戦国島津伝
第四十一章 『耳川を紅く染めて』
十一月
高城に島津家久が籠城して数十日が過ぎ、家久は城下に広がる敵兵と、絶えることの無い砲撃の音を聞いていた。海を渡って別働隊を率いた角隈石宗が豊後から持って来たのは、何も兵だけではない。角隈は『大筒』という大砲を軍団に加え、次から次へと高城に砲撃をしていたのである。この南蛮渡来の新兵器の存在は、籠城する将兵にとって心身ともに脅威だった。
「長寿院」
「はっ」
家久は城の矢倉から城下を見ながら、かたわらの長寿院盛淳を呼んだ。
長寿院は今まで敵軍に潜入していたが、決戦が間近に迫っているため島津側に呼び戻されたのだ。
「あの大砲、何とかならんか。音がうるさくて夜も眠れん」
「まだ敵軍に潜入させている私の手の者に命じて、密かに破壊させます」
「お前は角隈石宗があれを運んで海を渡ってきた時、情報は掴めなかったのか?」
「申し訳ありません。なにぶん角隈は豊後から用心深く進んで来たらしく。別働隊の動きも積荷もまったく」
長寿院が頭を下げる。
「別にお前を責めているわけではない。お前と部下達はよくやってくれている。ただ別働隊とは・・・してやられたな」
付近では山田有信と東郷重位が兵達を励ましていた。
今のところ、北日向に駐屯中の大友宗麟が動く気配は無い。家久としては何としても宗麟を前線におびき出し、島津軍の一斉攻撃をもって敵軍もろとも首を取りたかった。でなければ、ここまで侵略させた意味は無い。
「雨が降るな、長寿院」
空を見上げた家久が唐突に言った。
「はい。どうも雲行きが怪しいですな」
「雨か・・・」
空一面を覆う暗雲。雨はいつ降るのか、今日か明日か。
日向・佐土原城
将軍全てを招集した軍議を島津義久は開いた。みんな一様に疲れた顔をしている。
「皆、よくぞ今まで耐えたな。この中には家久に不満を持っている者もいようが、奴は奴なりの考えがあっての事。許せよ」
義久は家久の苦悩を思った。一度の激突もせず、積極的に城に籠もることもせず、兵の損害も抑え、敵を誘き出す。それがどれほど大変な事か。しかも不満を抱く将兵に睨まれながら。
「家久が必勝の機を与えてくれた。この戦、勝利は間違いなしじゃ」
「ですが、殿」
平田光宗が腰を上げた。
「義弘様が、今だ、行方不明です」
島津義弘は家久との喧嘩で城を飛び出していらい、居所が分からないでいた。
「義弘か、あいつは・・・」
後が続かなかった。やはり将兵にとって島津義弘の存在は大きすぎる。義弘抜きで大友軍とぶつかっても、絶対的な勝利は得られないだろう。
「歳久!」
「え?はい」
「探して来い」
「はい、ってええ!!」
突然の事に背筋を伸ばして驚く弟・歳久。
「探すって、兄・・・いえ、義弘殿を?」
「そうだ。他に誰がいる。見つけ出して馬で引っ張って来い!」
「わ、分かりました」
将軍達が見守る中、歳久は慌てて佐土原城を飛び出した。
高城
家久は思った。この戦に勝てば、島津に何が待っているのか。もし、もしも負ければ、後は滅亡があるのみだ。それは分かる。だが勝った後の事までは、家久には分からなかった。
敵兵は攻めては来るがやはり腰が据わってはいない。こちらは死ぬ気で防ぐのだ、相手はその勢いで既に弱腰。こんな奴らに今まで敗北を重ねてきたのかと思うほど、手応えはなかった。
特に東郷が率いる兵達の士気は高い。兵達全員が刀のみで武装された集団で、東郷自ら『抜刀隊』と名付けて指揮している。今のところ、抜刀隊の奮闘でまだ三の丸への侵入は防いでいる。
三の丸・二の丸・本丸と続く基本的な構造の高城は、これといって大きくも無ければ小さくも無い。ある意味特徴のない城だ。それ故、基本的な事をやっておけば、簡単に落とされることもないはず。
「異常は無いか、有信」
家久は、暇な時は人と話すようにしている。それ以外に気分転換になりそうな事はないからだ。包囲されているのに気分転換も何もないだろうとは思うが、他にすることはないし、戦術や作戦は全て出し尽くしていた。
「別段ありませんな。それにしてもこうハエのように攻められるのは、ありがたい反面、イライラしますな」
「ふふ、確かにな」
大筒による砲撃は止んでいた。長寿院の部下が上手くやったのだろう。
「家久様。質問ですが、総攻撃の合図はどのように行うのですか?」
「お前はどこか抜けているな。普通なら私が来てすぐにするような質問なのだが」
実際、家久が高城に来て今日で十日以上は経っている。
「ははは、なにぶん忙しくて」
「佐土原城の殿からは狼煙(のろし)を上げてもらう。もしも雨が降っていたら長寿院が伝達係だ」
「な〜るほど」
納得した有信はぐっと背伸びをして腰をおろした。
「どうやら宗麟は、北日向から動く気はないようですな」
「・・・ああ」
それは家久も感づいていた事だった。大友宗麟は占領した地域のキリシタン活動に夢中で、もはや戦も勝ったつもりなのだ。
「宗麟は来ないし、雨も来ませんな」
有信は空を見上げた。相変わらず空には暗雲があるが、雲から雨が降ることはなかった。
ここは島津義弘の城・飯野城
「兄上!」
「ああ、歳久か」
以外にも呆気なく、島津義弘は見つかった。城の下人は歳久が来るとすぐに義弘の部屋に案内した。そして通された部屋で義弘は一人槍を磨いていたのだ。
「遅かったな、歳久」
「お、お、遅かったな、じゃありませんぞ、兄上!戦はすでに決戦を控えております。兄上のご出馬を、みんな佐土原城でお待ちしておりますぞ」
ドン!
