戦国島津伝




 第二十八章 『剣豪の挑戦・後』

 義弘の居城・飯野城に到着した伊集院・平田一行は、そのまま宰相殿もとい、実窓院の出迎えを受けた。

 「これは伊集院殿、平田殿、よくお越し下さいました。あいにく主人は外出しておりますが・・・」

 チャンス!

 伊集院忠倉の眼が光った。

 「さ、宰相殿!」

 「もう、その呼び名は止めてくださいと申しましたのに」

 「頼む、手を見せてくれ」

 「「え?」」

 実窓院、平田、両名共に驚いた。

 「手・・・ですか?」

 「うむ、頼む」

 伊集院の気迫に押されたか、おずおずと手を出す実窓院。

 「う〜む」

 まじまじと実窓院の手の平を注視する忠倉、よく見ると剣ダコが確認できる。

 「こ、こ、この剣ダコは?」

 剣ダコは刀を握っている者なら誰にでもできる。

 「な、薙刀の稽古で」

 「ここ一週間はどちらに?」

 「え〜と、久保の世話の為、城からは一歩も」

 「出てはおらんと?」

 「はい」

 「ぬ〜」

 疑わしい目つきで実窓院を見る伊集院、そこを平田が割って入った。

 「伊集院殿、何をしに来たか知らんが、今日はもう帰ろう」

 伊集院は考える。

 殿は人斬り事件を報告した時「義弘には言うなよ」と言った。

 あれはつまり、弟の義弘様を心配して出た言葉。義弘様がもし自分の妻が人斬りだと分かれば、深く悲しむ。

 いや、愛妻家な義弘様の事、自殺するかもしれない。それに犯人は、頭や胴体を一刀両断にしている。そんな芸当は普通の太刀では難しい。

 だが、実窓院得意の薙刀なら・・・あるいは。

 ピキーン!

 伊集院は結論を出した。

 「宰相殿!」

 「は、はい」

 「あなたを捕縛する。抵抗なさるな」

 「・・・はい?」

 伊集院は素早く三十人の手勢を実窓院の周囲に展開させ、自らも刀を抜いた。

 平田は突然の事に仰天し、混乱した。

 「ま、待て、伊集院殿。どういう事だ?」

 「宰相殿、いや実窓院様。あなたを人斬り事件の犯人として取り調べる。一緒に内城に来て頂く」

 「嫌です」

 キッパリ。

 「伊集院殿、落ち着いて下さい。なぜ私が人を斬らねばならないのですか?」

 実窓院の冷静な言葉も、一度思い込んだら中々考えを変えない伊集院には届かない。それどころか、伊集院自体もこの状況に血圧が上がり、かなりテンションが高くなっている。

 「まさか、人斬り事件の犯人が実窓院様だったとは、これは島津家始まって以来の大事件。私は悲しいですよ、実窓院様」

 バキ!

