戦国島津伝




 第六十五章 『暴君の妹』

 とある暑い日、一組の母と娘がせっせと田植えをしている。

 母親は慣れた手つきで仕事に励むが、娘はどうも上手にできない。何度も失敗し、泥に転ぶ。

 「はぁ〜」

 娘は5歳。肌はすっかり日焼けし、愛くるしい瞳が太陽を睨んでいる。

 「暑いな〜」

 本当ならどっかに遊びに行きたい。それは大人に理不尽な『仕事』を申し付けられた子供なら、誰でも思うこと。

 「おたか、何を休んでいるの!」

 すかさず母親の叱咤が飛ぶ。娘の名前は『おたか』というらしい。

 「へいへい」

 口をヘの字に曲げ、再び田植えに専念しようとしたとき。おたかはふと、前の田んぼ道を見た。

 「あっ」

 田んぼ道には二人の少年が座っていた。どちらもおたかと同じくらいの年恰好だ。

 「おっかあ、おっかあ」

 「何だい?」

 「あの人達は誰だ?」

 「えっ?」

 母親も少年達に気付いた。その途端、母の顔色が柔らかくなる。

 「ああ、忠恒様とお供の少年だね」

 「忠恒様?」

 「あの義弘様の三男で、ときどき城から出て散歩しているのよ」

 「お供が一人だけでか?」

 「はっはっはっ。忠恒様に無礼をする人はいないよ」

 確かに、この辺りは島津義弘の直轄地。彼の親族に粗相をするような輩(やから)はいるまい。

 「それにしても忠恒様は、可愛らしい子供だね。きっといい男になるよ。母親の実窓院様に目元は似ているねぇ〜」

 「おっかあは、忠恒様のおっかあを知っているの?」

 「おや、言わなかったっけ?おっかあの家と実窓院様の実家は長い付き合いがあるんだよ」

 「えっ!」

 「実窓院様は、義弘様の奥方になる前は下級武士の家の子でね。まあ、武士といってもほとんど農民のようなものだったから、おっかあの家とはちょくちょく家族ぐるみで付き合いをしていたよ」

 「へ〜」

 自分の家のちょっとした自慢に不思議な縁を感じる少女。改めて、田んぼ道でくつろぐ忠恒一行を見た。

 (ふぅ〜ん、よく見れば確かに綺麗な子供だな〜)

 キリっとした眉毛、白い肌、眼も美しい。おたかは忠恒が気に入った。

 (あんな人と夫婦になれたら、いいな〜)

 その日から、おたかは密かに忠恒一行を付け狙うようになった。彼女の想いは日に日に拡大し、忠恒の行動を全て把握することに成功した。

 そして5年後。

 おたかは実窓院の加久藤城に奉公することが決まり、忠恒と衝撃的な出会いを果たす。





 現在、天正十五年(1587年)

