戦国島津伝




 第六十章 『押し掛け女房』

 肥後から筑前に侵入した島津忠長率いる西軍。

 日向から豊後(大分県)を目指す島津家久率いる東軍。

 それら東西両軍の島津勢を統括しているのが、薩摩の猛将・島津義弘である。

 彼は肥後(熊本県)の八代城で両軍の戦況を聞いていた。

 「島津忠長様は現在、筑前の立花山城を包囲中とのことです」

 「そうか・・・家久はどうしている」

 「ただいま豊後の入口を守る大友家の諸将に密書を送っているそうです」

 「調略を仕掛けているのか、家久らしいな」

 「西軍から物資の補給要請が来ておりますが・・・」

 「お前の裁量に任せる、頼んだぞ」

 そう言って、義弘は部屋を後にした。





 (忠長も家久も一軍の大将で活躍中、か)

 自室で給仕の女に背中を押してもらっている義弘は、ぼんやりとそんなことを考えた。

 ※給仕(きゅうじ)・雑用や飲食の世話をする人

 昔は自分も馬に乗って戦場を駆け回り、敵将の首をいくつも討ち取ったものだが。

 「俺も今年で、51か」

 「どうしました?」

 背中を押していた給仕の女が声をかける。取り立てて美しいわけではないが、物静かでいつも落ち着いている女性だ。

 「いや、俺も歳を取ったのかな、と思ってな」

 「義弘様は十分に御若いですよ」

 「ふふ、武将は無駄に生きるものではないな。俺はもはや、戦には簡単に出してもらえぬ」

 義弘の存在は島津家の大黒柱。昔のようにおいそれと戦場で馬に乗り、槍を振り回すようなことはご法度である。

 「誰よりも戦果を上げ、いまだ馬上での戦いで負け知らずの俺が、この歳で手に入れた栄光は軍団長・・・・何とも退屈な仕事だ」

 「そうですね、義弘様にお城勤めは似合いませぬ」

 「はっはっはっ!そうか、俺に城は似合わぬか!はっはっはっ!」

 武神と称えられている男の寂しさがそこにあった。





 「机を出してくれ」

 「はい」

 起き上がり、姿勢を正して机に向かう義弘。やがて白い紙と筆を手に何やら文字を書き始める。

 「奥様にお手紙ですか?」

 横から覗き込み、微笑む女。有名な話だが、義弘は手紙をよく書いた戦国武将だった。後に朝鮮出兵で出陣したときも、家族に心温まる手紙を何度も送っている。

 「ん?まあ、な」

 「今度は何とお書きに?」

 「そうだな〜、当分帰れないとでも、書こうかな」

 サラサラと丁寧に文字を書き、何度も読み返す義弘。その顔は優しい夫、父親のそれだった。

 「あっ!」

 義弘は突然声を上げた。

 「何か?」

 「そうだ、そうだ。お前の父は病気で臥していると言っていたな」

 「はい」

 「この薬を飲ませろ、きっと良くなる」

 懐から赤い紙に包まれた粉末を取り出す。

 「えっ!?いや、でも」

 これにはさすがに女もうろたえた。

 「俺が調合した薬だ。そこいらの医者の薬よりも効くぞ」

 義弘は医術に関する知識が豊富で、大抵の傷や病気は治せるほどの腕前である。

 「そんな!?も、もったいのうございます!」

 「はっはっはっ!俺とお前の仲ではないか、遠慮せず受け取ってくれ」

 薬を女に握らせ、再び手紙に向かう義弘。女はただただ平伏するしかなかった。

 (さて、綾子・・・久保・・・忠恒・・・今頃何をしているのか)

 頭に思い浮かぶ家族の顔。老将は眼を細め、虚空を見つめ続けた。





 8月の加久藤城は蒸し暑く、じっとしているだけで汗が出てくる。

 この城を守るのは義弘の妻・実窓院(綾子)。彼女もまた、この日の暑さにまいっていた。

 パタパタと扇子を振って風を送るが、あまり効果はない。

 「熱いですね〜、今日は特に」

 実窓院の親縁に当る吉登(よしと)が思わず本音を吐く。

 「ええ、本当に」

 健康的な褐色の肌から玉のような汗を出し、実窓院はチリチリと照りつける庭を眺める。

 そのとき。

 ガッシャン!

