戦国島津伝




 第八十一章 『露梁海戦』

 血で濡れた刀。飛び散った人の肉片。鼻を突く異臭。

 島津忠恒が体験した泗川の戦いは、22歳の若者が経験するには余りに刺激が強いものだった。

 周りでは味方の将兵が狂ったように喜んでいる。数十倍の敵軍を壊滅させたのだから、当然だ。

 だが彼らは知らない。この死体が転がる戦場の片隅で、初めて人を殺した忠恒が震えていたことを。





 (人間は…………簡単に死ぬものだな)





 『泗川の戦い』で明・朝鮮連合軍数十万人を撃退した島津軍と、総大将の島津義弘は他の諸将から喝采を浴び、朝鮮に出兵した大名家で唯一の加増(加治木、出水の5万石)を受けるに至った。





 数日後、日本軍の左翼を担当していた宗義智(そう よしとし)が泗川に到着した。

 「この度は見事な勝利、お祝い申し上げる」

 30歳の宗は義弘から見れば小童だが、もともと腰が低く、悪い印象はない。宗の言葉に、義弘も白い髭をなでながら笑う。

 「なに、老骨の最後っ屁みたいなものよ。息子や家臣達が頑張ってくれたからな」

 「ですが義弘殿。敵はまだ我々を簡単に帰す気はなさそうですぞ」

 「うむ……そのようだな」





 豊臣秀吉の死を契機に撤退を開始した日本軍。左翼の小西行長、中央の加藤清正、右翼の黒田長政など、強固な城と味方の奮戦に助けられ、次々に内陸から帰還してきた。だが彼らにとって問題なのは日本と朝鮮半島に横たわる日本海である。この海の制海権を手に出来るかどうかに全てが懸かっていた。

 「かつてわしは藤堂高虎殿と共に朝鮮水軍の元均を討ち取った。奴に匹敵する将軍が居るとは思えんが」

 宗は静かに首を振る。

 「元均は確かに猛将の誉れ高い提督でしたが、彼は代理に過ぎません。朝鮮水軍最後の将が日本軍撃滅の為に復職したことが分かったのです」

 「最後の将?」

 「李舜臣です」

 「李舜臣……」

 その名を聞いて義弘は顔を引き締めた。文禄の役の頃、九鬼嘉隆、脇坂安治、加藤嘉明といった日本水軍の武将達を次々に破った名将である。

 「命令無視で降格されたと聞いていたが……」

 「どうやら昨年の慶長二年(1597年)に起きた鳴梁海戦の時点で既に復職していたらしいのです。彼の率いる水軍は、侮れません」

 「…………ふふ」

 「義弘殿?」

 「どうやら、この義弘の人生は本当に戦の神に憑かれているようだな」

 宗はこの老人をまじまじと見た。60歳を越える年齢でありながら、一体どこにこのような気迫が出て来るのか。

 (このような人こそ、真の武士と言うのかもしれん)





