戦国島津伝




 第四十章 『反撃』

 大友軍と島津軍との戦いは、本格的な衝突がないまま時が過ぎていた。

 そんな中、ある噂が島津家に入った。敵総大将・大友宗麟が、占領した北日向一帯に宣教師をいれ、南蛮の教会や施設を建立しているというのだ。

 「宗麟は日向をキリシタンの国にするつもりか?」

 「恐らく」

 島津義久と歳久は、内城で前線への物資補給や兵力動員に心血を注いでいた。

 「まあ、宗麟が訳の分からない布教活動に専念してくれているおかげで、相変わらず敵軍の動きは遅いのでござるが」

 「だが、その動きの遅い敵軍に対して我らは何もしていないのも確かだ」

 「騎兵を率いて山に籠もった兄上は行方不明。今、前線の大将は家久ただ一人。あいつはどこで勝負に出るか」

 「もしかしたら家久は、佐土原城まで後退する気なのかもしれん」

 「何ですと!」

 「佐土原城は日向最大の城。そこに籠城すれば、いくら敵が大軍でも数ヶ月は持ちこたえられるはず。家久はそこを狙っているのでは」

 「だが、もし負ければ」

 「家久はこの戦争でもし負ければ、自害するであろうな」

 「・・・・」

 「でなければ、簡単に多くの城を敵に渡したりはせん」

 最初から玉砕覚悟で敵に挑んでいる。家久は死ぬ気だ。兄である義久には、その事が良く分かった。

 「ここは信じるしかないな、歳久。弟を」

 「・・・はい」





 松尾城

 「報告!敵軍の一部が動き出しました!」

 伊集院久春の緊急報告に眼を覚ました家久は、慌てて武具を身に着けた。

 「弓兵を柵の内側に配置し、進軍を防げ!各将はそれぞれの持ち場に待機しろ!」

 今までも少数の小競り合いはあったが、今回はどうも違う。突発的だが、勢いがある。強硬派の武将が痺れを切らしたのだろう。

 「北郷は後方の堅志田城に行き、全軍の収容準備を進めておけ」

 「了解!」

 北郷隊が城を出た後、家久は前線を見た。向かってくる敵兵に対して、島津軍の弓兵が次々と矢を射掛けている。

 「平田隊が押し込まれました。また、突撃した味方に遅れじと、敵軍全体が続々と押し寄せてきます」

 (もはやここまでだな)

 家久は城を捨てる決意をした。

 「全軍に通達!敵を迎撃しつつ、堅志田城に退け!!」

 「はっ」

 伝令兵が去っていった直後、家久の耳にとんでもない報告が入った。

 「堅志田城の鎌田政年様から伝令!堅志田城は海を渡ってきた敵の別働隊に攻撃を受けている。城内部からの裏切りも起こり、長くは持たないとの事です」

 「何!!」

 堅志田城が攻撃を受けた。そんな事があり得るのか。だが、考えている暇はない。自分がなすべき事は一つ。

 「全軍総退却!手勢を率いてバラバラに逃げろ。落ち合う場所は佐土原城だ!」

 こうして、島津軍は全軍の退却を開始した。

 城下の至るところに罠を仕掛けておいたため、それほど被害を受けずに退却できた事は幸運だった。

 松尾城の島津家久を始め、平田・伊集院・東郷などの主だった武将と、堅志田城にいた鎌田・猿渡の両将および連絡役に発った北郷も無事佐土原城に帰還できた。

 もはや、佐土原を守る支城はただ一つ、山田有信が守る高城のみとなっていた。





 薩摩・内城

 「・・・・」

 島津義久は眼を閉じて松尾・堅志田、二城陥落の報告を聞いた。

 「大兄上」

 島津歳久が心配そうに義久の顔色をうかがう。

 「待て、歳久。まだだ、まだ全てが決したわけではない」

 「ですが家久は、我々がいくら薩摩、大隈で兵を蓄えても、一向に日向から援軍要請を送ってこないではないですか」

 「・・・・」

 「大兄上、出陣しましょう。今なら二万人を動員できます。それに隼人軍も加われば、四万の大友軍でも十分に対抗できます」

 「家久から書状が来れば、出陣する」

 「書状、ですか」

 「わしは、あいつを信じている」

 時は十月、薩摩では雨が降っていた。





 佐土原城

 日向中部に位置する城であり、島津家の日向支配の牙城である。その城の中には、松尾城、堅志田城にいた将軍達が集っていた。だが、大事な軍議の最中だというのに、場の空気はシラケまくっていた。