 島津忠恒は11歳。おたかも11歳。

 「でさ〜、そんぐらい昔から俺はお前のことを愛してるんだぜ。わかった?」

 「全然わからん。わかったことは、そんぐらい昔から余はお前にストーカーされていたという事実だけだ」

 「可哀想な忠恒様」

 忠恒の部屋には、相変わらずおたかと伊集院忠真がいる。

 「どうしてわかってくれないんだよ〜、この俺の愛が」

 スリスリと擦り寄ってくるおたかを忠恒は片腕で弾く。

 「無礼者!」

 「その通りですぞ!おたか殿は奉公人。普通ならこの部屋に無断で入ることすら大罪ですぞ!」

 忠真も意外に大声でおたかを叱咤する。ちなみに彼も今年で11歳。

 「だって暇なんだもん」

 「暇なら皿洗いでも何でもやってこい!」

 「う〜ん、そういう普通な奉公はしたくないな〜」

 「おのれ、言わせておけば!」

 いよいよ忠真が怒り出す。彼はなぜか、忠恒に言い寄るおたかが嫌いなのだ。

 そのとき、忠恒がピンと閃いた。

 「そうか、普通な奉公はしたくないか。ならば妹の世話をしてみろ」

 「へっ?妹?」

 「た、忠恒様。それは・・・」

 「別に問題はあるまい」

 「ねえねえ。妹って誰の?」

 「余の妹に決まっておろう」

 ニヤリと笑う忠恒。おたかは何かあるなと確信した。同時に嫌な予感も。

 「妹は千鶴と言って、この城の奥の間に住んでいる。普段は母上が世話をしているが、今日は不在だ。きっと寂しがっていると思うのだがな〜」

 「じゃあ、何で忠恒が自分から行かないんだよ」

 「忠恒様と呼ばんか!それになぜ余が自ら妹に会いに行かねばならん!」

 「『お兄ちゃん』って呼ばれるかもよ♪』

 「呼ぶか!呼ばれたくもないわ!」

 「ところで千鶴ちゃんは、今年で何歳?」

 「3歳だ」

 「顔は?やっぱり忠恒に似てるの?」

 「いいや、余も哀れになるほどの醜女だ」

 「そうなんだ」

 「それで?どうだ、この仕事やるのかやらんのか。やらんのなら出て行け!」

 「まあ、おもしろそうだからOK!」





 おたかが去ったあと、忠真が忠恒に寄ってくる。

 「よろしいのですか?千鶴様にあんな者を近づけて」

 忠恒はクルクルと風車を回す。

 「ふん、あいつを余から遠ざけたのだ。千鶴も名誉なことであろうよ」

 「はあ・・・」

 「それよりもどうだ?久々に城下にでも行ってみるか」

 「は、はい!!」

 何気なく言ってみたことだが、忠真は予想以上に嬉しそうだ。





 加久藤城 奥の間

 のしのしと廊下を歩くおたかは、一つの部屋の前で足を止めた。その部屋には島津義弘の次女、千鶴(せんつる)がいるはずだ。

 「さ〜てと」

 障子を開けようと手をかけたとき。

 「何をしているんですか?」

 「ん?」

 横を見ると、おみちが立っていた。

 (この子は確か、おみちちゃん)

 「あの〜、そこは千鶴様の部屋ですけど」

 「ああ、そうそう、俺今日は千鶴様の世話を忠恒に頼まれてさ〜」

 「忠恒?」

 「いやっ!?あの・・・忠恒様だよ、忠恒様。はははは」

 「?」

 「ところで、それ何?」

 おみちは大量の折紙を抱えている。

 「ああこれですか。これは千鶴様の遊び道具です。暇だろうと思って」

 「よしよし、そういうことなら早く行こう」

 「えっ!ちょっと」

 まるでかっぱらうように両手から折紙を奪うと、おたかは遠慮も何もなく部屋に入った。

 「お邪魔しまーす!」

 「お、お邪魔します」

 部屋の中には、既に多くの折紙や絵の書かれた白紙が散らばっている。

 「うわっ、汚い」

 「な、何てことを!」

 おみちが慌てておたかの口を塞ぐ。

 「むぐぐぐ・・・」

 「あれ、姫様は?」

 周囲を眺め、おみちがゴミの山・・・もとい紙の山に眼を止める。まるで積み重ねたような紙の山が、少しずつ動く。

 ゴソゴソ・・・

 おたかもそれに気付く。

 ゴソゴソ・・・

 ((あ、怪しい))

 二人が覗き見るように背をかがめたとき。

 「とりゃあ!!」

 「うわっ!」

 「きゃっ!」

 中から女の子が飛び出した。その子は体ごとおたかにぶつかり、ちょうど馬乗りになる格好になった。

 「えへへへ、おどろいた?」

 「あいた〜」

 少し頭を打ったおたかが顔を上げる。どうやらこの子が千鶴という忠恒の妹らしい。

 「ほへ〜、可愛い子じゃないか」

 体を起こし、千鶴を両手で持ち上げる。驚くほど軽い。まるで人形だ。

 (なんだよ、忠恒の奴。メチャメチャ可愛いじゃん。目元とかお前にそっくりだよ)

