戦国島津伝




 第五十八章 『玉砕』

 裏切り者の筑紫広門を倒し、島津軍はいよいよ四天王寺山に迫った。

 この山にある岩屋城と宝満城、そして立花山の立花山城を落とせば、北九州制圧は完了する。

 「島津軍来る!」の報に、大宰府や博多の町は大混乱になった。人々は荷物をまとめて逃げ出し、天満宮別当大鳥居信寛は、神域を守るため、島津軍に金銭を送っている。





 岩屋城に篭る高橋紹運は、四天王寺山全体に大小の砦を築き、一大要塞へと変化させた。だが、やはり兵が圧倒的に少ない。最大で七百人程度。かたや島津軍は四〜五万。気の遠くなるような軍勢である。

 「高橋様」

 岩屋城本丸で各将兵の指揮をとる高橋に、一人の家臣が声をかけた。

 「何だ」

 「やはり宝満城か、宗茂様のいる立花山城に退いてくだされ。この城では地の利でも兵の数でも絶望的です」

 「宗茂が何か言ってきたのか?」

 「は、はい。密使が」

 家臣はふところから手紙を出し、紹運に見せる。

 しばらく眺めた後、紹運はその手紙をビリビリと破き、空に捨てた。

 「福田、兵に飯をとらせろ」

 「・・・承知しました」

 それ以上、主従に言葉はなかった。





 七月十三日

 四天王寺山に島津軍が殺到。山をぐるりと取り囲んだ。

 早速、島津忠長と伊集院忠棟は軍議を練った。

 「さ〜て、いよいよこの日が来た。岩屋城を一息に叩き潰してやる!」

 鬼気はやる忠長に忠棟は顔をしかめて注意した。

 「お待ちください。岩屋城を守る高橋紹運は名の知れた名将。正面から当るのは得策ではありません。ここは降伏勧告を出してみましょう」

 「そう易々と降伏する男か?紹運は」

 「兵の命を助けると言えば、もしかしたら・・・」





 島津軍から厳寺快心という坊主がやってきた。

 彼が言うには

 「島津は裏切り者の筑紫広門を討伐するためにやってきた。別にあなたと戦うために来たわけではない」、

 「筑紫は既に降伏した。そしてこの岩屋城と宝満城は元来筑紫が占領した城。早々に明け渡せ」

 という内容の言葉を並べた。

 高橋の返答は

 「この城はもう関白秀吉公の物。その命がない限り明け渡すことはできません。それでもこの城を奪おうとなされるなら、それがしも存分にお相手する」

 というものだった。





 この報告に、忠長はいよいよ闘志を剥き出しにし、忠棟はがっかりした。

 「明日、十四日に攻撃を開始する。それで良いな、忠棟」

 「・・・是非もなし」

 島津の将兵は包囲網を縮めつつ、攻撃の合図を待った。





 七月十四日 早朝

 合図の狼煙と共に、島津軍五万は四天王寺山に駆け登った。

 奇策も何もない、正面からの正攻法である。兵は竹を束ねた盾を前に出して突き進み、岩屋城周辺にある無数の砦に攻め寄せた。

 新納忠元、北郷時久など、島津家自慢の将軍も雄叫びを上げて突き進む。

 しかし、砦や本丸の岩屋城から次々と鉄砲や弓、はたまた大岩が投下してきて、なかなか城門に取り付けない。

 筑前国続風土記によると、「終日終夜、鉄砲の音止む時なく、士卒のおめき叫び声、大地も響くとばかりなり・・・」と記している。

 いかに岩屋城攻防戦が凄まじいものだったか、想像できる。





 寄せ手は数に物言わせて味方の死体を乗り越え、潮のように押し寄せる。守り手も砦の上から大木を落として防戦。焼け付くような炎天下の中、地獄の攻防戦は繰り返された。

 島津軍本陣では、島津忠長がイライラしながら戦果を聞いていた。

 「報告!どこのなにがしが戦死!」

 「報告!負傷兵が百人に達しました!」

 「報告!弾薬が切れました、補充を!」

 忠長は立ち上がり、伝令兵に大声を上げた。

 「貴様ら!!一体何をしている、敵は七百なのだぞ。ダラダラしていないで、早く城を攻め落とせ!!」

 兵達はみんな怯えたが、どうしようもない。歴戦の島津兵は全員死を覚悟して進んでいる。それでも落とせないということは、城を守る守備兵もまさに鬼となって防いでいるということだ。

