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花見は優しい風の下で
戦国島津伝
第三十章 『花見は優しい風の下で』
島津家久が京へ出発して数日。
島津家家臣・鎌田政年は困っていた。
原因は家久の正室であるふうが、城の中に塞ぎ込んでしまったからである。
「やはりふう様・・・近頃元気がないでござるな」
「京の神社へ参拝するだけなら、それほどの日数はいらんというのに、困った奥方様ですな」
鎌田と猿渡は、島津家領内の定期連絡を済ませつつ、そんな事を話していた。
「そうそう鎌田殿」
「はい?」
「軍船を見に行きませぬか」
「軍船ですと?」
「はい。殿(義久)は近頃、海の方に興味を持たれておるそうで、何隻か戦闘用の船を建造中でござる」
「ほぅ〜、確かに名のある大名は強力な海軍を有している。中国の毛利、京の織田、陸奥(青森県)の南部・・・やはりこれからは海が主役か」
「では、早速港へ行きましょう」
島津家・薩摩港
「しばらく見ないうちに、ここも随分船が増えたな」
「種子島からの船も多く到来しておりますからな〜」
しばらく港を歩いた鎌田と猿渡だが、ふと思い出したように鎌田が言った。
「ここに来たらやはり樺山殿にあいさつをしなければ」
島津家の盟友・種子島家との船の往来は日常茶飯事。その海の交通路を取り仕切っているのが島津氏一族の一つ、樺山氏である。
「確か、今の樺山氏の現当主は樺山久高(かばやまひさたか)という十七歳の若者でござろう?」
「うむ、海の知識に関しては家中随一だとか・・・」
しばらくして、二人は建造中の新型船の舳先に立つ一人の男を発見した。肌が浅黒く、筋肉質な体格をしている。
※舳先(へさき)・船体の先端部分
「鎌田殿、あの者では」
「あの額金(ひたいがね)・・・間違いあるまい」
額金とは、ハチマキの額の部分に入れた薄い鉄の板の事である。久高は常時それを身に着け、トレードマークにしていた。
「ん?誰だ、お前達」
「樺山久高殿か?」
「そうじゃ、わしが樺山久高じゃが、お前達は誰じゃ!」
数分後
鎌田と猿渡の二人は、すっかり久高と意気投合していた。
「いや〜すまん、すまん。てっきり船を見に来た町人や商人だと思って」
「そ、それがし達が町人や商人に見えたと!!」
「まあまあ猿渡殿」
「でどうじゃ、この新型船の出来栄えは」
「ふむ、見事な物と思いますが・・・あの船はそなたが?」
「ははは、まさか。わしらの仕事は種子島と薩摩の船の警護と物資の調達じゃ。じゃが、船の事は良く分かる。今作っているのは六隻じゃが、どれも見事なできじゃ」
「ボソボソ(明るい男ですな〜鎌田殿)」
「ボソボソ(ふふ、お前と似ている・・・そうだ!)」
ピン!と鎌田は閃いた。
「久高殿、折り入って相談したい事があるのだが」
「おうおう水臭い、わしらは島津家にお仕えする同士、遠慮は無用じゃ!」
「実はな・・・」
後日
「では、行って参ります」
深々と頭を下げる女性・つづみ。
美女というわけではないが、優しそうな顔と雰囲気が特徴的である。
歳久の正室で、性格はおっとりで物静か。だが、この世で歳久がもっとも恐れている人物かもしれない。
「う、うむ」
振り向き、ニッコリと笑ってつづみは城を後にした。
「「・・・・・やったーー!」」
何故か妻がいなくなってはしゃぐ歳久と側近達。
「だぁー仕事するぞ、仕事!」
「今のうちに古い壺は奥様の眼の届かぬところに!」
実はつづみは、極度の潔癖症で城中の男達から恐れられていた。
仕事熱心な歳久の部屋に散らばった書類や手紙、刀のつばや古い古風な壺さえピカピカにするどころか逆に磨き過ぎて風情もなにもなくなった。
しかも磨くだけではなく、つづみ自身が整理してしまう為、歳久を含めた城中の男達は自分の物が無くなったら真っ先につづみの所へ行く始末。
結婚当初、歳久は仕事部屋の物が文字通り何も無くなってしまい、ショックで倒れたほどだ。
ある日
「つづみ!拙者の仕事道具や書類をどこにやった!」
「隣の部屋ですよ」
ガラ!