 慶長三年(1598年) 10月

 朝鮮半島の巨済島まで撤退した島津義弘、宗義智、立花宗茂は日本左翼司令官の小西行長を待った。

 小西は外交で自軍の無血撤退を明と朝鮮に承諾させてから引き揚げる段取りになっていた。事実、陸軍からの承諾は得ている。後は朝鮮水軍を説得すれば良い。





 11月 初旬

 小西軍が巨済島に来ない。行長の妻を娶っている宗は気が気でなかった。

 「なぜだ、なぜ父上殿は順天から撤退してこない。このままでは気の短い清正に置いて行かれるかもしれん!」

 義弘、宗茂の前でウロウロする宗。

 「義智殿、少しは落ち着かれよ」

 たまらず宗茂が口を開く。宗は一度止まったが、すぐにぶつぶつ言って再び動く。それを繰り返しているうちに、小西軍から緊急の使者が来た。

 「報告します!現在、我が軍は水路を李舜臣の軍に包囲され、撤退不可能。至急援軍を送ってください!」

 一斉に立ち上がる義弘と宗茂。

 「…………義弘殿、何隻用意できる?」

 「およそ、150隻」

 「よし、では義弘殿は先陣を頼む。それがしと宗殿は左右に陣取って進むぞ」

 「わ、わかった」

 大将3人は軍船500隻をかき集め、急遽順天に向かった。





 11月17日

 「日本水軍来たる!」の報は朝鮮水軍にも伝わった。司令官の李舜臣は順天城の包囲を解き、迎撃の為に出陣。その数は500隻。





 18日 未明

 順天城に続く露梁津を進む日本水軍。その先頭を走る船の上に、島津義弘が居た。

 (我が島津の将兵は陸戦には強いが、海戦は不慣れ。海育ちの樺山久高に期待するしかないな)

 義弘は無意識に久高がいる船団を見ようと、後ろを振り向いた。

 だが、その目線は背後にいた人物で止まる。島津忠長だ。

 「忠長、どうした?」

 「今日の戦。気に食いません」

 「ほう、なぜだ?」

 「先鋒は我ら島津水軍、それにはまったく不服はござらん。されど、右翼を守るは立花宗茂の艦隊…………それがしは」

 「馬鹿者っ!!」

 忠長ははじかれたように姿勢を正した。

 「何を言うかと思えば、くだらん。お前は早く自分の船団に移れ!」

 かつて立花宗茂の実父・高橋紹運を攻め殺したのは他ならぬ島津忠長。立花がこの事を恨んで自分達を捨て駒にせぬかと懸念したのだ。

 沈痛な顔で背を向ける忠長に、義弘は言った。

 「親を殺されて怒らぬ子はおらん。だがいまは日本兵全員が一致団結して事に当るとき。宗茂殿はそれがわからぬほどたわけではない。あの勇者を侮るな」

 「……それがしが浅はかでした。お許しを」

 そのやり取りを聞いていた周りの兵士も、自らの戦友に対する心の不安を恥じた。





 そして、その直後。

 島津水軍が露梁津を抜けようとしたとき、北の竹島、南の観音浦から朝鮮水軍が同時に出現した。露梁海戦の始まりである。





 南北の挟撃を受けた日本水軍は任意に迎撃を開始。特に先鋒を進んでいた島津水軍は李舜臣の本隊とぶつかった。





 樺山隊

 島津軍団で唯一水上戦を得意とする樺山久高は島津義弘隊の後方。先頭になれば臨機応変に味方の援護に向かう。

 大将の久高は敵の奇襲に動じることなく采配を振るう。

 「出鼻を挫かれたが、全速で敵に接近しろ!遠距離では和船は不利だ!」

 樺山隊は精鋭50隻で敵に接戦を挑んだ。

 朝鮮の軍船からは手投げ爆弾が投げ込まれる。その威力に、日本水軍はなす術がない。

 混乱する兵を叱咤しつつ、久高は敵の旗艦を探した。この海戦は地理でもタイミングでも敵が有利。旗艦を沈めて指揮系統を潰すしか勝機はない。





 義弘本隊

 周りの味方艦が沈む様子を義弘は船上から黙ってみるしかない。実に歯がゆいことだ。

 「各個に敵に当るな。数隻ずつ密集して攻撃せよ!海に落ちた者は敵の船に乗り移って斬り込め!」





 樺山久高の船団は何度も敵に包囲されかけたが前進をやめなかった。

 その船団を猛追する種子島久時の部隊。彼もまた、久高の考えが読めていた。

 (久高殿は敵の旗艦がわかったのだ。だから前進をやめない。ならばこの久時、敵の大将を見つけ出して撃ち殺す!!)





