戦国島津伝




 第五十五章 『不屈』

 筑前(福岡県西部)に秋月種実という男がいた。

 有力国人として名を馳せ、巨大な大友家と何度も戦った。

 しかし1557年に父親の文種が戦死すると、中国の毛利氏を頼って落ち延びる。

 59年に再び力を盛り返した種実は、『休松の戦い』で大友軍を撃退し、筑前に返り咲く。

 だが69年、立花道雪の猛攻に臣従を余儀なくされた。





 それから九年後・・・運命は種実に味方する。

 『耳川の合戦』、大友家と島津家との雌雄を決する戦いで大友軍は大敗。

 種実は筑前で独立を宣言する。

 独立を宣言した種実は、同じ有力国人の筑紫広門(つくし ひろかど)と協力して勢力を拡大。島津家とも親密な同盟関係を結んだ。

 現在、彼は筑前の王者として大友家を圧迫している。





 筑前の一部・筑後の一部・豊前・豊後を有するだけの大友家を支えているのは、立花道雪と高橋紹運の名将二人。

 彼らが消えれば、もう大友軍は恐れるに足らず。

 秋月種実はそう考えていた。





 天正十三年(1585年)

 筑前の秋月邸

 「殿、万事準備完了です」

 「うむ、後は島津が来てくれれば・・・」

 重臣・恵利暢堯の言葉にニヤリと笑う種実。

 彼は筑前で島津軍を待っている。島津軍が北九州に来てくれれば、秋月家は更に飛躍できる。

 「兵の準備は整ったが、肝心の島津殿がなかなか腰を上げてくれぬな」

 「筑後(福岡県南部)には立花道雪殿がいるので、島津殿も戦略を練っているのでしょう」

 「立花道雪・・・ふん、老人が」

 秋月はかつて自分に苦渋を与えた老将の顔を思い出しながら、歯軋りした。





 九月

 立花道雪は筑後に遠征していた。奪われた大友の領土を奪還する為である。

 道雪は高良山に陣を張り、そこで夜空を見上げていた。

 「美しい・・・」

 陣から出てきた側近は、道雪が一瞬、両足で立ち上がった気がした。

 「道雪様?」

 次の瞬間、道雪は倒れた。

 「ど、道雪様!!」

 「どうした!?」

 「道雪様が!」

 「なに!」

 兵達の泣き喚く声。絶叫。高良山はあっという間に混乱の渦となった。

 立花道雪・・・死去。享年七十三歳の高齢であった。





 秋月種実は道雪が死んだと聞くと、飛び上がって喜んだ。

 「はーはっはっはっ!道雪が死んだか!!」

 更に報告は続いた。道雪が死んだので、代わりに高橋紹運が筑後に遠征しに行ったのである。

 「紹運が筑後に!?よし、筑紫殿を呼べ!」

 秋月は筑紫広門と相談した。

 「紹運が守っていた宝満城はがら空き状態だ。いまなら占領するのは容易いぞ」

 「・・・そうだな」

 「そうとも、お主が宝満城を攻め取れば、島津殿の筑前占領もやりやすくなる!」

 「・・・島津殿か」

 「島津殿が九州全域を統一したあかつきには、俺もお主も取り立てられること間違いなし!」

 「・・・」

 数日後、筑紫広門は軍勢を率いて出陣した。





 種実の予想通り、宝満城はあっけなく陥落した。

 「それ見ろ!それ見ろ!さあ島津殿、いまこそ出陣の時だ!!」

 だが、島津義久は動かなかった。

 羽柴秀吉からの惣無事令を無視したことで、中央の大勢力である秀吉軍との対立が決定的となった島津家。

 一刻も早く九州を統一するのが先決のはず。

 それでも、義久は悩んでいた。





 戦国期の島津家を記した重要文献『上井覚兼日記』によると、義久は肥後(熊本県)から筑後に攻め入るか、日向(宮崎県)から豊後(大分県北部を除いた部分)に攻め入るかを考えていたことが分かる。

 有名な逸話として、クジを引いて決めようとしていたようだ。

 また彼を悩ます原因は初代島津家の忠久公以来、北の遠国に遠征した経験がなかったこと。占領したばかりの肥後経営があまり思わしくなかったこと等が要因としてある。





 しかし、秋月種実にとってそんなことはどうでもいい。

 島津が九州統一を成し遂げれば、秋月家の未来も大きく開ける。種実は島津家に自分の運命を賭けていたのだ。

 「しょうがない、義久殿が決断するまで所領の防備を固めておけ!」





 筑後に出兵した大友家の重鎮・高橋紹運(たかはし じょううん)は、宝満城が筑紫広門(つくし ひろかど)に奪われたという報告にすぐさま引き返した。

 「戦いますか?」

 「広門はアホではない。野蛮な筑前の豪族衆の中で、奴だけは先見の明を持つ者だ」

 「はあ・・・」

 筑前に帰った紹運は、とりあえず岩屋城に入った。この城は宝満城の支城である。

 岩屋城は筑前国御笠郡(福岡県太宰府市浦城)、四天王寺山の中腹(291メートル)にあった。

 東は宝満・北は博多方面・南は筑後の連山・西は肥筑両国にそびえる脊振山まで視野に入る。

 「さて紹運様。広門を一体どうしましょう?」

 「既に大友家は羽柴秀吉殿の傘下に入ったと、広門に伝えろ」

 不服ではあるが、紹運の仕える大友家は羽柴秀吉に従属していた。

 それしか大友の家を守る手段はないと、当主の大友宗麟は決意したのだ。

 同時に高橋紹運・立花宗茂、二人が守る岩屋城・宝満城・立花山城も秀吉の配下と所有物になったのである。

 「広門に知恵あるなら、あえて秀吉殿と戦う道は歩まんはず」

 自信満々に答える紹運だが、その顔は暗く沈んでいた。

 (いずれ島津が来る・・・わしも覚悟を決めねばなるまい)

 やがて訪れる激闘を、紹運は確かに感じていた。



 第五十五章 完


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