戦国島津伝




 第四十六章 『非情』

 新納忠元と島津義虎の活躍で相良義陽が降伏した。水俣城を守った犬童頼安と岡本頼氏、帰順してきた豪族は領土安堵を約束された。

 問題なのは、相良義陽の処分である。

 家臣団の大半は義陽を殺すべきだと主張した。代表格は北郷時久。

 「降伏すれば許されると思っている奴らへの見せしめとして、義陽を処断するべし!」

 それが北郷の言い分。逆に、ここで義陽を許すことで他の大名に島津の大きさを見せるべきだというのが、主に伊集院一族を中心とした文官。

 「頭を下げた者を、問答無用で斬るのは人々の批判を買う」

 という主張である。

 この問題には、島津義久も困っていた。

 確かに相良は憎い。だが降伏した者を無闇に殺しては、後々面倒になるかもしれない。

 義弘や弟達に相談しようとも思ったが、やめた。家臣団がまとまらぬのに、兄弟がまとまるものか。あいつらとて、今や一人前の将軍なのだ。

 「う〜ん」

 このまま何時までも相良義陽の処分について考えている時ではない。肥後にはまだ、阿蘇家がいるのだ。

 「・・・誰か」

 「はい」

 「上井覚兼を呼べ」





 「あ〜はっはっはっ!」

 上井覚兼は、義久からの悩みを聞いた瞬間、笑い出した。

 「何を笑う」

 「いやいや、まさかまだそんな事で殿が悩んでいられるとは、思わなかったので」

 「わしとて、結論は出ている。だが家臣達の手前、自分の主張だけを通すことは出来ぬからな」

 「なるほど。ですが殿が決断すれば、誰も文句は言いますまい」

 「決断?」

 「相良義陽を殺す決断です」

 重い沈黙。まったくこの男は、ズカズカと言いたいことを言う。

 「降伏してきた者を殺しては、天下のそしりを受けはしないか?」

 「天下のそしりを受けずに済む方法で、あの男を殺せば良いのです」

 「そんな方法が、あるのか?」

 思わず腰を浮かす義久。そんな好都合な方法など。

 「北肥後の阿蘇家攻略の先鋒には、地理に明るい者が必要ですな〜」

 的外れな質問。・・・・いや、実に的を射ている。覚兼が言いたい事を、義久は見破った。

 「・・・恐ろしい男だな」

 「それは、殿が一番ご存知でしょう」

 ニヤリと笑う覚兼を、不機嫌そうに義久は睨んだ。





 ここは、薩摩の隼人城。島津義弘、歳久、家久が一同に集まっていた。

 兄弟三人が一箇所に集まるのは実に珍しい。特に義弘と家久は日向方面の総大将である。

 「兄上。我ら二人を呼んだのは、いかな理由ですかな。そもそも、我々はそんなに暇ではないのです。あれやこれやと仕事が山のように空から降ってくる立場なのですよ。兄上と違ってね」

 いきなりの嫌味を言いまくる歳久。

 「まあまあ兄さん」

 それをたしなめる家久。

 そんな二人を見ながら、次兄・義弘が口を開いた。

 「実は、兄者が相良義陽の処分について決断を下したらしい」

 その言葉に、真剣な顔になる歳久と家久。義陽のことは、二人も気になっていたのだ。

 「阿蘇家攻略の先鋒として出陣させるらしい」

 「なっ!」

 「それは、また思い切った」

 「という訳で、俺はその従軍武将として肥後に行くことになった」

 「はっ?それはどういう」

 「なるほど、義久兄さんも抜かりがないですな」

 どうやら三人で分かっていないのは歳久だけらしい。

 「おい家久。納得してないで、ちゃんと説明しろ!」

 「つまり、相良義陽を阿蘇家攻略の捨て駒にするつもりなのですよ。勝てばそれでよし、もし負ければそれを理由に処断する。どっちに転んでも、島津には都合が良い」

 「その通りだ、家久。俺は相良義陽が阿蘇家に寝返らないか、途中で逃げないか見張るためについて行く」

 「ですが兄さん。相良義陽と阿蘇家は・・・」

 家久の気持ちは、義弘も分かっていた。だからこそ、義弘は長兄・義久に対して、少なからず怒りを覚えていた。





 相良家と阿蘇家は親密な間柄だった。特に阿蘇家家臣・甲斐宗運(かい そううん)とは肝胆相照(かんたんあいてらす)という仲。義陽はきっと阿蘇家に対する攻撃をためらうだろう、だがそれは阿蘇家も同じ。

