戦国島津伝




 第七十一章 『剣豪再来』

 「お尻が痛いよ〜」

 揺れる輿の中で、少女が不満を漏らす。彼女は島津龍伯の愛娘亀寿。秀吉に降伏した龍伯は、亀寿と共に京へ上洛していた。目的は秀吉に改めて恭順の意を示すためである。

 (それにしても、大きな町だな〜。これが京か)

 彼女は生まれて初めて京の町を見た。もちろんそれは、父親の龍伯も同じである。

 (お父様、大丈夫だろうか?)

 父娘は南九州から出たことがない。娘は自分よりも父親の身を案じた。





 そんな娘の心配をよそに、龍伯の態度は実に堂々としたものだ。輿の中で深く静かに座っている。

 (京か……まさかこんな形で訪れるとは)





 大名島津の行列はようやく京の聚楽第に到着した。秀吉はこの巨大な屋敷で政務を取り仕切っているのだ。

 「殿、聚楽第に到着しました」

 家老の平田光宗が馬から降り、龍伯の輿に話しかける。

 「聚楽第か…………」

 聚楽第は現在の京都市上京区にあった大豪邸。瓦には金箔を貼るなど、贅沢な造りだったと言われる。

 龍伯の輿が降ろされ、次いで随行していた亀寿の輿も降ろされた。

 「う〜ん、やっぱり外の空気は美味しい!」

 狭い空間から開放され、体を伸ばす。とても大名の姫とは思えない。

 「亀寿、だらしないぞ」

 「あっ、お父様。すみません」

 亀寿は父親が輿から出る姿に思わず見とれた。何と立派な殿様だろうと思った。今年で54歳の高齢であるはずなのに、背筋をピンと伸ばし、しっかりと正装している姿は娘から見ても凛々しい。

 「どうした?参るぞ」

 「はい!」





 聚楽第で秀吉に謁見し、龍伯達は京の屋敷に案内された。そこでは先に京へ入っていた島津久保が出迎えた。

 「伯父上、お待ちしておりました」

 「久保。どうだ、京は?」

 「そうですね、薩摩とは違った風情があります。もちろん私は、故郷が一番好きですけどね」

 龍伯はこの若者が気に入っていた。優しく純粋で、他人にはない魅力を持っている。いずれは亀寿と結婚させて自分の跡継ぎにしても良いと思っていた。

 「久保様。お久し振りです」

 亀寿が恥ずかしそうに前に出る。彼女も久保は優しい男だと思っており、嫌いではない。

 「ああ、亀寿姫ですね。また美しくなられましたね」

 「な、何を言っているのですか、もう!」

 顔を真っ赤にして照れる亀寿と、そんな仕草を嬉しそうに笑う久保。龍伯は若い二人の睦まじい姿に、頬を緩めた。

 (わしは男子に恵まれなかったが、この若者なら間違いあるまい)





 島津龍伯、島津久保、亀寿が京に到着して落ち着いていた頃。一人の薩摩武士が天寧寺に向かっていた。

 武士の名は東郷重位。今年で26歳の若者である彼は、既に九州で流行していたタイ捨流を極め、その剣術は薩摩国でも高く評価されていた。それでも、彼は更なる強さを求めて歩を進める。

 天寧寺にはかつて剣術を教えてくれた恩人、善吉和尚が居る。最初に出会ったときは修行期間が短く、あまり多くを学ぶことが出来なかった。

 しかし今回は違う。主君である龍伯は少なくとも半年間、京から離れることは出来ないだろう。秀吉が諸大名を一ヶ所に集める政策をとっているからだ。

 つまり、

 (善吉殿にちゃんと一から修行させてもらえる)

 ということだ。





 天寧寺

 参道を通り、僧達が住む寺の敷居をまたいだとき。東郷は剣の気配を感じた。

 辺りを見回すが、誰もいない。耳を澄ますと、微かに参道を外れた山奥で剣と剣がぶつかる音が聞えた。

 (誰だ?尋常な空気ではない)

 東郷は慌てて気配を辿った。





 山奥の開けた場所で、二人の男が戦っていた。一人は間違いなく善吉和尚。もう一人は見たことがない若者だ。

 「てこずらせやがって。これで終わりだ!」

 「くっ!」

 若者の長刀が善吉の頭に振り下ろされる瞬間、東郷の刀がそれを防いだ。

 ガキィィィン!