 怒りまくる忠長を忠棟は必死に抑えた。

 「総大将殿、もう夜の10時です。一旦兵を下げましょう」

 「ぬ〜、しかし」

 「明日、明日こそ落とせば良いではありませんか」

 「・・・わかった」

 こうして数十時間に及ぶ第一次攻撃は終わった。





 翌日

 忠長は将軍を集め、激励した。

 「昨日の攻撃で敵は大打撃を受けたはず。今日こそ高橋紹運の首、俺の前に持って来い!」

 新納忠元が進み出た。

 「今日の攻撃、先鋒はこの忠元が承ります」

 すかさず北郷が闘争心剥き出しで手を上げる。

 「待て、待て。ここは俺が行こう」

 忠長はしばらく考えた結果、忠元に先鋒を命じた。暴れ者の北郷より、忠元のほうが兵に人気がある。忠元が前に出て進めば、兵も勇気百倍だろうと思ったのだ。





 第二次攻撃は朝の10時から始まった。

 用意された馬に飛び乗り、槍を振り回しながら兵を叱咤する忠元。

 「皆、島津家の鬼武蔵!この忠元に付いて来い!」

 オオゥ!という喚声と共に進撃する島津軍。

 山を駆け登り、付近の砦を無視して、岩屋城の二の丸に進んだ忠元は遮二無二攻撃を開始した。

 対する城兵は鉄砲、弓、岩、木、土、熱湯・・・とにかく落とせる物なら何でも落として防衛に徹した。

 寄せ手も死力を尽くして戦うが、どうにも守りが堅い、堅すぎる。

 忠元は焦り、無意識に砦に近づき過ぎた。その時。

 「ぐわ!!」

 顔面に小石が直撃した。急な斜面にいた忠元からすれば、小石でも当ればかなり痛い。

 「忠元様!」

 「ぐ、大事無い。攻撃を」

 「大変だ、忠元様が負傷なされた」

 「何、忠元様が!」

 大将の負傷。それは伝染病のように兵に不安を与え、たちまち寄せ手の攻撃力は激減した。

 「忠元様、早く後ろに」

 「・・・くそ!」

 夜の12時まで続いた第二次攻撃も、失敗に終わった。





 総大将・島津忠長は座っていた床机を蹴って怒りを露にした。

 「まだ岩屋城なのだぞ、お前ら!まだ山の上には宝満城、更に東には立花山城もあるんだ!分かっているのか!!」

 忠長にとって、五万という大軍を指揮したのは始めての経験。それゆえ、もしも何か失敗をすれば、もうこんな大軍を率いさせてはもらえないかもしれない。そんな不安が、彼をイライラさせた。

