戦国島津伝




 第六十六章 『根白坂の敗北』

 天正十五年(1587年)

 豊臣秀吉の弟秀長は大軍を率いて豊前に上陸。その数は20万とも25万とも言われる圧倒的な物量である。

 その大軍を前に、豊前の香春岳で防戦していた高橋元種も遂に降伏。豊臣秀長は島津の残党を攻略しながら日向に進撃した。





 肥後の出入口を守る秋月種実は、島津家との盟約を守り、頑強に抵抗する構えを見せた。

 「ここで気張らねば、秋月家に未来はない。全軍、肥後に豊臣軍を入れるな!」

 その言葉に、家臣の恵利暢堯が反論する。

 「殿、もはやここまでです。北九州全域は秀吉の手に落ち、我々が抵抗しても意味はありません」

 「黙れ!秀吉が天下人かどうか、この俺が見極めてくれる!」

 「お眼をお覚まし下さい。このうえ島津殿への盟約を貫いても、秋月の家が滅ぶだけです」

 「秀吉を討ち取れば良いではないか、この九州の地で奴の息の根を止めてくれる」

 「殿!どうか、どうか私の言葉を聞いてください!」

 「うるさい!暢堯よ、そなたに切腹を命じる。あの世で秀吉が来るのを待っておれ」

 「殿・・・」

 こうして秋月家家臣、恵利暢堯は切腹。秋月種実は狂気の眼で豊臣軍を待った。

 「ひひ、くははははは!!」





 日向方面の島津軍も退陣を余儀なくされ、島津家久は佐土原城に退却した。城内には家久配下の兵と、息子の豊久、妻のふうが居る。

 「父上、高城の有信殿、諸県郡(もろかたぐん)の北郷殿と連携すれば、豊臣軍にも十分に対抗できますぞ!」

 肩で息をしながら戦略を説く豊久。家久はそんな息子を優しそうな顔で見つめた。

 「そうか、そうだな」

 「敵は20万と言われますが、それだけの大軍を養う兵糧は膨大です。秀吉が薩摩に来るまでには、軍勢の兵糧は尽きるはず。そうすれば、父上の戦術と義弘様の武勇で一気呵成に豊臣軍を撃退しましょう」

 家久はゆっくりと眼を閉じた。

 「ああ、お前を見ていると、義弘殿を思い出す」

 「父上・・・・・・私には分かっていますよ。父上はそうやって私の話を聞き流しながら、頭の中では豊臣軍を撃退する戦略を考えているのでしょう?」

 「・・・・・・」





 大隈の肝属郡。そこには伊集院忠棟が居た。彼は島津の敗北を悟り、泣いた。彼の父も、祖父も、島津を支えてきた忠臣。出来れば、このようなことはしたくない。だが、主家を救う方法はこれしかない。

