戦国島津伝
第三十六章 『三国統一!そして新たな戦いへ』
長篠の合戦から二年後の大正五年(1577年)
薩摩・大隈の二国(州ともいう)を併呑した島津家に残された最後の課題。
それは日向国の攻略である。
薩摩・大隈・日向の三国の統一は、義久の祖父・島津日新斎(忠良)から続く島津家の大願。
既に大隈の肝付は降し、後は・・・日向の伊東!
天正五年(1577年)
島津義久は大軍をもって日向の伊東家当主・伊東義祐が立て籠もる佐土原城を取り囲んだ。
佐土原城は今の宮崎郡佐土原町にあった城とされ、伊東家四十八城の一つ。当主・伊東義祐はここと伊東祐安が居た三山城を自分の本拠地としていた。
伊東義祐は伊東家を支えた武将・伊東祐安が『木崎原の合戦』で義弘に敗れ戦死した後、ずるずると敗退を続け、北日向の豪族・土持氏にも見捨てられた。
祐安が『木崎原の合戦』で出撃した時、義祐はこの佐土原城から打って出て彼に加勢をするべきであったが、生来の優柔不断さがわざわいして義祐は合戦に参加しなかった。
その事が今のこの状況を作り出してしまったと思うと、義祐の後悔は絶えなかった。
佐土原城
「まさか三千で、三百に負けるとはな」
「父上、過ぎた事を後悔しても、何もなりません。ここは一時城を捨て、豊後の大友宗麟(おおともそうりん)殿を頼りましょう」
進言したのは義祐の三男・伊東祐平。
叔父の祐安や父の義祐に変わり、軍を率いて勇敢に戦ったが、力及ばなかった。
「大友・・・か」
大友宗麟が治める大友家は、豊後(大分県)と
豊前(大分県北部・福岡県東部)を中心に、筑前(福岡県北西部)・筑後(福岡県南部)・肥前(佐賀県と長崎県の一部)・肥後(熊本県)の六ヵ国に勢力を伸ばす九州の大国である。
「大友はキリシタンであるぞ」
この時代、キリスト教を認めている大名は少なく、認めたとしても多くの仏教勢力や大名に睨まれる恐れがあった。仏教を尊ぶ伊東家も、熱心なキリシタン大名である大友家の助けを借りるには抵抗がある。
だが、伊東祐平は譲らない。
「大友が我々を助ければ、奴らはこの日向を手に入れる大義名分を得られます」
永年日向を治めた伊東家を保護すれば、伊東の所領回復と称して大友は日向を攻められる。
「北日向の土持が我らを見捨てておるのだぞ」
「表面はまだ我々の味方です。奴らとて、寝返っていきなり主家を攻撃すれば、人々の非難を受けましょう」
「この包囲網を突破できるのか?」
「この佐土原城は、百年も前に建てられた古城なれど、城内至る所に我が一族しか知らぬ秘密の道がございます。この祐平にお任せあれ」
「・・・・」
家督を譲られた伊東氏第十一代当主の力強い言葉に、義祐はようやく重い腰を上げた。
島津軍・本陣
「殿、佐土原城を一気に攻め落とすか、このまま囲んで兵糧攻めを続けるか。どうします?」
上井覚兼の言葉に、しばらく思案する義久。
「攻め落とせば、城は半日で落ちる。だが被害も増える。兵糧攻めは敵の根気で城は何日も持つ。だが安全で被害も少ない・・・か」
「そんな兵法の初歩をわざわざ言わなくても、皆分かっていますよ」
島津義久が戦場に出てくるのは珍しい。
自分は戦には向いていないと分かっているので、戦に関しては弟達や家臣に一任しているのだ。
だが、今回の日向攻略は三国統一の最後の詰め。島津家家臣・上井覚兼は、どうしても総大将・義久を出陣させたかった。
理由は簡単。
主君に間近で悲願を達成してほしかったからだ。
「窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)という言葉がございます。追い詰められれば、ネズミも猫を噛むものです。ここは一つ、殿自ら出陣して、伊東家を完膚なきまでに叩くべきです」