 茶碗が割れる音が廊下に響いた。





 「ああっ!」

 肌が白く、城内でも美しい部類に入る使用人・みちが悲鳴を上げる。これで一体何個の茶碗を破壊したことだろう。

 「どっ、どうしよう・・・」

 慌てて割れた茶碗の破片を拾い集めようとかがんだ瞬間。

 「み〜た〜ぞ〜」

 「!」

 ビクッ!

 背後からの声に、肩を震わすみち。

 「おみち、お前また割ったのか」

 「た、忠恒様!?」

 声の主は島津義弘の三男・島津忠恒。今年で10歳の少年に成長している。誰に似たのか、城下でも知らぬ者はいない美少年。薩摩では珍しい色白である。

 「あ〜あ〜あ〜、こうも大事な茶碗を何度も割られると逆に哀れだよ、おみち」

 「・・・・」

 みちはべそをかいて必死に忠恒の罵声に耐える。

 彼女は城内でも有名なドジ娘。何か仕事をすると必ず失敗する。

 「ん?おみち、お前泣いているのか?余のせいか、え?余のせいか?」

 忠恒は最近、自分のことを『余(よ)』と呼ぶ。

 「ち、違います・・・私の・・・せいです」

 切れ切れに言うみちは、もう半ば泣いていた。だが、忠恒はその光景が面白くてたまらない。

 実はこのドジ娘であるみちに、茶碗を持ってくるように頼んだのは忠恒自身。いや、この城の中で彼女に仕事を頼むのは忠恒しかいない。みちに仕事を頼めば必ずと言って良いほど失敗する。そこを発見してネチネチと言葉でいじめるのが、忠恒のマイブーム。

 「茶碗を部屋まで持っていくことなど、教えれば猿にでも出来るぞ」

 「・・・・・うう、ひくっ・・・・」

 顔を伏せ、いよいよ泣き出すみち。

 みちは忠恒の痛い言葉でいじめられたから泣いているのではない。彼の信頼に応えられなかったことが何よりも悲しいのだ。

 自分を部屋まで呼んでわざわざ仕事を頼んでくれる忠恒様。その人の信頼を裏切りたくない。だが、一生懸命やればやるほど失敗する。

 自分が憎かった。

 「ああ、もうよい、もうよい。さっさと破片を拾って失せろ」

 小さく頷き、眼に涙を溜めながら破片を拾って立ち去る。まだ9歳の幼子の悲しげな背中がそこにあった。





 忠恒がスッキリとした気持ちで自室に戻ると、お目付け役の伊集院忠真がいた。彼も今年で10歳の少年である。

 「いまの音は何ですか?忠恒様」

 「アホ女が茶碗を割った音だ。まったく、いつも失敗ばかりしやがって」

 「その割には顔が笑っていますよ」

 「・・・気にするな」

 「あの娘、泣いていましたね」

 「女はすぐに泣くから嫌だ。泣いても何も解決しないのにのぅ〜」

 ケラケラと笑う忠恒。

 みちをいたぶるのは本当に楽しく、心が不思議と晴れる。

 「それで忠恒様。今日はどちらに?」

 忠真は内心ワクワクしながら返答を待つ。最近、忠恒と忠真主従は二人でよく城下に遊びに行く。彼にはそれが楽しみで仕方がないのだ。

 「そうだな〜、三山にでも行ってみるか」

 「よろしいですね」

 三山は二人が住む加久藤城から東に進むとある大きな山。忠恒も忠真も詳しく知っている馴染みの散歩道だ。





 二人は共も連れず、軽い服装で三山まで歩いた。忠真はお目付け役としてもっと護衛を連れて行くべきだと主張したが、忠恒は「お前がいるじゃないか」と言ってその主張を退けた。武家の重鎮である者の息子が言うべき言葉ではないが、忠真は嬉しかった。

 「三山には最近、大きな山猿が出ると聞いた。いっちょう我々で捕まえてやろうではないか」

 「山猿退治ですか、いいですね」

 二人は刀を輿に下げ、奥深い山に入って行った。そして山の中から、その二人を見る眼が・・・。





 ガサガサと獣道を通る二人。山猿を捕まえようと言った忠恒だが、本当に捕まえる気はない。ただ何かしら理由を付けて行動したほうが楽しいだろうと思ったからだ。

 「さすがに、木の陰は涼しいな」

 「そうですね」

 ガサッ!