 「ん?」

 「そなたは」

 「善吉殿、お久し振りです。東郷重位、助太刀いたします」

 そのまま力を込めて相手を後ろに退かせる。

 「てめぇ、東郷だと?誰だか知らんが邪魔をするな!」

 腹に響く怒号。身なりは立派だが、顔は邪悪な気が漂っている。東郷は並みの相手ではないと感じた。自然と構えを直す。

 「ちっ、しょうがねえ。お前から始末してやる」

 敵も構え直す。東郷とよく似た構えだ。

 「我が名は東郷重位。お主は?」

 「律儀な奴だ……俺は八坂官九郎。その構え、『八双』だな。お前の流派は?」

 「タイ捨流」

 「タイ捨流?ふん、田舎で流行っている剣術だな。俺は天真正自顕流(てんしんしょうじけんりゅう)の免許皆伝だ」

 「天真正自顕流……」

 「挨拶は終わった。流派の名乗りも終わった。後は、お前が死ぬだけだ!」





 官九郎の攻撃は峻烈だった。一撃一撃が重く、激しい。東郷だからこそ持ちこたえられるが、普通の者なら手が痺れ、刀が折れてしまうだろう。

 (何という攻撃だ。反撃の隙がない)

 それでも、東郷は機を待った。やがて敵が息を整えるために一歩下がる。

 (今だ!)

 東郷は全力で間合いを詰めると、下から刀を振り上げた。官九郎も即座に反応して防御するが、東郷の勢いを止められない。東郷の刀は官九郎の真上まで振り上げられた。

 (馬鹿め!胸ががら空きだ!)

 官九郎は脇差を抜いて水平に構える。このまま真っ直ぐに突けば、東郷の胸に刺さるのは確実だ。官九郎は勝利を確信した。どんなに東郷が速く刀を振り下ろしても、自分の攻撃が間に合うはず。

 脇差が一直線に放たれた。





 自分の胸に迫る脇差に、東郷は体を捻ってかわした。

 「なに!」

 丁度官九郎に対して、体を横向きにずらした格好になる。

 寸前のところで脇差が東郷の胸をかすめた。

 「はっ!」

 東郷は振り上げたままの刀を官九郎にではなく、自分に向けられた脇差に当てた。

 「ぐっ」

 脇差を落とし、持っていた左手も痛める官九郎。

 東郷は更にタイ捨流で学んだ技。左足を前に出して相手を蹴る『足蹴』で官九郎の胸を打った。

 敵は完全にバランスを崩す。東郷は刀を脇に添えて突っ込み、すれ違いざまに脇腹を斬った。

 「ち、ちくしょうめ!!」

 横に飛び跳ねたおかげで致命傷ではないが、血は止まらない。官九郎は山を転げ落ちるように逃げていった。





 善吉に駆け寄る東郷。善吉の服はボロボロで、刀も折れていた。

 「大丈夫ですか、善吉殿!」

 「ふふ、またお主に会えるとは、仏の加護かの」

 「傷を負っていますね、すぐに寺へ戻りましょう」





 天寧寺に戻り、傷を手当てした善吉に東郷は早速詰め寄った。

 「あの者は何者ですか?」

 「官九郎は……元はここで修行していたわしの弟子じゃ」

 「なんですと。では弟子が師を殺そうとしたのですか」

 「まあ、そういうことになるな」

 「一体、何の為に?」

 善吉はじっと東郷を見つめ、懐から三つの本を取り出した。

 「これは?」

 「天真正自顕流の奥義書じゃ」

 本にはそれぞれ、『尊形』・『聞書』・『察見』と書かれている。

 「官九郎は剣術に対して、天賦の才を持っていた。わしはその才能に惹かれ、奴に天真正自顕流を教えた。じゃが奴の本質が、血を求めるだけの悪鬼と分かったとき、わしは奴を破門した」

 「それで、官九郎はそのことを恨んで」

 「そうじゃ。奴はわしを殺し、この奥義書を奪う為に襲ってきたのじゃ。わしも抵抗したが、やれやれ、寄る年波には勝てぬ。すっかり負けてこの様じゃ」

 「…………」

 「その眼、自分が官九郎を倒しますと言っているな?」

 「はい」

 善吉は静かに首を振るう。

 「気持ちは嬉しいが、今のお主では勝てぬ。官九郎の才能は本物じゃ、次も勝てる保障はない」

 「ではそれがしに、天真正自顕流を教えてください!」

 「天真正自顕流を?」

 「元々それがしは、善吉殿に再び修行させてもらうために来たのです。官九郎が天真正自顕流の達人なら、それがしも同じ流派を学んで活路を開きます」

 「同じ流派を学ぶ?はは、お主は面白い男だな」

 「お願いします。私に天真正自顕流を教えてください」

 「官九郎の傷が治るまで……一ヶ月。とても太刀打ちできぬぞ?」

 「覚悟の上です。私の持てる全ての力で、官九郎を倒します!」





 官九郎は手傷を負いながらも、まだ復讐を諦めてはいなかった。

 (腐れ坊主と妙な侍。この恨み、必ず晴らしてやる!)