 「押して駄目なら、引いてみろ。という言葉がございます」

 「何!?」

 地図を見ながら考えていた忠棟を、忠長は睨んだ。

 「水の手を絶ち、城を干上がらせましょう」

 「からめ手か・・・出来るのか?」

 「こんなこともあろうかと、近隣の農夫を捕まえておきました」

 しばらくして、岩屋城背後の間道を探り、島津軍は水の手を絶つことに成功した。





 だが、それから10日が経っても岩屋城は落ちなかった。

 「忠棟、どういうことだ?」

 いよいよ頭に血が上り始めた忠長。忠棟は溜息を吐くしかない。

 「これはもはや、戦術うんぬんではありません。城の兵は気力だけで戦っているのでしょう」

 「気力で五万の軍を退かせているのか?」

 「理屈では説明できないことも、世の中にはあるのです」

 「このまま攻撃を続ければ、城は落ちるのだろう?」

 「いや、ここは城を取り囲み、兵糧攻めを行いましょう」

 「兵糧攻めだと!」

 「はい。いかに勇敢な将兵でも、飢えには勝てません。まして連日の攻撃で我々の方が疲れています。ここは手を緩めて・・・」

 「ならん!」

 怒号と共に立ち上がる忠長。その眼はどこか狂気を帯びていた。

 「時間をかければ、敵の思う壺だ!奴らは豊臣秀吉が本州から来るのを待っている。だから全力で我々を防いでいるのだ!」

 「それは、そうですが・・・」

 「豊臣が来れば、我々は退却するしかない。それまで紹運は耐え抜く気だ。たとえ水がなくなり、腹が減って倒れてもな!」

 「・・・・・・」

 「本陣を移動する。良いな?」

 「・・・はい」





 連日、地獄の光景が四天王寺山に広がった。

 寄せ手は死体を踏み越え、鉄砲を放ち、絶望の雄叫びを上げ。

 守り手は持てる力の全てを使って相手を砦から蹴落とし、最後には肉弾戦で力尽きた。

 一つの砦を落とすのに、攻撃兵は守備兵の倍の負傷者を出し、将軍達は声をからした。





 七月二十六日未明

 遂に島津軍が岩屋城周囲の砦を駆逐し、二の丸、三の丸に到達した。

 「北郷様、お味方が三の丸に!」

 「そうか、よーし、俺に続けぃ!!」

 北郷は自ら三の丸の外郭によじ登り、兵を鼓舞した。

 「さあ、さあ、俺に続けぃ。続けぃ!!」

 「大将に遅れるな、皆行くぞ!」





 岩屋城二の丸・三の丸を指揮する男は屋山中務という城代。彼は『虚空蔵台』と呼ばれる岩屋城前面の城塞で、敵の襲来を待っていた。

 「二の丸、三の丸に島津兵が殺到!」

 「来たか、手はず通りやれ」

 「はっ!」





 三の丸の城郭を登りきった北郷は、敵兵の姿を探した。

 「進め、進めぃ!止まる奴は俺がぶっ殺す!」

 次々と城郭を登る島津兵。

 だが、北郷は異変に気付いた。敵の姿が見えない。

 しかも、何やら足元が震える。

 「これは・・・」

 「北郷様、あれを!」

 「!」

 丁度、虚空蔵台の辺りから三の丸の北郷達に向けて、岩石が三つ転がってきたのだ。

 「お、お、お」

 これにはさすがの北郷も開いた口が塞がらない。岩石は唸りを上げながら転がり続け、北郷に迫る。

 岩石の大きさはゆうに五メートル。まともにぶつかれば北郷の体などバラバラに消し飛ぶだろう。

 「ひ、退け。退けぃ!!」

 半ば悲鳴のように命令を下すと、北郷は外郭を飛び降りた。

 「頭を低くして伏せろ、下手に動くな!」

 そうは言っても、兵は混乱し、誰も言う事を聞かない。

 やがて・・・・物凄い轟音と共に岩石が三の丸に激突した。





 三の丸・二の丸に島津兵が到達すると、上にある虚空蔵台から巨大な岩と木が振ってくる。隠れる場所が少ないので、かなりの被害が出た。

 将兵の頭は砕かれ、手足を折られて山にある谷底に転落した。

 この攻撃で北郷も足を強打。攻撃は一時停止した。

 たまりかねた島津側は軍使を遣わし、有利な条件での開城を迫った。

 しかし、高橋紹運は

 「貴公らが撤退するか、この紹運が死なぬ限り、開城はあり得ない!」

 と使者を一喝。追い返した。





 新納忠元、北郷時久が負傷し、残る将軍はわずか。

 島津忠長は岩屋城を見上げながら、遂に決断を下した。

 「全兵力を岩屋城前面に集中させろ。総攻撃だ!!」

 その言葉に、伊集院忠棟が口を開く。

 「お待ちくだされ!これ以上の攻撃は無駄に被害が増えるだけです」

