戦国島津伝




 第二十四章 『さらば宿敵・後編』

 飯野城を出撃した義弘軍二百五十騎は、加久藤城を目指し、猛スピードで向かっていた。

 「ん?」

 義弘がふと横を見ると、一匹の狐が田んぼ道に座っていた。

 「おお!皆見ろ、狐様だ!お稲荷様だ!この戦、我らには神の加護があるぞ!」

 「「おお!」」

 兵達が一斉に歓喜の声を上げる。島津家で狐は守護神なのである。

 代々の島津家当主は狐を崇拝し、領内で狐狩りは絶対にしない。

 伝説では、島津家の祖先に当る女子が源頼朝の子供を身篭(みごも)り、頼朝の妻である北条政子から逃げ、その途中で女子は子供を出産。疲弊して困っていた所を、狐が人間に化けて助けたという話がある。

 また、義弘の父・貴久も、とある戦で逃げる途中、夜道を不思議な火が灯し、無事に薩摩に帰還できたという体験をしていた。

 「島津は狐に守られておる、息子達よ、狐を大事にせよ」

 父に何度も念を押され、義弘も兵も、狐に対して言葉では表せない感情を持っている。

 義弘の軍勢は、狐に見送られながら更にスピードを上げ、加久藤城に向かった。




 義弘軍は、加久藤城を見渡せる小高い山に布陣した。

 「どうやら、城はまだ落ちてはいませんぞ」

 「うむ、綾(実窓院)と町田がよく持ちこたえておるようだ」

 「いかがします。こちらは少数、あちらは大軍・・・」

 「・・・・」

 考える義弘。いかに勇猛な義弘軍でも、圧倒的な兵力差の敵と正面から戦えば負ける。ここは機動力を活かしての奇襲しかない。

 「よし、兵を三つに分ける」

 「兵を三つに、ですか」

 「そうだ、まずは五十を加久藤城救援に向かわせる。それと白鳥山に五十、残りは俺とここに残る」

 白鳥山は丁度、加久藤城と伊東の三山城の中間に位置する山である。

 「そ、それで」

 家臣や兵から見れば、ただ闇雲に戦力を分断している様にしか聞えない。

 「時間がない、急げ!」

 「は、はっ!」

 家臣が去った後も、義弘は一人、伊東軍を見つめ続けていた。




 伊東軍

 鍵掛口で手痛い反撃に遭った伊東祐安は、我武者羅に城を攻め立てていた。

 「何故だ!あんな小城一つ、落とせぬのか!!」

 家臣を叱咤する祐安。

 「はっ!小城と申されましても、あの城、いたる所に罠があり、中々近寄れません」

 最初の攻撃は、城兵の奮闘によって阻まれた。第二の攻撃では、鍵掛口の敵方の急襲で撤退。今は、城に仕掛けられた様々な罠で攻めあぐねていた。

 落とし穴、地面の伏兵、鉄砲の狙撃穴など・・・。

 「そういえば、鍵掛口が秘密の道であると流した農民は、見つかったか?」

 「いえ・・・それが、どこに行ったか、姿が消えました」

 「ちっ、まあいい。どうせ敵の間者であったのだろう」

 視線を城に再び戻した祐安は、兵達が明らかに士気を落としている事に気が付いた。

 「どいつもこいつも、義弘に怯えよって!」

 義弘が飯野城を出たという情報は既に掴んでいた。

 それは、籠城する兵達には希望となり、攻めている兵達には恐怖となっている。

 「ここは一旦態勢を立て直して・・・ん?」

 突然の雄叫び

 見ると、数十騎の騎馬武者が城の城門に取り付いていた伊東兵を蹴散らしている。

 「あれは!」

 「恐らく・・・義弘軍の先遣部隊では」

 「祐安様!敵は少数、蹴散らして一気に城を抜きましょう」

 「待て、今度の戦、私は何が何でも勝たねばならん。一度退き、義弘を迎え撃つ」

 伊東軍三千は加久藤城攻撃を中断し、後方の白鳥山付近まで軍を退いた。

 「まもなく白鳥山です」

 「この山で義弘を待つ。奴が来なくても、軍勢を整え、再度加久藤城に攻め寄せてくれる」

 伊東軍が白鳥山に近づいた、その時。

 バン!バン!バン!

 数発の銃声音。山の中からの狙撃。

 伊東軍の兵士が数人倒れた。

 「何だ!?」

 「伏兵です。数は不明」

 バン!バン!バン!

 なおも続く銃声。しかも、山全体がまるで揺れている様に感じる。

 「あれは、もしや山の中に大軍が」

 「しかし、義弘の軍は総勢二百五十のはずでは?」

 「くそ、こうなったら、山に突撃を仕掛ける!」

 祐安が軍配を握り、軍を前進させた。

 ドス!

