戦国島津伝




 第八十七章 『関ヶ原の合戦』

 薄暗い部屋の一室に、若い男と女が寄り添っている。

 「父上は死ぬだろうか……」

 「もし義弘様が亡くなられたら、忠恒様がこの国の主ですね」

 「父上が死に、義父殿が死ねば……な」

 「ほっといても、いずれ死にますわ」

 部屋には蝋燭が一本立っているだけ。その僅かな光に映し出される男女。島津忠恒と侍女の美影である。

 「お前達も聞いておけ」

 周囲からの視線が忠恒に集中する。今、この部屋には美影の他に、多数の忠恒専属の侍女達が控えている。姿は部屋の暗さで確認できないが、全員が息を殺して忠恒の言葉を待つ。

 「間も無く天下を賭けた戦が始まる。敵軍がこの薩摩に、攻め寄せるかもしれん。そのとき俺は、義父殿の首を取るつもりだ」

 「わざわざ討たずとも、あのご老人ならそのうち」

 「俺は今すぐ、この国が欲しい。俺ならば、島津の家も、この国も、守り抜く自信がある。家中の者どもも、俺に従うだろう」

 「……亀寿姫様は、どうなりますの?」

 亀寿は島津龍伯の三女で、忠恒の正室。彼にとっては次期島津家当主の証であると同時に、目の上の瘤でもあった。

 美影や周囲の侍女達が、忠恒を探るような目つきになる。

 「姫には、遠くの城に住んでもらう」

 「まあ、お優しい」

 口元に微笑を浮かべながら、目だけは笑わずに主人を見上げる美影。

 「俺は鬼じゃない」

 「優しくもありませんわ」

 「…………これから忙しくなる」

 薩摩の島津忠恒。

 後に彼は島津龍伯(義父)の死後、多くの側室を持ち、男子16人、女子16人の子供に恵まれ、それらを家臣や一族の有力者の養子や妻として与え、自身に権力を集中させることに成功。江戸時代における、薩摩藩の礎を築いた。





 美しい月が庭を照らす。

 島津龍伯はすっかり白くなった自身の鬚を擦りながら、空を見上げる。

 (戦乱の世に生きて、67年(数え年なら68年)……未だに天下は定まらず、か)

 この月の下で、また弟が戦に出ていると思うと、龍伯は自分達兄弟の人生に苦笑した。

 (戦ばかりだったな、義弘。ここらで、少し休んではどうだ?)

 龍伯は静かに部屋へ戻って行った。

 (今夜は……いやに月が輝く……)





 9月14日 夜

 西軍の石田三成は、この作戦は危険であると同時に、家康を討つ本当に最後の機会になるかもしれないと感じていた。

 大垣城は水攻めに弱く、籠城には不向き。南に布陣している小早川秀秋、吉川広家は性根がはっきりしない。関ヶ原への出陣は、当然の成り行きであったと思う。

 だが、三成達には勝算があった。

 周りを味方に囲まれれば、小早川も吉川も覚悟を決めるしかない。またうまくすれば、大垣城から兵を出し、家康の背後を突ける可能性もある。

 (もし、家康が関ヶ原に来なかったら……いや、必ず来る!)

 兵力は東軍の方が多い。それに正面の西軍を無視しては、家康は行くことも退くこともできなくなる。

 (どちらも、正面攻撃しかない……)

 静かな馬蹄を響かせて、西軍は夜の闇の中、関ヶ原へと向かった。





 慶長五年(1600)9月15日 午前4時頃

 笹尾山に石田三成。

 隣の小池村に島津義弘、小西行長。

 東軍を正面から迎える位置にある天満山には宇喜多秀家。

 更に南には大谷吉継、平塚為広、戸田勝茂。

 西軍の右翼にある松尾山には小早川秀秋、脇坂安治、朽木元綱、赤座直保、小川祐忠らが布陣。

 南宮山には吉川広家、安国寺恵瓊、毛利秀元、長束正家、長宗我部盛親が陣取った。

 総勢8万の大軍。その内、敵を正面から迎撃する兵力(笹尾山から大谷隊まで)は5万であった。





 西軍の出陣に、家康も動いた。

 (信州の秀忠は間に合わぬか……仕方ない)

