戦国島津伝
第四十九章 『散華』
花をなでていたふうは、何気なく居間に眼を移した。中では夫の島津家久と鎌田政年が大事な話をしている最中。邪魔になるだろうなと思って花の世話をしているが、正直暇である。
「はぁ〜」
一雨来そうな空を見ながら、ふうはどこか憂鬱な溜息を吐いた。
「相良義陽が戦死したのは間違いないそうです」
「これを機に兄さんが相良家を取り潰す可能性は?」
「十分に考えられます。ただ、相良義陽には二人の息子がおりますから、そう簡単には行かないと思います」
島津家久は話を聞きながらも、鎌田の顔に覇気がない感じがした。
「鎌田」
「はい?」
「お前、痩せたか」
「ふっふっふっ、私を何歳だと思ってるんですか?痩せるどころか日に日に体力も落ちていますよ」
「ふん、よく言う」
家久は外の音に気が付いた。いつの間にか、雨が降ってきたのだ。
相良家側の家臣・深水長智の粘り強い説得と外交手腕によって、相良家は島津家から存続を許された。新しい当主は相良義陽の長男・相良忠房が継ぐ事となった。
家久は兄の義久が、相良家に対する興味を失くしたと直感した。
もしくは、たまにやりたがる『仁君』ぶりを見せたのか・・・。
「豊久」
息子の名を呼ぶと、従者がすぐに島津豊久を連れてきた。今年で十二歳になった豊久は、体も大きくなってたくましくなっていた。
「お呼びですか、父上」
「うん、実はな」
言葉に詰まる家久。武士の父親は、皆こんな気持ちだったのだろうか?
「何か?」
「次の戦には、お前も連れて行こうと思う」
沈黙が続くだろうと思ったが、豊久は嬉しそうに頷くだけだった。
「ありがとうございます。父の名を汚さぬように奮励努力致します」
「うむ、ただしお前を武将として連れて行くのではないぞ」
それだけで意志を受け取ったのか、豊久は「はい」と言っただけで去っていった。
どうやらこの息子は、出来は良いようだと家久は内心微笑んだ。
阿蘇家に対する圧力を強めるため、島津家は島津義虎・新納忠元・東郷重位らの北薩摩勢に物資を補給、増強した。
それに島津義久は、阿蘇家当主・阿蘇惟将が病で動けないという情報を掴んでいた。
阿蘇家を取り込むのも、時間の問題。それが家老や重臣の意見だった。
島津家久は降り続く雨を見ながら、この時代の事を考えていた。
乱世・・・後世の人々はこの時代をそう呼ぶだろう。
「家久様、食事の用意が出来ましたが」
ふうが襖を開けて声を掛けてきた。
「ああ」
気の無い返事をして、家久は空を見続けた。この時代はいつ終わるのか。
誰が終わらせるのか。兄の義久は、自分がこの乱世を終わらせると思っている節がある。
口には出さないが、頭の中ではきっとそう思っている。兄弟だからこそ、分かる。
我々島津が、天下統一・・・考えた事もない。考える必要も無い。だが一介の武士として、この乱世を治める人物が誰なのかは、興味がある。
それだけ考えて家久が腰を上げた時、従者が入ってきた。
「鎌田様の使いの者が、来ておりますが」
「ん?」
鎌田政年の屋敷に家久が到着すると、早速部屋に案内された。
「どうした、鎌田。いきなり呼び出すとは」
「実は、是非耳に入れておきたい情報が入りまして」
「ほう、それは何だ」
「尾張の織田信長が、死んだようです」
時は天正十年・・・・1582年の六月。
空には乱世を歓迎する雨が、降り続いていた。
第四十九章 完
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