 木の上から飛び出す影。それは二人の頭上を飛び、どこかに消える。

 「なっ、何だ!?」

 「見てまいります!」

 忠真は刀を抜き、山奥にわけ入る。

 「待て、忠真!早まるな!」





 結局、忠真の姿は森の奥に消えた。

 「まったく、主を置いて行く奴があるか」

 手近にあった石に腰掛けて休み、忠真が戻ってくるのを待つ忠恒。

 その時、自分の頭の上から声がかかる。

 「本当、あんたの家来って間抜けだねぇ〜」

 忠恒が驚いて上を見ると、黒い影が飛び降りてきた。

 「お、女!?」

 木の上から降ってきたのは身なりからして農民の娘。忠恒と同い年くらいの少女だ。

 肌の色は褐色。眼は切れ長。どことなく実窓院に似ている。

 「ふふふ♪」

 ジロジロと忠恒の全身を見る少女。本能的に背筋に悪寒が走る忠恒。

 「何を見ている、小娘。無礼であろう!」

 「俺が小娘なら、お前も小僧だろう♪」

 「なにぃ〜!貴様、名を名乗れ!」

 「俺の名はたか。みんなからは『おたかちゃん』って呼ばれているぞ」

 忠恒は腹が立ってきた。

 (何だ、この女は。身分いやしい存在のくせに偉そうに!)

 「おい、娘。この余が誰だか知って」

 「島津忠恒。島津義弘様の三男坊だろう?」

 「知っているなら、頭を下げよ!無礼者!」

 「そんな事よりさ〜、頼みがあるんだよね〜」

 ジリジリとにじり寄る、たか。忠恒は反射的に後ろに下がろうとしたが、次の瞬間には押し倒されていた。

 「な、な、な、何をする!!」

 「ねぇ〜忠恒〜」

 「よ、呼び捨てにするな、農民!!」

 忠恒は生まれて初めての屈辱に全身を震わせた。しかも自分を押し倒しているのは女。

 顔を多少上気させ、たかは口を忠恒の耳に近づける。

 「俺をお前の嫁にしてくれよ」

 「・・・・・・・・・・・・・・はっ?」

 忠恒は一瞬、意味が分からなくなった。

 「ずっと前からお前のことは見てたんだよ、忠恒。ねぇ〜、嫁にしてくれよ」

 「じょ、じょ、じょ、冗談じゃないわ!!!!!」

 三山に忠恒の怒号が響き渡った。





 「忠恒様!」

 草を掻き分け、刀を抜きながら忠真が走ってきた。体の至る所は傷つき、ボロボロである。実はたかが仕掛けた罠にかかり、小さな崖から滑り落ちていたのだ。

 「た、忠真!助けてくれ!」

 「おのれ下郎!無礼打ちだ!」

 素早く、忠恒を押さえつけているたかに切りつけるが、少女はまるで猿のような身のこなしで木の上に逃げた。

 「忠恒、お前は俺と夫婦になるんだからな!また会おうぜ!」

 「くそっ!この性悪な山猿め!今度会ったらぶった切ってくれる!」

 たかは身軽に木々の上を飛び、瞬く間に姿は見えなくなった。

 「忠恒様、お怪我は?」

 「忠真〜、貴様〜、主君を置いて行く奴があるか!」

 ポカっ!と頭を殴られる忠真。忠恒はこの日、実に不愉快な気分で帰路についた。

 (おのれ、あの山猿!確か名前はたかと言ったな、どこの村の娘だ。見つけ次第村ごと焼き払ってやる!)





 数日後

 相変わらず忠恒は使用人のみちに仕事を申し付けていた。

 「おみち、茶を持ってまいれ」

 「はい、忠恒様!」

 みちは心の中で、今度こそ忠恒の信頼に応えてみせると躍起になる。

 だが、やはり。

 ガッシャン!

