戦国島津伝




 第六十三章 『狙撃』

 硝煙が立ち込める栂牟礼城、その中に島津豊久がいた。

 その顔は血に濡れ、持っている槍は矛先が折れている。

 「豊久様、いつまでそこにいるきだ?」

 山田有信が死体を飛び越えながら近づいてくる。彼の鎧も豊久同様、ボロボロだ。

 「有信殿・・・」

 「本隊から伝令が来た。栂牟礼城の攻略は諦めて、合流するようにとのことだ」

 いきなりの言葉に豊久は一瞬固まり、次には顔を真っ赤にして反論した。

 「そんな!まだ私は撤退命令を出していない!」

 「確かに、今回の城攻めの指揮官はあなただが、その上の総司令官殿は家久様だ。命令には従うのが武将の心得でありますぞ」

 遠慮も何もなく、いきなり横に座る有信。その顔はどこか笑顔だ。

 「目の前の戦にとらわれるなど、まだまだ若いですな豊久様」

 「栂牟礼城の攻略は、豊後討ち入りの第一段階ではないのか」

 「家久様にとってこの城の攻略など、たいした問題ではないのです。いや、あの方にとって何が大事なのか、未だにわかりません」

 「撤退して、次はどこへ?」

 「わかりませんか?府内ですよ」

 「府内!?大友義統の本拠地を直接攻撃するのか」

 「豊前の高橋元種が追い詰められています。もう持たないでしょう。我々は一刻も早く豊後を攻略しなくては」

 「ではやはり、この城を早急に陥落させて」

 「出来るのですか?あなたに?」

 「くっ!」

 溜息混じりに立ち上がる有信は、「う〜ん」と背伸びをしながら言った。

 「押して駄目なら退いてみろ。どのみちこの城の佐伯惟定は打って出る余力はありませんよ。それだけでも、よしとしましょうや」

 スタスタと有信は去り。豊久は悔しさで唇を噛んだ。





 天正十四年(1586年)11月

 攻める島津と守る大友。両者の戦いが激化する一方、九州の西北に位置する豊前国では確実に争乱が収まりつつあった。

 島津家に味方する高橋元種が、毛利軍との戦いで戦力の大半を失ったのである。

 既に関門海峡に接する小倉城、宇留津城が陥落。残すわ本拠地の香春岳城のみ。もはや独力での戦局挽回は不可能だ。





 11月25日

 高橋の危機。栂牟礼城の予想外な抵抗。

 島津家久はこれ以上の時間浪費を避けるため、松尾山の本陣を移動。豊後の中心、府内に進撃を開始した。

 家久は別働隊2千人を選び、指揮官を伊集院久春に命じた。

 「久春、お前は大友宗麟がいる丹生島城を攻撃。宗麟の首を取れ」

 「必ず!」

 伊集院が去ったあと、側近が家久に近寄る。

 「よろしいのですか?久春殿は確かに勇猛な将軍ですが、それゆえに軽率な行動をとるのでは」

 家久は地図を広げ、愛用の軍配を片手に言い切った。

 「この家久、いままで人選を間違ったことはない」

 「は、はっ!失礼しました」

 側近は慌て、そそくさと本陣から出る。家久は黙って軍配を見つめる。





 臼杵(うすき)は現在の大分県東海岸に位置する都市。

 豊後の中心都市、府内と双璧をなす重要な場所である。

 海岸を沿うように移動した島津軍別働隊は、臼杵川の河口に浮ぶ丹生島城を見た。

 「何だ、あれは!?」

 丹生島にある丹生島城に行くルートは一つ。島の西側部分の砂洲において唯一陸地に渡れるのだ。

 久春は島津に寝返った柴田紹安を呼んだ。

 「柴田殿、あの城は頑強なのか」

 「ふ〜む、力押しでは難しいでしょう。城を守っているのは少数の武士と多数の婦女子ですが、皆士気が高く、決死の覚悟でありましょう」

 「ふん、だが所詮は小勢。まずは島に渡って陣を置くぞ」

 伊集院久春は2千人を丹生島に渡らせ、城から3町半(約380メートル)離れた平清水(ひらそうず)に陣取った。





 丹生島城に立て籠もる大友宗麟は、この時に至って戦国武将の底意地を奮い立たせた。

 このまま屈してたまるか!

 負けてたまるか!