 その音が響いてもしばらくは、誰も何が起こったのか分からなかった。

 唯一近くにいた平田と伊集院久春には、実窓院が伊集院忠倉を木の棒で殴ったことが把握できた。

 そして、どこにいたのか、木の棒や薙刀で武装した実窓院直属の女衆が、実窓院を守るように円陣を組んでいる。

 「人を人斬りだの何だの、いくら筆頭家老の伊集院殿でも、あんまりな言い草ですね」

 親戚にあたる忠倉が殴られ、反射的に久春は刀を抜き、実窓院を取り押さえようと部下と共に突進した。

 だが、伊集院忠倉も久春も長身で俊才ではあるが、武芸は全く駄目だった。

 平田光宗は、伊集院の軍勢が次々と実窓院と女衆に袋叩きにあう様子を、ただ呆然と見ているしかなかった。





 馬に乗って島津義弘が飯野城に帰って来た時、城の前で何やら人が暴れる音が聞えた。

 「誰だ?番兵の喧嘩か?」

 そう思って馬を走らせた所、目に飛び込んだ光景はまさに義弘の度肝を抜いた。

 「あ、綾(実窓院)。忠倉、平田、久春」

 「あ!義弘様」

 最後の一人の兵士を殴り倒す所を夫の義弘に見られ、実窓院は慌てて持っていた棒を投げ捨てた。その棒は小気味良い音を立てて気絶している忠倉の頭に直撃する。

 「これは・・・どういう事だ」

 「義弘様、実は」

 それまでを黙って見ていた平田が馬の後ろから声を掛ける。

 そして・・・・。





 「ははははは!」


 「ふふふふ!」

 「面目ない、面目ない」

 高笑いする義弘と実窓院。伊集院忠倉と久春はただひたすら頭を下げている。

 「私のとんだ早とちりであった。この通り、許してくれ実窓院様」

 「ははは、忠倉。早とちりにも程があるぞ、ははは」

 「全く、理由も言わずに捕まえようとするんですもの、びっくりしましたわ」

 「いや、あの、妻が犯人という展開にちょっと興奮してしまって・・・」

 「「は?」」

 「ああ、いや、何でもない。だが、今回の事は、どうか殿には」

 「分かった、分かった。兄者には黙っておいてやる」

 ホッと胸をなで下ろす忠倉と久春。平田はもう呆れ果てて帰ってしまっていた。

 「俺の妻は普通の武士の何倍も強いが、無粋な殺生はせぬ」

 「ははぁ、確かにお強いご婦人でありました」

 実窓院に殴られた頬をさすりながら、忠倉はしみじみと言う。

 「ところでな」

 「は?」

 「その最近起こっている人斬り事件。俺にも詳しく教えてくれぬか」

 「は、はい。では」

 忠倉は人斬り事件の詳細を、義弘に伝えた。

 ここで明らかになった事実は、人斬り事件の多発地帯が薩摩だということだ。日向と言った上井覚兼に、忠倉はだまされた事になる。

 (覚兼め、覚えていろ!)

 あの不気味な笑みの男を心の中で殴っていた忠倉は、義弘の言葉で現実に戻った。

 「よし、そんな事件が起きているなら、この俺が直々に犯人を捕まえ、妻の疑惑を晴らすとするか」

 「え?ま、待たれ義弘様」

 忠倉が止めるのも聞かず、義弘はズカズカと廊下を去っていった。





 薩摩と大隈の国境付近

 茂みに隠れる二人の男。既に辺りは暗く、日は完全に沈んでいる。

 「何で俺がこんな事しなくちゃいけないのです?」

 茂みでぼやく男・山田有信は、隣の島津歳久を恨めしそうに見た。

 「お前は知らんのか?最近人斬りが多発している。我々がその人斬りを捕縛し、治安を回復すれば、領民も旅人も安心するであろう」

 「そりゃそうですけど・・・何でこんな所で待ち伏せなんです」

 彼らがいるのは薩摩と大隈の国境、今の国分(こくぶ)市付近である。

 「実はな、拙者は長寿院盛淳に命じて人斬り事件が起きた場所を明確に調べさせた。それによると、どういう分けか犯行場所が徐々に兄上(義弘)の飯野城方向に向かっている」

 「へぇ〜、何でまた?」

 「それは分からんが、もし拙者の推測が確かなら、犯人は今宵この付近でをまた人を殺めるかもしれん」

 「何だかよく分かりませんが・・・」

 「とにかく!犯人は腕が立つ。抜かるでないぞ」

 「はい」

 そんな二人が待つ事一時間。歳久は自ら野武士に化け、細長い道を行ったり来たり、いい加減疲れてきていた。

 「どうやら今日はもう・・・ん?」

 有信が半分諦めかけた時、一人の黒い服を着た男が歳久に近寄ってきた。

 「貴公」

 (来たな!)

 野武士姿の歳久はゆっくりと後ろを振り返る、そこには一人の太刀を持った男。

 「貴公、それがしと手合わせ願いたい、真剣で」

 「ふ、ふん。良いだろう」

 歳久は感じていた。この威圧感、背中に冷や汗がにじむ。

 太刀を腰から抜く歳久だが、相手は抜く気配がない。

 「ど、どうした?抜かんのか?」

 「打ってこられよ」

 間合いを取って相手を見据えた時、歳久はある事に気付いた。

 相手の声、立派な骨格と違いどこか・・・幼い。

 顔は布で覆っているが、眼は見える。

 どこか澄んだ、子供のような眼。

 「貴様・・・」

 「おっと、そこまでだ!」

 歳久が何か言う前に、有信は茂みから飛び出した。

 背中の太刀を引き抜き、戦闘体勢に入る有信。

 黒服の男は、有信の突然の登場に驚き、慌ててその場から逃げようとする。

 「逃がすか!」

 男に飛び掛る有信、太刀を振り被り、敵の頭上に振り下ろす。

 だが。

 バキン!