 彼が向かったのは京の郊外。法を犯した者、山賊などが群れている古寺だ。

 「おい俺だ。八坂官九郎だ」

 古寺の入口で声をかける。

 「おう、官九郎か。久し振りではないか。どうした?また博打でも打ちに来たのか?」

 「違う。腕の良い浪人などを探しているのだ」

 「浪人?何だ、食い詰め浪人なら捨てるほど居るぞ」

 「そうだな、4人ほど集めてくれ」

 「ああ、分かった。昔馴染みの頼みだ、ちゃんとしてやるよ」

 「へっへっ、恩に着るぜ」





 一方、京の島津家屋敷。

 「きゃあ、きゃあ!久保様、助けてください!」

 ドタドタと廊下を走り、書物を読んでいた久保の背中に隠れる亀寿。

 「ど、どうしたのです!?何があったのですか?」

 「蜘蛛(くも)です。大きな蜘蛛がいました!追い払ってください!」

 「はは、蜘蛛ぐらいなんです。どこにでもいるじゃないですか」

 「嫌です。追い払ってください。とても大きな蜘蛛なんです!」

 久保は微笑して立ち上がり、亀寿の部屋に向かった。確かに拳ほどの大蜘蛛がいる。

 「やれやれ、蜘蛛も災難だな」

 畳を二度、三度と叩いただけで、蜘蛛は大慌てで外に飛び出していった。

 「もういませんよ」

 背中の亀寿に声をかける。彼女は心底ホッとした感じだ。

 「あ〜、怖かった。蜘蛛は苦手です」

 「姫も今年で16なのですから。蜘蛛一匹で怖がってはいけませんよ」

 「そんなこと言っても、怖いものは怖いのです。…………ふふ、あははははは」

 突然笑い出す。あまりに楽しそうなので、久保も笑い出した。

 「はは、何が可笑しいのですか?」

 「だって、まだ14歳の久保様に説教されていると思うと、可笑しくて」

 「ふふ、なるほど、確かに。はははは」

 「あはははは」

 一度笑い出すと止まらない。これは亀寿の癖なのだ。

 久保もつられて笑い続け、部屋には小気味の良い笑いが響いた。





 東郷は天真正自顕流の修行を続ける中で、ある考えを持っていた。

 (いかに天真正自顕流を学んでも、やはり官九郎には一日の理がある。だとすれば、既に習得しているタイ捨流と合わせ、まったく新しい力を生み出すことは出来ないか……)

 東郷は考えた。敵に勝つには、どうすれば良いか。そこで思った。

 相手の攻撃を受ける前に、こちらの攻撃が当れば、こっちの勝ち。

 当たり前の発想。その発想が、東郷の中で大きく膨らんでいった。

 (敵の攻撃が当る前に……こちらの攻撃を……)





 一ヵ月後

 官九郎は傷が癒えたことを確認すると、仲間が集めてくれた浪人4人を連れて天寧寺に向かった。

 4人のうち一人は古びた槍を持っている。

 「随分使い込んでいるようだな、その槍」

 「まあな、今まで何人もの落武者を手にかけてきたものよ」

 「ほう、そいつは頼りになるぜ」

 他の3人も若いが、勇気はありそうだ。官九郎は今度こそ復讐が遂げられることを確信した。

 (こいつらには悪いが、あの侍には勝てないだろうな。まあ、少しばかり隙を作ってくれれば、それでいい)

 何時からか、官九郎は真面目に剣術をすることに飽きていた。敵を倒すには、どんなに卑怯でも勝たねば意味がない。その真理に気付いたのだ。

 (侍を殺し、善吉を殺し、奥義書は俺が頂く。それが強き者を求める天真正自顕流の教えだ)

 官九郎の両眼は怪しく光った。





 天寧寺の小童が教えてくれた。間も無く危ない感じの浪人が来ると。

 「来たか」

 「準備は良いか?東郷」

 「はい」

 「本当はわしの問題ゆえ、わしが自分で解決したいところじゃが、もうこの体ではどうにもできん。情けない話じゃ」

 「ご心配には及びません。万事はうまくいきます」





 決戦場は、天寧寺の僧堂。

 庭に集まった八坂官九郎率いる浪人衆と、一人で対峙する東郷。この日の為に天真正自顕流を学び、更に改良を加えて今日に備えてきたのだ。抜かりはない。

 「やっぱりてめぇが出てきたか!一応言っておいてやる。命が惜しけりゃ」

 「断る!」

 「……そうか、なら仕方ねぇ」

 素早く東郷を囲む浪人4人。まず槍使いが飛び出した。

 「そら、そら、そら!」

 まるで弾丸のように繰り出される槍をその場から一歩も動かず、刀だけで防御する東郷。

 (速いな。だが、見切れる!)

