戦国島津伝




 第二十六章 『全ては閣下の為に』

 1573年、島津義弘に次男が誕生した。名前は長男と同じ久保(ひさより)と名付けられた。

 次男の誕生に際して実窓院は

 「この子は久保です。あの子がまた、私達の元に帰って来てくれたのです」

 と、涙を流しながら義弘に赤子を手渡した。

 義弘もまた、頬擦りをして、息子の生誕に感涙した。





 数日後

 島津家内部が喜びに満ちていた頃、大隈の大名・肝付兼亮(きもつきかねあき)は、父・兼続と兄・良兼の意思を継ぎ、島津家に対して攻撃を開始した。

 しかし、武勇で知られた父や兄と違い、兼亮は愚鈍で、実戦経験のない十五歳の若者だった。

 義久はまず、大隈の出城・加治木(かじき)城を包囲して兵糧輸送路を確保、一旦薩摩に帰還して作戦を練った。





 島津家・内城

 「肝付軍は志布志(しぶし)城を出撃、真っ直ぐ北上する模様です」

 義久は上座で、上井覚兼の報告を聞いて微笑した。

 「都城の北郷時久に出撃命令、肝付軍を一蹴(いっしゅう)せよ」

 「はっ」

 すぐに上井覚兼は伝令を出し、命令を受けた北郷時久は都城城から出撃した。

 「覚兼」

 「はい」

 「肝付は、もう終わりじゃな」

 「此度の事、肝付兼亮は母親や家臣団の反対を押し切っての出撃、もし負ければ・・・」

 「確か兼亮の母親は父上の」

 「はい、御南(ごなん)殿は、日新斎(忠良)様の娘、白囿斎(貴久)様の姉です」

 「密かに使いを出せ、伯母上に『従属するなら領土は安堵する』と」

 「かしこまりました」

 その日、大隈の志布志城内に侵入した長寿院盛淳は、肝付兼亮の母親で島津義久の伯母、御南に密書を手渡す事に成功した。





 大隈・末吉

 主君・義久の命を受け出撃した北郷時久は、平地にて肝付軍と対峙していた。

 敵方の兵数は二千、こちらは四千。

 「これでは負ける方が難しいわ、かはははは」

 北郷氏は、日向の庄内一帯を支配する強力な豪族である。

 その為、大隈の各豪族も北郷を恐れ、肝付に兵を送らなかった。

 ただ一人、伊地知重興だけは、肝付軍に参戦した。

 彼は1566年の島津家による大反撃作戦で肝付家と共に敗北、降伏した。

 だが、彼は再び槍を握る。

 「この戦で、肝付家は終わる。ならばせめて、今は亡き親方様(肝付兼続)の御恩をここでお返しする」

 衰退する肝付家の最後の戦い、重興のこの戦に対する決意は並ではなかった。





 正午過ぎ、合戦が始まった。

 戦いは北郷好みの乱戦、それも大乱戦となった。

 斬る者、斬られる者、弓で倒れる者、鉄砲で撃たれる者、雄叫びを上げる者、叫び声・・・阿鼻叫喚(あびきょうかん)の世界がその瞬間に生まれた。

 「かはははは!皆殺しじゃー!!」

 北郷は一人の雑兵を刀で刺し、そのまま持ち上げて騎馬武者に投げるという荒業を見せ付けた。





 一方、伊地知重興も槍で北郷軍の兵を突き殺し、全身に返り血を浴びていた。

 一人、また一人と槍で突き、次第に槍の矛先が欠けていく。

 「おおおおお!」

 槍が壊れれば刀を、刀が壊れれば敵から奪った武器で。

 この奮闘により肝付軍は一時北郷軍を押し返したが、遂に力闘及ばず、兵達は逃走を始めた。

 「重興殿!お味方は総崩れでござる。もはやこれまで、退かれよ」

 重興の友人で、大隈の国人・甘屋弥太郎(あまややたろう)が前進する重興を止めた。

 「ここで果てる、わしに構うな」

 息も絶え絶えに敵軍に向かおうとする重興、だが甘屋が押し止める。

 「肝付への恩は十分にお返し申した。後は、ご自分の身内の事を考えられよ」

 国人衆や豪族は負け戦をしない。弱い大名はすぐに見捨てる。

 彼らにとってはそれが常識であり、土地を守る術(すべ)。

 ある意味、重興や甘屋のような者達は珍しかった。

 「見よ、重興殿」

 甘屋が指差した方向には、総大将の肝付兼亮が部下と共に敗走する姿だった。

 「・・・」

 「これ以上の抵抗は無意味」

 周囲では、逃げる兵を追う者、必死に抵抗する者。

 もはや勝敗は決していた。

 睨み合い、ダランと肩の力を抜く重興。

 槍を捨て、馬に乗った。

 「・・・無念だ、甘屋殿」

 「分かっている。また会おう」

 甘屋と部下はその場に留まり、群がる敵兵を蹴散らした。





 戦場を脱出する重興を目で確認すると、甘屋も部下と一緒に馬に飛び乗る。

 「よし、行くぞ」

 前に立ちはだかる敵兵を斬り殺し、突き殺し、甘屋達は逃げた。

 「甘屋様、味方の殿(しんがり)があそこに」

 「おお!」

 殿(しんがり)とは、軍団の最後尾で敵を防ぐ事。また、その部隊の事で生還率が極めて低く、捨駒(すてごま)のような役割だった。

 その役を買って出たのは肝付家の武将・肝付治左衛門(きもつきはるさえもん)。

 弓隊を前面に出し、敵の追撃を辛うじて防いでいた。

 「皆、もう少しだ。こののちは肝付と手を切り、島津と結ぶ。何としても生き延びよ」

 甘屋が後ろの部下に激励し、再び前を向いた時。

 背中に一本の矢が刺さった。

 落馬した甘屋に駆け寄る部下達。

 「甘屋様、しっかり、しっかりして下さい!」

 「心配するな、大事ない」

 口から出た血を拭い、馬に乗ろうと立ち上がると、周囲に影が出来た。

 「ほう〜、甘屋弥太郎であったか、殿に良い土産が出来た」

 甘屋達が見上げると、片手に太刀を持った大男、北郷時久がいた。

 北郷の後ろには、弓を持った手勢が五十人ほど待機している。

 「お前は・・・」

 素早く部下が北郷に飛び掛ったが、頭から一太刀を受け、一瞬で無残な死体に変わった。

 その光景を見て、他の部下達は一目散に逃げた。

 殿(しんがり)の部隊も、敵の猛攻を受け撤退している。

 無言で甘屋に近寄る北郷。

 その眼は、残虐な『鬼』を連想させた。

 甘屋は抜き掛けた刀を納め、その場に座った。

 「・・・・・我が武運も、ここまで」

 北郷が太刀を振り上げ、甘屋は静かに眼を閉じた。

 「散る花はあれど・・・咲く花もまた」

 その瞬間、北郷の眼の前で、血が舞った。



 第二十六章 完


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