戦国島津伝




 第三十九章 『亀裂』

 大友家との戦争が始まって約三ヶ月後の七月。

 この三ヶ月の間に、最前線で戦っていた島津義弘は後退してした。原因は大友軍二万の先発隊の大将・田原親賢が一気に進軍。義弘はすぐに後方の島津家久が守る至財部城に退いて軍議を開いたが、この時問題が起こった。義弘と家久の意見が分かれて、二人が喧嘩したのだ。

 義弘は城から打って出て戦う事を提案。これに対して家久は、至財部城に籠城して敵の侵攻を防ぐ事を提案した。お互い一歩も譲らぬ軍議の結果、家久が物資を後方の松尾城に輸送し、全軍を強制的に後退させると、憤怒した義弘は手勢を率いて北日向の山奥に入り、独力でゲリラ戦を展開する事態になった。





 この件に関して、内城の島津義久は

 「もともと戦の事はあの二人に任せてある。前線の総大将はあの二人なのだ」

 と言って弟達を責めなかった。





 悪いニュースばかりでもなかった。

 同盟関係の相良氏に援軍を求めるため、大友宗麟が肥後に送った者達が相良義陽と合流しなかったのだ。上井覚兼の裏工作が成功したのもあるが、肥後に送られた彼らは、大友内部でも今回の日向攻めに反対した諸将だったそうだ。

 また、長寿院盛淳も敵軍の全容をかなり掴む事に成功していた。まず、先発隊二万を率いる田原親賢は真面目で慎重。小城一つ落とすにもかなりの準備をよういて行動に出る。彼が大将である限り、日向国が短期間で奪われる危険性は少ないだろう。そして、先発隊には他に佐伯惟教(さいきこれのり)と志賀親守(しがちかもり)。およそ武将には相応しくない器であるらしく、口は達者だが体は動かない。この者達と戦うことに危険は無いだろう。

 注意すべきは田北鎮周(たきたしげかね)、蒲池鑑盛(かまちあきもり)。田北鎮周は短気で気が短く、島津義弘の二千を後退させたのは事実上この男だ。なかなか義弘を恐れて攻撃しない田原達にしびれを切らし、四千の手勢で襲い掛かった。単に『力』という点では、軽視できない武将の一人だが、言いかえれば扱い易い敵将ではある。蒲池鑑盛は冷静で勇敢。将兵からも慕われている将軍で、彼が大友先発隊の二万を率いていたら、島津家は恐らく手の出しようが無かったかもしれない。だが蒲池は、大将の田原からは毛嫌いされ、軍の後ろに配置されているという情報もある。本当の所は分からないが、島津にとってはありがたいことだ。





