志純太平記




 第三話 『旅の真相』

 宿と呼ぶにはあまりにお粗末なぼろ小屋。その中で児島高徳と日野俊基は互いに穴の開いた天井から夜空を眺めていた。

 「あとどれくらいで伯耆国に着くのだ?」

 俊基は体全体で疲れを滲ませていた。高徳は元気に酒を飲む。顔はどこか楽しそうだ。

 「さて、ニ、三日といったところかな」

 「全速力で馬を飛ばせば明日の夜には着くのではないか?」

 備前国邑久郡を出発して二日。現在地は美作国(岡山県東北部)のちょうど真ん中。更に北へ進めば目的地の伯耆国(鳥取県)である。

 「不可能ではない。だが、いいのか?」

 「うむ?」

 「あまり目立ちたくはないのだろう?」

 苦しげにうめく俊基。それは疲れと同時に、彼自身の旅の隠密性も象徴していた。高徳と不本意ながら旅をし始めてすぐ、俊基はああだ、こうだと言って高徳を困らせた。

 「急ぐべし」、「安全な道を行くべし」、「目立たぬようにするべし」、「尻が痛い」、「腹が減った」、「清潔な水が飲みたい」etc.

 そんなわがままな要求を児島は文句も言わず、むしろ楽しそうに叶えてきた。彼にとっては、初めてだったのかもしれない。こんなに心が躍る旅、そして男は。

 「しかし、つくづく公家らしからぬ男だな、あなたは」

 疲労を忘れるかのように酒を満たした杯をガブガブ飲む俊基を見て、高徳が呟く。

 「貴公はちょくちょく公家がどうこうというが、そんなに公家を多く見たことがあるのか?」

 「あるさ、たくさん見てきた」

 「貴公の生まれは、京か?」

 「……ああ」

 高徳は遠い過去を思い出すように目を細め、天井から満月を見上げた。月は青白く、とても美しく輝いていた。





 児島高徳は京の洛外で口寄せ(霊を自分に憑依させる術)を生業にしていた巫女を母として生まれた。父は知らない。

 母は仕事が仕事だっただけに、高徳を生んでから精神を病み、生活の世話をしてくれていた地元の人間によって遊女屋の雑用係として売られた。その遊女屋は比較的繁盛していて、わざわざ京市内からも中流階級の公家が女と枕を並べにやってきた。高徳は幼いながらもよく働き、遊女屋の女達と公家や金持ちの商人との間を何度も行き来して店の売り上げに貢献した。やがてその働きは認められ、高徳は一人の裕福な公家に買われる。もちろん雑用が主な仕事であり、彼の自由な時間は皆無であった。





 「不満だったのか?」

 俊基は最初興味なさそうに聞いていたが、次第に酔いが深まるにつれて身を乗り出してきた。児島もまた、初めて自分の過去を他人に話していた。今まで義妹のお久馬や三宅宗助などがそれとなく聞いてきたが、彼は話さなかった。目の前の、役目を終えればそれで縁が切れる俊基だからこそ、彼は18年の自分の人生を振り返ることに初めて積極的になれた。

 「不満はなかった。ただ、無性に、むなしかったのだと思う」

 「むなしかった?」

 「公家の屋敷を夜盗が狙っていると、乞食の友達から聞いた。だから俺は、公家の屋敷に火を放った」

 「屋敷に火を!」

 古来の日本で、放火は重罪である。さすがに俊基は度を失った。

 「なぜ火を点けたのだ。屋敷の者に知らせれば良かったではないか」

 「俺にも……わからん」





 公家の屋敷に火を放った後、高徳は京から逃げ出した。幸いにも屋敷の者は全員無事だったが、高徳にとってはどうでも良いことだった。その後、乞食同然となった少年は徳心坊という修験者に出会った。

 彼は高徳に色々なことを教えてくれた。文学、歌、儒教の心、少々の武術。徳心坊は修験者の修行場の一つであり、自分の故郷であった備前国に高徳を連れて行って彼を立派な修験者にしようとした。だが、徳心坊は病に掛かり、高徳を豪族で旧知の仲だった和田範長に託して死んだ。

 範長は利発で聡明な高徳を気に入り、自分の養子にした。





 「そして俺は今、目的のわからぬ旅をしている。人生とはわからぬな」

 自虐的に笑う高徳を、俊基は哀れとも怒りともつかぬ複雑な顔で睨んだ。

 「貴公が和田の三郎、もしくは三宅の三郎という一族の名を名乗らず、児島高徳などという自らの通称を作ったのは、せめてもの反抗か?それとも範長殿に遠慮をしているのか?」