 主力の3万を率いる徳川秀忠は、9月9日に真田の上田城攻略を中断して赤坂に向かっていたが、完全なタイムロスであった。

 だが、三成の覚悟には応えねばならない。遅かれ早かれ、決戦は避けられないのだ。





 午前7時頃

 桃配山に徳川家康。

 背後の南宮山の抑えには山内一豊、浅野幸長、池田輝政。

 前線には福島正則、黒田長政、田中吉政、細川忠興、藤堂高虎などが布陣。

 総勢10万が関ヶ原に集結し、前線の兵力は7万に達した。





 島津義弘は小池村の小高い丘に陣を張り、ゆっくりと床几に腰掛ける。

 「明け方、戦が始まりましょう」

 長寿院盛淳がまだ暗い空を見ながら呟く。

 「10万以上の大軍がこの盆地に集結しております。後にも先にも、これほどの大軍が一度に衝突することはござるまい」

 前代未聞の大合戦を前に、冷静な盛淳の口調も熱を帯びる。それでも、義弘は興味を示すことなく、黙って眼を閉じる。





 義弘は夢を見た。

 最初に現われたのは馬。若い頃に乗っていた愛馬だ。戦場にも連れて行ったことがある。その馬の先には、錦江湾、そして桜島。

 温かい風と、懐かしい匂いが気持ちを楽にさせる。振り向くと、兄弟が立っていた。義久、歳久、家久……妻もいる。

 義弘は笑いながら、彼らの方に歩いて行く…………。





 「義弘様!!」

 盛淳の怒号で義弘は眼を覚ました。周囲を見渡すと、家臣達も緊張した顔をしている。空は、既に白くなっていた。

 「合戦が始まりました。まったくの突然です!」

 「状況は?」

 「福島隊付近から鉄砲が撃たれ、宇喜多隊が応戦。つられて周囲の全軍も戦闘に入った模様です」

 「そうか、始まったか」

 東軍の先鋒を務めていたのは福島正則だが、一番槍の手柄は何としても徳川軍から出したいという家康の策略により、徳川軍の井伊直正、松平忠吉が勝手に手勢を引き連れて宇喜多秀家の部隊に鉄砲を放ったのだ。抜け駆けされた正則は遮二無二宇喜多隊に突撃、合戦の火蓋が切られた。

 慶長五年(1600)9月15日 午前9時であった。





 宇喜多秀家の軍は総勢1万5千の西軍随一の大軍。それに秀家の参謀・明石全登は戦術家として有能な男だった。

 「所詮福島の軍勢は烏合の衆。正義は我らにある、かかれぃ!」

 明石隊を中心に、鉄砲や弓が福島隊に襲いかかる。更に絶妙なタイミングで槍隊が突進。福島隊を数10メートルも押し返した。

 危うく正則本人の命も危ないところだったが、横から藤堂高虎、田中吉政の軍勢が救援し、危機を脱した。

 明石全登は恐らく自分達が一番の激戦になるだろうと思いながら、死ぬまで敗走はしないという覚悟だった。

 (宇喜多家の未来はこの一戦にある。この全登、今日は存分に暴れさせてもらう!)