 そんな事を考えながら、上井覚兼と長寿院盛淳は相良義陽の城に向かっていた。

 「盛淳」

 「はっ?」

 「今度の戦は、面白いことになるぞ」

 くっくっく、と不気味に笑う覚兼を尻目に、長寿院は黙々と歩いて行った。





 相良義陽の前で深々と頭を下げる覚兼と盛淳。一応相手は大名、礼儀には気をつけねば。

 「此度は、島津義久の言葉を伝えにうかがいました」

 「もはや覚悟は出来ている。いかな処分でも、お受けしよう」

 相良義陽は今年で三十七歳。長年の心労からか、顔には疲れが見える。

 家臣の反乱鎮圧。南の島津家からの圧力。まさしく波乱の人生を歩いている君主だ。

 「流石は相良様。殊勝な心掛け、感服いたします。いやいや、たいしたことではありません。それどころか、我が殿は相良様を信頼して、戦の先鋒を任せると言っておりました」

 「先鋒?」

 「はい。阿蘇家攻撃の先鋒です」

 「・・・・・」

 「いかがしましたか?」

 顔面蒼白の相良義陽。その気持ちは、言わずもがな。

 「承諾・・・していただけますね?」





 北肥後・阿蘇家領内・御船城付近の川

 ゆったりとした空気が流れる川で、一人の老人が釣り糸を垂れていた。

 「甲斐宗運様!殿から伝令、伝令です!」

 その言葉に、川で釣りを楽しんでいた老人は顔を上げる。

 「んあ?なんじゃい」

 「殿から伝令です。至急、矢部城に来るようにと」

 「やれやれ、今度はどうしたことかのぅ〜。南の島津か、北の龍造寺か」

 腰を上げ、釣竿をたたみながら、甲斐宗運は馬に乗った。





 現在の阿蘇家当主は阿蘇惟将(あそ これまさ)。

 今年で六十一歳。九州最大の大友家と同盟することで独立を保ってきた君主だが、その大友が『耳川の合戦』で島津に大敗してからは、北の龍造寺と親密な関係を築いている。





 その惟将の前に、一人の老人が進み出た。

 名を甲斐宗運。阿蘇家の軍師にして今年で六十六歳の老将である。

 「久しいな、宗運」

 「これは殿。まだくたばってはおりませんか」

 「ふん。お主より先には死なんよ」

 笑い合う老人二人。何とも気さくな関係である。本当は、大名とその家臣のはずなのだが。

 「実はな、島津がいよいよ我らの領土に侵攻してくるらしい。迎撃の総大将として、行ってくれるな」

 「ふふ、問われるまでもありません。万事、この老骨にお任せあれ」

 「既に敵軍の情報は掴んでおる。どうやら島津軍の先鋒は、相良義陽らしい」

 「・・・そうですか」

 非道なことをさせるな・・・と甲斐宗運は毒づいた。

 「お前と義陽殿の仲が良いことは知っている。だが全ては私事。良いな?」

 「・・・問われるまでもありません」

 そう言った老人の顔は、ひどく沈んでいた。





 薩摩・内城

 「上手くいきました。三日後には軍備を整えて出陣する予定です」

 「そうか、義弘も良いな」

 「・・・はい」

 部屋には島津義弘がいた。ぶすっとした態度で座っている。

 「気に食わないようだな、義弘」

 「別に」

 「お前の気持ちは分かる、だが」

 「もういいでしょう。俺は戦場に行く。それだけだ」

 ズカズカと部屋を出る義弘。その背中からは、怒りを感じる。

 「義弘・・・」

 「困りますな〜。義弘様も大人になってくれなければ」

 「ああ・・そうだな」

 義久はその一瞬だけ、『兄』の顔で義弘の背中を見つめた。



 第四十六章 完


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