 一人の兵士が飛んできた矢で倒れる。

 「何だ?」

 祐安と家臣達が後ろを見ると、騎馬百騎を従えた義弘。

 「よ、義弘!」

 「待たせたな、かかれぃ!」

 一斉に突撃を仕掛ける義弘軍。

 「義弘・・・は、はははは。愚かな、無謀にも突っ込むか!」

 山からの狙撃は止んでいる、弾薬が尽きたか・・・・・。

 「いかに貴様でも、この兵力差は埋められん!」

 確かに、無謀にも百騎で三千の伊東軍に突撃した義弘軍は、徐々に押し返された。

 義弘自身も、肩や背中、腕に矢が刺さっている。

 「ぐく、退け!」

 義弘は祐安をちらっと見た後、素早く馬首を返した。

 「追え、一兵も逃すな!」

 それを追撃する伊東軍。誰が見ても、この戦の勝敗は決したかに見えた。




 伊藤軍は義弘軍を追い、木崎原という平原に辿り着いた。

 「ここらでよか」

 義弘は木崎原まで来ると退却を止め、迫り来る伊東軍を見ながら、兵達に言った。

 「よいか皆、死ぬな。『死地に陥(おとしい)れ、然(しか)る後に生く』と孫子にもある。全員、生きて再び会おう!!」

 叫んで先頭に立ち、伊東軍に向かって突っ込んだ。

 それに続く義弘軍百騎。

 この突然の反転攻撃に、伊東祐安は勝利を確信した。

 「狂ったか・・・華々しく散る事を望んだのだな・・・義弘」

 祐安の目の前で、義弘はまさに鬼の様に暴れている。だが、いつまでもつか。




 伊東軍三千が、義弘軍を包み込もうと展開した時。

 「「ウオオオ!」」

 白鳥山に潜んでいた五十人の別働隊が突如後方から襲い掛かってきた。

 「ふん、たかが数十人、物の数では」

 祐安が鼻で笑った時、今度は

 「「義弘様ー!!」

 加久藤城の城兵と、それを救援に来た五十人の義弘軍。総勢百人が、伊東軍の側面を突いた。

 「何!まさか、三方からの挟撃か!」

 事の重大さを理解した祐安は、改めて全軍を立て直そうとする。だが、上手くいかない。

 「くそ、ええぃ、皆、我が声に従え。一度体勢を立て直す、退け」

 混乱は混乱を呼び、乱戦となった。

 数を頼みとする伊東軍とは違い、総勢三百の義弘軍はそれこそ死に物狂いで攻撃する。

 徐々に押される伊東軍。

 「バカな、大軍だぞ!」

 「祐安!」

 祐安の目線の先に立つ人物、島津義弘。

 「もう終わりだ、祐安」

 「・・・・・」

 「降(くだ)れ!祐安」

 「・・・この私が、敗れるものか」

 馬から降り、刀を引き抜く祐安。

 「私が、敗れるものか・・・貴様を討てば・・・」

 自分に言い聞かせるように、言葉を重ね、突進する。

 義弘も槍を捨て、刀で応戦した。

 ガキィ!キン!

 激しい打ち合い、馬上から指揮をしていた祐安とは違い、義弘は最初の突撃でかなりの負傷を負っていた。腕や背中からは血が流れている。

 祐安の剣撃に押され、後ろに下がった義弘は、死人に足を引っ掛けた。

 「しまった!」

 「とどめぇぇぇ!」

 振り下ろされる刀。

 とっさに脇差(わきざし)で受け止め、素早く立ち上がって真横に斬りつけた。

 「ぐ!」

 肩を斬られ、痛みに刀を落とした祐安。

 「終わりだ」

 義弘が刀を向けると、小太刀を抜き、祐安は襲い掛かった。

 「でやーーー!」

 「!」

 グサ!

 小太刀が届くよりも早く、義弘は刀を祐安の体に突き刺した。

 祐安は胸に刺さった刀を見つめ、倒れる。

 激しい吐血。恐らく、もう助からない。

 「・・・・」

 義弘を睨む鋭い眼光。

 「無念」

 眼を閉じ、持っていた小太刀を落とす。

 伊東家の柱として、島津家と幾度も戦った武将の最期。

 義弘は刀を納め、馬にまたがる。

 「さらば」

 宿敵に最後の言葉をかけ、静かに走り出す。

 敵軍は既に敗走し、辺りは夕日に染まっていた。




 加久藤に到着して妻の無事を確かめ、初めてこの日笑顔を見せた義弘。

 「良かった。本当に」

 「・・・・・私も、義弘様が来てくれると、信じておりました」

 「どうした?」

 喜ぶ義弘とは違い、実窓院の表情は暗い。

 「義弘様・・・」

 「どうしたのだ?」

 「町田殿が、町田殿が、死にました」

 「何!!」

 「敵の矢を受け、刀を握ったまま、私の目の前で」

 「町田!」

 急いで町田の姿を探す義弘。

 将来は、一軍を任せられると思っていた町田。その町田が死んだ・・・。

 やがて、戦死者の遺体の中に、町田忠綱の姿は発見された。

 「町田殿は良い人でした。本当に良い人でした」

 耐えていた感情が溢れ出たのか、義弘の後ろで嗚咽(おえつ)する実窓院。

 「町田よ、よく城を、妻を守ってくれたな」

 町田の手を握る。

 「あの田んぼ道で見た狐は、そなただったのか?」

 答えない。もう町田は、別の世界に行ってしまった。

 「俺は、あと何回、こんな経験をするのだろうな」

 むせび泣く実窓院の背中をさすりながら、上に眼をやると、義弘には曇った空しか見えなかった。


 第二十四章 完


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