義弘は槍を部屋の畳に突き立てた。
「お前が来たという事は、そろそろそういう時期だろうなと思っていた」
「はぁ」
「多くの者達に迷惑をかけたが、かけた分の働きはするつもりだ。よし、兄者のもとへ行こう!」
「それは良いですが兄上、副将の樺山殿と忠棟殿は?」
「ああ、あの二人なら今頃兵を集めて根白坂に向かっているはずだ」
「・・・・」
その日の夕方。
島津義弘と島津歳久、そして義弘が集めた兵一千が飯野城を出発した。
佐土原城
「全ての準備は整った」
島津義久は遂に二万あまりの軍勢を出動させた。目指すは日向中部の根白坂という場所。先鋒は島津義弘、続いて北郷時久、平田光宗と名立たる将が続く。
「高城は落ちてはいないな」
義久の周囲には『旗本衆』と呼ばれる護衛兵の他に、長寿院盛淳の手下がおり、絶えず高城の情報が伝わってきていた。
「はい。家久様、有信様、東郷様が兵を指揮して奮戦し、城はいまだ、三の丸も突破されてはいません」
「そうか」
義久達はすぐに根白坂に到着した。途中で伊集院忠棟、梅北国兼が合流、戦線に復帰した。そして義久は根白坂に本陣を置くと、先鋒隊の義弘・平田・北郷を小丸川の後ろに配置した。
小丸川は北に高城があり、更に北には松山という小高い山がある。敵大将の田原親賢はこの松山に本陣を置いていた。
「義久様。布陣はほぼ完了しました」
「よし、では高城の家久に・・・ん?」
義久が空を見上げると、暗雲から水滴が落ちてきた。最初は一つ二つ、次第には大雨となった。
「これはすごい雨だ。小丸川は荒れるぞ」
島津義弘の陣
義弘には目の前の小丸川が見る見る増水していくのが分かった。
「家久」
義弘は高城にいる弟の家久を思った。この雨の向こうに、川の向こうに、家久がいる。そして自分と同じように、この空を見ているだろう。軍議で衝突した時、自分も家久もお互いが憎かったわけではない。ただ、双方とも懸命だったのだ、敵を倒すために。
ただ今度の事は、明らかに自分に非がある。カッとなって戦線を離脱するなど、普通なら切腹ものだ。もう少し家久の話に耳を傾けるべきだった。
大雨が降って翌日の十一月十二日、早朝。
島津義久が予想したとおり、眼前の小丸川は荒れていた。
雨が止むまで攻撃は控えようかと義久は思ったが、そこへ島津義弘が進言した。
「雨を利用し、敵に奇襲を仕掛け、敵軍をこちらに誘き寄せましょう」
危険な賭けだった。小丸川は荒れていて渡るのも一苦労。失敗すれば、こちらの損害のほうが高くつく。
義久が決断しかねていると、義弘は更に言った。
「家久も、待っているはず」
ハッとした。確かに義弘の作戦は、家久の作戦と同じだ。敵を攻撃して退き、進軍してきた敵軍を一斉攻撃で叩く。家久が得意とする『釣り野伏せ』そのもの。ただこういう大雨での釣り野伏せは想定していないし、この戦術は考えている以上に危険で難しい。
だが義弘の言葉が、義久を動かした。
島津軍はついに少人数で荒れた小丸川を渡り、鉄砲や弓を敵軍に向けて発砲。一時的に混乱した敵は、攻撃した相手が小勢だと知ると、猛然と襲い掛かってきた。奇襲隊を指揮していた平田光宗は、素早く全員を島津軍まで帰還させたが、その時敵からの狙撃や小丸川の荒波にのまれて十五人ほどが死んだ。
平田達を追ってきた敵は、一旦は本陣に戻ったが、どういうわけかその後すぐ、五千人規模の大軍が小丸川を渡ってきた。
ここに大友軍の悲劇があった。大将の田原親賢と軍師の角隈石宗は、この奇襲が島津軍の誘いであると理解したが、武将の田北鎮周は今まで通り全軍で進撃すれば敵は逃げると自信満々に進言したのだ。
無論、田原と角隈は反対したが、佐伯惟教と志賀親守の二人が必要以上に田北を制止させたからいけなかった。