 「「「・・・・・」」」

 理由はこの佐土原城の城主にして軍団の大将、島津家久にあった。度重なる失態と後退。進軍速度の遅い敵軍に対して防戦一方。ただの一度もまともなぶつかり合いはしていない。兵も将も、不信感と苛立ちが頂点に達していた。

 「家久様。あんた戦う気あるのか?」

 やはり、一番初めに悪態をついたのは北郷時久だった。

 「・・・・」

 「至財部城の時も、松尾城の時も、堅志田城の時も、あんたは積極的に戦おうとはしなかった」

 「控えろ、北郷!」

 「うるせぇ伊集院!本当はお前も不満があるんだろうが!」

 「なんだと!」

 「両名とも落ち着け。今は敵をどう叩くかを考えるのが先だ」

 「平田殿の言うとおりだ。北郷殿、伊集院殿、席につけ」

 平田と鎌田の言葉にしぶしぶ席につく北郷と伊集院。

 「それで家久様。高城の方はいかに?一応、城主の山田殿は徹底抗戦を主張しておりますが」

 再開した軍議で口火を切ったのは鎌田政年。島津家久に永年仕える重臣だ。

 「・・・・」

 「さっきから黙っているのは、策がないからですか?それともここに来て震えが来ましたか?」

 「北郷殿!」

 「聞けば、海を渡って堅志田城を落としたのは角隈石宗という大友家随一の軍師だったそうではないですか」

 角隈石宗(つのくませきそう)とは、大友宗麟に仕える賢者で、今回の戦争には反対の意志を示していた男の一人だ。様々な書物に精通した軍師として、島津家でも知られている。

 「そんな奴が戦線に登場しては、手も足も出せませんか?」

 「おい」

 北郷が隣に座っていた東郷を見ると、剣の柄に手をかけていた。

 「出て行け。お前はこの場に相応しくない」

 「ふん」

 北郷は巨体を上げると、東郷重位を睨みながら部屋を出て行った。そして、北郷が出て行く姿を眼で追いながら、家久は口を開いた。

 「今日はここまでだ」

 唐突な軍議の解散。全員が驚いた。

 「えっ?家久様、お待ちを」

 慌てて伊集院久春が家久の後を追って退出し、他の者は不安と不信を抱きながら、しばらくは皆座っていた。





 佐土原城・深夜

 島津家久は一室で本を読んでいた。それは、幼い頃から読み続けた島津家に伝わる古い兵法書で、家久が多くの合戦で使用した『釣り野伏せ』という戦術も記されている。家久は外に耳を傾けた。外からは家臣達やその家族の声が聞える。本当は、家臣の家族はもっと後方の城に避難させたいが、もはやここを捨ててどこに逃げるというのか。家久が再び本に目線を移すと、ほどなく人の気配がした。

 「父上。寒くはありませんか?」

 長男の島津又七朗。今年で八歳になる。

 「又七郎か?近くに来い」

 いつもの父らしくない口調に、少し怯えながら又七郎が部屋に入って来た。

 「何ですか?」

 「もしも父が死んだら、後の事は頼む」

 「そんな、父上」

 「秋(とき)は来た。私は行かねばならない」

 「どこに、ですか?」

 「・・・・」

 「母上にも言わないのですか?」

 「・・・・」

 それっきり、家久はしゃべらなかった。





 数日後

 高城の山田有信は放った密偵の報告を受けていた。

 「敵の先発隊二万がゆっくりとですが進軍を開始しました」

 「そうか」

 「どうします。佐土原の家久様の下へ援軍要請を出しますか」

 「いや、よい」

 「ですが」

 「俺達はここで出来るだけ敵を引き付ける。家久様もそれを望んでいるはずだ」

 山田有信は城の頂上から平原を見渡した。やがて、城下は敵軍に包囲され、そして城は落ちるだろう。ただその時は、一兵でも多く敵を道連れにする。有信は心の中で覚悟を決めていた。

