戦国島津伝




 第五十三章 『沖田畷の合戦』

 吹き荒れる風と潮。島津軍三千を乗せた船団は右に左に揺れた。

 「忠長殿!もう船内に戻ってください」

 「ばかやろう、戻ったらどこに吐けっていうんだ!・・・うぉえ〜〜」

 揺れる船の上で格闘する豊久と忠長。





 船団の一番前に位置する家久の船。

 「久高、あとどれくらいで到着できる?」

 「この風向きなら、今日中には到着できます!」

 家久は側近達とそれぞれ支え合いながら船の揺れに耐えている。

 「落ちた者はいないな!」

 「はい。しかし、すごいものですな」

 「戦の前の前哨戦だと思え!」

 「「はっ!!」」





 船団右翼

 島津義虎は暗い海の向こうに、陸らしきものを見つけた。

 「ん?」

 「いかがした?義虎殿」

 新納忠元が横から発言する。

 「いま、陸を見つけたような・・・」

 「陸?」

 忠元も身を乗り出して周りを見る。

 そのとき

 「「あっ!」

 二人とも同時に声を出した。





 船団中央

 「樺山様!右翼から報告です!」

 「なに!」

 「陸を発見したそうです」

 「陸を発見?見えるかお前達!」

 船乗り達が素早く辺りを見回し。

 「見えました、明かりが点いています」

 「よし、全速力だ!」





 三月二十二日・深夜

 島原半島南岸

 「おい、あれを見てみろ!」

 「うん?」

 有馬兵は、暗い海を真っ直ぐに突き進む船団を目撃した。

 「あれは・・・島津の援軍か?」

 船団は風に乗って更に加速、見る見る陸に近づいてきた。

 「「うわわわわ!」」

 見張りの二人は慌てた、いまにも船が突進してくる勢いだからだ。

 やがて

 物凄い轟音を立てて船が陸に乗り上げた。





 島原半島南岸・原城

 現在の長崎県南島原市南有馬町に位置する有馬氏の支城である。

 城主の鷹屋純次(たかや すみつぐ)は、側近の報告を喜んで聞いた。

 「島津が来た!?そうか、来たか、来たか!」

 「現在、この城に向かっているとのことです!」

 「そうか、そうか。すぐに日野江城の晴信様に報告せよ」

 「はっ」

 鷹屋は歓迎の仕度を整えさせ、もはや龍造寺家にも勝った気分になった。

 余談だが、原城は後に『島原の乱』の舞台となり、天草四郎が籠城することになる。





 海岸

 「忠長殿!忠長殿!」

 「・・・・・」

 「どうした、豊久」

 「父上!忠長殿が陸に乗り上げた時に海に落ちて」

 「なに!」

 島津忠長はぐったりとしており、目は閉じられている。

 「水を飲んだのかもしれぬな」

 「そうだ、前に樺山殿に教えてもらった人工呼吸を私がやります」

 「待て、待て、何もお前がやらなくても、他の者達にやらせれば」

 「いいえ、こと命を預かる仕事です。私がやります!」

 側近や家久が見守る中、豊久は忠長の口に顔を近づけた・・・。





 薄っすらと目を開けた忠長は、自分の唇に誰かの唇が押し付けられていることに気付いた。

 (何だ?これは?)

