戦国島津伝
第六十七章 『家久の降伏』
佐土原城の自室で、島津家久は庭を見る。今日は激しい雨だ。その雨音に耳を傾けながら、名将は自分を振り返る。
三人の兄達と歩んできた人生だった。冷静な義久、豪快な義弘、真面目な歳久・・・・・・その個性的な兄達に囲まれ、歩んだ道。
たとえ血みどろの道だったとしても、自分は満足だった。それは、今も変わっていない。
天正十五年(1587年) 4月
もう少しで九州全土を征服する一歩手前だった島津家だが、現在は豊臣秀吉によって南九州まで押し返されてしまった。
なぜ豊臣秀吉が、これほど迅速に島津軍を圧迫できたか。
第一に、島津家は薩摩、大隈、日向以外の他国を占領して間もなかった。
第二に、島津家の統治は表面上の軍政にすぎなかった。それゆえ、島津に心から臣従していない豪族や大名は豊臣にさっさと降伏してしまった。
第三に、豊臣軍は20万という圧倒的な規模で九州に上陸した。しかも全国の名将、猛将を従えて。これにはさすがの島津軍でも歯が立たない。
このような敗因が重なり、島津家はいまや風前の灯となった。
島津義久は内城で上井覚兼の切羽詰った報告を聞く。
「根白坂の戦いで猿渡信光殿が戦死。隼人軍にも大きな犠牲が出ています」
「猿渡・・・死んだか」
「新納忠元殿が大口城に籠り、徹底抗戦するとのことです。高城の山田有信殿も同じく」
「秀吉はどこにいる」
「現在は肥後の隈本城です。ちなみに豊臣秀長の軍勢は高城を包囲中。動きはありません」
その言葉に、義久は軽く笑った。いまは全てが可笑しかった。
「もはや動く必要はないからな。黙っていても、味方は増える」
「さすがは関白・・・と言ったところですか」
確かに北九州は奪還された。残るは薩摩、大隈、日向。しかし、この三国は島津勢力の最大拠点である。特に薩摩国は島津400年の血脈が染み込んでいる。いかに秀吉率いる20万の大軍でも、無事には済まない。だから秀吉もあえてこれ以上の進撃を無理強いしない。
恐らく島津家内部をお得意の策略で切り崩すつもりだろう。
義久は悔しさよりも、誇らしかった。
「薩摩がまるで、島津を守っているようだな」
「いかにも、薩摩は島津の国。島津の血と汗で作られた国であります。この国を征服した者は、古代において大和朝廷のみ。関白とて恐れるに足りません」
薩摩があり、兄弟がいる。何を恐れる必要がある。義久はそう思った。
雨が降る佐土原城。家久は暗い気持ちで相手の話を聞く。
「家久殿、島津の家を守るにはこれしかない。万事はこの忠棟に任せてもらいたい」
家久の目の前には伊集院忠棟が座っている。手には一枚の書状。
「既に秀長殿とは話がついている。私が人質となり、島津家との和睦交渉を進める」
「そのことを、殿は知っているのか?」
「いや、知らない。これは私の独断だ」
「・・・・・・」
「これは島津を守るため、家族を守るためですぞ」
生涯で、これほど胸が痛い瞬間があっただろうか。家久は重い口を開く。
「分かった。忠棟に任す」
「ご英断です。家久様が降伏なされば、殿も考えを改めるでしょう」
家久は庭を見た。相変わらず、外は激しい雨だ。
数日後、毛利家家臣・安国寺恵瓊の案内で豊臣秀長の本陣を訪れた伊集院忠棟は、自らを人質に降伏。更に島津家久にも降伏の意思があることを告げた。
佐土原城
島津豊久は家久に呼ばれ、部屋に入る。部屋には家久のほか、誰もいない。豊久は目の前に正座して座り、父親を見る。どうも今日は雰囲気が違う。自然と身が引き締まる。
一方の家久は閉じていた目を開き、息子を見つめる。今年で17歳。立派な青年武将だ。顔はどこか厳しそうな顔をしている。
考えてみれば、これほどまじまじと息子の顔を見たことがあるだろうか・・・・・・。
しばしの沈黙の後、家久は口を開いた。
「父は、敵と和睦することにした」
一瞬、ポカンとした豊久だが、次の瞬間には顔を真っ赤にしていた。
「父上!正気ですか、降伏などと!!」
凄まじい剣幕。並みの男なら怯んでしまうだろうが、家久は動じない。
「降伏ではない。和睦だ。数日の内にこの城を出るぞ」
「城を明け渡す!?それは降伏したのと同じです!・・・・・・情けない。島津にこの人ありと言われた父上が、敵に膝を、屈するなど!」
叫びながら、豊久は涙を流した。もう、情けないやら、悔しいやらの気持ちがない交ぜで自分の胸を荒れ狂う。
「お前にはすまないと思っている。全ては、父が悪いのだ。責任も、何もかも」
「父上・・・私はこの城を出ませんぞ。殿や義弘の伯父上達に、申し訳がありませんから」
「出来うるなら、お前の願いは叶えたい。だが、それは許さん。この城に残ると言い張るなら、引っ張っていくしかない」
家久は真剣な眼で豊久を睨む。本気だという思いが、ひしひしと伝わってくる。豊久は正座のまま、顔を伏せ、両拳を硬く握り締める。
