戦国島津伝




 第二十九章 『家久上洛〜選ばれた武士達〜』

 世の中は大きく動いていた。

 まず衝撃的だったのは、足利幕府第十五代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)が、織田信長によって京から追放されたのが大正元年(1573年)。

 1338年に足利尊氏(あしかがたかうじ)が興した室町幕府は、約230年続いた歴史を閉じたのである。

 将軍の追放で後顧の憂いが無くなった信長は、敵対していた朝倉義景(あさくらよしかげ)と浅井長政(あさいながまさ)を倒して近江を平定。名将・武田信玄も上洛を前に死んだ。

 天正三年(1575年)の今、信長と争っていたのは摂津国(大阪)の石山本願寺、中国地方の毛利輝元、信玄の息子・武田勝頼などである。

 信長は天下を取るのか・・・。

 薩摩に続き大隈も手中にした島津家にとって、織田信長という大名の存在は、無視できないほど大きくなっていた。





 この頃、島津家は着々と日向の伊東氏攻略を進めていた。伊東氏と同盟する肥後の相良氏から反感を買ったものの、島津家には日向を手に入れる大義名分があった。

 島津は鎌倉時代より三州(薩摩・大隈・日向)の守護を命じられている。

 三州を統一する事は、乱世の影響で勢力が落ちた島津氏の悲願であり、守護大名としての当然の責務なのである。

 勢力の衰えた伊東方の国人衆・豪族・家臣は島津のこの主張に手の平を返したように賛同。次々と伊東家を見捨てた。

 古来より、武士にとって大切なのは『忠義』などではなく、『領地』である。

 前章でも述べたが、武士にとって領地を守る事は何よりも大事。その為なら裏切りや寝返りも当たり前、主君への『忠節』など二の次。

 これが武士達や領主の本音、現実の厳しさ、『一所懸命』という言葉が生まれた要因である。





 薩摩・内城

 「高原城、三つ山城、須木城、既に南日向の城や砦の多くが我らに降伏、または攻め落としました」

 重臣・上井覚兼は、義久が報告を聞いていない事を悟りながら、日向の戦況を語った。

 「義弘様、北郷時久殿の軍は連戦連勝、快進撃を続けております」

 「ほぉ〜」

 ボォ〜と庭を眺める義久、それを見つめる覚兼。

 不意に。

 「そういえば、京では織田信長公が」

 ピク!