 更によく見ると、その男は

 「・・・・・ぎゃあああああああああああああああああ!!!」





 原城は城下町に至るまで歓迎ムード一色となった。

 北から侵攻する龍造寺家を迎え撃つためには、島津の援軍はなくてはならないものだったからだ。

 領民や百姓に至るまでの歓迎に、島津兵も嵐の夜を越えてきた疲れが癒えた。

 特に原城の将兵は手を上げて喜んだ。

 「良くぞ入らした、良くぞ入らした。それがしが城主、鷹屋純次にござる」

 「島津義久が弟、島津家久です。ご出陣が遅れ、申し訳ありません」

 「何の、何の。それがしも晴信様も、首を長くして待っておりましたぞ。さあ今宵は体を休め、明日には日野江城にお越しくだされ」

 「では、お言葉に甘えて」

 原城の館でそれぞれ休みをとる島津の将兵。

 だが、なかなか寝付けない男もいた。

 「あ〜、まだ口の中に妙な感触が」

 「どうぞ、水です」

 側近の出してくれた水をガブガブと飲み干す。

 「おのれ〜豊久。この恨みは忘れんぞ」

 「しかし、豊久様は忠長様をお救いしようと」

 「男と接吻するくらいなら、腹を切って水を出すわ!!」

 何とも滅茶苦茶なことを言いつつ、忠長は布団に入った。





 翌朝

 三月二十三日

 陥落させた三会城に三日間駐屯した後、龍造寺軍は島原半島の要衝・島原に達した。

 もしも島原が抜かれれば、有馬晴信が居る日野江城まで七里(約三キロ)。早ければその日のうちに到達してしまう距離である。





 海岸を沿って移動し、島津軍は日野江城に到着した。

 日野江城は現在の長崎県南高来郡北有馬町にある平城。付近にはセミナリヨ(イエズス会の中等教育機関)が建設され、有馬晴信が熱心なキリシタンであることは間違いない。





 有馬晴信は、自ら城の外まで出て島津軍を出迎えた。

 「島津殿!やはり来てくだされたか!」

 「晴信様、遅くなりました!」

 「いやいや、よく来て下された。神は俺を見捨てはしなかったのだな」

 日野江城に到着した一行は、早速軍議を開いた。





 「敵は島原の森岳城に迫っている。もしここが落ちれば、この日野江城までわずかな距離だ」

 家久は改めて有馬晴信の顔を見た。若干十七歳の若者。

 この男が今回の戦の総大将・・・。

 「城に籠もってやり過ごす方法も考えられる、島津殿はどうか?」

 家久は地図を眺めながら、きっぱりと言った。

 「籠城策は選べない。野戦に打って出て、一気呵成に敵を討ち果たすが上策」

 「「「野戦?」」」

 有馬の家臣も、島津の家臣も驚いた。

 すかさず赤星統家が口を開いた。

 「確かに、籠城すれば敵に糧道を断たれる可能性がある。野戦、大いに結構。ですが、一体どこで戦いますか?」

 「大軍と正面から戦えば、こちらは確実に負ける。だから場所を選ばねばなるまい。有馬様、どこか適当な所はありませぬか」

 「う〜む」

 考え込む有馬晴信。慎重に選ばなければ、全てここにかかっている。

 「島原北方二キロのところに、沖田畷という場所がある」

 「沖田畷?」

 「見てください」

 晴信は地図を指差しながら説明しだした。

 当時の島原は前山(眉山)の山麓より海までの約三キロは沼沢が多く、芦が茂った牟田(深田)であり、そのほぼ中央を二人、三人並んで通るのがやっとの畦道が、海際から二百メートルぐらいのところを細長く続いていた。

