空を切り裂く音と共に、義弘率いる鉄砲隊が城兵を狙撃していく。
「撃て、敵に反撃の隙を与えるな!」
次々と放たれる射撃にも、三山城の城門は硬く閉ざされ、義弘隊に応戦する兵の数も並ではない。
「何としても城門を破壊せよ!俺に続けぃ!」
義弘に続いて城門に取り付く島津兵。
だが、敵兵の数が多すぎる。
後ろで構えていた歳久には、義弘隊の危うさがよく分かった。
「これはいかん!兄上、お下がりください」
慌てて義弘隊と合流する歳久隊。
「何を言う!まだ負けたわけではない、俺に続け、再度攻撃だ!」
「兄上、その体では無理です!」
義弘の体は、自分でも驚くほど矢が刺さり、兜も飾りが欠けていた。
「この程度・・・」
「誰か馬を!撤退する」
「馬鹿を言うな、兄者の戦だぞ、何としても勝たねば」
義久の、尊敬する兄の戦、何としても勝たせてやりたい。
その思いが、義弘を再び立ち上がらせた。
その時、三山城の城門が開き、中から伊東祐安率いる部隊が躍り出てきた。
「やあやあ、我こそは伊東祐安である!島津の弱兵ども、命が惜しくば早々に退却致せ!!」
伊東方の反撃に浮き足立つ島津軍。祐安は乱戦の中、一人の男を確認した。
「義弘!そこにおったか!」
馬に乗りながら迫る祐安、義弘は足取りも危うい。
だが、祐安が槍を突き出した時、彼は馬上から叩き落された。
「!」
背中の痛みに顔をしかめながら顔を上げると、目の前には槍を持った義弘がいた。
「ぐ、義弘」
「・・・・」
義弘の目に見入られた瞬間、祐安は体が動かなくなった。
「祐安殿!」
「義弘様!」
伊東祐平と町田忠綱がそれぞれ義弘と祐安に近づくと、義弘はそのまま倒れた。
「義弘様!しっかりなされよ、早く私の馬に」
義弘を無理矢理馬に乗せ、駆け去る町田。
「ち、憶えておけ」
歯軋りする祐安、肋骨をかなり強く打たれたらしく、動く度に胸に激痛が走る。
(あのボロボロの状態でこれほど強力な一撃を放てるとは・・・)
改めて義弘の強さを実感した祐安であった。
島津本陣
義弘隊撤退の報に、一斉退却を命じる義久。
「義弘の容態は?覚兼」
「心配は無用です。ですが、当分は安静が必要かと」
「義弘・・・」
薩摩に戻った義久は、家臣の川上久朗の報告に驚いた。
「菱刈が裏切ったと!」
「間違いありません。現に菱刈重広と叔父の隆秋(たかあき)は、大口城で我らに反旗をひるがえしました」
急襲にもかかわらず、防備を固めていた伊東軍。その理由がやっと分かった。
「前に伊東、後ろに菱刈一門か・・・」
「それに呼応して、肥後の相良氏も怪しい動きを」
義久三十五歳、苦難の道の始まりだった。
第十六章 完
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