 それはコンマの瞬間。敵の槍が東郷の頬を掠め、再び手元に戻ったその一瞬。東郷は一気に間合いを詰めた。刀を耳の辺りまで上げ、左手を軽く添える。

 間合いを詰められたら槍は不利である。

 (こいつ!)

 向かってくる東郷に対して繰り出される槍。その瞬間。

 「かああああっ!!」

 腹の底からの一喝。槍使いは思わず手元が狂い、東郷の肩を刺した。それでも、東郷の勢いは止まらない。

 振り落とされる凶刀。その力は相手の肩を砕き、胸まで達した。

 哀れ槍使い。断末魔の叫びを上げることもなく、死んだ。

 他の3人は東郷の技量、豪腕に驚いたが、退く気はない。

 「一対一で向かうな、囲んで一斉に攻撃しろ!」

 後方から官九郎が指令を出す。3人は言われたとおり、東郷を囲んで一斉に刃を向けた。

 東郷はぐっと腰を下げ、右側の敵の刀を弾き飛ばす。その際、後ろを浅く斬られたが、東郷は動じない。この一連の動きはタイ捨流に通じるものがある。

 (肉を切らせて骨を断つ!)

 勢いそのまま、刀を横薙ぎに後ろの敵を斬る。残るは左側の敵だけだが、そいつは悲鳴を上げて逃げ出した。

 (最後は、官九郎のみ!)

 だが、東郷が官九郎に向き直るよりも早く、相手の刀が東郷の背中を深く斬りつけた。

 (しまった!)





 二人を倒し、二人は逃げた。残りは一人だが、先ほどの攻撃で東郷の背中からはドクドクと血が流れている。

 「どうした?かかってこないのか」

 斬られた瞬間、東郷は身を退いた。それで追撃はかわしたが、出血多量で長くはもたない。

 それでも、東郷は構えを正す。刀を耳の辺りまで上げ、左手を軽く添える。左足を前に出して、左肱を動かさない『左肱切断』で手元を動かさないようにする。これが『蜻蛉の構え』だ。

 (勝機は、一瞬。それで死ぬか、生きるか)

 八坂官九郎も、相手の並々ならぬ気迫に冷や汗を流した。

 (何だ、こいつ?もう立っているのも辛いはずなのに)

 官九郎も刀を同じ様に構える。その途端、彼の中で東郷が大きくなった気がした。まるでそのまま飲み込まれるような、嫌な錯覚。

 気が付くと、官九郎の体は震えていた。

 (落ち着け、どうした。相手は今にも倒れそうじゃないか)

 確かに、東郷の背中からは血が滴り落ち、足元を真っ赤に染めている。それでも、彼の眼は死んでいない。鋭い眼光で官九郎を睨む。

 恐怖、怯え、……その極致に達したとき、官九郎は全てがどうでも良くなった。

 「ひひ、ひひひ。死ぬか、生きるか、……おもしれぇじゃねえか!!」

 飛び出した。もうそれ以上、東郷を見ていたら、逃げ出すかもしれなかった。





 襲い来る官九郎を見据えて、東郷は微動だにしない。

 「死ねやああああ!!」

 大上段に振り上げられる刀。それに答えるべく、東郷も腹の底から叫んだ。

 「かあああああっ!!」

 ドンッ!!





 勝負は一瞬で決まった。官九郎の刀が東郷を斬る前に、東郷の刀が相手を斬ったのだ。近くで見守っていた善吉も眼を見張った。

 (こ、これほどとは)

 正直、見えなかった。あまりに速く、重い斬撃。

 敵の攻撃が届く前に、こちらの攻撃を当てる。

 その一点に集中し、修練した結果。それがこの結末である。

 「…………」

 官九郎はゆっくりと地面に倒れる。その死体は無残という他はない。見事に体を切り裂かれている。

 刃こぼれが目立つ刀を見つめて、東郷は思う。

 (まだだ、まだこの技、完成してはいない。もっと修練を積まなければ)

 この後、薩摩に帰国した東郷はタイ捨流と天真正自顕流を合わせ、超実戦剣術の『示現流』を生み出す。

 その示現流の中に、『雲耀』という技がある。

 稲妻という意味の『雲耀』は、剣圧だけで相手を斬ることが出来たと言われ、その破壊力は如何なるものも粉砕したらしい。

 だがそれほどの『雲耀』を会得できた者は、開祖であり、発明者の東郷だけであった。





 「東郷、傷は大丈夫か?」

 「ええ、この程度、なんのことは……」

 バタン!

 「と、東郷!しっかりしろ!」

 「む、無念。修行が足りませぬ……」

 究極の力への道は、まだまだ遠い。



 第七十一章 完


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