 沖田畷という場所は、前山から有明の海に向けて、真っ直ぐ下ったところの湿地帯だった。





 「ここなら、敵は大軍とはいえ小勢を出しながら進むしかありません」

 「・・・・・」

 「どうですか?島津殿」

 家久はしばらく考えた後。

 「よし、全軍出陣!!」

 と号令した。





 森岳城にいち早く到着した島津・有馬連合軍は、軍を三手に分けた。

 「まず山際は新納忠元が千名を率いて布陣」

 「はっ」

 「中央は私と赤星殿、総勢千五百が布陣」

 「任されよ」

 「東の浜際には伊集院忠棟が千名、有馬様は森岳城に待機してくれ」

 島津家久は次に、森岳城の麓から海岸にかけて柴垣を築かせ、さらに中央の前に大城戸を構築させた。

 「山と海岸の東西にも、伏兵を配置。敵が攻めてきたら中央と連携して敵本陣を狙う」

 慌しく布陣する島津・有馬連合軍。

 「豊久!」

 「はい」

 島津家久は本陣に豊久を招いた。

 「鎧の帯を締めてやる、こっちに来い」

 豊久は黙って父親から帯を結んでもらった。

 「父上、少々きついようですが」

 「きついか?お前が戦場から帰ってきたら、解いてやる」

 その意味を理解し、豊久は深々とお辞儀した。

「ありがとうございます、父上。必ず帰ってきます」





 龍造寺隆信の率いる軍勢は、森岳城を見渡せる小高い山に陣取った。

 「が〜はははは、見よ、あの敵の少なきこと。一飲みに押し潰してくれる、おい!」

 側近が近づく。

 「はい」

 「中央の鍋島直茂に命じよ。中央道はわし自ら陣取ると」

 「えっ!いや、しかし」

 しぶる側近に、龍造寺四天王の一人・木下昌直が怒鳴る。

 「ええい、殿のおうせであるぞ。早くせい!」

 「は、はい!」

 この突然の陣替えに、龍造寺軍は一時動揺した。





 三月二十三日 深夜

 連合軍はほぼ全ての準備を整え終わった。後は敵が来るのを待つのみ。

 「忠長殿。赤星殿と連携し、中央の敵を頼む」

 「く、く、く、やっと俺の出番だな、家久殿」

 「中央が破られれば、この作戦は全て失敗する。頼むぞ」

 「豊久が中央にいるのだ、無様な戦いはしないよ」

 「それと、赤星殿の」

 「独断専行を阻止しろ、だろ?分かっている」

 「さすが、忠長殿」

 「だてに場数は踏んでおらん。ははははは」

 家久は空を見上げた。澄んだ、美しい星が散らばっていた。





 三月二十四日 早朝

 三万とも、四万とも言われる大軍が、沖田畷付近に進軍を開始した。

 「家久様、敵が動き出しました!」

 「全軍に迎撃用意!」

 山、海、城にそれぞれ布陣した連合軍は、兵に弓と鉄砲を持たせ、敵を待った。





 龍造寺軍先鋒・太田兵衛の部隊

 森岳城まで一キロの距離にまで迫った太田隊は、島津の旗がちらちら動くのを見た。

 「むっ?あれは敵か」

 「千人にも満たない数です」

 「ふふ、どうせ敵の斥候であろう。踏み潰してやる」

 ※斥候(せっこう)・偵察隊のこと

 太田隊は物見も出さず、そのまま全部隊を進発させた。





 島津軍先鋒・島津豊久、島津忠長の部隊

 「敵がかかった、全軍退けぃ!」

 豊久と忠長は、盾を持ちながら敵の銃撃に耐え、部隊を弱弱しく下がらせた。

 「柴垣まで退くぞ!敵を引き付けるんだ!」

 目の前で、味方が一人二人倒れていく。その光景を豊久は始めてみた。

 ことすれば、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちになった。

 (踏ん張れ、踏ん張れ、踏ん張れ)