 じ〜っと見つめられ、千鶴の顔に「?」が浮ぶ。

 「下ろしなさい。いつまでも持ち上げて」

 気を取り直したおみちがおたかを叱る。





 千鶴はおたかから折紙を受け取って上機嫌だ。ニコニコしながら紙を折っていく。

 「千鶴ちゃんは可愛いな〜」

 「姫様と呼びなさい!」

 「やっぱり忠恒に似ているな」

 「そうですね、確かに目元が少し・・・って、忠恒様と呼びなさい!」

 「ところで姫様、何を折ってるんですか?」

 「ん〜、おいぬさん」

 折紙を丁寧に折り、千鶴は楽々と『犬』の顔を完成させる。

 「お犬さんか〜、じゃあ猫さんは折れる?」

 「うん、できるよ」

 今度は『猫』の顔を折る千鶴。なかなかうまいので、おたかは次の作品をうながす。

 「じゃあ、鶴は?」

 「つる・・・」

 千鶴の手が止まる。どうやらまだ鶴は知らないようだ。おたかの顔がニヤリと笑う。

 「鶴の折り方を教えましょうか?」

 「うん!」

 何となく姫の名前は『千鶴』なので、鶴の折り方を教えたくなったのだ。おたかが千鶴に教えている間、おみちは周りで掃除をしていた。





 「できた!」

 あまり綺麗ではないが、それでも努力の結晶が完成した。幼い少女の両手に、一羽の鶴が生まれた。

 「うまい、うまい!」

 「よく出来ましたね、姫様」

 おみち、おたか共に手を叩いて喜ぶ。まるで小さな妹を相手にしているようだ。

 「えへへへ、みんなにみてもらう」

 「えっ?」

 おみちが止める間もなく、少女は折鶴を持って廊下に出る。

 「ひ、姫様!」

 「あらら、行っちゃった」

 「追いかけましょう!」

 「なんで」

 「な、何でって・・・姫様がお怪我でもしたら私達のせいですよ」

 「う〜ん、それは困るな」

 二人の下女は立ち上がり、姫の後を追った。





 千鶴が最初に行ったのは母親である実窓院の部屋。「今日は出かけますからね」と言われていたはずだが、すっかり忘れている。

 「おかあさま!」

 障子を開けるが、もちろん誰もいない。

 「あれ・・・」

 しばらくチョロチョロと部屋を見回したが、すぐに廊下を走り出す。運が悪いことに下女や奉公人も通らない。





 次に向かったのは島津久保の部屋。久保は忠恒や千鶴にとって一番上の兄だ。面倒見も良い。千鶴はいつも優しいこの兄が好きなのだ。

 「ひさやす兄様!」

 勢いよく障子を開けるが、久保はいない。

 「あれ・・・」

 久保は父親である義弘の陣中見舞いに行っていた。

 「う〜」

 いよいよ腹が立ってくる。せっかく鶴を折ったのに、それを自慢する相手がいない。

 そのとき、千鶴の頭に一人の人物が浮んだ。

 千鶴は通りかかった奉公人に聞いた。

 「ただつね兄様はどこ〜?」

 「忠恒様?うむ、確か忠真様と一緒に城下へ行った気が・・・」





 城を出るには正門を通るのが普通だが、千鶴は頭を回した。自分が正門から出ようとすれば、門番に止められるのは火を見るより明らか。

 少女は抜け道を思い出した。自分しか知らない道。そこなら安全に城を出られる。

 掌を見つめる。そこには自分が作った折鶴。誰かに見てもらいたい、褒めてもらいたい。その衝動が千鶴を動かした。

 しかし、いざ抜け道を通り、出口の穴から出て来ると、思いもかけない人物がいた。

 「なんだ、誰かと思えば千鶴か」

 島津忠恒である。傍には伊集院忠真もいる。

 「あっ、ただつね兄様!」

 「姫様、なぜここに!?」

 二人は財布を忘れたので、城に帰る途中だったのだが、忠恒が偶然地面にできた穴を見つけた。覗いてみると誰かが来る気配がしたので、待っていたというわけだ。

 「抜け道か、まさかこんなところにあるとは」

 呆れたというか、感心したというか、しきりに穴を覗き込む忠恒。

 「兄様、えっと、その・・・」

 「なんだ?」

 「これ、みてください」

 両手を開くと、そこにはボロボロの折鶴があった。

 「折鶴?これがどうかしたか」

 「千鶴がつくりました、よくできているでしょう」

 「・・・・・・で?」

 「た、忠恒様!・・・よく出来ていますよ、姫様。上手ですね」

 忠真が慌てて千鶴を褒める。

 「えへへへ」

 「それよりも、何だ、その格好は。土で汚れているではないか。仮にも余の妹なら、はしたない真似はするな。それにお前の世話はおみちとおたかに任せていたはずだ、二人はどうした?」

 どこまでも冷たく言い放つ忠恒。彼にとって千鶴など、何の興味もないのだ。

 「兄様もみてください。じょうずでしょう?」

 土で汚れた顔に笑顔を浮べ、忠恒に折鶴を差し出す。だが、忠恒はその鶴を片手で弾いた。

 「余の質問に答えろ。それにそれが折鶴だと?余にはボロボロの紙くずに見えたわ」

 「・・・・・・」

 重苦しい空気。忠真は気が気でない。

 「・・・わかりました」

 千鶴は泣きそうな顔を浮かべて忠恒を見る。

 「こんどはもっとじょうずにつくってきます!」

 「はあ〜?」





 その日から、千鶴は折鶴作りに没頭した。そして気がついたら、部屋は折鶴だらけになっていた。更に彼女は一羽ができるごとに、忠恒の部屋まで行って自慢げに見せるのだ。

 「できました。とてもじょうずに」

 「これはどうですか?」

 「これは?」

 という具合に、暇がない。最初は忠恒も怒り、手厳しく追い払っていたが、遂に折れた。

 「・・・・・・もういい、よく出来たと思うぞ」

 忠真も、おたかも、おみちも、忠恒が誰かを褒めるのを初めて見た。その相手は、8歳年下の妹であった。

 「えへへへ」

 褒められた当人は笑顔で部屋に戻った。部屋には既に折鶴が千羽。有り余る時間を折鶴に費やした少女の努力、執念の結果である。





 忠恒は嫌でも妹の名を覚え、千鶴は兄に興味がわいた。しばらく忠恒は妹の相手に指名されそうである。

 「忠恒は家に居ても暇でしょう?千鶴のことを頼みますよ」

 「母上・・・」

 母の言葉が、彼に重く圧し掛かる。

 (忠恒様。努力です)

 (これを機会に忠恒が丸くなってくれないかな?)

 (そろそろ折紙を調達しないと)

 忠恒を見守る三人の視線。それを背後に感じながら、忠恒は妹に手を引っ張られる。

 「兄様、こんどはつばめができるようになったのよ」

 「もう、折紙を卒業してくれないか?」

 いかに根っからの暴君でも、幼い妹には勝てなかった。



 第六十五章 完


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