戦国島津伝
第十七章 『必殺!釣り野伏せ!』
菱刈氏が伊東氏に情報を流し、島津家を裏切った。
この情報に、停戦を申し入れていた中薩の一大勢力、渋谷一族も島津家を離反。
大隈の肝付良兼(きもつきよしかね)も、父・兼続の敵討ちとばかりに島津家領内に侵攻を開始した。
薩摩内城
一度は隠居した島津白囿斎(貴久)は、自ら一万五千という大軍を率い、離合集散を繰り返してきた菱刈一門の治める菱刈郡に向かった。
この軍には川上久朗・平田光宗・新納忠元・伊集院忠倉と身内の久春など、名立たる島津軍の重鎮達が参加した。
「大殿!」
本陣の白囿斎に近づく川上久朗。
「間も無く菱刈軍と衝突します、それで義弘様が是非先鋒を任せてほしいと」
数ヶ月前、伊東の三山城で深手を負った義弘ではあるが、今ではすっかり回復していた。
「是非も無い、我が島津軍の先鋒は奴しかおるまい」
白囿斎が本陣から出ると、馬に乗った義弘が槍を片手に軍の先頭に向かって疾走、その姿に軍全体から雄叫びが上がった。
(ここまで将兵の心を掴むか・・・)
白囿斎は我が子ながら、義弘の存在の大きさに身震いした。
島津軍一万五千は菱刈と渋谷一族の連合軍を次々粉砕、遂に菱刈一門の本拠・馬越城に迫った。
「馬越城・・・さ〜て、どう攻めるか」
作戦会議の中、白囿斎はうなった。
「敵方の総兵力は五千、我らはその三倍の一万五千、数的には我らの勝ちです」
義久の参謀・上井覚兼が冷静に現状を報告する。
「こちらはよい、義久と北郷の方はどうだ?」
「義久様の部隊はおよそ二千、相手の肝付良兼は四千、ただいま都城周辺で対峙している模様です」
義久率いる肝付牽制軍は、北郷時久や島津家久を先鋒に、大隈の肝付良兼軍と戦っていた。
義久軍
「殿ーーー!」
大声で本陣に入って来たのは北郷時久、体が大きいと声も大きい。
義久は耳を塞ぎ、家久はショックで倒れかけた。
「ど、どうした北郷」
「ただいま物見からの報告では、敵軍に変わった動きはなく、本陣にどっしり構えております」
「馬越城の戦局を見守っておるのだろう」
「義久様、ここは俺にお任せを!古来より、あの様な腰抜けの軍が勝った例はありません。こちらがちょっと小突けば、敵はすぐに四散致しましょう」
「まあ待たれよ北郷殿、敵の兵力を甘く見てはいけません」
家久が意気盛んな北郷を制する。
だが、北郷は家久をキッ!と睨む。「お前には聞いてない」といった態度だ。
北郷はこの戦で何としても義久に良い所を見てもらいたいのだ。
「殿、ここは是非俺にご命令を!」
北郷が鋭く義久を見つめる。
「う〜む、北郷の気持ちも分かる。だが闇雲に戦っては兵の損失が・・・」
ピン!
ここでひらめいた家久。
「いえ、行きましょう!北郷殿を先鋒に、敵軍に突撃を仕掛けるのです」
意外そうに家久を見る北郷。
「家久、だが」
「大丈夫です、私に策があります」
この日の夜、島津軍は全軍を三つに分け、朝を待った。
早朝。
対峙(たいじ)して二日目の朝、肝付軍四千の前に突如、北郷時久の部隊五百が突撃を仕掛けた。
「かーはははは!それそれぃ!行け、行けぃ!」
馬上から大声で兵に檄を飛ばす北郷。
肝付軍は、突如始まった戦に浮き足立った。だが、そこは大軍、徐々に北郷隊を押し始めた。
「ちぃ、貴様らぁ!殿が見ておるのだぞ、気合を入れぃ!!」
いよいよ敵兵の槍や刀が北郷自身に届く位に敵兵が肉薄して来た。
「おお!?くそ、撤退、撤退だーー!!」
大声を上げて馬首を返す北郷、そのまま本陣があった場所まで引き返す。
合戦は勢いがものをいう。勢いが無くなった軍はただ逃げるだけ。
逆に勢いが付いた軍はどこまでも敵を追う。
追撃ほど、勝利者達を歓喜させ、酔わせるものはない。
必死に逃げる北郷隊に、敵は雑兵から武将まで、狂った様に追いかける。
そんな肝付軍が、両側に森が生い茂る大きな道に出た時。
バン!バン!バン!