 心の中で念じながら、豊久は己を奮い立たせた。





 龍造寺軍・本陣

 「太田隊が敵と接触、攻撃を開始しました」

 「道は一本道であるな?よしよし、一気呵成に全軍進めぃ!!」





 鉄砲や弓を、霰(あられ)のごとく浴びせかける龍造寺軍。だが、島津軍も十分な距離をとっているので大事には至らない。

 太田隊を筆頭に、龍造寺軍はどんどん深田の続く中道へ進んだ。





 島津軍本陣・島津家久

 「敵は先鋒とぶつかったか」

 「はい、敵はそのまま進軍を続け、もう直ぐ我が鉄砲隊の射程内に入ります」

 「有信、義虎に伝令。号令が出したら鉄砲を一斉に撃て!!」

 「はっ」





 圧倒的な大軍の威圧に耐えながら、島津豊久と忠長は自軍に戻ってきた。

 「はあ、はあ、すごい数だ」

 「しかし、これで」

 「ああ、こちらの勝ちだ」

 目の前には遮二無二進む龍造寺軍。





 島津軍鉄砲隊・山田有信、島津義虎

 「有信様、義虎様、家久様から発砲命令!」

 「よし、全軍放てぃ!!」





 龍造寺軍の先鋒隊は、敵を追いかけて中道を進んだとき、島津兵が完璧に隊列を組んで待ち構えていることに始めて気付いた。

 「しまった」

 太田兵衛は思わずそう叫んだが、全ては遅かった。

 凄まじい発砲音。

 次々に倒れる龍造寺兵。旗は折れ、馬は暴れだした。

 「引き返せ、引き返して態勢を整え・・・」

 続きはしゃべれなかった。太田の顔面を、鉄砲が直撃したからだ。





 島津家久の十八番・『釣り野伏せ』に引っ掛かった龍造寺軍は、まず先鋒隊が倒れた。

 指揮官の太田兵衛は戦死し、第二派、第三派と続く敵の一斉射撃。

 左右に展開していた第二陣の部隊も、周りの泥地で思うように動けない。なおも続く敵からの発砲。

 軍団は混乱した。





 狭い道で動きがとれず、しかも後ろからどんどん後続の部隊が来るので、引き返すことも出来ない。

 死を覚悟した大将は次々と、敵部隊に突進する。だが、鉄砲と弓に阻まれ、全ては無駄な流血となった。





 本陣の隆信は、まさか軍団の先頭がこんな事態になっているとは思わず、早く敵を踏み潰せと使者を送った。





 先頭の部隊

 「先手が進まないので、後続の大将がご立腹でござる。早く敵を突破せよとの命令です」

 その言葉に、先頭の武将達は頭に血が上った。

 「それほどまでに・・・それほどまでに死ねとおっしゃるなら、望み通り死んでくるわ!!」

 狭い道を、足が取られる深田を、部下を叱咤しながら滅茶苦茶に進む武将達。

 結果は、無残の一言に尽きた。





 島津軍の鉄砲隊の威力に驚きながら、赤星統家は全身の血が燃えるのを感じた。

 (思い知ったか隆信!これは天が貴様に与えた罰だ!)

 忠長は部隊を収容しながら、赤星をじっと見た。少しでも後ろを押せば、いますぐ敵に突撃しかねない気迫が漂っている。

 (おお、怖い。人の恨みは買いたくないのう)





