戦国島津伝




 第七十五章 『一揆鎮圧』

 「梅北殿、兵の数は増える一方です。この勢いで近隣に打って出ましょう」

 鼻息を荒げる男は桂忠詮。同僚の田尻但馬も頷いている。彼らを束ねる梅北国兼も、このまま佐敷城に立て籠もる気はさらさらない。

 だが、心配な事もあった。

 「城の守将達は降伏したか?」

 桂が首を振る。

 「そ、それが、いまだ城の一部に籠城して抗戦を……」

 元々佐敷城を守っていた安田弥右衛門以下数十名は、梅北勢の勧告を突っぱね、抵抗していた。

 「ふん、どちらにせよ奴らが音をあげるのは時間の問題じゃ。そんなことよりいまは一刻も早く周囲の城を陥落させ、わしらの義を天下に見せつけようぞ」

 反乱グループの中で最年長の田尻が髭をなでながら力強く言う。実際、梅北軍の士気は日に日に増していた。この勢いなら、自分達の勢力を何倍も広げることが出来る。

 「……よし、では桂殿は八代城を。田尻殿は麦島城を攻撃してくれ」

 「おう、心得た!」

 「秀吉に薩摩人の意地、思い知らせてくれる!」

 佐敷城の大部分を占拠した梅北一揆の軍勢は、周囲の加藤氏、相良氏が守る二城を目指して疾駆した。彼らの頭にある感情はただ一つ、「秀吉が憎い」ということだけ。怒りを、不満を、一気に爆発させんがため、彼らは走った。