 男は鞘(さや)を有信の太刀を持っていた両手に当て、眼にも止まらぬ速さで刀を引き抜いた。

 「く!」

 有信が両手の痛みに顔をしかめた時には、自分の頭の上に刀が上げられていた。

 「有信!」

 歳久が叫び、有信は慌てて自分の太刀で防ぐ。

 ガキィン!

 「ぐお」

 受け止めた敵の斬撃は、まるで斧のように重く、有信は両手がしびれて太刀を落とした。

 (なんつー、重い一撃だ)

 重く、そして速い。歳久が有信に近寄るよりも速く、敵は止めをさすため再び頭上に刀を振り上げた。

 「そこまでです」

 その声に驚き、歳久も有信も敵も、声のした方に顔を向けた。

 そこには、薙刀を構え、威風堂々とたたずむ実窓院。

 「あ、姉上」

 「宰相殿」

 「・・・・」

 三人に近寄る実窓院。

 「世を乱す者よ、私が相手です」

 「それがしの名は瀬戸口藤兵衛。島津義弘公の奥方、実窓院・・・そなたを討てば、それがしも義弘公に」

 「「瀬戸口!」」

 瀬戸口という名に驚く歳久と有信。

 実は瀬戸口家は、北薩の土豪・東郷氏の遠い親戚に当たる家である。

 東郷氏が1570年に島津家に降伏するまで共に戦った仲であり、島津にとってはかつての宿敵。

 「我が夫の、何が目的ですか?」

 「首」

 平然と言い切る瀬戸口。

 「そうですか、ですがその願いを、叶えさせる訳にはいきませんね」

 「・・・では」

 初めて瀬戸口は、自分の太刀を正眼(中段)に構え、実窓院を睨む。

 「参る!」





 重い静寂。

 瀬戸口と実窓院は、対峙したまま一歩も動かない。

 ゴク!

 だが、永遠とも思えたその世界も、歳久が喉を鳴らした瞬間に終わった。

 「「!」」

 凄まじい速さで間合いを詰め、瀬戸口は太刀を上段に振り上げて突進した。

 ドン!

 しかし、瀬戸口の太刀は実窓院を斬る事はなく、斬ったのは持っていた薙刀。

 薙刀は二つに折れ、太刀はそのまま地面に食い込んだ。

 そして。

 バシ!