 龍造寺の兵に、もはや統率はなかった。逃げる者、狂う者、足を取られて泣き叫ぶ者。まさに阿鼻叫喚の地獄となっていた。





 島津家久は全軍に命令し、一斉突撃を命じた。

 「全員抜刀して突撃。一気に決着をつける」

 家久はそう命令した後、もう地図を見るのを止めた。





 最初に飛び出したのは赤星統家の部隊だった。

 「やっと恨みを晴らせる。全軍、思う存分敵を殺せ!!」

 島津忠長、豊久も続く。

 「深田に足を取られないように注意しろ。動けない敵は無視しろ。ちゃんと付いて来いよ、豊久」

 「は、はい」

 押し寄せる島津軍。数的には圧倒的に不利なのに、もはや勢いは完全に勝っていた。

 山田有信、島津義虎の部隊も鉄砲を捨て、刀を構えて突進する。





 龍造寺隆信も、死ぬ気で迎撃態勢をとった。

 「この愚か者どもがーーー!!あのようなザコに手間取りよって。わしが自ら相手してやる」

 旗本を率いて正面から島津軍とぶつかる龍造寺隆信。

 「殿に続け、遅れをとるな!!」

 百武賢兼を先頭に、後続に控えていた武将達、それに龍造寺四天王も全員続いた。





 大乱戦のなか、家久は第二の命令を出した。

 「西の山際に待機中の新納忠元に攻撃命令。海際の伊集院忠棟、猿渡信光にも同じく!!」

 「かしこまりました」





 島津軍左翼・新納忠元

 「ようやく出番が来た。皆、山を下りるぞ!!」

 オオゥという叫びと共に、新納隊は山を駆け下りた。





 島津軍右翼・伊集院忠棟、猿渡信光

 「新納殿と連携して挟撃する。行くぞ!!」

 海側から沖田畷に駆けつける伊集院と猿渡だが、厄介な敵が立ちはだかった。





 龍造寺軍・鍋島直茂

 「鍋島様、島津軍の伏兵がこちらに」

 「落ち着け、迎撃用意」

 鍋島は兵の隊列を敵に向け、完璧に迎撃の準備を整えた。

 やがて、伊集院と猿渡が率いる島津軍と激しく激突。





 「そら、そら、そら!!切り殺せ、突き殺せ!!」

 馬上から大声で兵を叱咤する猿渡信光。彼は刀を振り回し、敵兵を次々と切り殺していく。

 彼の付近には、息子の弥太郎が控えていた。まだ若いが、将来有望と言われる人物だ。

 「父上、敵は本隊の敗退で動揺しています。もう少しですぞ」

 「弥太郎!しゃべっている暇があったら敵を殺せ!!」

 「はい、心得ました」

 弥太郎は手頃な敵将を探した。父の前で、名のある将を倒して武功を上げたいのだ。

 「む!」

 一人、槍で見事な立ち振る舞いをしている男がいる。弥太郎は馬を近づけた。

 「見事な槍さばき。名をお聞かせくだされ」

 「何者だ!・・・ふん、こわっぱか。失せろ」

 「それがしは猿渡信光が息子、弥太郎。いざ、勝負!!」

 槍で敵将を刺し殺そうとする弥太郎。だが、敵はやすやすと避けた。

 「・・・・死にたいらしいな」

 その男、鍋島直茂は槍を一振りし、弥太郎の槍を弾き飛ばした。

 無慈悲に繰り出される槍。





 猿渡信光は、敵味方乱れる中で、息子の最期を見た。

 「あっ!!」

 馬から倒れる弥太郎。その光景を見たとき、信光の体は震えた。

 「弥太郎!!」

 駆け寄り、馬から見下ろす。駄目だ・・・死んでる。

 信光は目の前の敵将を睨み、恐ろしい叫びと共に切りかかった。





 主戦場の沖田畷付近では、乱戦が続いた。

 「赤星統家である!!誰か名のある武士はおらぬか!!」

 その声に応える一人の敵将。

 「赤星?肥後の国人がこんなところまで何しにきた」

 「子供の仇を討ちにきたのだ。お前は誰だ!」

 「わしは龍造寺隆信が一の家臣、百武賢兼」

 「ほう、あの百人力の百武か、相手にとって不足無し!」

 馬から槍を繰り出して攻撃する赤星を、百武は冷静にかわす。

 「なるほど、なるほど、さすがは武勇で知られる赤星。だが、負けぬ!!」

 二人の死闘は続いた。槍は火花を上げ、馬は動き回った。

 次第に赤星は腕がしびれてきた、百武の攻撃は並ではない。

 遂に、赤星は槍を砕かれた。

 「くっ、不覚」

 百武は槍を繰り出した・・・・が、馬が深田にはまり、百武は馬から振り落とされた。

