戦国島津伝




 第二十五章 『兄は大変』

 1572年の『木崎原の合戦』

 この戦いで義弘は、わずか三百の手勢で三千の伊東軍を破り、総大将の伊藤祐安を含め、多数の首を取った。

 『九州の桶狭間』と呼ばれたこの合戦で、義弘の武勇は各地の大名達が知る事となった。

 無論、義弘の兄・義久や多くの島津家家臣達は皆、歓喜した。





 木崎原の合戦から数日後

 島津家内城

 「伊東家は領内にて一揆が発生し、収拾困難な状況が続いています」

 上座の義久に報告しているのは上井覚兼。後ろには平田光宗・伊集院忠倉・伊集院久春などが控えていた。

 「無駄な神社仏閣の建立による財政難。そして先の合戦の大敗北。伊東はもはや立ち直れませんな」

 「神社仏閣を建てるのは、悪い事ではない。だが、それは己一人の中でやれば良かったのだ。己が心の欲を、他人に押し付けてはならん」

 「欲を押し付けられ、人々は怒った。伊東義祐は道を誤りましたな。寺や神社が好きなら、僧にでもなれば良かったものを・・・・」

 不適に微笑む覚兼。義久は無表情を崩さない。

 「それにしても」

 不意に、伊集院忠倉が話し出した。

 「先の合戦、義弘様はまことによくやりましたな。百で千に勝つとは」

 その声に、家臣達はこぞって義弘の武勇伝を称えた。

 だが。

 「その義弘様ですが、殿」

 参謀・上井覚兼が口を開いた。

 「どうした?」

 「長寿院の報告によれば、最近めっきりと覇気が失われたとの事です」

 「何?義弘が?」

 「はい。報告によれば」

 「長男の久保様が・・・お亡くなりになられたからです」

 寡黙な平田が突如言った。彼は義弘に仕える甥の手紙で、この事を知っていたのである。

 「そうか、子供が死んだのか」

 「流行病(はやりやまい)だったそうです」

 義久もちょくちょく弟達から手紙を貰っていた。だが、義弘の手紙にそんな事は一言も書かれていなかった。

 覚兼が続ける。

 「義弘様と奥方は夜中まで泣き崩れ、義弘様は側近に『俺も久保の許(もと)に行きたい』と言ったそうです」

 その報告に、家老の伊集院忠倉は目元を覆い、他の家臣達も押し黙った。

 だが、義久はその報告を聞いて一言。

 「くだらん」

 驚いて顔を上げる家臣達。

 「たかが子供一人、また作れば良い話だ」

 「で、ですが殿。子が死ねば、親は泣くものです」

 反論する忠倉。

 「男は泣かん。男は泣く時、誰にも悟られずに泣くものだ。もし義弘が人の目の前で女々(めめ)しく泣いたとすれば、まだまだ一人前とは言えんな」

 冷たく言い放つ義久。

 「覚兼、今日の報告は以上か?」

 「以上です。殿」

 「そうか。では解散」

 義久はさっさと部屋を出て行った。

 主君の後ろを冷たい眼で見る家臣達。だが、参謀の上井覚兼だけは、微笑んでいた。





 深夜

 寝室で読書をしていた義久は急に立ち上がり、廊下に出た。

 「殿、どちらに?」

 丁度寝室に行こうと歩いていた義久の妻・ときは、夫と鉢合わせした。

 彼女は種子島島主・種子島時堯(たねがしまときたか)の娘である。

 愛嬌のある顔と丸い眼は、人々の心を和ませる。

 「ん、ちょっとな」

 「ちょっとって・・・もう遅いですよ」

 「ああ、その、厠(かわや)だ」

 「厠ならあちらですよ」

 ときは義久の後ろを指差す。義久が行く方向には馬小屋があるだけである。

 「殿、本当はどこに?」

 「・・・・・本当は、新しい女子の所じゃ」

 「まあ!」

 プウと頬を膨らますとき。

 「怒るな。男はたまには、別の女子に身を預けてみたいものなのじゃ」

 「それで、いつお戻りに?」

 明らかにふて腐れている。

 「そうじゃの〜、明日の朝かな」

 「では、どうぞお休みなさい」

 ピシャリと障子が閉まる。

 「やれやれ」

 義久は女が嫌い、と言うよりも苦手だった。扱いにいちいち気を使う。

 (たかだか他の女子に会いに行くと言ったぐらいで、心の狭い奴だ)