 笹尾山の石田三成も、黒田長政、細川忠興から代わる代わる攻め立てられた。

 三成の家臣・舞兵庫は馬で部隊を叱咤しながら、自らも鉄砲を片手に敵兵を射殺した。

 「敵を近付けるな!柵を利用して鉄砲を射かけよ。槍隊は横一列に並んで敵を分散し、騎馬隊は敵を各個に撃破せよ!」

 大声を上げる兵庫の背後から、大男が馬で寄ってきた。

 「兵庫」

 「おお、左近殿か……打って出られるのか?」

 島左近は長巻(大太刀の柄を延長したもの)を片手に、手勢の騎馬隊を密集させる。

 「敵の数がちと多いようだが、心配するな。黒田や細川など、それがしが一人で蹴散らしてやる」

 「戦場は乱戦となっている。鉄砲に気をつけられよ」

 「うむ、心得た」

 左近は長巻を頭上に掲げ、周囲の者が一瞬止まるほどの大音声で叫んだ。

 「我が名は島左近!これより徳川殿に、一太刀あびせて参る!!」

 左近隊は飛び出すと、鬼神の如き力で黒田と細川の将兵を押し戻した。





 この活躍に、黒田長政は色を失った。

 「おのれ、島の左近か!射かけて倒せ!」

 だが、左近隊はなおも暴れ、三成と東軍の間では左近の鬼のような叫びが轟いた。





 大谷吉継は頭巾に隠れた頭を静かに揺すりながら、側近の言葉を聞く。

 「田中吉政の軍勢が押し寄せてきます。松尾山の小早川、脇坂らは動く気配はございません」

 「……敵は兵の多さを頼んでおる。寡兵の怖さを教えてやらねばならんな」

 「御意」

 「鉄砲隊の後ろに騎馬隊を配置し、吉政の側面を突け!」

 「はっ!」

 横を流れる川を渡り、大谷隊は神出鬼没の戦法で田中隊を翻弄した。

 「敵を押し戻しました。吉政の慌てて逃げる様が眼に浮かびますな!」

 かつて豊臣秀吉に『百万の大軍を率いさせてみたい』と言わしめた大谷吉継。その評判に応えられて良かったと、大谷はすっかり痩せた自分の手を擦りながら満足気に頷いた。





 西軍有利!の報は、徳川家康の度を失いさせた。

 「兵力では我らが勝っているのに、なぜ敵を撃滅できん」

 本多忠勝が近寄る。

 「窮鼠猫を噛む。小さき者は追いつめられると決死の力を出すものです。また、前線の将軍達は敵味方ともに見知ったものが多い。動きが鈍るのも当然ですな」

 「……本陣を動かすぞ」

 家康の言葉に、忠勝は非難の眼差しを向ける。

 「忠勝、この戦に二度はないのだ……」

 忠勝は観念したように片手を上げ、各隊の大将を呼んだ。





 午前10時頃、徳川家康は本陣を前に動かした。この大胆な行動に触発され、東軍の諸将は奮い立った。

 だが、それでも西軍は頑強に抵抗し、敵軍を押し返した。





 南宮山

 西軍の吉川広家は軍を動かさなかった。俗に『宰相殿の空弁当』と言われる、「我が方はただいま弁当を食べている」という言い訳によって、他の西軍が家康の背後を襲うのを止めていたのである。





 兵達の叫び、武将達の叱咤激励の大声を聞きながら、島左近は戦場を駈けていた。

 「物足りぬ!この左近を討ち取ろうとする者はおらんのか!」

 彼が長巻を振るうたびに、敵兵の首が飛ぶ。既に左近の全身は返り血で真っ赤だった。





 細川忠興が部下に命じる。

 「あの猛将とまともに戦ってはいかん。鉄砲や弓で仕留めるのだ」

 そこで武将の一人が鉄砲隊を集め、左近の声が聞こえる付近に伏せさせた。

 「左近殿、拙者がお相手つかまつる!」

 「おお、いい度胸だ!」

 左近が向かってくる。武将は震える己を必死に抑えながら、彼の接近を待った。

 そして

 「覚悟!!」

 長巻が振り下ろされる瞬間、銃声が響いた。





 各隊を率いて本陣を守っていた兵庫はその銃声に嫌な予感がした。

 「左近様が撃たれました!」

 (くっ、やはりか)

 兵庫は担ぎ込まれる左近を見て、これは助からないとすぐにわかった。撃たれた場所は四ヶ所。右肩、右腹、左足、左腕。いずれも撃たれた所から血が吹き出し、地面をどす黒く染めた。