 赤星は馬を降り、素早く太刀を引き抜いて百武の首を叩き割った。

 「討ち取ったりーーー!!!」





 中央と右左から攻め立てられ、龍造寺軍はその機能を完全に失った。

 逃げる者、果敢に突撃する者、泣き叫ぶ者・・・とくに中軍は目も当てられぬ有様であった。

 後ろから来る者、前から逃げてくる者とがぶつかり、結果的に大混乱に陥る。

 「踏み止まれ、数はこちらが勝っておる!!」

 龍造寺四天王の一人・円城寺信胤は必死に声を張り上げる。だが、この状況を立て直すのはどんな名将でも不可能だ。

 「信胤様、お逃げくだされ。お味方は総崩れでござる」

 「ふざけるな、ここまで来て帰ってみろ。全員殿からお叱りを受けるぞ!」

 彼は力の限り叫び、兵を叱咤した。





 島津軍は敵を押し返しながら、ひたすら龍造寺隆信を探していた。

 「総大将を、総大将の隆信を捕らえろ!いや殺せ!殺すのだ!」

 山田有信は島津義虎と共に部隊を指揮して闘っていた。既に鎧は血で真っ赤である。

 「申し上げます。龍造寺隆信を見つけました!」

 「でかした、それでどこに」

 「山際に追い立てられています」

 山田隊と義虎隊はすぐに駆けつけた。確かに数十人の兵が懸命に一人の武将を守っている。

 「失せろ、ワッパ共!それがしを龍造寺隆信と知っての狼藉か!」

 山田はおやっ?と思った。話に聞いていた隆信のイメージとどうも違うのだ。

 だが相手は必死に「隆信だ!」と叫んで逃げている。とにかく逃がすわけには行かない。

 「行くぞ、義虎殿」

 「心得た!!」

 二人は部隊を率いて突進した。





 新納忠元は慎重に兵を指揮しながら敵を倒していた。

 「山田有信様、島津義虎様が敵総大将、龍造寺隆信と交戦中」

 「もう敵本隊を見つけたのか?・・・よし、我らも向かうぞ」

 新納隊が到着すると、既にそこは修羅場となっていた。槍で、刀で敵を殺す、殺される戦場。

 そこに、山田と義虎が懸命に戦っている男を見つけた。

 「あれが、龍造寺隆信!」

 新納は槍を構え、雄叫びを上げて走った。

 「我が名は新納忠元、山田殿、義虎殿、ご助力いたす!」

 さすがの敵将も、三人相手に分は悪いと判断し、馬首を返して逃げ出した。

 「逃がすな、弓を射ろ!射殺せ!」

 兵が何人か弓を放ち、一本が相手の馬に当った。

 「よし、首を取れ!!」

 相手はもがいて抵抗したが、もはやどうにもならない。数人がかりの兵が群がり、首を上げた。

 「こやつ、本当に龍造寺隆信か?」

 新納も、山田も、義虎も怪しんだ。どうもイメージと違うのだ。

 「有馬の兵を連れて来い、奴らなら龍造寺家の人間に詳しい」





 検証の結果、敵は龍造寺隆信ではなく、配下の円城寺信胤であると分かった。

 「あの龍造寺四天王の一人か、さすがに強いと思ったわ」

 「こうしてはおられん!こやつが隆信ではないのなら、すぐに奴を追うぞ!」

 三人は部隊を再び進撃させ、いまだ乱戦が続く沖田畷に向かった。





 遂に龍造寺軍は潰走を始めた。もうこうなると戦うどころではない。

 一人が逃げると二人が逃げ、結果的に全軍が逃げ出した。

 連合軍はこれ幸いと追撃を開始。

 戦において追撃ほど悲惨なものはない。逃げ遅れた者は容赦なく殺され、命乞いしても無駄だった。

 やがて雨が降り、霧も出てきた。





 鍋島直茂は、猿渡信光の攻撃を防ぎながら、もはやここまでと判断した。

 (敗れたか・・・だがまだだ、わしはこんなところでは死ねぬ)

 敵の槍をかわし、号令する。

 「撤退だ、撤退しろ!!」

 「逃げるのか!逃がさぬぞ!」

 「お前の相手をしている暇はない」

 馬首を返し、一目散に山の中を走る鍋島。

 「くそ、逃げるな!」

 伊集院忠棟が慌てて信光の馬の綱を握る。

 「もう止めよ。勝敗は決した。我らは本隊と合流するぞ」

 「おのれ、おのれ、おのれーーー!!!」

 山からは、信光の絶叫が木霊した。





 死人が折り重なる戦場跡で、一人の男が立ち上がった。

 (このままで、このままでは終わらぬ)