 義久は内城にいながら、最前線で戦う義弘や家久を思った。

 彼らに与えた任務は一つ「戦を長引かせ、決戦に持ち込め」である。

 大軍相手に、そう何度も激突は出来ない。一撃で決めなければ、逆にこちらが飲み込まれる。義弘は、家久は、一体どこで勝負に出るか・・・。





 松尾城

 義久が定めた第一防衛ラインがここだ。この城とあと二つの城を抜かれれば、佐土原城は敵の手に落ちる。島津家久は早速軍議を開いた。

 「ここを抜かれれば、後は物資のとぼしい小城があるだけ。敵の侵攻はたやすくなる」

 家久は居並ぶ諸将に、ゆっくりと正確に今の状況を説明した。

 「家久様。つまりは、我々はこの城を死守するという事ですな」

 「・・・・」

 平田光宗の言葉に沈黙する家久。そして。

 「違う」

 「はっ?」

 「籠城はしない。打って出て、出来る限り時間を稼ぎ、負けたら城は捨てる」

 平田光宗・梅北国兼・東郷重位・北郷時久など、全員が虚を突かれた。

 「どういうことですか!この城を放棄するとは!」

 真っ先に怒鳴ったのは北郷時久だ。

 「籠城すれば、敵に包囲される。包囲されれば、我らが得意とする野戦に持ち込めない。それにこの城は、籠もるには不向きな城だ」

 「ではなぜ、至財部城の時は籠城しようと言ったのです!」

 「あの時は、籠城策の方が得策と思ったからだ。ここまで来たら、敵をじわじわとこちら側に誘い出す」

 「じゃあここを捨てて、どこで決着をつけるお考えで?」

 「機を見る、としか、今はいえない」

 「機を見る前に、日向を取られちまいますよ!」

 「静まれ北郷殿。この城の大将は家久様だぞ」

 「ちっ」

 伊集院久春が北郷を止める。このままでは、北郷も義弘と同じく、勝手に自分で飛び出していってしまうだろう。

 「平田、後方の堅志田城にいる猿渡と鎌田に伝令を出せ。城と周囲を堅固にしておけと」

 「承知」

 平田を始め、多くの家臣が不満そうな顔をしている。みんな、家久の軍略を信用していないわけではない。

 ただ、まともなぶつかり合いもなしに敵に侵略されている事が、腹立たしいのだ。

 家久は何も言わなかった。戦の勝敗は、一瞬で決まることがある。

 たった一度の勝利が、戦争全体の勝利に繋がることもある。逆に、たった一度の敗北が、お家の滅亡に繋がることもある。





 その夜、家久は陣を出た。

 一人で夜空を眺める家久。敵の総勢は四万、そのうち二万が直接進軍してくる。

 それをどこで破るか。どうやって破るか。

 家久はふところを探った。ふところには、手紙があった。手紙は兄の義久宛て、内容は義久自身の出陣を要請するものだった。

 総大将の義久が出陣すれば、将兵の士気は上がり、一時的でも戦はこちらに有利に傾くはずだ。だが、家久はその手紙を出すタイミングを計りかねていた。





 こちらは島津義弘。

 北日向でゲリラ活動を行っていた義弘だが、大軍相手にいくら攻撃しても、わずか数百人の兵では焼け石に水。

 「陸の上はやはり苦手じゃのう〜」

 疲れ果てて木陰で休む義弘の横では、家臣の樺山久高がぼやいていた。

 「お前は海の方が好きなのか?」

 「当然ですとも義弘様。海は良い。心も体も癒される」

 「そんなものか」

 義弘は壊れた自分の槍を見た。

 「それで義弘様。これからどうするおつもりで?」

 樺山も、同じように壊れた自分の刀を見せた。

 「・・・真幸院に戻る」

 真幸院は、義弘の居城である飯野城がある日向・大隈・薩摩の調度中間にある日向西南部の土地名である。

 「ほう、戻られますか。義弘様」

 すると何かの影が横切った。義弘が顔を上げると、そこには伊集院忠棟(いじゅういんただむね)がいた。彼は島津家筆頭家老、伊集院忠倉の息子。真面目で実直なところは父親にそっくりだった。

 「忠棟か、調度良かった。兵を集めろ。一旦戦線を離脱する」

 「承知しました」

 「やれやれ。ようやく帰れるわい」

 まだ若い樺山だが、動作も口調も老人そのものだ。





 二人がテキパキと兵を集める中、義弘は家久の事を考えていた。

 (お前のやり方は間違ってはいない。だが、実戦は頭ではないのだ)

 義弘は家久と喧嘩した時の事を思い出した。あの時、義弘は城から打って出ると主張し、家久は籠城すると言い張った。お互い譲らず、結局家久が物資を松尾城に運んだため、将兵は後退せざるをえなかった。

 末弟の行動に義弘は激怒した。正直、今でも怒っている。

 (いつからお前は、あんなに頑固になったのだ!)

 なぜ軍勢を集結させ、一気に平野で勝負に出ないのか。確かに兵数では負けるが、島津軍の精鋭部隊なら、死中に活を求める事もできるはず。

 「義弘様。下山の準備が整いました」

 伊集院忠棟が報告した。やがて義弘は愛馬にまたがり、将兵に号令した。

 「我々はこれより、山を下りて島津領に帰還する。真幸院まで戻ったら、再度出陣の準備をする。行くぞ!」

 兵達の合図の掛け声を背中に聞きながら、島津義弘は馬を走らせた。



 第三十九章 完


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