戦国島津伝




 第三十一章 『家久旅道中〜入京〜』

 天正三年(1575年)

 薩摩を旅立った島津家久、北郷時久、法庵、東郷重位、そして家久の息子・又七郎。彼らは険しい山々を越え、紀伊国と大和国を通り、ようやく京がある山城国に入った。

 まず一行が驚いたのは、山城国には関所がなかったこと、至る所に店があって商業が賑わっていたこと、以外に治安が良かったことだ。

 信長が行った政策。

 関所の廃止による経済と流通の活性化。楽市・楽座による商業発展。家臣を城下に住まわせての常備軍編成と治安維持。

 どれも当時としては革命的な政策であり、各勢力から皮肉った目で見られる要因でもあった。





 京に入った一行は、都の美しさ、優雅さ、何よりも人々の笑顔に圧倒された。

 「ここが京・・・戦乱で腐敗したと聞いていたが、何と美しい」

 「ふん!どいつもこいつもヘラヘラしやがって、胸糞悪いわ」

 「北郷殿、少しは声を抑えていただきたい。人目につく」

 「か、か、か、少し見ないうちに京も変わったの〜」

 「父上、早く用を済ませましょう」

 又七郎にうながされ、家久一行は京の石清水八幡宮に参拝した。

 「石清水の次は、どこへ?」

 「ん?う〜ん、そうだな〜」

 「ここはやはり、伏見稲荷大社でお稲荷様に挨拶だな!」

 「では、わしと又七郎様は近くの神社で巫女をナンパ・・・もとい宿を探してまいりますぞ」

 又七郎と法庵は子供と老人、京を巡る散策に早くも疲れてしまっていた。

 「では行こう、北郷殿、東郷」

 「はっ!」

 「了解」





 石清水に続いて伏見稲荷大社、二条御所への参拝の帰り道、北郷時久と東郷重位は買い物に行かされた。

 辺りはすっかり日が暮れている。

 「あ〜あ、何でお前と買い物なんか」

 「・・・・」

 北郷時久は旅の中、東郷と不仲になっていた。生真面目(きまじめ)な東郷は雑な振る舞いが目立つ北郷と度々衝突、気が強い北郷も先年の薩摩人斬り事件をネタに東郷をいじめるため、不仲というより険悪に近い関係である。

 「楽市楽座・・・誰でも自由に商売ができる、か」

 「なかなか画期的だが、これでは今まで商売の特権を持っていた商人に不満が出てしまう」

 「あ?何だって?」

 「・・・別にそれがしの独り言だ」

 「けっ」

 そんな険悪ムード全開の二人の前に、突然角から人が飛び出してきた。

 ドン!