 「俺達は大友に追い詰められたと思うか?」

 「えっ、いや、それは」

 「追い詰められたのは、奴らの方さ」

 有信は背中の刀を抜き放ち、はるか彼方の平原に剣先を向けた。

 「もう奴らは、日向からは帰れない」

 密偵が不安な表情をしているなか、有信の顔は必勝を確信していた。





 佐土原城

 高城が二万の敵軍に包囲されたと報告が来た。島津家久は全軍を招集し、軍議を開いた。軍議に現れた家久は、今までとは明らかに違っていた。

 「高城は救わねばならない。そこで、私自ら兵を率いて救援に向かう」

 「何!」

 思わず声を上げたのは東郷重位。迷わず反対意見を述べた。

 「家久様は対大友の大将ではありませんか。なりませぬ」

 伊集院久春も同調する。

 「そうですとも。それに、高城はすでに二万の敵兵に包囲されております。救援に向かうのは危険です」

 今度は北郷時久が声を上げた。

 「救援するならするで。もっと早く兵や兵糧を送ればよかったじゃないですか?」

 「お前の言うとおりだ、北郷。だが、それでは困るのだ」

 「困る?」

 「高城が事前に多くの兵と兵糧を蓄えて強固になれば、敵は高城を素通りして一気に佐土原城に襲来する危険性がある。それだけは避けたかった」

 鎌田政年が今度は口を開いた。

 「機が熟した、と言う事ですか?」

 「そうだ。今までの私なら高城も、山田有信も見捨てただろう。恥ずかしいことだが、私は正直、敵とどこで戦うか決めかねていた。しかし、もう迷わん。決着はここでつける」

 「それは分かりましたが、さっきも伊集院が言った通り、高城は既に包囲されて近づくことも危険なのですよ」

 北郷は急に強気になりだした家久に多少圧倒されながらも、現実的な意見を述べた。

 「城はわざと包囲させた。理由は、敵の士気を下げ、逆に味方の士気を上げる奇襲策を成功させたかったからだ」

 「奇襲策?」

 「敵は今までの経験から、恐らくおごっている。まさか他から援軍が来るなど予想してはおるまい。私は兵三千を率いて高城救援に向かうと同時に、敵軍に夜襲を仕掛け、損害を与える」

 「「「・・・・・」」」

 夜襲とは、その名の通り夜に敵に襲い掛かる事だが、成功率は低いく、失敗すれば大損害は逃れられない。逆に成功すれば、敵に大打撃を与えられる可能性がある。

 「私が高城に入ったら、お前達は殿の到着を待て」

 「殿の?」

 「国許(くにもと)にいる殿は、私から書状を受け取ったらすぐに軍勢を出陣させる手はずになっている。私の出番はここまでだ」

 「国許の殿が自らご出陣ですか。それで家久様は?」

 「高城で敵を迎撃する。一ヶ月は持ちこたえてみせる。敵は今まで楽に城を奪取してきたのだ、その心理を突けば翻弄する事も容易い」

 「ですが」

 なおも食い下がる伊集院に、家久は更に言った。

 「それに、ここまで敵を誘い出したのだ。この際、大友宗麟自身にも日向の奥地に来てもらおうではないか」

 「「「!!!」」」

 家久は高城で敵に打撃を与え、敵総大将・大友宗麟も前線に出そうとしている。全員が驚愕し、感心した。

 「やはり、今までの消極的な戦いは全て、反撃に転じるための布石」

 「違うな。全ては私の未熟さゆえだ、平田。お前達にはすまなかったと思っている。本来ならもっと早くに敵を追い払うこともできただろうが、勝機を掴もうと焦るばかりに、その勝機を逃してきてしまった」