 という気持ちが爆発したのだ。

 彼は配下の佐田鎮綱(さだ しげつな)に命じてある物を用意させた。

 それは耳川合戦以来の使用である。





 平清水から弓と鉄砲で遠距離攻撃をする伊集院久春は、我武者羅に攻撃する方法をやめた。

 (慎重にやらねば。こういう場合、焦りは厳禁。慎重に、慎重に)

 敵からも弓矢の応戦があるが、やはり力は弱い。数も足りない。

 久春はウズウズしてきた。

 (ええい、気合のない敵だ。一息に叩き潰してしまおうか・・・)

 彼の率いる兵達もウズウズしている。刀と槍で道を切り開くことこそ、島津の戦。勇猛な一族の戦法である。

 久春は、遂に号令を下した。

 「もういい!全軍突撃、敵を皆殺しにしろ!!」

 歓喜の声と共に盾を放り投げ、矢玉の中に身をさらして突進する島津兵。並みの軍勢がぶつかれば、あっという間に蹴散らされるだろう。

 だが、彼らよりも大きく、巨大な物体が地面を揺らした。

 ズドォォォォォン!!!





 この時、大友軍が使用したのは南蛮渡来の兵器、大砲。またの名を『国崩し』。

 城内から二門の国崩しを発射して島津兵を威圧する佐田鎮綱。もともと勇猛な武将でも、優れた能力があるわけでもない男だが、主君の宗麟に対する忠誠心は決して他者に負けない。それが彼をここに来て勇敢な将にしていた。

 「弾を込めろ、敵に近づく余裕を与えるな!・・・第二射、放てぃ!」

 ドォォォォン!!!





 いかに武勇誉れ高き島津兵と久春でも、大砲が相手ではなかなか思うようにいかない。しかも近づきすぎて被害が次々に出ている。

 「国崩し・・・おのれ宗麟!!」

 久春も自ら陣頭に立って兵を鼓舞するが、大砲の音と威力は嫌でも兵達の体に刻まれる。

 「進め、進むのだ!」

 たまらず柴田が止める。

 「久春殿、一旦兵を退きましょう。このままでは被害が出る一方です」

 「ぬ〜」





 それから三日間、島津軍は果敢に城を攻撃したが、結局落とすことはできなかった。これ以上の時間経過は、府内からの援軍をうながす。

 久春はせめてもの憂さ晴らしに、城下のキリシタン聖堂、建造物、十字架を切り倒して撤退。

 丹生島には大砲の着弾した跡と、蹂躙された城下町だけが残った。





 別働隊の臼杵攻撃は、豊前に侵攻した大友義統の心身を震え上がらせ、威嚇した。

 地図を広げ、軍配を触りながらイスに座る家久は、これからの戦略が手に取るように分かる気がした。

 大友軍の主力が豊前から府内に帰ってくることは眼に見えている。

 だから府内を攻撃することよりも、狙いは豊前から帰ってくる大友軍。

 「・・・・・」

 島津の力を天下に示し、幕を引く。それが家久の全て。





 各地の城に立て籠もる大友軍に、府内へ侵攻する島津軍を止める力はない。

 城に攻め寄せる敵は撃退できても、打って出て豊後から追い払うことはできない。

 それが分かっているので、島津軍は堂々と豊後を進む。たどり着いたのは豊後を流れる戸次川。その先に鶴賀城がある。

 「鶴賀城の城主は利光宗魚(としみつ そうぎょ)。清廉潔白な人物として有名だそうです」

 家久の横で有信があくびをする。やる気があるのかないのか、分からない男だ。

 「あの城は大分と臼杵の連絡要地、何としても落とさせねばならない」

 「ですな〜、しかしその前に本陣を置く場所を決めねば」

 「お前に任せる。私は川を見てくる」

 「戸次川を!?」





 戸次川(大野川)は、大野川上流の戸次荘の地名を冠した別名で、利光川とも呼ばれる。久住山地の水を集めて北上し、大体現在の国道57号線に沿って竹田、犬飼を経て大分市に入り、鶴崎より豊予海峡に注ぐ。