 「うわ!」

 男は勢い良く北郷にぶつかった。

 「おいおい、何やってんだよ」

 起こそうと手を伸ばした北郷の手を払い、男はまた駆け出したが、途中で今度は見事に転んだ。

 「アイタ!」

 と、そこへ。

 「コラァァ!六吉!どこへ行く」

 男が飛び出した角から今度は複数の男達が出てきた。

 「ひーー!勘弁してくれ」

 「六吉、往生際(おうじょうぎわ)が悪いぞ!」

 「貴様それでも男か!」

 男達は六吉(むきち)という男を押さえつけ、連れて行こうとする。

 だが彼があまりにも暴れる為、見かねた東郷が男達の間に入った。

 「落ち着け」





 「何だよてめぇは、引っ込んでろ!」

 「その男は嫌がっているじゃないか」

 「あんたらには関係ないだろ!」

 「ああその通りだ。行くぞ、東郷」

 しかし東郷は動かない。六吉の脅えきった顔を見ているとほっとけない気持ちになったのだ。

 「これも何かの縁。」

 「はあ?」

 「話は聞かせてもらうぞ」

 「「「・・・・・」」」

 聞けば、六吉は織田軍に所属する新米の足軽で、男達はその仲間らしい。

 彼らは当時全ての大名の兵がそうであるように、普通の農民兵である。

 織田信長による兵農分離で城下の足軽長屋に住んだ彼らだが、小心者で臆病な六吉は近いうちに戦があると噂を聞き、逃げ出したという訳。

 「嫌だ、嫌だ!戦になんか行かない!」

 「俺達が戦に出なきゃ、家族に飯が食わせられねぇだろ」

 「死んだら何にもなんねぇよ!」

 幼い頃から戦いの美学を教えられた武士とは違い、本当の最前線で戦う兵達は普通の農民、戦の前に逃げ出す事も珍しくない。

 「ふむ、死にたくないか。ならば死なぬようにすればよい」

 「「え?」」

 突然の東郷の言葉に驚く一同。

 「強くなる事だ。戦場では強者が生き残り、弱者が死ぬ。当たり前のことだ」

 「バカにするな!俺達だって鍛えている!」

 その言葉に、話を聞いていた北郷が大声で笑い出した。

 「カーハハハ、そんなひ弱な体で鍛えているだと?俺が敵なら、まずお前達を狙うぞ」

 「ぐく・・・」

 「な、なあ、あんたらお侍だろ?・・・頼む!俺を鍛えてくれ!死ぬのは嫌だ!」

 「断る」

 少々考える東郷とは違い、即座に返答する北郷。

 「な、何で!」

 「俺達はお前らに付き合うほど暇じゃねぇんだよ」

 「ちょ、ちょっと待ちなよ、そりゃないぜ。ここまで話を聞いておきながら」

 「あのな〜、はっきり言うが、いくら強くなっても死ぬときは死ぬ、それが戦だ」

 「で、でも」

 「おい六吉!もういいだろ、帰るぞ」

 「ひ、待ってくれ、実家に帰らせてくれ!」

 「お前が逃げたら、俺達が叱られて罰を受けるんだよ」

 ギャアギャアと騒ぎたてながら、六吉は仲間達に引きずられて行った。





 「・・・・・少々可哀想でしたな」

 「はっ?あんな農民の事なんか放っておけ、さっさと買い物済まして帰るぞ」

 「・・・そうですな」

 東郷は先ほど六吉達が来た方向を見ながら、静かに去って行った。





 翌日

 島津家久は織田家に仕える一人の男の屋敷を訪ねていた。

 屋敷の主人は細川藤孝(ほそかわふじたか)。幼い頃から文学に非凡な才能を見せ、和歌を始め茶道や剣道にも精通した当代一の大教養人として、薩摩にも名を知られている。

 そんな大物の屋敷を訪ね、家久は心の動揺が抑え切れなかった。

 やがて・・・。

 ガラ!

 「お初にお目にかかる、わしが細川藤孝じゃ」

 襖を開けて入った男は深々と頭を下げ、優しそうな笑みを家久に向けた。

 四十一歳の藤孝は、多少頭に白い毛があるものの、まだまだ顔や体は活力がみなぎっているようだ。

 「こ、こちらこそ初めまして!私の名は島津家久といいます」

 「まあそんな硬くならずに」

 「はぁ、どうも」

 互いに挨拶を済まし、茶を飲みあう。

 「島津殿は、故郷は薩摩でしたな」

 「ええ、我が家は代々薩摩、大隈、日向の守護職を務めております」

 「知っておりますぞ。島津家といえば鎌倉時代から続く名門、その勇猛さはこの京にも響いております」

 「いや〜細川殿こそ、文武に通じた武人と評判ではないですか」

 「いやいやわしなど、織田家の一家臣に過ぎぬ」

 「あなたの主君・・・確か織田信長殿でしたな。あなたの前の主君、足利義昭公を追放した」

 1573年(大正一年)、室町幕府第十五代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)は織田信長によって京から追放されていた。