 「久高様。後ろから種子島様の船団が追走しています」

 「この久高では役不足と申すか種子島よ…………よかろう、道を開いてやる!敵の旗艦らしきものは三隻、樺山隊全艦は周囲の敵に手当たり次第に攻撃しろ!島津は海の鬼にもなれるところを見せてやれ!」





 種子島隊

 目の前を進撃していた樺山隊が突如隊列を乱し、周囲に散開した。

 まるで自分に道をあけたかのように。

 「前進せよ!敵の旗艦は目の前の三隻!」

 「敵のいい的になります!」

 「構わん、接近しろ!とにかく接近しろ!運があれば乗り切れる!」





 敵艦からの無数の爆弾。及び大量の矢。

 種子島久時は矢が頬のすぐ横をかすめても愛用の鉄砲を構え続けた。

 (一発とて外さん。我が眼は鷹、我が指先は必殺の爪なり!)

 鋭い眼光の奥に、船の上で指揮をとる立派な老将が見えた。

 次の瞬間。久時の乗る船の横に随行していた味方艦から火が吹いた。

 それでも、南島の名将は迷うことなく銃を発射した。





 ダーーーーンッ!!





 続いて放たれる種子島自慢の鉄砲隊の一斉射撃。

 久時は弾を込めず、予備の銃を手に取った。そしてすかさず次の船にいた指揮官らしき人物を狙撃。





 ダーーーーンッ!!





 銃声が轟き、敵将は大きく後ろに吹き飛んだ。

 だが、久時の活躍もそこまでだった。久時の乗った船は敵の側面攻撃を受けて撃沈された。久時は海中に投げ出され、駆けつけた味方艦に収容されて一命を取り留めた。





 樺山隊も遂に力尽き、次々に沈んだ。

 久高の乗った旗艦は巧みに敵艦の間をすり抜け、何とか付近の浅瀬に座礁させる事に成功。久高と部下はそのまま対岸を徒歩で横断し、戦線を離脱した。





 空が晴れ、夜が明けようとしていた。

 日本水軍は撤退を開始。

 島津水軍は最後尾から敵の攻撃を受け、義弘自身も危うい状況に陥った。

 「義弘様、樺山隊及び種子島隊は敵と激戦の末撤退。忠恒様と忠長様の部隊は何とか生き残っておりますが、もう戦う余力は残っておりません」

 義弘はじっと追ってくる敵船団を睨んだ。

 (このような異国の地で、わしの人生は終わるのか!)





 一人の兵士が叫んだ。

 「た、立花宗茂様の船団が、敵に接近!」

 「立花が!?」

 立花隊は全力で敵の進路を防ぎ、島津隊の撤退を援護した。その行為に、義弘は顔を引き締めた。

 (宗茂…………見事な男だ……)

 この立花隊の活躍で島津隊は何とか撤退を成功させ、敵もこれ以上の追撃は無理と判断して引き揚げた。





 この露梁海戦で日本水軍は多大な被害を被ったが、朝鮮水軍も李舜臣を初め、副将のケ子龍などの指揮官が多数戦死した。

 順天の小西行長はこの隙に撤退を完了させ、露梁海戦は戦略上、日本側の辛勝で幕を閉じた。





 戦後、巨済島で行われた宴で、立花宗茂の前に一人の男がやってきた。

 「貴公は?」

 「それがしは……島津忠長」

 「忠長……」

 家臣達が身構えるが、宗茂はそれを制した。

 「拙者に何か御用ですかな?」

 忠長は視線を一度下げた後、宗茂を見据え。

 「此度の戦、宗茂殿のおかげで助かった」

 そういって、忠長は突然頭を下げた。

 「我が主君……島津義弘に代わって礼を申す」

 唖然とする家臣達だが、宗茂は真剣な目つきで忠長を見つめた。

 「忠長殿、よくわかりました。こちらからも、島津殿の奮戦、礼を申す」

 宗茂は忠長の手を取り、握手した。忠長も握り返し、去っていった。

 その背中に滲む想いを、宗茂は確かに感じた。





 慶長三年(1598年)11月18日

 島津義弘の朝鮮出兵は、終わった。



 第八十一章 完


 もどる
inserted by FC2 system