 男は龍造寺四天王の一人・江里口信常。彼は全身血で濡れた鎧を着たまま、島津軍本陣に向かった。





 島津軍本陣

 「誰だ!」

 衛兵に声をかけられる江里口。

 「無礼者!わしは大将に報告をしに来たのだ!」

 「は、はっ!失礼しました」

 衛兵はそのまま立ち去った。

 本陣に入ると、島津家久と有馬晴信が鎮座していた。

 「大勝利ですな、島津殿。この追撃でどれほどの大将首がとれるか、楽しみだ!」

 「あ、ああ、そうですね」

 江里口はゆっくりと家久に近づいた。

 「ん?何者だ」

 「で、伝令です」

 「ほう、それでどこの誰から」

 晴信が質問するが、江里口は答えない。

 「・・・・」

 「どうした、どこの誰の使いだ?」

 「・・・・」

 「どうした、答えろ!!」

 江里口はカッと目を見開くと、刀を抜いて家久に切りかかった。

 「「!」」

 家久はすかさず後ろに退いたが、左足を切られてしまった。

 「うぐっ」

 「うおおおおおおおおお!!」

 なおも襲い掛かる江里口を、有馬は飛び掛って抑えた。

 たちまち乱闘となり、二人は暴れ回る。

 「その者を突き殺せ!」

 家久の言葉に、兵達が槍を構え、隙を見て江里口の背中を刺した。

 恐ろしい咆哮を上げ、江里口は有馬に覆いかぶさったまま死んだ。





 龍造寺隆信は逃げていた。

 なぜ負けたのか、なぜこうなったのかとは考えていなかった。

 ただあるのは、生き延びること。

 彼を守っていたのはわずかな手勢と、龍造寺四天王の一人・成松信勝だけである。

 「殿、敵が来ました。ここは拙者が防ぎます、お先に」

 「なに、敵が!?ええい、何をしている、早く行け!」

 「では、ごめん」

 成松は郎党と共に森の中に消えた。





 なおも逃げる龍造寺隆信だが、とある農家の庭先に馬を乗り入れてしまった。

 「ええい、くそ暴れるな、暴れるな!!」

 旗本の生き残りが必死に馬を落ち着かせようとするが、馬はなおも暴れる。

 そのとき・・・・

 「いたぞ、敵だ!!」

 林の中から数十人の島津兵が出てきた。

 「見ろ!あの見事な鎧を、大将だ!!」

 口々に叫びつつ、間合いを詰める兵。たまらず隆信は叫んだ。

 「失せろ、雑兵!わしが龍造寺隆信と知っての狼藉か!!」

 「なに、龍造寺隆信!総大将ではないか、いざ、お命頂戴!」

 馬上から武者が駆け寄り、隆信に槍を突き出した。

 隆信は避けようとして無理に体をひねり、その反動で馬から落ちてしまった。もう彼を助けるはずの旗本も逃げ出している。

 「それ、首を取れ!」

 武者の言葉と同時に兵が群がり、隆信の首はあっけなく切り取られた。

 ここに、『肥前の熊』と恐れられた大名・龍造寺隆信は戦死した。

 五十六歳の生涯であった。

 余談だが、戦国大名で、戦場で首を取られたのは今川義元とこの龍造寺隆信ぐらいであろう。





 龍造寺四天王最後の一人・木下昌直は敗走する軍のしんがりを務めていた。

 「神代海岸まで全軍退却しろ。一人でも多く生き延びるのだ!」

 声をからして叫ぶ木下だが、もう全身は傷だらけで弱っていた。

 「報告。鍋島直茂様、無事に退却できたとのことです」

 「そうか、良かった」

 ほっとする木下だが、遂に敵兵が到着。たちまち乱戦となった。

 「踏み止まれ、踏み止まるのじゃ!」





 島津忠長は、馬上から叫んで味方を叱咤する木下を見つけた。

 「・・・・・」

 馬上から弓を構え、射た!

 「かっ!!」

 狙いは正確。木下昌直は首に弓をくらって絶命した。

 駆け寄り、高々と宣言する。

 「敵将、この忠長が討ち取った!」

 「オオゥ!!」





 天正十二年(1584年)

 島津・有馬連合軍は龍造寺隆信を討ち取り、龍造寺軍は壊滅した。

 戦場跡に残るのはおびただしい死体と、硝煙の臭いだけ・・・。



 第五十三章 完


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