 理由は多くあるが、日頃から信長と不和を生じていた義昭は京で挙兵し、わずか一日で敗北。

 京を追われた義昭は河内(今の大阪の東部)に追放され、事実上室町幕府は滅亡した。静かな、そして哀れな最後であった。

 「義昭様は、追放されても仕方がなかった。信長様の力で征夷大将軍となったのに、あろう事か武田を始め諸大名に信長様追討の密書を送っていたのだから」

 「・・・・」

 家久には細川の心中が分かった。

 世の中の善悪など本当の所は分からない。

 だが、信長の義昭追放は仕方がなかった、悪いのは義昭。

 全国の人々がそう思えば、信長の立場は悪い方には転ばない。

 前の主君がどうあれ、今の細川殿の主君は信長。家臣として主君の風評は良いものにしたいのだ。

 「なるほど、義昭公はそんな事を。しかし武田が織田家の敵となると、厄介では」

 「武田は信玄公あってのお家。信玄公亡き後の武田など・・・」

 「な、何と!武田信玄は死んだのですか?」

 「おや、ご存じなかったのか。信玄公は二年前(1573年)に陣中で没したのですぞ」

 「はぁ〜、あの武田信玄が」

 島津家でも武田や上杉の武勇は聞いていた。特に武田信玄と上杉謙信が戦った『川中島の合戦』は、全国の武士の語り草である。

 「では上杉謙信は?」

 「謙信公はまだご存命と聞いておる」

 「なるほど、では信玄が死んだ後の武田家は上杉家に潰されますな」

 「いや、謙信公にそんな領土的野心はない。あの武人は自分の土地を守れればそれで良いのだ。その証拠に謙信公は信玄公の息子、勝頼と敵対行動をとってはいない」

 「そうなのですか?いやお恥ずかしい。なにぶん薩摩にいては全国の情勢はなかなか入ってはこないもので」

 「気になさるな、情勢など常に変わる。全てを把握している者などおらんよ」

 それから家久と細川は時が過ぎるのを忘れ、お互い心行くまで語り合った。

 家久は細川が今まで書いた本が大変勉強になった事を話し、細川は本土最南端に位置する島津家の四男坊が以外に教養深い事に感心した。

 「は、は、は。今日は本当に楽しかった」

 「私も今日は勉強になりました」

 剣術は塚原ト伝(つかはらぼくでん)に、和歌は三条西実隆に習った男・細川藤孝は後に幽斎(ゆうさい)と名乗り、中世歌道の最高権威『古今伝授』を授けられるに至る。

 余談だが、島津家重臣・新納忠元も彼の教えを請うことになる。

 まだまだ先の話ではあるが・・・。





 屋敷を出た家久は、一人の人物が石段を登って来るのを見た。

 「あなたも細川殿に御用の方ですか?」

 男は家久に気付くと軽く頭を下げたが、手に持っていた荷物を落してしまった。

 「あ・・・」

 慌てて拾おうと手を伸ばすが、今度は足を滑らせて石段に尻を打つ。

 「アタタタ」

 「だ、大丈夫ですか?」

 「う〜ん、面目ない。まあいつもの事だから」

 (いつもなのか・・・)

 「ご紹介が遅れましたね、私の名は明智光秀」

 再び頭を下げる男・明智光秀。その名は家久も知っていた、京に入る前に長寿院盛淳が調べてきてくれた織田家家臣団のリストの中にその名があったのだ。

 よく見れば背は高く、眉毛はキリリと引き締まって、なかなかの男前である。

 「私は島津家久」

 「おお!島津殿か、その武勇はこの京でも耳にしますよ」

 「はは、恐れ入ります」

 「わざわざ京に来たという事は、参拝ですか?」

 「ええ、殿からの命令で」

 「殿・・・島津義久公の事ですな。名君として評判ですよ」

 「いや〜」

 自分の兄の事を名君と呼ばれ、悪い気はしない。

 「それからその弟の島津義弘殿。武勇は家中随一の猛将だとか」

 「いや〜、は、は、は」

 「さらにその弟の島津歳久殿。誠実勤勉で領主としても人間としても立派な人物だとか」

 「いやいや」

 「さらにさらに末弟の島津家久殿。つまりあなたは、戦術家として非凡な才能をお持ちだとか」

 「は、は、は」

 「まこと、島津家四兄弟の皆様は才能に恵まれている」

 「そういう明智殿も、織田家では重用されていると聞きましたよ」

 「この明智が信長に?いや〜ないない」

 手を振って否定する明智。顔は笑っているが、どこか悲しそうな感じがしたので、家久はそれ以上の追求を止めた。

 「あ!いかん、いかん、細川と約束があったのだ、それではこれで」

 そう言って石段を駆け登る明智だったが、途中で立ち止まると家久に向かって両手を振った。

 「家久殿〜、また会おう〜」

 細川藤孝の屋敷に入っていく明智を見送った後、家久は厳しい顔になった。

 「恐ろしい男だ、我が家の事をあそこまで調べるとは。明智光秀・・・あなどれぬ」

 後に島津家久は再びその名を聞くことになる、衝撃的な事件と共に・・・。



 第三十一章 完


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