「どこに何があるか、分からん!」
「ええ、私が片付けましたから」
「と、歳久様」
「どうした?」
「く、倉の武器や鎧が・・・真っ白です」
「○×△?!!」
といった具合に、つづみのクリーン作戦によって歳久の宮之城城は、どの城よりもピカピカに光り輝いた。
ピカピカになれば確かに嬉しいが、彼女の場合度が過ぎているのだ。
しかも仕事部屋の書類や手紙の中には重要な物も多く、勝手に片付けられては困る。歳久は拳を振り上げた事もあったが、つづみのニコニコした顔を見ると怒る気力も失せてしまい、そんな生活がもう何十年も続いていた。
「あ〜、仕事の前にちょっと」
ゴロンと畳に横になる歳久。
服の汚れ一つでも、つづみは見逃さない。それこそ服が縮んでしまうまで汚れを落とすので、歳久は自分自身で服の汚れに注意しなければならない。
だがこの時だけは、歳久も小姓も側近も、思う存分体を伸ばした。
「留守を頼みますよ、久保」
「はい母上。行ってらっしゃいませ」
玄関で礼儀正しく頭を下げる息子を微笑ましく見つめ、実窓院は飯野城を出た。
「いい天気・・・今日は絶好の花見日和ね」
晴天の空を見上げながら、実窓院は自ら馬に乗り、背中に薙刀を付けたまま走り出した。
真面目な実窓院も、どこか間違っている気がする・・・薙刀?
「あの〜、では行って参りますね」
「ああ、楽しんで来い」
「・・・・」
ウジウジと城門の前で輿にも乗らず、夫・義久の前で弁当の包みをいじくる女性・とき。
「あの〜、その〜」
「どうした?」
顔は笑っているが、義久は怒っていた。
「い、一緒に行きません?」
「早く行け!!」
「は、はい!」
慌てて輿に乗り、他の奥方達と約束した花見の場所へ向かう。
「まったくいつまでも子供だな、あいつは」
「父様〜」
義久の足元に駆け寄る真ん丸い可愛い少女。
この少女・亀寿(かめじゅ)は、後に島津義弘の次男・久保の正室となり、久保死後は三男・忠恒の正室となるのである。亀寿には上に二人の姉がいるが、義久が一番可愛がったのがこの三女であった。
「おお、亀寿か。どれどれ抱っこしてやろうな」
今年で四歳の亀寿を軽々と持ち上げ、母親が乗っている輿に手を振らせる。
普段はこういうことは出来ない。すれば何故かときが怒る。
「母様〜〜」
我が子に手を振られながら、ときは輿の中で少し嫉妬していた・・・子供に。
そして姶良城
「せっかく他の奥方様達も来るのですから、ふう様もぜひ行っていただきます」
「でも、今そんな気分じゃないし」
すっかりやつれたふうを見て溜息を漏らす鎌田。
「・・・・・あ、家久様」
「え、どこ!どこ!」
バシ!
庭に顔を向けたふうの首に手刀を当て、抱き抱えて輿に乗せる。
「では頼んだぞ、猿渡」
「おおう!」
「静かに!」
「すまんでござる」
ふうを乗せた輿はゆっくりと、花見の予定場所まで動き出した。
輿には大中小の大きさの物があり、子供や女性、または一人が乗る場合は大体が小か中である。しかし、今ふうが乗っている輿の大きさは大、その理由は・・・。
ユサユサ
「う・・・ん?」
ユサユサ
輿の中で体をさすられ、うっすらと眼を開けるふう。
「あ〜、起きた〜」
「あはは、あったかーい」
意識がはっきりしないふうに飛びつく二人の少女。
二人は島津義久の長女と次女。つまり亀寿姫の姉達である。
長女・竜胆(りんどう)は今年で六歳。次女・美好(みよし)は今年で五歳。
母親や妹と同じで、丸い眼と愛嬌のある顔が特徴の姉妹。
「ねぇ〜遊ぼう〜」
「遊ぼう〜遊ぼう〜」
「あ、何あなた達?」
実はこの提案は樺山久高の考えた案で、今で言うところのチャイルドセラピー。
幼い子供を見れば、大抵の大人は心が和む。
「おばちゃん名前は?」
「ふう・・・ですけど」
「私は竜胆〜」
「私は美好〜」
「え?竜胆、美好?義久様のご息女の?」
「もう直ぐ着くよ、お花見、お花見」
「とっても綺麗だよ」
女性三人が乗った輿を担いで多少汗をかきながらも、猿渡信光は嬉しかった。