 そう思いながらも、義久の目的は、女子ではなかった。





 廊下を走り、馬小屋で自慢の愛馬に飛び乗る。

 その時。

 「殿」

 ビクッと体を硬直させる義久。

 側近に見つかったら、まず行かせてはもらえない。

 「私です。殿」

 後ろを振り返ると、上井覚兼がいた。

 暗い闇の中、覚兼の顔はいつもより更に暗く見える。家中の多くの者はこの男を不気味に感じるが、義久は逆に親しみを感じる。

 「何だ、覚兼か・・・・止めるなよ」

 「別に止めはしませんが、一つ言っておきたい事が」

 「何だ?」

 「義弘様だけではなく、歳久様、家久様も、最近元気が無いとの事です」

 「・・・フン、何を言っている覚兼。わしは散歩をしたいだけじゃ」

 「ああ、そうでしたね。すみません、今のはお忘れ下さい」

 そう言うと、覚兼は闇の中に消えた。

 義久は心の中で苦笑しながら、愛馬を走らせた。





 義弘の居城・飯野城

 義弘は一人で、愛馬・長寿院栗毛の体を洗っていた。

 この馬はそれほど速くはないが、頭が良く勇気もある。

 先の『木崎原の合戦』の時は、前足を折って義弘を敵の弓から助けたので、『前折栗毛』と褒められた。義弘はこの馬を終生大事にしたという。

 義久は黒い自分の馬から降り。

 「こんな時間なのに馬の世話か義弘」

 ドキッとしたのは義弘。まさかこんな時間に、しかもこんな所に自分の兄で、島津家当主の義久がいるわけがない。

 「あ、あ、兄者!?」

 「ん?何だ、その顔は、折角わしが会いに来たのだぞ」

 「ど、どうしてここに?」

 当然の質問。

 「そんな事はどうでもよい、野掛(のがけ)をしよう。義弘」

 訳が分からないまま、義弘は義久と一緒に、川内川の辺まで馬を走らせた。

 走りながら、義弘には段々分かって来た。何故、兄が来てくれたのかを・・・

 「ふう〜、久し振りに体を動かした。少し汗をかいたわ」

 「兄者、その」

 「おお!あそこに魚がおる、今宵は月が出ていて良く見えるわ」

 まるで子供のように、川に入って裾を上げ、魚を追いかける義久。

 義弘も最初は黙って見ていたが、義久がしつこく誘うので、寒い中川に入った。

 月の光だけが、義久と義弘の視界を照らした。

 「ふう、ふう、結局、一匹も捕まえられんな〜」

 一番はしゃいでいた義久が最初に根を上げ、やがて義弘も川から出た。

 「では、わしはそろそろ帰る」

 義久はそう言って腰を上げ、馬に近寄る。

 「あ、兄者!」

 慌てて呼び止める義弘。

 「なんじゃ?」

 「・・・・・かたじけない」

 「はて、何がじゃ?」

 わざととぼける。

 「あ、いえ、その」

 「ああ、もうよい、もうよい。それよりな、来る途中にこれを拾った。実窓院にでもあげてくれ」

 義久が手渡したのは、花だった。何の変哲もない、黄色い花。

 義弘が花を見ていると、義久はさっさと馬で行ってしまった。

 その夜、義弘と実窓院は、その花を久保の墓前に捧げ、手を付いて義久に感謝した。

 兄の不器用な優しさが、心に染みた。





 歳久の居城・宮之城城付近のとある古寺

 歳久は一人、座禅を組んでいた。

 (稲荷様、教えください。拙者は今まで、多くの人々を戦で殺めてきました。乱世の習いとはいえ、果たしてそんな事が許されるのでしょうか)

 歳久は今、軽い自暴自棄に陥っていた。

 寒い風が頬を伝う中、歳久は一人、じっと座禅を組んで動かない。

 その時・・・。

 「歳久」

 「!!!」

 びっくりして後ろを振り返るのを、背後の人物が止めた。

 「よい、そのままでおれ」

 「お、お、大兄上!?」

 「違う・・・亡霊じゃ」

 声は間違いなくあの人だが、こんな所に!