「伊東家の日向を手に入れれば、我らの悲願・・・三国の統一が果たせる。失われた守護職の威厳も、取り戻せる」
「それに隼人軍も、戦わせねば体もなまってしまいます」
「うむ、久々に戦に出てみるか」
「その意気ですぞ、殿」
ニヤリとお互い笑い合う。
鋭い眼光と冷徹な判断で家臣団から恐れられる義久と顔が暗く不気味な覚兼。なぜか昔から二人は仲が良い、というか馬が合っていた。
覚兼の言葉なら、義久も全幅の信頼を置いており、二人には奇妙な友情があった。
「よし、早速隼人軍を集めよ、覚兼!」
「ははぁ」
こうして、大隈攻略戦以来の義久出陣がなったのである。
しかも今回は義弘や家久を従軍させてはいない。
義久には自信があった。自分の直属の軍団『隼人軍』は間違いなく家中最強の軍。伊東は今や追い詰められ、軍備力はボロボロ。自分と参謀の覚兼だけでも十分に勝てる。己の力と兵だけで、戦に勝つ。これは義久のささやかな願いだった。
人には得手不得手、適材適所という言葉がある。
自分は弟達のように戦の才能はない、自分は内政向きの人間だ。
だが、祖父も父も弟の義弘も、戦場を鬼神の如く動き回り、人々から褒め称えられた。
四十代も半ばの自分の歳では、もうそろそろ戦場に出て指揮をする事も出来なくなるかもしれない。
それまでに、戦上手の弟や家臣の手を借りず、自分の力だけで・・・。
佐土原城
伊東祐平と手勢に守られ、伊東義祐は深夜の佐土原城の裏手に回った。
「正面の門は私の部下が全力で守っておりますのでご心配なく。父上は、裏手から森に入り、事前に調べた豊後への最短ルートを通ってください」
「お前は、どうするのだ?」
もはや義祐は疲れ果てていた。合戦による家臣の戦死、農民による一揆。たとえ生き残っても、かつてのような生活は出来ないだろうと思われた。
「ご心配なく。私もすぐに参ります」
「死ぬなよ、祐平。死んでくれるなよ」
「は!生きて、再び父上と会います」
そう言うと、祐平は城の中に戻って行った。
佐土原城を島津軍が包囲して一週間。
総大将・島津義久は、隼人軍の各隊長に命令し、一気に城攻めを開始した。前にも述べたが、敵の城を攻め取るには城側の三倍の数の兵力が必要だという。
佐土原城の伊東軍は約千五百人。
島津義久の隼人軍攻囲部隊は五千人。
この場合、三倍以上の兵がある島津軍は有利だという事になる。
「敵は籠城戦に疲れ、兵糧が不足している。今こそ攻めよ!」
攻囲部隊は正面の門に兵力を集中させ、一気に進軍した。
苦もなく門前にたどり着いた隼人軍だったが、門は異常に堅く、なかなか破壊できない。
「何をしている。早く破壊せよ!」
思わず覚兼は椅子から立ち上がり、前線の隊長を叱咤する。
と、その時。
おびただしい弓と鉄砲が門の上と城壁から放たれた。
数こそ多くはないが、全員死に物狂いに攻撃を仕掛けてくる。
「覚兼!」
「ご心配いりません。これこそ敵の最後の抵抗。全力で佐土原城を抜きます」
義久がいる後方の総大将本陣から増援が佐土原城に向かう。
だが、伊東軍の抵抗も激しく、勇猛な隼人軍が遂に押し返された。
「・・・・・」
「殿、辛抱です。この戦、決着はついております」
イライラと足を揺する義久。やはり自分が前線に出るしかないのでは・・・。
覚兼にはそんな義久の心中が読めた。
いくら外交や内政に非凡な才能を持っていても、義久も島津家の人間。
心が闘争を欲しているのだ。