久しぶりに、ふうの笑い声が聞えてきたからだ。
お花見場所
とき、つづみ、ふうが輿で来る中、実窓院は一人、馬にまたがりながら参上した。そこへ・・・。
「やあやあ、皆様方。わしの名は樺山久高と申すものじゃ。今日は皆様方の為に、種子島から様々な花を調達してきました。存分にお花見を楽しんでくだされ」
十七歳とは思えない老人のような口調と声の久高に多少驚きながら、奥方達は一本の山桜の下にゴザを敷き、茶やお菓子を相手に振舞った。
猿渡は竜胆と美好にせがまれ、背中に乗せて走り回っている。
「ふうさんは大変ですね、家久殿が遠い京へ行かれて」
「いえ、別に大丈夫だと分かってはいますが、何分心配性で」
「私も心配です。歳久様達が今頃、家を汚していると思うと・・・そう言えば宰相殿はまた和子(子供のこと)が出来たとか、おめでとうございます」
「つづみさん、宰相殿とは呼ばないで下さいといつも言っているのに」
「何を言います、宰相とは天子を補佐して政(まつりごと)を行なう者のこと。何も恥ずかしがることではありません!」
なぜかときが反論した。
「ときさんまで、私は別に何も」
「まぁ、家中に轟く猛将を見事に操っているではありませんか」
もちろん島津義弘の事である。
「そんな、操っているなんて」
「ふふ、知っていますよ。義弘様は常に陣中においても貴方に手紙を書いているそうではありませんか」
この話は有名で、義弘は後の朝鮮出兵でも実窓院に手紙を書いている。
逸話によると、遠い朝鮮において義弘は実窓院の事を思い、挙句の果てに彼女が夢の中に出てきたという。
ボ!と顔を真っ赤にする実窓院。
「家久様は戦場に行っても一通も手紙を寄越してくれません・・・」
ピシリ!
その場の空気が一瞬で凍る。
ふうはこの暖かな世界にいても、心は京へ旅立った夫や息子に向けられていた。
こういう時、無駄に気合を入れるのがときである。
精神年齢が幼いときは、人一倍背伸びをしたがる。つまり、立場上この中で一番格が上な自分がしっかりとふうを慰め、自分を大きく見せたいのだ。
「ふうさん!家久殿はいつも貴方を思っていますよ」
「え?」
「私は、義久様と家久殿が話をしている時、家久殿が貴方の事を自慢しているのを聞きましたもの」
「まあ」
ポッポッと顔を赤くするふう。もちろん嘘ではあるが。
それからはときの独壇場(どくだんじょう)、次から次へと家久のふうに対する思いを自分なりに考えて伝えていく。
だが。
「家久様はそんなに私の事を・・・・会いたい」
「「「え?」」」
「会いたい、う、う・・・会いたいです」
結局泣き出してしまうふうを見て、今度はときが実窓院とつづみに泣きつく。
「私じゃ、私じゃやっぱり何やっても駄目なんだ〜」
「まあまあ」
「困りましたね〜」
そんな困っている三人に救いの手が。
「あれ〜、母様もおばちゃんも泣いているよ」
「駄目だよ、駄目だよ!泣いちゃ、だーめ、だよ」
遂に力尽きた猿渡を見捨て、竜胆と美好がときとふうに抱きつく。
幼子に抱きつかれ、ときもふうも笑顔を取り戻し、その場は何とか和んだ。
一方の実窓院は正座が苦手らしく、足を投げ出す格好になってくつろぎ、つづみは皆が食べた弁当や茶のお椀を片付けている。
静かな空と色鮮やかな木々。
その中にいる者達は、乱世に咲いて生き続ける美しい花達。
それからしばらくして、花見は終わった。
ときは娘達と、実窓院は馬に乗って、ふうはどこか安心したような顔で帰っていった。
だが、つづみだけはなかなか帰りたがらなかった。
「どうしたのじゃ?つづみ殿」
久高が座って花を見つめ続けるつづみに聞いた。
「ええちょっと・・・もうしばらくここにいようかなと、思いまして」
「それはまた、どうして?」
「帰ったら、重労働が待っている気がするので」
「?」
花を見つめ続けるつづみに、久高は何か容易ならない気迫を感じたのであった。
第三十章 完
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