 忠棟は部屋で手紙を書き出した。宛先は、豊臣秀長と島津家久。





 島津義久は肥後南部で戦力の増強を図った。豊臣軍の猛攻に北九州は陥落し、奴らが秋月を倒して南下してくることはわかっていたからだ。

 義弘と歳久もそれぞれの領地、真幸院と祁答院に戻った。

 「信光、忠元はどうだ?」

 上井覚兼が答える。

 「間も無く到着の予定です」

 「豊臣を川内川まで寄せるわけにはいかん。何としても肥後から先に通すな」

 「全力を尽くしましょう。しかし・・・」

 「しかし?何だ」

 「いえ、私は殿に付いていくだけです」

 覚兼の顔はどこか諦めたような、悲しい表情をしていた。





 高城の山田有信は、豊臣軍の降伏勧告を突っぱねた。どうせ死ぬなら、島津の兵として死にたかった。

 沖田畷合戦の大勝利が嘘のように、いまは自分達が窮地に追い込まれている。所詮、局地戦で勝っただけだったのだ。そう思うと、なぜか笑えた。

 高城は現在の宮崎県湯郡木城町にある島津の拠点。豊前、豊後から日向に侵攻するには、何としても落とさなければいけない要衝である。

 ここを豊臣軍が見逃すはずがない。

 「有信様、兵の準備万端整いました!」

 「ふふ、天下人殿の弟・・・豊臣秀長の軍か」

 いずれ眼下に無数の敵軍がひしめくだろう。そう思うと、有信の体は震える。それは恐怖か、武者震いか。

 「手合わせ願おう」





 家久は佐土原城で義久からの書状を読んだ。『敵を根白坂で攻撃する』という内容だった。

 「根白坂・・・」

 豊久は実に嬉しそうに語った。

 「さすがは殿です。高城を囲む豊臣軍を、根白坂で迎撃するのですね。根白坂はかつて、耳川合戦で島津が本拠にした場所。まさに打ってつけですな」

 もう、遅いのだという言葉を、家久は飲み込んだ。





 3月28日、豊臣秀吉本人が豊前に到着。彼は数十万の兵で肥後に進撃し、秋月方の巌石城を一日で攻略した。

 秀吉の進行速度に、秋月種実はようやく敗北を悟った。

 (ようやく、ここまで来たのに・・・・・・おのれ!)