 「ぐ!」

 実窓院の手刀が瀬戸口の首を打った。

 太刀を握ったまま、気絶する瀬戸口。

 「間一髪、でしたね」

 呆然とする歳久と有信に、笑顔を向ける実窓院。

 「すごい重さと速さの刀でした。もし無理に受け止めていたら、私の体が両断されていたでしょう。先に有信殿がこの者と戦ってくださって、本当に助かりました」

 「は、はは」

 桁違いの実力を見せ付けられ、ただ笑う歳久。その時。

 「おおーーい」

 遠くから馬で駆け寄る義弘、その後ろを長寿院が身軽に追いかける。

 「兄上、長寿院」

 「いやー、こっちの方だったか、綾に手柄は持っていかれてしまったな」

 馬から降り、愛妻の無事を確かめると、義弘は豪快に笑い出した。

 二手に別れて人斬りの犯人を探していた義弘と実窓院。

 この二人に犯人の出現予測地点と、実窓院の居場所を義弘に知らせたのは長寿院である。

 「義弘様。この者は瀬戸口の家の者だそうです」

 倒れている瀬戸口を縛り上げる有信。

 「まだ気絶しているのか?う〜ん、とりあえず俺の城に運べ」

 瀬戸口を馬に乗せ、歳久と有信を城に帰し、義弘と実窓院、そして長寿院の三人は飯野城に引き返した。





 翌朝。

 眼を覚ました瀬戸口を尋問した所、意外な事が分かった。

 彼が今まで殺した者達は皆、他方で狼藉を働いた罪人。殺しても誰も咎めないような連中であった。

 最初は父の瀬戸口重為(せとぐちしげため)に黙ってその者達を成敗していた藤兵衛であったが・・・。

 自らの実力に一種の高ぶりを感じ、島津家家中随一と称される猛将・島津義弘と戦ってみたいという願望が目覚めたらしい。

 もちろん目的は義弘の首ではなく、義弘を打ち倒した自分自身が見たかったのである。

 朝眼を覚まし、自分を覗き込む義弘に敵意を出すどころか、その場で平伏した藤兵衛はそう暴露した。

 「ほう、ではお前はただ、この俺と戦ってみたかったと?」

 「はい。それがしが刀で、義弘様を打ち倒せれば、と」

 「戯け!!」

 突然の怒号に、首をすくめる藤兵衛。

 「いくら罪人狼藉者とはいえ、人を斬り、罪を感じるどころか己の実力を過信し、更に無用な血を流させるとは、恥を知れ!」

 「は、ははぁ!」

 「武士の刀は、人を斬る為にあるのではない。己の中にある欲を払い。自分と守るべき者達を守る為にあるのだ」

 「欲を払う・・・」

 「その邪な心に負けたから、お前は今ここにいる」

 ギリッと悔しそうに唇を噛む藤兵衛。

 実窓院に打たれた首が痛むが、それ以上に痛いのは、自分の心。

 最初は、ただ狼藉者が許せなかった。

 道を歩けば、暴行を働く者、盗みをする者、女子供を殺す者、農民をいじめる武士。それら全部が許せなかった。

 だから、その者達を斬る時は、罪の意識も、感傷もなかった。

 だが、人を斬っていくうちに、血に染まった太刀と無残な死体を見るうちに、「自分は強い。誰よりも」そんな心が芽生えてきた。

 どんなに強そうな者でも、どんな武器を持っている者でも、全て一撃で殺した。殺せた。だから、もっと強い者を、心が無意識に求めた。

 そして徐々に、殺す対象は、『無関係な者』にまで・・・。





 それから束の間、義弘の部屋からは、誰かの大泣きする声が聞えた。





 数日後、義弘の計らいで藤兵衛は義久に謁見。

 「瀬戸口藤兵衛。この度のご城下を騒がした罪、万死に値する事は分かっております。それがしは腹を切りますが、どうか、一族の者達にはご慈悲を!」

 眼に涙を溜めて懇願する藤兵衛。

 その姿を見る義久は、弟・義弘の視線に気付き、軽く頷いた。

 「藤兵衛、そう焦るな。ところでこれが、そなたの使っていた太刀だな」

 小者に一刀の太刀を持ってこさせた義久は、その場でその太刀を叩き割った。

 「何を?」

 分けが分からない藤兵衛だが、義久が視線を自分に移した時の暖かな目線に一瞬見とれた。

 「この太刀は、わしがまた鍛え直させる。藤兵衛、お前も自分を鍛え直し、早く家に帰って親父殿を安心させてやれ」

 「で、ですが」

 「藤兵衛。人は過ちを犯す、だが、人はその過ちを正す事が出来る。お前が人を斬り、我を忘れたのなら、もっと強くなり、己が邪心に屈しない男になれ」

 藤兵衛に言葉はなかった。

 ただただ平伏し、涙を堪えるのに必死だったからだ。





 後日

 山中にて

 「藤兵衛」

 「よ、義弘様」

 木刀を持って稽古をする藤兵衛の前に、島津義弘が馬でやってきた。

 「藤兵衛、どうだ。相手をしてやろうか?」

 義弘の突然の申し入れ、だが藤兵衛は。

 「有り難い事ですが、今のそれがしでは義弘様に勝てません。自分の心と正面から向き合う事が出来た時、お相手をお願いします」

 「そうか・・・ところで藤兵衛」

 「はい」

 「お前は一体何歳だ?」

 半裸で木刀を握る藤兵衛の姿は、黒服を着ていた時よりも幼く、華奢な体をしている。

 「それがしは、今年で十三です」

 「・・・・・」

 「あの?」

 「ええぇぇ!!」

 という事は、あの細腕で人を一刀両断・・・恐ろしい。

 義弘は藤兵衛の将来に僅かながら身震いしたのであった。





 その後、元服して東郷重位(とうごうしげかた)と名を変えた瀬戸口藤兵衛は、島津軍の抜刀隊を率いて活躍していく事になる。



 第二十八章 完


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