 家久の言葉に、東郷が反応する。

 「ですが今、家久様は確かな勝機を掴んでおられるのでしょう?それで良いではありませぬか。家久様は敵軍を日向の奥深くまで侵攻させた。敵の戦線は伸び切り、豊後からの兵糧輸送もままならず、更には大友宗麟まで前線に呼ぼうとは。願いましてはこの東郷重位、ぜひ家久様と共に高城救援部隊にお加えいただきたい」

 「東郷・・・」

 「国許の殿が来るまで、見事に高城を守り抜いて見せます!」

 家久はその言葉に、しっかりと頷いた。





 翌日の深夜

 佐土原城を三千の島津軍が出陣した。高城までは小丸川沿いにそって走ればよく、道に迷うことは無い。やがて辺りが徐々に青くなりかけた頃、島津軍は高城周辺に展開する敵軍をとらえた。

 「間に合ったな」

 島津家久が言うと、隣には東郷重位が馬を並べていた。

 「今までの礼をたっぷりとしてやりましょう」

 「書状は既に殿のもとに送っている。我々は殿が来るまで高城で耐え抜くぞ」

 「はっ。ですがその前に」

 「うむ。・・・目の前の敵を踏み潰す!!」

 家久が軍配を目の前に突き出すと同時に、三千の兵達が雄叫びを上げながら敵軍に突撃した。





 薩摩・内城

 待ちに待った報告が島津義久に届いた。日向方面の大将・島津家久がついに動いたのだ。家久は高城を囲んだ敵軍に三千の兵で突撃し、散々に打ち破った末、無事に城までたどり着いたらしい。だが、その報告だけでは義久は喜ばなかった。客観的に見れば、なぜ家久はわざわざ高城での籠城策をとったのか。奴が高城に行けば、敵を正面から攻撃する大将がいなくなってしまうではないか、と。

 しかし、その心配も、家久自身から届いた書状で消えうせた。家久は絶対の自信を持って高城救援に出向いたのだ。書状には今までの敗北のお詫びと、これからの戦略の全てが書かれていた。『高城で迎え撃つ』と。

 義久はすぐに軍勢を集結させ、日向・佐土原城に向かった。後必要なのは、島津義弘の行方である。日向攻防戦の話し合いで家久に激怒した義弘は、今はどこにいるのか、まったく分からなかった。

 義久が日向に行く間に、何としても行方を知りたかったが、あいにく長寿院盛淳を中心とした間者達は、全て大友軍の中に侵入しているため、義久は自らの兵を使って探すしかなかった。

 (義弘・・・いつまでも怒ってないでさっさと出てこんか!)

 義久の心中は、戦の事よりも兄弟喧嘩のほうに向けられていた。





 高城

 城主・山田有信は正直驚いていた。てっきり島津軍は佐土原城で雌雄を決すると思っていたが、なんと大将の島津家久自身が兵を率いて援軍に来るとは。有信はさっそく問いただした。

 「一体、どういう作戦ですかな、これは?」

 「有信。私は今まで多くの城と領地を大友に渡してきた。だが、もうここまでだ。これ以上は渡せん。それにお前は死ぬ気だっただろう?」

 「ええ、まあ、多分」

 あえてとぼけてみせる有信だが、本当は遺書までしたためていた。

 「高城は佐土原城のすぐ近く、それゆえ敵は高城を無視して進軍する恐れがあった。いくら佐土原城でも、籠城は不利だ。だから、なんとしても佐土原への直接攻撃はさせたくなかった。敵も、三千と五百人がいる高城を無視することはできまい」

 「なるほど、それで三千という大人数で。それで、これからのことは?」

 「殿が今頃、薩摩を出陣している。恐らくすぐに佐土原に到着するだろう。我々はそれまで高城を守り、そして大友宗麟を待つ」

 「宗麟を!?」

 「全ての準備はほぼ完了している。敵軍の命令系統のなさ、日向侵攻に反対した敵将の士気のなさ、長く伸びた戦線。後は前線に大友宗麟が来てくれれば、私の日向での作戦はほぼ成功する」

 「そこまで考えていたとは」

 「宗麟が前線に来て、そして」

 家久が何か言おうとしたとき、高城の城壁の一部が吹き飛んだ。



 第四十章 完


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