 「もう少しで城は落ちる!四天王寺山を取り囲む予備兵も投入しろ!武器も全部出せ!秋月殿にも出陣要請だ!!」

 もはや、何を言っても無駄。忠棟は静かに眼を閉じた。





 七月二十七日 運命の日

 秋月種実の軍勢も出陣し、島津軍全兵力が岩屋城の眼下に集結。

 梅北国兼を前線司令官に任命して進撃を開始した。

 守備側も必死に応戦するが、既に弾薬も捨てる石も木も尽きていた。

 岩屋城本丸で指揮をとる高橋紹運も、覚悟を決めた。

 「萩尾・・・」

 「はっ」

 城にいたのは萩尾麟可という男。紹運の家臣の一人だ。

 「本丸の登り口を頼む」

 「承知しました。では、さらばです」

 紹運はじっと、寄せ手と守り手の戦いを見守り続けた。





 午後1時頃、大手門の一部が破壊され、守備隊長の福田民部以下全員が戦死。

 梅北と秋月は更に突き進んだ。

 「秋月殿は虚空蔵台をお頼み申す」

 「心得たり!」

 梅北は岩屋城の本丸に到達。鉄砲の一斉射撃で守り手を次々と撃ち殺した。

 「あまり近寄るな、敵は死を覚悟しておる。飛び道具で殺せ!」





 本丸の登り口を守る萩尾麟可と息子の大学は、守兵百人と共に刀や槍を持ち、寄せ手を威嚇。

 「父上、もはやここまで、私は下に降りて戦います」

 その言葉に、萩尾ははっとした。そうか、もう終わりなのかと。

 「・・・また会おう、大学」

 「さらばです!」

 槍と刀を両手に持ち、大学は登り口を降りていった。





 虚空蔵台に攻め寄せた秋月種実も、弓と鉄砲を駆使して遠出からの攻撃を開始した。

 「ははは、撃て、撃ちまくれ!」

 いかに立派な城塞でも、守る兵の数が少なすぎる。指揮官の屋山は家臣の一人を呼び、こう言った。

 「火を放て」

 そして、虚空蔵台は紅蓮の炎に包まれ、屋山は自害して果てた。





 登り口で必死の防戦をしていた萩尾も、その炎を見た。

 「屋山殿・・・死んだか」

 その時、下からの一斉射撃が萩尾を直撃。全身数十箇所に弾が当たり、萩尾は絶命した。





 高橋紹運は、念仏を唱えていた。

 残った兵は五十人。もはや城は落ちる。

 紹運は全ての家臣と兵を本丸に呼んだ。全員、体の至る所に傷を負っている。

 「皆、よくぞ頑張ってくれた。この紹運、心から礼を言う」

 その言葉に、家臣も兵も、涙を流した。

 「そなた達の武勇は、末代まで語り継がれるだろう。これよりは最後の突撃を行い、死んだ者達の思いに応えよう!」

 「「「オオオオオオ!!!」」」





 本丸に取り付いた寄せ手は、いきなり開いた城門に驚いた。

 「ん?」

 梅北も何事かと思ったが、すぐに察しがついた。

 「かかれぃーーー!!」

 紹運を先頭に、残った城兵が飛び出してきたのだ。この突撃に寄せ手は恐怖し、動揺した。

 「怯むな、矢を放て、鉄砲を撃て!」

 だが高橋軍の勢いは凄まじく、寄せ手が密集する部分に突入して乱戦へと巻き込んだ。

 「くそ、槍を前に出せ。突き殺せ!」

 一人、二人と倒れていく高橋軍。それでも、彼らは戦い続けた。

 兵の動揺は梅北にも伝染した。恐怖が、体を包み始める。

 「大将とお見受けした!いざ、勝負!」

 一人の敵兵が向かってくる。梅北は意地も何もなく、背を向けて逃げ出した。

 「待たれよ!逃げるのか、臆病者!」

 「う、撃て!撃ち殺せ!」

 旗本が鉄砲を乱射し、敵兵は胸を撃たれて死んだが、寄せ手は完全に闘志が失せた。

 (戦ならば、大勝利だな)

 紹運は島津兵を十七人切り殺し、城に撤退。再び城門は固く閉ざされた。





 戻った紹運は高楼に登り、そこで脇差を抜いた。

 「田本、介錯を頼む」

 「紹運様・・・」

 (道雪殿、ァ千代殿、宗茂・・・さらば)

 両手が脇差に添えられ、一気に腹を突いた。





 高橋紹運、切腹。享年三十九歳。最後まで武士の節義を守った男の最期だった。





 残った城兵は次々に念仏を唱えながら切腹、または敵に突撃。

 午後5時頃、岩屋城は陥落。約二週間に渡る激闘は幕を閉じた。

 この戦いで岩屋城守備兵は全員玉砕。

 島津軍は死傷者四千五百という多大な被害を出した。





 紹運の辞世の句

 かばねをば岩屋の苔に埋てぞ雲井の空に名をとどむべき



 第五十八章 完


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