続き様に発射される鉄砲射撃、肝付軍は突如聞えた発砲音に混乱した。
「敵は我らの伏兵に混乱しておる、第二部隊前に!」
第一部隊の鉄砲隊に変わり、後ろに控えていた第二鉄砲部隊が森から出現した。
彼らが弾を撃つと、その後ろにまた鉄砲隊が控えており、休む事の無い射撃音が鳴り響いた。
織田信長が長篠合戦で武田勝頼率いる騎馬軍団を鉄砲の三段撃ちで撃破した話は有名だが、それより十年も前に島津家は、鉄砲の連発戦法を実戦活用していたのである。
また、今回家久が取った作戦は、古来より残る島津軍の伝統戦術『釣り野伏せ』である。
全力で敵と戦い、負ける。敵が敗走する部隊を追撃したら、伏せていた部隊で攻撃、撃破すると言うものである。
この作戦は、敵を『釣る』部隊、つまり囮になる部隊がいかに上手く敵を誘い出すかに懸かっている。
わざとらしく敗走すれば、敵に気取られる。だが無理に敵中に留まれば、全滅する。中々難しい戦術である。
「敵は見事に釣れたな、全軍突撃!」
義久本隊と離れた森に潜んでいた家久部隊は、敵軍に突撃した。
「ふ、流石(さすが)は家久様、見事に策が決まりましたな」
自らも斬馬刀で敵兵を斬り殺した家久に、側近の鎌田が近づいた。
「鎌田!まだ戦は終わっていない、気を抜くなよ!」
「承知致しておりますが、少々下がりませぬか」
「何故だ?ここで一気に押さねば」
「下がりませぬと、巻き込まれると思いまして・・・」
「?」
訳の分からない家久だったが、丁度自分の後ろから聞えた怒号に戦慄した。
「貴様らぁ〜!さっきはよくも調子に乗ってくれたなーー!!」
敵への囮を成功させ、また敵軍の攻勢に一方的に耐えた北郷隊。
戦局が変わった今、彼らの怒りは計り知れない。
「殺せ、殺せぃ!殿に逆らう奴は、皆殺せーー!」
凄まじい勢い、そして凄まじい形相の指揮官。この北郷隊の突進で、いよいよ敵は潰走を始めた。
それに続く義久本隊と家久隊。だが、家久と鎌田は北郷時久の勢いに圧倒されていた。
「あれが、北郷時久、噂通りの猛者だな」
「と言うより、ただの猪ではありませんか?」
冷ややかな目で本郷を見る鎌田。彼の大声はどこに居ても良く聞こえる。
「かはははは!我らの勝ちだ、見てくれましたか殿!」
「う、うむ、良くやった北郷!此度の戦の武功第一はそなたじゃ」
その一言に、北郷は泣きそうになった。
「有り難き、有り難きお言葉。この北郷時久、生涯殿を御守りします」
同じ頃、島津白囿斎率いる島津軍も激闘の末、菱刈一門の馬越城を奪取した。
本拠を失った菱刈勢は肥後の相良氏と同盟し、相良氏は本格的に島津家と敵対関係になった。
合戦が終わり、薩摩に帰還する途中、家久は心の中で肝付との戦を思い出していた。
(釣り野伏せ・・・これは使える。これを極めれば、どんな大軍でも討ち滅ぼす事が出来る)
馬上で考える家久を、暖かい眼差しで鎌田は見つめていた。
第十七章 完
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