 「そ、そうか、亡霊か」

 努めて冷静に対処する歳久。

 「お前が今、何を考えていたか当ててやろうか」

 「う、うむ」

 「人を殺して、何を得るのか。自分は地獄に落ちるのか、この戦乱はいつまで続くのか・・・じゃろう?」

 「・・・・・」

 「お前は昔から、考え過ぎる」

 静寂が辺りを支配する中、虫の鳴き声と、背後の人物の声がより大きく聞える。

 「もっと悩め、歳久。悩んで、悩んで、自分の出した結果を信じよ。お前は武士である前に人。他者を殺め、心痛める人よ。悩んだ結果、この乱世から背を向ける事になっても、わしはお前の味方だ」

 それだけ言うと、背後の人物は忽然(こつぜん)と消えた。

 歳久は古寺の中で一人、頭を下げた。





 家久の居城・姶良城

 「キャア、キャア、家久様。しっかり、しっかりしてくだされ!」

 「私はしっかりしている。ふうよ、もう少し静かにしてくれ」

 家久は軽い風邪を引いていた。風邪自体はたいした事ないが、問題は家久の正室・ふうである。

 極度の心配性で、家久が少し咳をしただけで大騒ぎである。

 二歳の長男・又七郎(またしちろう・島津豊久の通称)は、ふうが暴れる中、静かに寝ていた。

 「ふう様、家久様は私が看病しますから、先にお休みを」

 鎌田がやんわりとふうに退室を求める。

 「いけません!妻が夫を看病するのは道理、鎌田殿こそお休みを」

 「いえ、家来たる者、主が病で寝ている時に、一人で寝る事など出来ません」

 布団の家久を尻目に、熱い火花を散らす鎌田とふう。

 新参の猿渡は、そんな二人のやり取りを面白く見守っている。

 「もういい、厠に行く!」

 うんざりした家久は、一人で厠に向かった。

 厠から戻り、布団に入った家久。周りを見渡すと、誰もいない事に気付く。

 (ふうも鎌田も寝てくれたか・・・)

 家久がゆっくりと目を閉じようとした時。

 「なあ、家久」

 「うぉわ!!」

 思わず布団から半身が飛び出る家久。

 「義久兄さん!ど、ど、どうして」

 「ちょっと近くまできたのでな、ところで家久」

 「は、はい」

 「お前の又七郎は可愛いの〜、わしはまだ男子がいないから羨ましいぞ」

 「え、ええ」

 又七郎、後の島津豊久は、義久の腕の中で静かに寝息を立てている。

 「体は、大丈夫か?」

 不意に視線を向ける義久。その目は、当主になる以前、いつも家久に見せてくれていた、優しい兄の目だった。

 「はい、ただの軽い風邪です」

 「ならばなおさら早く治せ、ほら、早く布団に」

 うながされ、布団に入る家久。

 そのまま無言で、義久は又七郎と庭に出た。

 家久は廊下の隅で、鎌田・猿渡・ふうが微笑んでいるのを見つけ、急に恥ずかしくなり、布団で顔を隠した。

 庭先で又七郎を抱いて空を見ていると、布団の中から声がした。

 「兄さん・・・ありがとう」

 「ん?」

 振り返ったら、家久は既に眠っているようだった。





 内城に義久が帰った時、辺りは僅かに白くなり始めていた。

 寝室に入り、布団を見ると、妻のときが義久の服を抱いて寝ていた。

 「すまんな」

 義久はゆっくりと、布団に潜り、妻を抱きしめて眠った。

 朝靄(あさもや)が立ち込める中、兄弟達は新たな決意を胸に朝を迎えた。

 義久だけは、ときと一緒に眠ったままだったが。



 第二十五章 完


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