 川は利光付近から東西に分かれ、中津留、川床、楠木生などの村落を包むようにして流れ、利光のあたりは水深も深く、数ヶ所の渡渉場のほかは渡河不能であった。





 鶴賀城はその戸次川の上流にある。

 家久は丘から川を眺め、物思いにふける。かつて耳川を舞台にした戦いで、自分は大勝利したのだ。

 「主戦場は、ここか・・・」

 もしも自分が敵将なら、島津軍の侵攻をどこで迎え撃つか。

 豊久が来るまで、家久はしばらく川を見ていた。





 各地から徴兵した兵力の総勢は1万8千。その全てを使って家久は鶴賀城を包囲した。

 本陣は南約一キロの大塔(大分郡)の梨尾山(179メートル)。

 そこで家久は各将に指示を与える。

 「有信、いい場所を見つけたな」

 「何の、何の。この有信、場所取りで負けたことはござらん」

 「ははは、よし!では有信は鶴賀城の正面、豊久は後ろ、久春は側面を囲め」

 「「「はっ!」」」

 「城主の宗魚はわずか2千の兵で城を守っている。だが侮るな、紹運の例もある。総員奮起せよ!」





 翌日、城攻めが始まった。

 城正面・山田有信

 「定石を踏めば勝つのは簡単。まずは矢玉を撃ち、城兵を射殺せ!」

 物凄い数の鉄砲と弓。鶴賀城は不気味にも、応戦せずにじっと耐えた。





 城裏手・島津豊久

 「今度こそ、父上の期待に応えてみせる!撃てぃ!」

 豊久自慢の鉄砲隊が隊列を整え、最前線に突入する。





 城側面・伊集院久春

 「おお、豊久様も有信殿もやるのぅ。こちらは落ち着いて石垣を登れ!」

 久春の突撃隊は勇敢に敵の矢玉を防ぎ、ゆっくりと城に接近する。





 激闘は一日中続いたが、鶴賀城の兵は皆よく守り、城主の利光宗魚も見事な采配で島津軍を寄せ付けなかった。

 だが、家久もここで退くわけにはいかない。

 彼は大将の宗魚に関するデータを長寿院の部下に命じて調べさせた。

 数時間後、長寿院配下の女間者・日暮が現れた。

 「報告します。宗魚は自ら太刀を持って、二の丸の上から敵陣を視察することがあるようです」

 「ほう、それは勇敢なことだな」

 家久はその報告を聞いて、一人の人物が頭に浮んだ。

 「攻撃隊に伝令。しばらく力攻めを控え、城を包囲して待機」

 「はっ!」

 宗魚を殺す。家久の決断は早かった。





 数日後、家久は一人の人物を肥後から呼んだ。

 「久時、よく来てくれた」

 若者の名は種子島久時。種子島の次期領主にして島津義久直属の護衛。

 「わざわざ豊後にお呼びとは、何の用件ですか?」

 「その前に聞きたいことがある。お前は、射撃が得意というが、どれほどか」

 久時はゆっくりと目を閉じ、問いに答える。

 「私の故郷である種子島の兵は、皆比類なき射撃の名手です。狩猟で競争し、腕を磨くのです。ですがどういう訳か、私に勝負を挑む者は領内に一人もおりません」

 「・・・・・・鶴賀城の城主、利光宗魚を狙撃してもらいたい」

 「容易いですな」

 久時は長寿院配下の日暮と共に、狙撃場所へ向かう。





 雑草が生い茂る城の死角。そこに久時は案内された。

 「ここから撃ってもらいます」

 日暮は指で種子島を誘導する。

 「ここから、城主の利光宗魚が見えるのか?」

 「いつもこの場所から見える二の丸の矢倉に、宗魚は登って敵陣を視察するのです」

 「なるほど、では」

 久時は腹ばいになり、愛用の鉄砲を構える。

 「もうすぐ我が軍の攻撃が始まります。機を見て撤退するので、そのとき宗魚が矢倉に登ります」

 「・・・・・」

 「あの、聞いてます?」

 「・・・・・」

 「宗魚の特徴は・・・」

 結局、久時は腹ばいの体勢で待ち続けた。





 島津本陣

 「家久様、準備完了しました」

 戻ってきた日暮の言葉に、家久は軍配を上げる。

 「攻撃開始!」

 四方から雄叫びと共に鶴賀城に迫る島津軍。家久はじっと、そのときを待った。





 第二次攻撃は夕暮れまで続いたが、やはり利光宗魚が守る鶴賀城は攻略できなかった。わずか2千人の兵を巧みに指揮して城を守る利光の手腕、まことに見事と言うしかない。





 退却の法螺貝の音を聞きながら、家久は一人、静かに目を閉じる。

 たとえ豊後、豊前を攻略しても。大友家を倒しても。島津は負ける。それが世の流れではないのか。いまや豊臣秀吉の力は天下に鳴り響いている。なぜ兄はそれを認めようとしない。誇りや意地が邪魔をしているのなら、それを捨てて欲しい。

 (兄さん・・・)

 家久にはわかっていた。島津は豊臣家を敵に回した時点で、天下は望めないであろうことを。一時は、義久と共に全力で抵抗しようとも思った。いや、今も思っている。

 だが、自分にはあまりにも守るべき者が多すぎる。

 家久は、まるで遠い日を思い出すように、夕日を見つめた。

 そのとき。





 ダーーーーンッ!!!



 第六十三章 完


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