 微かに反応を示した主君に笑みを浮べ、覚兼は心の中で「やはり」と確信した。

 「近く、武田家と雌雄を決する為、大規模な作戦を練っているという噂があります」

 「武田と雌雄を決する・・・噂か」

 「はい」

 辺境の大名ほど、中原で起きている事件や政変に疎い。だからこそ、中央の情報は集められるだけ集めなければならない。

 「噂ならば、確かめねばな」

 「誰を?」

 義久は今日初めて覚兼に顔を向け、ニヤリと微笑んだ。覚兼との会話はいつも明快、互いの意図を直ぐに察する。

 「家久を呼べ」

 座を立った覚兼を横目で確認しながら、義久は再び庭に眼を移した。開いた襖から、心地よい風が義久の頬を撫でた。





 「京、でございますか?」

 「そうだ。京へ上洛し、我ら島津家の三州統一の祈願をしてまいれ」

 内城に来た島津家久は、突然の兄の命令に困惑した。

 「そ、それでどこへ?」

 言った後、家久は「しまった!」と思った。「どこへ?」でなど、まるで田舎者ではないか。

 島津は辺境の大名ではあるが、頭首の義久を筆頭に家臣団の多くは和歌や学問に精通、宮中の礼儀作法や幕府の作法も習っている教養人が多数である。

 「どこへ?だと」

 案の定、弟の失言に片眉を吊り上げた義久だったが。

 「・・・どこでもよい」

 「えっ?」

 家久の隣で上井覚兼が「く、く、く」と不気味に苦笑した。

 「どこでもよい。京都御所で帝(みかど)の側近と仲良くするもよし、伏見稲荷大社でお狐様に会うもよし。とにかく京に行け」

 「は、はぁ」

 「返事は?」

 「は、はっ!」

 こうして家久は主君であり実兄でもある義久に突然、薩摩から京への長旅を申し渡された。





 内城・城門前

 「ここでお待ちを、家久様と共に京へ行く者達を連れて参ります」

 そう言って覚兼は馬を走らせた。

 「はぁ〜」

 今の家久の心境は、京へ行ける喜びではなく、何となく疲れる旅になるだろうという直感による不安だった。

 そしてその不安は、約三十分後に現実になる。

 「家久様、連れて参りました」

 「・・・・・うそ」

 「何でこの俺が、京へなんぞ行かねばならんのじゃぁぁ!」

 「都・・・まだ見ぬ剣豪と会えるかもしれぬな」

 「やれやれ、この歳で京へ再び参る事になるとはのぅ」

 覚兼が連れて来た者達。

 一人は二メートルの偉丈夫・北郷時久。まず京の町で暴れ回らないか不安。

 二人目は今年十四歳になって元服したばかりの剣豪・東郷重位。まず勝手に侍とチャンバラを始めないか不安。

 三人目は、京に行った経験がある老僧・法庵(ほうあん)。今年で七十歳ぐらいらしい。途中で死なないか不安。

 「あと一人二人ほど、家久様自らお選び下さい。では」

 頭を下げ、内城に入る覚兼。

 家久はただ呆然と、その後姿を見送る

。  その視線に気付いたのか、覚兼が振り向き笑った。

 ひどく、ムカツク顔だな〜と、家久は心の中で怒った。





 姶良城

 「ええええ!」

 居城に帰った家久は、家臣の鎌田・猿渡、そして妻のふうに上洛する事を伝えた。その途端にふうのこの絶叫である。

 「そ、そんな家久様。京へ行って一体何を」

 「三州統一の祈願をしにいく」

 「で、でも京は遠ございますよ?」

 「分かっている」

 「言葉も通じぬかもしれませんよ?」

 「ああ」

 確かに、京の人々に薩摩語が通じるとは思えない。

 「そ、それに、それに」

 「もういい!」

 ビク!

 明らかに正室・ふうの眼には、戸惑いと不安の色が見える。

 家久はふうの顔を両手に掴み、言い聞かせる様に話した。

 「大丈夫だ、今が乱世とはいえ、都は今平穏だと聞く。それに都には、まだ見ぬ伝統や歴史、多くの人々がいる。この家久、それらを生涯忘れぬようしっかりと眼に焼きつけ、無事に帰ってくる」

 眼に涙を溜めて聞いていたふうは家久に抱きつき、家久もふうを抱き締めた。

 その光景に鎌田と猿渡は、ヤレヤレと顔を見合わせた。

 「仲の良い夫婦でござるな〜」

 珍しく声を潜めて話しかける猿渡。

 だが、和やかな雰囲気もそこまで、家久が思わず「あと一人誰を連れて行こうか」と部屋の中で口走ったのをふうが聞いてしまったから大変。

 自分も一緒に行くと言って家久にせがんだ。

 「お、夫が妻を置いて戦場に行くのは我慢できます。ですが此度は京への長旅、道中何があるか、不安でございます!」

 「う、うう」

 すっかりタジタジの家久を見かね、鎌田が部屋に入ってきた。

 「そんな大声を出すものではありませんぞ、ふう様」

 「おお、鎌田」

 「ふう様、我々がここでしっかりと城を守っているからこそ、家久様も安心して京へ行けるのですぞ。わがままを申されますな」

 「で、ですが〜」

 家久は以外だった。鎌田も絶対に付いて行くと言い出すと思っていたからである。

 「か、鎌田」

 「家久様、この城は我ら家臣と、ふう様がいますからご心配なく。京への三州統一祈願、頼みましたよ」

 「鎌田、うむ」

 いつの間にか家久と鎌田が見詰め合っているのに気付いたふうは、急に泣き出した。

 「おわ!どうした、ふう」

 「ふうは、ふうはいつもわがままを言って家久様を困らせる、駄目な妻でございます。そんなふうを、いつも注意したり、叱ったりしているのは鎌田殿でございます。だから家久様は、ふうよりも鎌田殿を頼りにされて、信頼しておるのでしょう?うえ〜ん」

 家久と鎌田の男の友情をどこか勘違いしているふう。

 大袈裟(おおげさ)に溜息を吐く家久と鎌田を尻目に、ふうは泣き続けた。

 「母上、泣くと眠れませぬ」

 その言葉に廊下を見ると、今年で五歳になる家久の息子・又七郎が眼を擦りながら立っていた。

 「ま、又七郎〜」

 思わず愛息子に抱きつくふう。

 「母は、母は駄目な人?皆々様に迷惑をかけて、わがままを言って」

 「痛い、母上」

 無表情で返事をする又七郎。

 そのままふうは又七郎を抱き上げ、廊下を走って行ってしまった。

 「ああ、又七郎・・・ふう」

 「やれやれ。家久様、行ってあげてください」

 鎌田は腰を上げ、部屋から出て行った。

 結局その日、家久は妻と息子が寝るまで傍にいる事になってしまった。





 三日後

 島津義久、義弘、歳久、鎌田、猿渡、ふうに見送られ、家久達一行は京に旅立った。最後まで京に行くのを嫌がった北郷は、義久の「家久を頼むぞ」の一言で態度を一変、皆の分の荷物を持ち先頭で歩き出した。

 結局行くことになったのは、島津家久・北郷時久・東郷重位・法庵の四人である。

 だがもう一人、意外な人物がこっそりと家久達の後について来ていた。





 「ま、又七郎・・・」

 「・・・・」

 家久達が又七郎を発見したのは紀伊(今の和歌山県)行きの船の中、引き返すにはもう間に合わない。

 「義久叔父さんに言ったら、ついて行っても良いって、父上」

 又七郎が懐から取り出した手紙。それを家久に渡した後、又七郎は北郷達の所に走って行った。

 手紙には義久の文字で『子供のわがまま、実に感激した。折角だから一緒に連れて行け』と書いてあった。

 本郷達と仲良くなり、又七郎が喜んでいる中。家久は一人、これからの事に更なる不安を覚えた。



 第二十九章 完


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