 「左近殿に出来るだけの手当てを、他は持ち場を離れるな!」





 三成の家臣・蒲生頼郷が大筒隊を率いて到着したのは、この時だった。

 「大筒を野戦に使うとは……ふふ、我が殿は大胆なことを考える……放てぃ!!」

 大轟音と共に放たれる大筒。この新兵器の登場で、敵軍の戦意は低下した。

 人だけではなく、馬にも影響を与えるこの大筒によって、石田軍は再び態勢を整えることができた。





 島津豊久は義弘がいる本陣よりやや離れた前線に陣を張っていた。義弘が合戦直後に発した命令により、寄ってくる敵は倒すが、それ以外は積極的に戦うことはなかった。

 そんな豊久の陣に、石田三成の使者がやって来た。

 「三成殿の使者?よし、通せ」

 馬上のまま荒々しく陣に入ってきた三成の使者・八十島は、豊久を確認するといきなり

 「島津殿、我が殿のご命令である。前線に打って出られよ。兵の出し惜しみは」

 そこまでの言葉を聞いて、豊久は激昂して叫んだ。

 「失せろ!!」

 「な、なんと!?」

 「馬上から無礼な奴め!さっさと失せぬと斬り殺すぞ!!」

 使者は豊久の迫力と突然の激昂に戸惑い、すぐに陣を去った。





 「よろしかったのですか?」

 「島津は陣の外に出てはならない。それが主君義弘様のご命令だ」





 島津隊に追い払われたと聞いて、三成は驚愕した。それで今度は自ら島津の本陣に向かったのだが……。

 「なぜ打って出られぬ!敵が我が陣に殺到している今こそ、島津殿が横腹を突けば、敵は崩れよう」

 この言葉にも、義弘は立ったまま押し黙った。代わりに長寿院盛淳が三成の前に出る。

 「今回の戦は各隊それぞれの武功を競うもの。前後左右の戦いに気を配る余裕はありませぬ!」

 「!」

 声も出せず、三成は体を硬くした。

 「帰られよ。これ以上、不愉快な思いをさせたくはない」

 全身から力が抜けるのを感じた。同時に、もはや目の前の男達との交渉は無理だと悟った。三成は無言で、その場を離れた。

 (島津殿には見えてはいない。この戦いの真の意味が)

 去っていく三成の背中。これが義弘の見た三成の最後の姿だった。





 一進一退の大攻防が続く中、松尾山と南宮山の西軍は動かなかった。三成を始め西軍の将軍達は次々に狼煙を上げて参戦を促したが、小早川秀秋、吉川広家は腰を上げない。

 動揺していたのは、家康も同じだった。

 「小早川の小童が!敵と味方の区別もつかぬとは、愚か者め!」

 「西軍からも狼煙を上げているようですが、動く気配はありませぬ」

 「誰か人をやり、鉄砲を撃ち込むのはどうだ?」

 「激戦地を通ることになります。それに山頂の小早川の陣まで届くかどうか……」

 「何とかならんのか、忠勝」

 「…………」





 松尾山

 小早川秀秋は迷っていた。

 加勢すべきは、東軍か、西軍か。

 どちらにも義理はない。豊臣家の恩義も、彼には存在しない。

 成り行きで西軍に味方し、伏見城攻略に参加したが、それ以外は全て静観を決め込んでいた。

 「殿、戦場はまさに修羅場。お早くご決断を!」

 家臣の催促にも、秀秋は黙って頷くだけ。

 (どちらかに決めねばならんのか。戦は嫌だ……人は、嫌だ……)

 かつて朝鮮出兵で武勇を示した秀秋だが、彼の心はすさんでいた。18歳(数え年なら19歳)の若者は、戦や政争など、人間の醜さを間近で見てきた。彼の本来純粋な心に、それは毒以外の何物でもなかった。全てが、彼にとって無意味であり、空虚であった。





 稲葉正成、山口宗永の二人が秀秋の陣にやって来た。二人は秀秋の家老として重用されていた。

 「そろそろ腹は決まりましたかな、殿」

 「西軍は現在各方面で持ちこたえておりますが、それも時間の問題でしょう。我らが少しばかり加勢すれば、それで決着はつきます」

 「…………」

 三成達が最も警戒した小早川秀秋の裏切り。それは全て、家老であるこの二人が握っていた。二人は家康に通じ、合戦の際は秀秋を裏切らせると約束していたのである。

 正成が秀秋の傍に座る。

 「殿はまだ若い。ここは我ら年寄りにお任せくだされ。決して悪いようには致しませぬ」

 宗永も続く。

 「それに、思い出しくだされ。かつて石田三成は殿が朝鮮の蔚山城で活躍したにも関わらず、それを認めるどころか太閤殿下に進言して殿の所領を減らそうとされました。三成に加勢する義理など、我らにはないのです」