「大将が前線に出るのは危険です。私は前々から思っておりました。義弘様や家久様のような方々の戦いは勇敢ではありますが、愚かなやり方です。大将たるもの、後ろで堂々と構えてこそ戦局を確実に読み、戦を有利に進められるのです」
今にも本陣から飛び出しそうな義久を覚兼が抑える。
義久は椅子に座り直し、素早く軍をまとめて再攻撃を命じた。
やがて、佐土原城の城門はついに破壊された。
その瞬間、城内に火の手が上がる。
「ぬぅ〜、これは」
「恐らく、伊東が放った火でしょう。日向の大名としては、見事な最期ですな」
覚兼は冷静に分析し、この炎を伊東一族が自害する為に放ったものと確信した。身分やプライドが高い武将は、自害した後の自分の首を敵にさらされないために、部下に介錯させるか、周囲に火を放って全て燃やすのだ。
※介錯(かいしゃく)・切腹する人に付き添って首を斬り落とすこと。またはその役の人。
恐らく、万策尽きた伊東義祐は最後の抵抗を見せた後、部下に命じて城に火を放ち自害した。それが覚兼の出した結論だった。
紅蓮の炎に包まれる佐土原城。
その城を、離れた所から見る一人の男。
「島津に渡す城などない。全て燃えてしまえ」
その男・伊東祐平は、父親が隠居していた城をしばらく見つめた後、数人の部下と山を駆け下りた。
この後、祐平は名前を祐兵(すけたか)と改め、慶長五年(1600年)まで生き延び、飫肥藩初代藩主となる。
島津義久は戦後の後処理を覚兼と部下に命じ、隼人軍と共に薩摩に帰還した。敵の抵抗は確かに隼人軍に損害を与えたが、それも微々たるもの。結果だけ見れば、義久の圧勝で日向攻略戦は終わった。北日向の土持氏も降伏した為、島津はついに薩摩・大隈・日向の三国(三州)を統一し、念願の三国守護の役職を回復。義久の祖父・島津日新斎(忠良)から数えれば、約五十年あまりの戦いである。幕府は既に滅びているが、三国の統一は島津にとって失われた栄光と威光を取り戻す、まさに聖戦であった。
「やりましたぞ。父上、日新斎様」
馬上の上から義久は空を見上げた。本当は今すぐ馬を走らせて全身で喜びを表現したい。歳の事など忘れて、子供のようにはしゃぎたい。
それでも、義久は鉄仮面のような表情を崩さなかった。
その頃、部下と一緒に焼けた佐土原城を調査していた上井覚兼は、思った以上に兵士の死体が少ない事に疑問を感じた。
「少ない、少なすぎる」
「覚兼様。城内を調べましたところ、自害したような者の遺体は一人も発見出来ません」
佐土原城は確かに燃えたが、城の全てを燃やし尽くすほどの炎ではなかった。だから遺体も焼けてはいるが、焼失するほどではない。
自害して介錯された首のない遺体があれば、一目で分かる。
「介錯人がいなかったと考えると・・・腹に刀を刺した遺体はなかったのか?」
「ありません」
「ということは、まさか」
覚兼はすぐに長寿院盛淳とその配下に命じて、日向から豊後へのルートを調べさせた。その結果。
「敵は豊後への逃走を図った模様です!豊後に向かう馬の足跡を見つけました!」
「ちっ」
不覚!
覚兼は暗い表情を更に暗くさせて、地べたを睨んだ。
結論を早く出すべきではなかった。主君の義久に何と報告すればよい。伊東家当主の伊東祐平も、その父親の伊東義祐も、死んだと思ったのに。まさか大友家の領内に逃げたとは。
「ああ、次は大友か・・・」
覚兼には次の展開が読めた。三国統一をやっと成し遂げたのに、次は豊後の大友。
「まったく、休ませてはくれないお家だな」
それは主家の島津家の事なのか、伊東家か大友家か・・・。
島津家の新たな戦いが始まった。
第三十六章 完
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