 茶碗はみちのお盆から滑り落ち、その生命を散らした。

 「ま、また、やっちゃった〜」

 ヘナヘナと崩れ落ちるみち。ここまで来ると解雇されても仕方がないが、忠恒はきっと彼女をかばうだろう。自身のストレス発散の道具として。

 「やれ、やれ。お前は本当にドジで、間抜けで、どうしようもない娘だな〜」

 廊下の角から一部始終を見ていた忠恒が現れる。やはりみちは期待を裏切らない娘だ。忠恒にとって。

 「ううっ、申し訳ありません」

 「お前の『申し訳ありません』も、一体何度聞いたことか・・・お前のような奴を世の中では『役立たず』と呼ぶんだぞ」

 ポロポロと涙をこぼすみち。だが、忠恒の攻撃は止まない。

 「まったく、お前という奴は」

 「もうそこら辺でよくはありませんか?」

 忠恒が前を向くと、信じられない人物がいた。

 「・・・・・・げえぇぇぇぇぇ、お、お前は!!」

 そこには先日、自分に無礼を働いた農民の娘・たかがいた。

 「よっ!忠恒様」

 ニカッと、可愛らしく笑うたか。

 「何で貴様がここにいる!」

 二人のやり取りを不思議そうに見るみち。

 「今日からこの城の使用人にしてもらったんだ、俺」

 「だ、誰がそんなことを許した!」

 「実窓院様」

 「は、母上が!?」

 「うん」

 忠恒はすぐに足を母の部屋に向けて歩き出した。





 部屋に入ると、実窓院が相変わらず熱そうに扇子を振っていた。

 「母上!」

 「ん?ああ、忠恒。何ですか?」

 「あのたかとか言う娘は何ですか、何でこの城にいるのですか!」

 「あら、何ですか?お知り合い?」

 「いえ、別に・・・」

 「あの娘の実家と私の実家は昔からご縁があって、あの娘の母が是非城に勤めさせて欲しいと言ったものですからね」

 そうだった。実窓院はもともと農家の娘だった。そのことをすっかり忘れていた息子。

 「まだこの城に来て間もないけど、良く働くし、気の利く娘だから、あなたの世話役にでもしようと思いましてね」

 「な、な、何〜!!」

 忠恒は生まれて初めて、女に恐怖を抱いた。





 たかは確かに働き者だった。とても少女とは思えない体力と力でどんな仕事でも楽々とこなす。上司に対する態度も礼儀正しく、同僚からも信頼された。

 だが、忠恒の部屋に入って二人っきりになると、その態度はガラリと変わる。

 「おっ!忠恒、そのお菓子俺にもくれよ」

 ヒョイっとお菓子を手に取り、素早く口に投げ込む。

 「何をするか、貴様!」

 当然、忠恒は怒るが、たかは気にしない。

 「いいじゃん、別に。俺とお前は夫婦になるんだから」

 さも当たり前のように言い切るたかに、忠恒は怒りで血管が切れそうだった。

 「ぬぅ〜、まだそんな戯言を言っているのか。身分を考えろ!」

 「大丈夫、俺は身分とか気にしないから」

 「き〜さ〜ま〜」

 そんな光景を横から見ていた伊集院忠真は、忠恒がここまで感情を露にした所を見たことがなかった。

 忠恒はあまり他人を身辺に近づけない。彼が話をするのは限られた人間だけだ。いつもいじめられるみちも、同じ使用人仲間からは羨ましがられている。城内でも有名な美男子である忠恒に声をかけてもらっているからだ。

 しかし、このたかは違う。遠慮も何もない、ズカズカとした態度で忠恒に接する。それが忠恒を嫌でも怒らせ、冷静な仮面を剥ぎ取らせる。

 「もう我慢ならん。この城を出て行け!」

 「俺を解雇できるのは実窓院様だけさ」

 ぐ〜の音も出ない。実窓院が人の解雇や登用を息子の意見で決めるはずはない。

 「そう言えば、明日何かイベントがあるんだよね」

 たかがお菓子をほお張りながら口を開く。

 「この城に仕える女達全員の武術指導ですよ。実窓院様が毎週じきじきに指導なさるのです」

 「ふ〜ん」

 忠真の親切な説明を、「ふ〜ん」の一言で片付ける下女。

 「忠真、この女に丁寧語は無用だ」

 「いえ、癖ですから」

 「実窓院様って、やっぱり強いのかな」

 「ふん、お前など足元にも及ばぬは。母上に勝てる女子などおらん」

 「・・・そうなんだ」

 ポリポリと食べ続けるたかだが、その顔は少し寂しそうだった。





 「さて、それじゃあ・・・」

 すくっと立ち上がると、たかはニヤリと笑う。

 「な、何だ」

 「夜這いじゃー!!」

 有無を言わさず忠恒に襲い掛かるたか。あまりのことに伊集院忠真も呆然となる。

 「ぎゃあああああああああああああああ!!!」

 城内に響き渡る忠恒の悲鳴。しばらく、彼の苦悩は続くだろう。



 第六十章 完


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