戦国島津伝




 第四十四章 『小さな暴君』

 天正八年(1580年)。

 ここは島津義弘の居城・飯野城付近の村。

 「え〜ん」

 一人の女の子が泣いている。原因は近くで笑っている少年。

 「はははは、また引っ掛かった、間抜けだなお前は」

 少年の名は島津忠恒。島津義弘の三男にして後の薩摩藩初代藩主である。





 忠恒は今年で四歳、家中でも評判の美少年だが、性格は邪悪そのもの。

 身分を隠して城下付近の村に出ては同世代の子供をいじめている。

 今日もまた、一人の少女をだまして落し穴にはめ、忠恒は助けるどころか大爆笑。

 「はははは!」

 「ひっく、ひっく」

 「さ〜て、そろそろ帰ろうかな」

 「あっ、待ってよ。ここから出してよ!」

 穴はそんなに深くはない。だが、小柄な少女にとっては脱出するのにかなり苦労するのは目に見えていた。

 「あ〜・・・やだ」

 「そ、そんな!」

 泣き叫ぶ少女を無視して去って行く忠恒を、遠くから見る少年。彼は少女が落ちた穴に駆け寄り、近くにあった木の棒を使って彼女を穴から救出した。

 「あ、ありがとう」

 「いえ」

 少年はそれだけ言って、忠恒の後を追いかけた。





 「〜♪」

 何か面白い事はないかな〜。次は穴の底に竹でも埋めようかな〜。

 「忠恒様」

 「!」

 ちっ、こいつ付いて来ていたのか。

 忠恒の後ろから走り寄る少年。

 「待って下さい。お話が」

 「ああ、ああ、またか。ところでお前その格好・・・あはははは!」

 走り寄って来た少年は忠恒の従者・伊集院忠真。

 島津家筆頭家老・伊集院忠棟の息子で、年齢は忠恒と同じく四歳。

 今彼は農民の格好をしており、忠恒にはその姿が面白かった。

 「あ〜はははは」

 「私の話を聞いてください」

 「くっくっく」

 「・・・・」

 「分かった、分かった。それで何?」

 「もうあんな事は止めてください」

 「あんなことって?」

 「村に出て悪ふざけをする事です」

 「悪ふざけとはひどいな。村に出る事でこの土地の地理を知ろうとしているだけだよ。言わば武士にとっての初歩的な訓練さ」

 「あなたはただ、村の子供をいじめて楽しんでいるだけだ。もう止めて下さい」

 おおよそ、四歳とは思えない言動。それが忠恒には癪にさわる。

 「ふ〜ん。そうかそうか、ところでお前、僕にそんな口が聞ける立場?」

 「そ、それは・・・!」

 唐突に嫌な音が響いた。忠恒が忠真を殴ったのだ。

 「うっ、ぐ」

 「僕に命令できるのは誰もいない。僕は島津で、お前は伊集院。伊集院氏はずっと島津氏の配下、分かる?」

 「はい・・・申し訳ありません」

 「ふん、配下の分際で僕に命令するんじゃないよ」

 再び歩き出す忠恒だが、忠真はその場から動こうとしなかった。





 飯野城

 「あ〜あ、帰ったら何しようかな〜」

 忠恒は城門を通って城を見上げると、大げさにため息を吐いた。

 「何でこんな小さいのかな〜この城。僕だったらもっと立派な城を造るよ」

 後に島津忠恒は、鶴丸城(鹿児島城)を築城する。





 「忠恒、帰っていたのか?」

 城の一番奥の部屋から出てきたのは島津義弘の次男・島津久保。忠恒の実兄である。

 「はん、何だ兄貴か」

 「何だとは何だ。お前、また勉学の時間をサボっただろう」

 「サボったっていいだろう?俺は兄貴みたいに毎日毎日部屋の中で勉強して暇を持て余していないだけさ」

 「忠恒!」

 あ〜、何でこう兄貴は怒ってばかりなんだ?母上に似たのかな?





 自室に戻った忠恒だが、やる事もなくゴロゴロと転がる。

 とっ、その時。

 バシン!

 「あっ!」

 障子を開けて入ってきたのは忠恒の母親・実窓院。

 「忠恒!あなたという子は!」

 バキィ!

 「ぐふ!」

 いきなりの鉄拳制裁。忠恒は壁に吹き飛んだ。

 「いっ、つぅぅ」

 「また友達をいじめたそうですね。あなたも男子なら、恥を知りなさい!」

 「へっ、母上こそ女のくせに男を殴るなよ」

 ブチ!

 その後、しばらく間忠恒の部屋からは、凄まじい取っ組み合いの音が聞こえた。





 「忠真!忠真はどこだ!」

 くそ、母上にしこたま殴られた。全部忠真のせいだ、あいつが母上に告げ口したんだ。

 「あ、忠恒様」

 「忠真!お前よくも!」

 胸倉を掴み詰め寄る忠恒だが、忠真は冷静に見つめた。

 「何をそんなに怒っているのですか?」

 「とぼけるなよ、お前が母上にいらんことをしゃべったんだろう」

 「・・・・確かに、私が実窓院様に今日の事を話しました」

 「おかげでこっちは母上に怒られて殴られて・・・お前のせいだ」

 そのまま忠真は、廊下の柱に叩きつけられた。

 だが、別段彼は冷静だった。

 「なぜ忠恒様が実窓院様に怒られたか、お分かりですか?」

 「知るか!」

 「・・・それが分からなければ、あなたは人として失格です」

 「き、貴様ー!」

 忠恒にとってそれは屈辱だった。なぜ島津氏の配下である伊集院氏の末子にこうまで言われなければならないのか。

 「よせ忠恒!忠真よ、すまなかったな、もうさがれ」

 「はい」

 「兄貴!?」

 「忠恒、話がある。来い」

 久保は無言で忠恒の服を握り、そのまま部屋の中に座らせた。





 ぶすっとして部屋の中に座る忠恒。

 「何だよ、兄貴」

 「お前は何でそうなのかなぁ〜」

 「はっ?」

 「お前には人を想いやる心がない。その気性、誰に似たのやら」

 「うるせぇやい!」

 「俺はな忠恒、お前がうらやましい。私は先に亡くなった兄と同じで、あまり体が丈夫ではなく、外に出て遊ぶ事も出来なかった。だから父上も母上も、お前に立派な武将に育ってほしいのだ。だから必要以上にお前にきびしく当たる」

 「けっ」

 「今は、この兄の言葉を聞かなくてもいい。だが心には留めておけ。いつか、お前も分かってくれるだろう」

 「・・・・」





 どいつもこいつも・・・どいつもこいつも・・・どいつもこいつも!

 夜、兄の言葉を思い出しながら、忠恒は布団を被っていた。

 今日は厄日か?俺が何したっていうんだよ。ちくしょう、まるで俺が悪者じゃねぇか。

 「あー、ちくしょう!」

 母には殴られ、兄にはうるさく説教され、従者の忠真には逆らわれ。

 「くそ、何なんだよ」

 母親に殴られた頬をさすりながら、忠恒は眠るのであった。





 「義弘様、忠恒は今日も外で遊びほうけて」

 「はっはっはっ。若い内はそれくらいのほうが良い」

 「ですが、忠恒は少し乱暴すぎます。一体誰に似たのやら」

 言いつつ、義弘を見る実窓院。

 「さ〜、誰に似たのだろうな〜。もしかして・・・お前?」

 「殴りますよ」

 それぞれの思案と供に、島津の夜はふけていった。



 第四十四章 完


 もどる
inserted by FC2 system