志純太平記
第二話 『道連れ』
源頼朝が鎌倉に幕府を開いて約150年。幕府の主導権はいつの間にか執権(将軍の補佐)の北条氏に移り、富や権力をほしいままにしていた。
そして現代、時代は静かに動き出していた。
備前国 和田範長の屋敷
「あっはっはっはっはっは!」
品格も何もない笑い声。児島高徳と悪友達によって駕籠も従者も失った京の公家・日野俊基は、顔を真っ赤にしながら笑い転げていた。片手には酒が満たされた盃がある。
「わかっていただけたかな?つまり、俺があの一行に加わらなければ、あなたの命はなかったのだ。言わば俺はあなたの命の恩人ということになる」
「はっはっはっは、確かに貴公の弁にも一理ある…………ふざけるなあああ!」
笑ったと思ったら激しく怒り出す。先ほどからその繰り返しだ。ちなみに相手をしている児島は酒を飲んではいない。
「お二人とも、もう夜です。し、静かにしてくだされ」
オドオドした感じで三宅宗助が顔を出す。だが、日野の感情は収まらない。
「こんな筈ではなかった。本当なら今頃、私は伯耆国に着いているはずだったのだ。それが、こんなことに」
「無理だな。あんな目立つ格好で京を出れば、三日後には野犬の餌だ。ここまでこられたのは奇跡だと言っていい」
「貴公!私の完璧な偽装がバレバレだったというのか!」
「やはりあなたは京の公家だ。その思慮の浅さこそがまさに証拠」
「く、く、く、表に出ろ!!」
「うるさいわい!!」
児島も日野、それに三宅が首をすくめる。屋敷の主である和田範長が奥の部屋から飛び出したのだ。
「三郎、伊予国から河野殿が到着した。お前も顔を見せよ。日野殿、今宵はもうおそいゆえ、早々に休まれよ」
去っていく範長。児島も立ち上がり、後に続く。
「うぃ、ひっく。なんだ、貴公。伊予国から客人か」
「俺の花嫁が親父同伴で参ったのよ」
「おお、貴公は未婚者であったか。嫁を娶り、子を成す。この世で唯一のささやかな幸せだな」
そう言って手に持っていた盃の酒を飲み干した後、日野は静かに眠った。
奥の屋敷には既に、伊予国の豪族である河野氏の一族・河野和道と郎党、そして娘が一人座っていた。
「河野殿、お待たせした。これなるは我が息子の三郎でござる」
児島高徳は臆することなく前に進み、河野氏の面々の前で頭を下げる。
「三宅三郎と申します。以後お見知りおきを」
河野和道は長い髭を蓄えた初老の男である。肌は日焼けし、いかにも伊予国(愛媛県)の海に生きる男といった感じだ。
和道は部屋に入ってきた細身で端整な顔立ちの男の顔をじっと見て、ニコッと笑った。
「ほう、ほう。いかにもやんちゃな顔をしておるな、貞子の若い頃に似ておる」
そう言われ、和道の隣に座っていた小麦色の肌を持つ若い娘が静かに挨拶した。
「河野貞子と申します」
今度は範長が口を開く。
「美しい娘だ。三郎には勿体無いのう」
児島は娘をちらりと見た。相手もこっちを見ていたらしく、眼が合う。貞子はわざとらしく軽いあくびをしてみせた。
(こやつ、猫を被りおって)
初の顔見せながら、児島は貞子に親近感が沸いた。
河野氏は伊予国を本拠とする豪族で、湯築城(愛媛県松山市)を居城としている。瀬戸内海に強い影響力を持ち、同じく内海に勢力を持つ備前国の和田氏や三宅氏とも関係が深い。今回娘を連れてきた河野和道は、そんな和田氏の有力者である和田範長の養子とはいえ息子と自分の娘を結婚させ、少しでも河野氏の中で後ろ盾を得ようと考えていた。
無論、内海を自由に行き来する水軍を持つ河野氏の力がほしい範長も、同じ気持ちだった。
話し合いはつつがなく終わり、和道も範長も満足してそれぞれの部屋に帰っていった。
児島が部屋に戻ると、熟睡して倒れている日野俊基。宗助は恐らく自分の屋敷に帰ったのだろう。
「俊基殿、ここで寝ると風邪を引きますぞ」
「ううむ、帝……申し訳ありませぬ」
「やれやれ、公家とは寝ていても帝の夢を見るものなのか」
「帝、きっと大望は成し遂げられます。必ず……必ず」
空を見上げると、月明りが俊基の顔を照らしていた。色白で綺麗な顔が、満足気に微笑んでいる。児島は無言で布団を俊基に掛け、自室に消えた。
翌日
範長は笑みを浮かべて自らの養子を呼んだ。
「河野和道殿はえらくお前を気に入ってな、数週間後には早くも式を挙げたいと申し出てきたぞ」
「そうですか」
「昔から河野氏とはよい関係を続けてきたが、これで更に縁が深まるというものだ」
豪快に笑う範長。その笑いを聞きながら、児島は黙って頭を下げ続けた。