 彼は天を仰いだ。

 4月3日、秋月種実は降伏。多くの宝物と16歳の娘を人質に和睦した。





 4月6日、今度は豊臣秀長が高城に殺到してきた。有信は少数の兵で数十万の秀長軍を巧みに翻弄。敵を寄せ付けない。もはや有信は、死に場所を決めていた。





 4月11日、豊臣軍の先鋒である龍造寺、立花は肥後に到達。隈本城を攻略した。島津義久はわずか数日で、八代まで退却。戦略の再編成を余儀なくされた。

 「殿、高城に敵軍が寄せています。既に根白坂も敵の手に渡りました」

 平田光宗の言葉に義久は驚愕した。根白坂は島津にとって、高城を包囲する豊臣軍を迎撃するのに絶好の場所だったからだ。

 「早すぎる。豊臣秀吉・・・奴の力は本物か!?」

 「いかがしましょう」

 「・・・・・・高城を救いに行く。兵を集めろ」

 「ですが、地理的にも戦力的にも我々が圧倒的に不利です」

 「いま高城に行かねば、わしはわしではなくなる」

 義久はこれで最後になるかもしれないと思った。ようやく彼には、関白秀吉の大きさが分かった気がした。

 「義弘、歳久、家久を呼べ」

 悔いのない一戦を・・・義久は望んだ。





 豊臣秀長は島津軍の侵攻を察知し、根白坂に陣城を築いた。大堀や、要所要所に高い井楼(せいろう)も作った。

 ※井楼(せいろう)・敵陣偵察に用いた矢倉

 更に井楼には大筒を備え、深い空壕(からぼり)と高い土塁も二重三重に設置。急ごしらえとはいえ、その堅固さは想像を絶した。





 絶望的な状況が続くなか、八代に島津義久、義弘、歳久、家久の四兄弟。

 平田光宗、新納忠元、北郷時久、梅北国兼など、島津の総力が結集した。

 「高城を救出する。豊臣軍を九州から撃退するぞ」

 義久は全員を前に話し出した。

 「薩摩、大隈、日向は我らの地。断じて秀吉に渡すわけにはいかん!」

 全員の視線が、義久に集まる。

 「敗北は、滅亡と心得られよ!!」

 島津軍は根白坂に進軍した。総勢は2万。いまの島津に出来るギリギリの兵力であった。





 4月17日 夜

 島津軍は根白坂の手前に到着した。ここを抜け、高城の救援に成功すれば、作戦は成功である。

 軍議の席で、多くの将軍達が夜襲を提案した。

 「敵は守りを固めている。正面から戦うのは無謀でござる」

 「さよう、ここは夜襲で一気に決着を付けよう!」

 義弘も賛成する。

 「確かにこの状況では、夜襲しかなかろうな。家久はどう思う?」

 家久はしきりに胸の辺りを触っている。

 「ん?ああ、私もそれしかないと思う」

 義久が決断を下す。

 「では我らは夜襲を決行する。合図と共に、全軍一斉に突撃せよ!」

 「「「オオオウ!!」」」





 深夜

 そろりそろりと根白坂に忍び寄る島津軍。全員の頭にある確かなこと、『負けは、滅亡に繋がる』ということ。

 故郷を踏みにじられる悔しさ、無念さなど、味わいたくはない。秀吉も秀長も倒して、九州を再び手に入れる。

 島津の将兵全員の願いだ。

 だが、運命はどこまでも島津に厳しかった。闇夜に紛れて接近していた島津兵に向かって、凄まじい銃声がとどろいた。

 先鋒の北郷勢が先に崩れた。

 「なに!?気付かれていたのか!」

 豊臣軍には大友、伊東の旧臣がいる。彼らは陣城を預かる黒田官兵衛に、島津は夜襲が得意だということを教えていたのだ。

 当然の迎撃に、北郷時久は遮二無二攻めかかった。

 「ええい、退くな!ここで退けば、俺達に未来はない。攻めろ、命尽きるまで攻め寄せろ!!」

 もはや合図と共に一斉突撃する策は破れた。島津軍は四方から我武者羅に根白坂に攻めかかった。

 本陣の義久は、思わず持っていた刀を落とした。





 島津の突撃力は凄まじく、兵は堀を越えて土塁に取り付いた。だが、頭上にある井楼から鉄砲と弓を無数に浴びて倒れていく。

 深さ三間(約5・4メートル)の堀に次々と島津の死体が転がる。

 島津義弘は雄叫びを上げて攻め寄せた。それでも、根白坂を越えられない。

 バラバラに攻撃する島津軍に、もはや勝機はなかった。





 猿渡信光が北郷時久と合流する。

 「北郷殿、こうなれば全力で敵城を攻撃しましょう。それこそ討死覚悟で!」

 「ふははは、よう言った!では後先考えず、行ってみようか!」

 「おう!!」

 二人は決死の突撃を敢行した。義弘の軍もそれに従う。

 島津家中随一の将軍である三人は、堀を越え、土塁を越え、三の丸に突入した。

 三の丸を守っていた宮部継潤は、敵の凄まじい攻撃に敗走。本丸に逃げ込んだ。

 「攻めよ!攻め続けよ!」

 猿渡信光が、大太刀を振り回しながら馬を進める。ぐんぐんと城の内部に攻め込む。

 敵将の宮部は討死を覚悟した。しかし、藤堂高虎の援軍が到着して戦局は変わった。数時間の激闘で疲れきった島津軍を蹴散らし、井楼からも次々と猛射が降り注ぐ。

 猿渡は暴れ回りながら、叫ぶ。

 「雑兵どもが!!この猿渡信光が」

 そのとき、一本の流れ矢が信光に直撃した。

 「あっ!!」

 群がる敵兵。信光は全身を槍で刺され、絶命した。





 猿渡の戦死で勝敗は決定的となった。

 もはやこれ以上の戦闘は無意味と感じた義弘と北郷は退却を開始。義久のためにも、家族のためにも、無駄死にはしたくない。

 敵も必死に食い下がるが、義弘の槍に触れた者は誰でも消し飛んでいく。

 「がああああああ!!」

 まるで猛獣のような声を上げながら、敵兵に突入する義弘。槍の矛先は血で真っ赤だ。

 「義弘様、ご無事で!」

 北郷時久も合流する。

 「おう、お前も生きていたか」

 「どうします。このまま討死しますか」

 「討死はいつでも出来る。いまは退却し、殿に詫びを入れるのが先だ!」

 「では、俺もご同行しましょう!」

 そのまま二人は、死中に活を求めて突進。脱出に成功した。





 島津義久は全軍の退却を決意。退却の鉦を打たせた。

 「殿軍は新納忠元。全員、生きて薩摩に戻れ!」

 負けた・・・完膚なきまでに。

 心の中で、何かが壊れていく感じがした。





 第二陣として攻めていた島津家久も、味方の敗北を知った。

 消沈する心と共に、胸の辺りに妙な違和感を覚える。

 もしかしたら、自分は死ぬかもしれないと、家久は直感した。





 根白坂合戦から三日後、豊臣秀吉が隈本城に入城。

 島津義久は内城に、義弘は真幸院に、歳久は祁答院に退却。

 高城の山田有信はいまだ頑強に抵抗していた。





 佐土原城に退却した島津家久に、一通の手紙が来た。伊集院忠棟からだ。

 その書状を見ながら、家久は深い溜息を吐いた。

 自分の歩む道が、息子に与える影響はいかほどなのか・・・。

 (豊久、父を恨むか?)

 名将は、降伏を決意した。



 第六十六章 完


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