「殿の到着まで死守しておけばよい」
「ここまで領土を拡大させたのだから、後は時をかければ日向は我々の物になる」
短気で根っからの武将肌の田北からすれば、この二人の慎重論は前々から癪にさわっていた。
「そうやって貴様らが根性無しだから、これだけの大軍を擁しながら日向平定に何ヶ月もかかってしまうのだ。兵の士気も上がらず、たるみが出てきてしまうのだ。敵は小丸川を挟んで二万、わし一人で蹴散らしてやる!」
そう言って田北は五千人を率いて本陣を飛び出した。大将の田原も田北を見捨てるわけにもいかず、田北隊五千の後に全軍三万を進軍させた。
先鋒の五千は最初、小丸川の流れと速さ、水嵩(みずかさ)に二の足を踏んだが、隊長の田北自身が川を渡ったため、皆勇気を出して後に続いた。
島津軍先鋒を務める島津義弘と北郷時久は、敵全軍が小丸川を渡るまで死力を尽くして田北隊の突撃を防いだ。やがて、敵が全て川を渡った事を確認した長寿院の配下は、すぐに島津義久に報告した。
「敵は川を渡った。今こそ反撃開始だ!」
義久の攻撃命令を合図に、まず平田光宗が田北隊の横腹に突撃した。同じく伊集院忠棟が横から攻撃し、敵は両脇を食い破られる形になった。
「よし、今だ。正面から一斉突撃!!」
島津義弘と北郷時久は浮き足立った五千の敵に向かって一気に攻撃を開始した。敵は大雨で豹変した小丸川を無理して渡ったため疲れており、見る見るうちに崩れていった。
「我は島津義弘なるぞ、誰か相手をせよ」
島津軍先鋒の島津義弘は、群がる敵兵を槍で突き殺し、縦横に駆け巡った。敵は義弘の槍に触れた瞬間、まるで木の葉のように吹き飛び、馬上からは人の姿が消えた。
奮闘する中、一人の武将が義弘に近寄ってきた。
「貴様が島津義弘か、相手にとって不足無し。この田北鎮周が相手だ!」
「なに、田北だと」
義弘が馬の腹を蹴る。田北も蹴る。
双方が馳せ違った。と、次の瞬間、田北は地面に転がり、二度と動く事はなかった。
「敵将、討ち取った!!」
指揮官の戦死でいよいよ兵は逃げ出し、根白坂に陣取った島津義久は本陣を移動して、全軍二万を進撃させた。
先鋒の敗退で混乱した大友軍本隊は、小丸川を渡って疲れたところを、島津軍二万が襲ってきたのでたまらない。すぐに後方に引き返そうとしても、後ろは流れの速い川。
「落ち着け、兵の数では我らが勝っている」
必死に兵を鼓舞する大将の田原親賢だが、もともと士気も低く、戦争開始から七ヶ月も経っているために皆だれていた。しかし、島津軍は総大将の義久を含めた全員が意気盛ん。圧倒的気迫である。
義久は猿渡信光と鎌田政年に合図を送り、大友軍三万の右側から襲い掛からせた。猿渡信光は馬上から薙刀を振るって敵中に突進、敵武将の佐伯惟教を斬り殺した。
ついに田原は全軍に退却を命じ、総大将の大友宗麟がいる北日向までの逃走を開始。大友軍は小丸川を決死の勢いで渡ったが、それでも多くの犠牲を出した。一方島津軍は追撃を開始し、小丸川を渡って逃げようとする大友兵を次々と弓で射殺。
悲劇はまだ続く。
小丸川を渡り終えた大友軍は、北日向への退却を急ぐ途中、高城から出撃した島津家久・山田有信・東郷重位が率いる三千の兵に襲われたのだ。
敗残兵をまとめて逃げていた田原親賢は、もはやこれまでかと覚悟を決めた。しかし、その時五百人ほどの騎兵が家久達に襲い掛かった。見れば、それは蒲池鑑盛の部隊だった。
「田原殿は兵を連れて逃げられよ、殿軍(でんぐん)はそれがしがうけたまわる!」
蒲池隊は怒涛の勢いで高城軍に突撃。
「いまです、蒲池殿が時間を稼いでいる間に」