(所詮俺は、養父上(ちちうえ)の道具に過ぎないのか……まあ、養子風情で偉そうなことは言えないがな)
政略結婚、一族の道具。有力者の息子にとって避けられぬ現実。そういう点では、わざわざ娘を連れてきた河野和道はまだ子供への愛情を感じられた。
「話は変わるが、あの公家はどうしておる」
「日野殿ですか?あの方は、未だ疲れているらしく、部屋で寝ております」
「ふむ、成り行きで我が屋敷に泊まらせたが、いかがしたものか。いつまでも置いとくわけにもいかぬし、かといって邪険にもできぬ、もしまこと京の公家ならば」
「……本人は伯耆国に行く予定だったと聞いております。もし望むならば馬と銭を少々与えて、かの国に向かわせては?」
「簡単に言うわ、もし我が屋敷を出て再び夜盗に襲われて命を落とされたら、下手をすれば家名にも関わるぞ」
「ならば俺が護衛として付いていきましょうか」
「何!?お前が護衛を?」
「伯耆国には何度か行ったこともありますし、夜盗や山賊の輩にも顔は利きます。昔から、人付き合いは得意なほうですから」
「……三郎、また悪い癖が出たな。放浪の悪い癖が」
「人助けですよ、養父上。ただの、人助けです」
「まあいい、本人とよく話し合って決めろ。もし伯耆国に行くことになっても、すぐに帰ってくるのだぞ。お前は、もうじき妻を娶るのだからな」
「……仰せのままに」
「伯耆国!そうであった、私は伯耆国に行かねばならぬのだ!」
布団から叩き出され、「伯耆国に行くか?」と言われた日野俊基は、大声でわめいた。
「良くぞ思い出させてくれた!その手柄に免じて先ほどの無礼は不問とする。では、私の駕籠と食料、それと新たな服を用意してくれ。急がねばならぬ!従者もたくさん頼むぞ!」
「まあ落ち着いてくれ。座って、俺の話を聞いてくれ」
「む、何だ!?」
しぶしぶ布団の上に座る俊基。
「まず、伯耆国に行くなら止めはしない」
「うむ」
「駕籠は用意できない、代わりに馬を用意する。食料と銭も用意しよう」
「馬か……まあよかろう」
「新たな服は、我慢してくれ」
「ふん、予想はしておったわ」
途端に不機嫌になる俊基だが、次の言葉がとどめとなった。
「従者はいない。俺が一人だけ付いていく」
「…………いま、何と言った?」
「あなたを警護する者は俺だけだ。あなたを伯耆国に送ったら、俺は帰る」
俊基の顔が真っ赤になる。
「冗談ではないわ!なぜ貴公の助けを借りねばならぬ。忘れたとは言わせぬぞ、私がこうして無一文でこの屋敷に居るのも、元はと言えば貴公とその仲間達のせいではないか!」
「だから責任を持って俺があなたを伯耆国に送る。それとも、ただ一人で夜盗や山賊が待ち構える山道を行くつもりか?」
「むむ、だが、私は貴公が気に入らぬ!」
「結構だ。さあ、行く準備を始めよう」
「く〜、なぜだ、なぜこんなことに」
最後まで、俊基はぶつぶつと恨み言を呟いていた。
馬に軽々と乗り、キリッと前を見据える俊基の姿は、そこいらの武士よりも堂々としていた。児島は思わずその姿に魅入られた。
「うまいものだな、公家にしては」
「公家とは本来、様々な芸に秀で、帝と朝廷をお助けせねばならぬ。これくらいできて当然だ」
児島も馬に飛び乗る。彼は腰に立派な刀と笛を持っている。
「備前物か……始めてみた」
備前国は昔から優れた刀工が多く集まり、それらは「備前物」と呼ばれた重宝されていた。
「本物かどうかはわからん。死んだ義理の兄の形見だ」
「形見?もし戦いになったら、貴公はその亡き兄君の形見で人を斬るのか?」
「それが、刀の本来の役目でありましょう」
「……武士とは、いや貴公は、悲しい男だな」
どこか寂しげに俊基はゆっくりと馬を進めた。児島も後に続く。
雰囲気を変えようと、児島が明るく話し出す。
「日野殿、頼りない道連れですが。よろしくお願いいたす」
日野はチラリと児島を見て。
「はっきり言っておくが、これから貴公が私にどんなに礼を尽くそうとも、私は貴公に感謝はせぬぞ」
「はっはっは、これは手厳しい。なら俺も、その日野殿の決心の邪魔をせぬように振舞いましょう」
「口の減らぬ奴め!」
馬に鞭を振るい、一気に駆け出す俊基、それを追って児島も駆け出した。
走り出す二人の若者。その先にあるのは、果たして何なのか。目指すは山陰道を代表する古代の国・伯耆国。
第二話 完
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