「なぜ、和睦するのですか」
消え入りそうな声。彼はあえて『降伏』とは言わず、『和睦』と言葉を改めた。
「島津を、見捨てるのですか?伯父上達に、嫌気がさしたのですか?」
親子は、互いをじっと見据える。この息子にとって、自分は偉大すぎたのかもしれないと、家久は思った。
「・・・・・・男には、人に何と言われようと、せざるをえないときがあるのだ。誰かのために、自分のために・・・守るべき者のために」
豊久は遂に泣き出した。子供のように、駄々子のように泣き出した。
家久も、心の奥底で泣いた。もしかしたら、豊久以上の涙を、流したかもしれない。
翌日
藤堂高虎という武将がやって来た。彼の指示で家久は佐土原城を明け渡し、豊久もそれに従った。もはや親子に、言葉はない。
豊臣秀長は野尻の陣所に居る。家久は刀も差さず、一人でそこを訪れた。
陣所に到着すると、秀長本人が出迎えた。
「これは、家久殿。よくおいでくだされた」
愛想の良い男。戦場を生き抜いてきた武士とは違う、暖かさを持っている。家久はそう感じた。
(この男が、関白の弟)
「頭を上げてくだされ。九州で名高い将軍の顔を、よく見せてくだされ」
家久は顔を上げ、秀長をしっかりと見た。秀長は、優しい笑みを浮かべている。
「私が、島津家久です。我が領内、豊臣殿にお渡し申します」
秀長は軽く頷き、酒を運ばせた。
「まずは一杯」
酒の入った杯を渡し、一気に飲み干す。秀長は酒には強そうだ。
家久もそれに習って酒を飲む。しばらく二人は、陣所で酒を酌み交わした。
やがて、家久が口を開く。
「豊臣殿」
「秀長で良い。堅苦しいのは抜きにしましょう」
「では秀長様。私の願いを聞いてはもらいませんか?」
「うむ、どうぞ」
「私が降伏した後、息子の豊久を、取り立ててもらいたい。それだけが、私にとって心残りです」
「もちろんです。兄もきっとご了承してくださるでしょう」
家久はホッとする一方で、残された兄達を想った。
(義久兄さん、義弘兄さん、歳久兄さん。私は、悪い弟ですか?私は、裏切り者ですか?)
家久は体が酒で熱くなりながら、心はどこまでも冷めていった。
伊集院忠棟、島津家久の単独講和は、島津家中に衝撃をもたらした。
ある者は二人を罵倒し、ある者は仕方がないと肩を落とした。
内城
義久の正室・ときは、夫の部屋をそっと覗く。そこには、部屋の隅でうつむいている義久が居た。
「殿・・・」
勇気を振り絞って声をかける。だが、返事はない。ときは黙って部屋に入る。畳を踏む音が、やけに大きく聞えた。
「殿・・・」
夫の背中に声をかける。やはり返事はない。部屋には、嫌な空気が漂っている。ときは諦めて、立ち去ろうと腰を上げかけた。
「この歳で、身内の裏切りはこたえるのう」
低く、静かな声。怒りも、憎しみもこもってない。ときは居たたまれなくなった。
「だが、そうだな。家久達の決断は間違っていない。全ては、主君であるわしが至らなかったのだ。わしが弱いばかりに、奴らに愛想を尽かされてしまった。ふふ、まったく情けないのう」
自虐的な、悲しい笑い声。ときは今まで、夫義久が老いているとは感じていなかった。しかし、目の前で自分に背を向け、乾いた笑いをこぼす義久は、一回りも二回りも小さく、老いて見える。
「情けないのう、身内に見捨てられる男とは」
ときは、ゆっくりと口を開く。
「家久様は、殿に本当に愛想を尽かしたのでしょうか?」
義久は背を向けたまま、声を出す。
「奴はわしにも、義弘にも、歳久にもない先見性があった。関白にまで上り詰めた秀吉に、わしが戦いを挑んだ時点で、奴の腹は決まっていたのだ。考えてみれば、わしは弟であるあいつを、ただの有能な家臣としか見ていなかったかもしれん。奴の裏切りは、必然であったのだ。ふふ、まったくわしは」
「そうでしょうか」
義久の言葉を遮り、ときが言った。
「殿と家久様は、そんなに簡単な絆で結ばれていたのでしょうか?私は、家久様の裏切りは、殿の為でもあると思うのです」
「・・・・・・」
「もう、分かっているのではないですか?」
その言葉に、義久は一瞬体を震わす。
「殿なら、もう分かっているでしょう?だって殿と家久様は、血の繋がったご兄弟なのですから。家久様がどうしてこのような決断をしたか、どうして殿に一言も相談しないで城を明け渡したか」
妻の言葉が、義久に突き刺さる。
「裏切られるよりも、裏切る方が辛いときもあります。家久様のご決断を、せめて殿だけは、理解して下さいませんか?」
ときは涙を眼に溜めて下を向いた。しばらくして、ときの前に座る義久から、嗚咽が聞え始めた。
妻は黙って、後ろから夫を抱きしめた。
第六十七章 完
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