 島津歳久は庭を見ながら、梅北一揆のことを知った。

 バカなことだとも、愚かなことだとも、思えなかった。ただ、羨ましいと思った。

 どんな形であれ、彼らは自らの意思を示したのだ。手足もろくに動かず、庭先を何気に見ているだけの自分は、一体なんなのか。

 妻のつづみは、家の掃除をしている。たとえどんな事件が起きても、掃除だけはやめないだろう。世話しなく、歳久の眼に映らないところで右に左に動き回る。

 蒲団に入ったまま、体を動かさない夫。体力の許す限り、動き続ける妻。まさに対照的な夫婦。

 歳久は、部屋に置いてある脇差に手を伸ばした。

 「何をしているのですか?」

 関節の痛みに耐えて、伸ばした手を引っ込める。歳久自身、なぜ脇差を取ろうとしたのか、わからない。

 「別に何でもない。どうした?」

 「本田様がお見えですけど」





 本田五郎左衛門は、かしこまって歳久の部屋に入った。もはや歳久は、謁見する部屋に移動することも苦しかったのだ。

 「歳久様、ご機嫌いかがですか?」

 「最近、地獄の鬼が手招きしている夢を見る」

 「何と!そんなことを言われるとは、歳久様らしくもない。祁答院の民、いや島津の民にとって、歳久様は心の支えなのですぞ!」

 「もういい、それで何のようだ」

 「梅北一揆のことは、ご存知ですね」

 「うむ」

 「私も最初は彼らを甘く見ていましたが、その勢いはもはや疾風怒濤。なかなかどうして、すごい奴らです」

 「お前も乱に加わるのか?」

 「なっ!?まさか、そのような。ご冗談を」

 慌てて顔を伏せる本田。歳久は彼から視線を逸らし、口を開く。

 「秀吉は今年で何歳だ」

 「はっ?」

 「関白殿下は、今年で何歳だ」

 「え〜、確か56歳くらいでは?」

 「そうか、56か」

 歳久は笑った。声を上げず、口元だけで。





 本田は一揆勢のことを力説した後、帰った。

 彼が去り、つづみが歳久の部屋を覗くと、歳久は蒲団に潜り込んでいた。

 「どうしたのですか?」

 「…………」

 「どこか痛いのですか?」

 「…………」

 しばらく様子を伺っていたつづみは、蒲団の上から歳久をそっと抱き締めた。

 妻のぬくもりを感じながら、歳久は眼を閉じ続けた。少しだけ、体は震えていた。





 梅北は我が耳を疑った。抵抗していた安田弥右衛門達が降伏してきたのだ。彼らは立て籠もっていた矢倉や城内の踊り場から、頭を垂れながら出てきた。

 梅北が出迎えると、白髪の老人が前に進み出た。

 「安田弥右衛門殿か?」

 「いかにも。もはや抵抗いたさぬゆえ、部下の命だけは何とか」

 「我らの敵は関白秀吉であって、貴殿達ではない。命は全員助ける。そうそうに城を出られよ」

 「ありがたきお言葉です。実は我らも関白秀吉には不満を持っており、あなた方のお気持ちはよくわかります。抵抗したのは、武士としての意地を通したまで。そのことをお分かりいただきたい」

 申し訳なく頭を下げる安田を見て、梅北も悪い気はしない。

 「せめて今夜、お詫びとあなた方の前途を祈って宴を開かせていただきたい。女達も島津の男を相手にすると聞けば、喜んで酒を注ぎましょう」

 「宴か……」

 考えてみれば、自分も部下達もずっと緊張で疲れている。今日、少しぐらい心身を休めて何が悪いのか。

 「いかがであろう、梅北殿?」

 腰の低い態度で見つめる安田。梅北は迷ったが、結局首を縦に振った。





 その日の夜

 佐敷城に明るい笑い声が響く。梅北は部下と共に酒を飲み、城の女達も世話しなく酒を注ぐ。安田達は島津兵を上の者から下の者まで歓待し、誰一人止まってはいない。

 梅北は酒を次々に注がれ、次第に眠くなった。安田が側に来て声をかける。

 「さあ、どうぞ、どうぞ」

 「うむ、安田殿も飲まれたらいかがだ?」

 「はっはっはっ、この城の主はあなた方です。主を差し置いて我らが飲むわけにはいきません」

 敵に酒を注がれ、歓待される。武将としてこれほど優越感にひたれる瞬間はない。

 梅北は横になり、眼を閉じた。

 安田は梅北が眠ったのを確認すると、静かに部屋から出て行った。





 翌日

 梅北国兼の首が城内にさらされた。安田達は偽りの降伏で反乱軍を油断させ、酒で全員を泥酔させた。城を奪還するのに、それほど時間はかからなかった。

 更に麦島城、八代城に向かった一揆軍も敗北し、田尻但馬は戦死。桂忠詮は行方不明。『梅北一揆』は鎮圧された。

 いち早く関白秀吉に一揆のことを知らせた島津家は領土安堵。島津家家臣団が心底ホッとしたのは言うまでもない。





 名護屋では梅北国兼の妻が火あぶりにされた。彼女の態度は堂々としたものであり、体が燃えて灰になるまで悲鳴一つ上げず、立派なものだったと宣教師のフロイスは日記に書いている。





 島津龍伯は家臣達を見ながら、複雑な心境だった。梅北のやったことは、天下に対する反乱。だが奴を追い込んだのは、他ならぬ天下ではないか。

 当主としてではなく、一人の男として、龍伯は梅北に同情した。

 山田有信が血相を変えて飛び込んできたのは、その時だった。

 「殿、大変です!」

 「なんだ」

 「一揆の中に、歳久様配下の者達が多数参加していたことが判明。本田五郎左衛門も加わっていたようです」

 「…………」

 「本田は既に死亡が確認されましたが、この事実は関白秀吉にも届いています」

 「歳久はどこにいる」

 「恐らく祁答院の虎居城かと」

 一難去って、また一難。龍伯は額を押さえた。

 秀吉に降伏してから、なぜこうも問題が起きるのか。

 (歳久、なぜ本田を止めなかった。なぜ配下の行動を黙認した)

 拳に力を入れながら、龍伯は冥想の中に逃げ込んだ。



 第七十五章 完


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