角隈石宗の言葉で我に帰った田原は、慌てて全軍の退却を再開させた。そして逃げる途中、心の中で念仏を唱えた。今まで毛嫌いしていた蒲池に対する、せめてもの詫びとして。
蒲池鑑盛の部隊と正面から激突したのは、東郷重位の部隊である。東郷は自ら組織した抜刀隊を率いて蒲池鑑盛自身の首を狙った。
「狙うは蒲池の首だ。全員、かかれぇ!」
だが、敵も部隊長の蒲池鑑盛を始め、全員が死を覚悟している。彼らは一時的とはいえ、東郷隊を圧倒した。
「東郷苦戦!」と察知した島津家久と山田有信は、敵軍を包み込むようにして部隊を展開させ、徐々に包囲を縮めていく。
「敵は死兵だ。正面から当たるな。矢を射ろ!」
島津家久の命令に全員が忠実に反応し、蒲池隊は次々と刀を持ったまま矢を射掛けられ、馬に乗ったまま絶命した。
やがて、蒲池鑑盛が山田隊の放った大量の弓で胸を射抜かれ、血反吐を吐いて死んだ時には、辺りに敵兵は一人も残ってはいなかった。
蒲池鑑盛が退却の時間稼ぎをして、壮絶な戦死を遂げた頃。
北日向を目指して逃走する田原親賢と角隈石宗率いる本隊に、最大の悲劇が訪れた。
北日向と日向中部の境にある、『耳川』と呼ばれる川に辿り着いたのだ。耳川は前日の大雨で水嵩(みずかさ)が異常に増しており、流れも小丸川の比ではなかった。目の前に広がる激流を目の当たりにした大友軍の多くは、その場で腹を切るか、死を覚悟して川の中に飛び込む者もいた。大友軍随一の賢者として知られた角隈石宗も、主君がいる方角を見ながら切腹した。
その後も次々と逃げ遅れた大友軍が耳川にたどり着くが、荒れに荒れた川を見て全員がその場で絶望し、残っていた気力も消え失せた。
島津軍先鋒隊としていち早く小丸川を渡って敵軍を追撃していた島津義弘は、耳川で敵が立ち尽くしている所に一気に躍り出ると、敵兵は義弘の槍を受け、吹き飛ぶか大地に転がった。
虐殺と呼ぶに相応しい乱戦だった。島津兵は侵略者である大友兵を容赦なく斬り殺し、武器を捨てて降伏した者、何とか逃げ出した者以外は無残な死骸となった。事実上、大友軍三万は壊滅したのだ。大友軍の死体は耳川に捨てられ、川は紅く染まり、道々には死体が転がってまさに地獄絵図となった。
大友軍先発隊を率いて日向の奥深くに侵攻した田原親賢は、九死に一生を得て北日向に脱出。総大将の大友宗麟は、先発隊が全滅した事を知ると、慌てて豊後に引き上げた。
大勝利である。
九州の戦国史上、これほどの戦果を上げた合戦はなく、大友家は大半の兵を失い、主要な将軍達も多数失った。家の国力回復には、相当の時間と費用が必要だろう。
島津家久は一人、耳川を見つめた。紅く染まった川には、人間の死体が浮かんでいる。総大将の島津義久は祖父・日新斎と父・伯囿斎の教えに従い、戦場に敵味方のための供養塔を建てた後、早々に薩摩に帰って行った。
「帰るぞ、家久」
ふいに声を掛けた人物に顔を向けると、家久の後ろに義弘がいた。
「兄さん」
「よう」
義弘は馬上で笑顔を見せた。つい数時間前、鬼の面相で敵兵を殺していたのが嘘のようだ。
「兄さん。私は・・・」
島津家久はこれまでの非礼を詫びようと頭を下げたが、兄の義弘は優しく言い聞かせた。
「謝るな、家久。俺もちっと頑固すぎたな」
「・・・・」
「帰って祝杯だ、家久。良くやったな」
島津家久は大友との戦争が始まって以来初めて、笑顔を見せた。
薩摩に帰る途中、島津義久はなぜか心にふつふつと芽生える黒いものを感じていた。それは次第に大きく、義久の体を蝕んでいくようだった。が、不思議と・・・心地が良かった。
第四十一章 完
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