 正成はここぞとばかりにまくし立てる。

 「さあ、殿。今こそ采配を振るうとき。何の為に根回しして家康殿と誼(よしみ)を通じてこの山に陣取り、戦局を見守ってきたか。全てはこの時の為ですぞ!」

 秀秋は左右の二人を冷めきった眼で見回した後、静かに頷いた。

 正成と宗永は互いにニヤリと笑い、他の家臣に命じた。

 「殿のご決断である!我らの敵は、西軍である!!」

 状況がわからない小早川の軍隊は将兵ともに驚き、混乱した。だが命令である以上、動かねばならない。

 総勢1万5千の兵達は雪崩の如く山を下り、大谷隊へ向かった。この時、小早川家家臣の松野重元は「裏切りは恥である!」と言って戦線を離脱した。

 合戦が始まって3時間。午後12時、正午のことであった。





 最前線にて藤堂隊、寺沢隊、京極隊と戦っていた大谷隊は、突然の小早川の裏切りに動揺した。

 「小早川秀秋様、寝返りましてござる!」

 大谷吉継はその報告を聞くと

 「……そうか」

 とだけ言った。





 大谷隊に殺到した小早川軍であったが、大谷隊は主君の吉継の見事な采配によって態勢を立て直し、一斉に鉄砲を放って逆に小早川軍を押し返した。

 吉継の息子・大谷吉治は前線にて大声で叫んだ。

 「小早川の哀れな兵達よ!お前達は今まさに、末代までの恥を晒しているのだ!道端の下郎にも劣る行い、恥を知れ!」

 この罵声に小早川の兵達は士気が下がり、逆に大谷軍の兵達はまさに鬼となって敵を蹴散らした。





 大谷隊はまさに獅子奮迅の活躍をした。だが、運命はどこまでも皮肉であり、どこまでも冷酷である。

 松尾山の麓に位置し、元々は小早川の監視の為に配置されていた脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保の四将が寝返ったのだ。

 この内、脇坂以外は家康に内通の約束をしてはいない、完全なその場での裏切りであった。





 「脇坂様、朽木様、小川様、赤座様が寝返りました!」

 「戦力を本陣の周りに集め、守りを固めよ」

 もはやここまで、吉継は覚悟を決めた。





 笹尾山の石田三成は、次々にもたらされる報告に色を失った。

 「秀秋だけでなく、脇坂らも寝返ったか……」

 三成は足下を睨みながら、拳を震わせた。

 (事は決した、か)

 「所詮、奴らには我らの志の深さなど、理解できぬことでありましたな」

 「左近……」

 左近は全身に布を巻きつけ、兵に肩を借りながら歩いてきた。

 「殿、そろそろお別れの時ですな」

 「お主、死ぬ気か」

 「殿は後世に名を残されました。しかもこの左近を、このような大戦に導いても下された。御恩はあの世でも忘れませぬ」

 左近はそのまま、ゆっくりと前線に向かっていった。

 (すまぬ、左近)

 これが三成の見た、島左近の最後の姿だった。





 「鉄砲隊!不忠者を蹴散らせ!」

 大谷吉治の怒号が轟くが、もはや大谷隊はその組織的機能を失いつつあった。至る所から攻め立てられ、勇猛な士が次々に散っていった。

 「吉治様!殿からの伝言でございます!吉治様!」

 「なんだ!」

 「兵をまとめ、落ち延びよとのことです」

 「落ちる!?それで父上はいかがする」

 「わかりませぬ。ただ落ちよと」

 吉治は唸ると、本陣に駆け出した。





 「父上!」

 吉治が吉継の元へ着くと、既に周りには数人の側近しかいなかった。

 「おお、吉治か」

 「なにゆえ落ちろと言われました。この吉治、父を置いて一人生きるほど厚顔ではありませぬ」

 「この戦場は父の死に場所。お主の死に場所は他にある」

 「ですが父上!」

 「去れ、吉治。生きてお主の使命を見つけよ」

 父の悲壮な想いに、息子はそれ以上何も言えず、涙を堪えて戦場を後にした。





 「五助!」

 「はっ!」

 「介錯を頼む」

 「……承知しました」

 「他の者は去れ。今までご苦労だった」

 それを聞いた家臣達は涙を流し、

 「我らは殿の家臣。最後まで殿の為に戦いとうございます」

 「そうか、だがわしは眼が見えぬ。一人ずつ名を言ってから行け」

 家臣達は次々に名前を名乗り、本陣から去って行った。

 吉継の側近・湯浅五助は無言で吉継の背後に周り、刀を構えた。

 「この首は埋めてくれ。敵に晒したくはない」

 「承知しました。殿、この五助もすぐに参ります」

 (三成……先に待っているぞ)

 大谷吉継 自刃 享年42歳。

 彼に先立ち、大谷隊の周囲を守っていた平塚為広、戸田勝成も戦死。

 西軍の陣形は完全に崩れ去り、同時に家康の勝利は確定した。



 第八十七章 完


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