 「……こんなに誰かと語り合ったのは久し振りだ。俺の人生もまだまだわからぬな」

 「うぬぼれるな」

 怒気を含んだ俊基の声。高徳は夜の闇の中で、俊基の顔を真正面から見た。

 「たかが18歳の小僧が人生を語るな。そこまでの経験、そこまでの出会いを果たしながら、なぜもっと自分の生き方を考えぬ。公家の屋敷に火を放ったなどはただの癇癪だ。貴公はただ風のように、流れに身を任せていただけ。そんなものは真に生きているとはいわぬ!」

 俊基の言葉は高徳の心を何度も叩いた。高徳は気付いた。

 (これだ。初めて会ったときからこいつに感じていたもの。それは、この男からにじみ出る気迫だ。この気迫が、俺には心地良い)

 こんな公家、いや、このような男と出会ったことなど今まで高徳は一度もなかった。俊基は酒のせいか、自らの言葉に酔ったのか、顔を真っ赤にしながら力説する。

 「良いか。男子たるもの、いやこの世に生を受けた全ての人は、高貴な心と意志を持たねばならぬ。古来の人はその強く気高く、美しい意志を、志と称した」

 「志……」

 「そうだ、志だ。覚えておけ、例え貴公が天下に名が轟く英雄になろうが、備前国の隅で静かに人生を終えようが、その言葉だけは胸に刻んでおけ。それだけを忘れなければ、貴公は最後の最後まで立派な人のままでいられる」

 「あなたはその志とやらを持っているのか?」

 「無論だ。だからこそ、私はこの伯耆国に……」

 俊基は急に押し黙ると、背中を見せ、ゴロリと横になった。その背中を、高徳は暗闇の中から見つめていた。





 夜明け

 薄っすらと夜の闇が溶け始める。日野俊基は掛けていた布から這い出ると、そばに握り飯があるのを発見した。

 (握り飯……児島も私も持ってはいないが)

 その時、ぼろ小屋の中に高徳が入ってきた。額には汗をかいている。

 「貴公、どうしたのだ。どこに行っていたのだ?」

 「この周囲を見回ってきた。幸い夜盗も野武士もいなかった」

 「これなる握り飯は?」

 「朝飯だ。修験者の知り合いから貰ってきた。見つけるのに苦労した」

 「貴公はちゃんと寝たのか?」

 「寝た、一時ほど」

 「それで体は大丈夫か?」

 「俺は若い。それに、あなたの寝相が悪くて、すぐに目が覚めてしまった」

 俊基はわかったような、わからないような風情で黙っていたが、急に笑い出した。

 「ふふ、はっはっはっは。小僧が、言い寄るわ」

 「あなたも似たような歳だろうに」

 二人は笑った。その笑い声は、東から登る朝日に吸い込まれていった。





 その日から、俊基はあまり文句を言わなくなった。高徳も更に真心を持って俊基に接するようになり、それは傍目から見れば、深い絆で結ばれた主従のようである。





 美作国と伯耆国の国境付近に達したとき、二人の馬の後を妙な一群が追ってきていた。気付いているのは、高徳だけである。夜盗ではない、修験者でもない、服装や馬の立派さからして武士のようだ。それもただの野武士ではなく、しっかりとした組織に属している者達。半ば直感的に高徳はそう感じた。もしかするとそれは、高徳の願いだったのかもしれない。

 (ちょうど、退屈していたところだ)

 相手は五人。こちらは二人。しかも俊基は武器を持っていない。高徳はそれとなく休息を勧め、小さな池に馬を繋げると、俊基に耳打ちした。

 「付けられているぞ」

 「なに!?敵か?」

 動揺する俊基。彼は不慮の事態には対してはまったく無力になるようだ。

 「夜盗でも野武士でもない。恐らくはどこかに仕える武士だ」

 「武士……」

 その言葉に、俊基の顔は蒼白になる。やはり公家にとって、武士とは恐怖の的であるようだ。高徳は俊基の言葉を待った。

 戦えと言われれば、戦う。逃げろと言われれば、恐らく従っただろう。いつものことだ。他の誰かに従っておけば、何も自分が悩むこともない。選択肢が見つからなければ、なるようになればよい。今まで高徳なら、そう思っただろう。

 だが、目の前で無力に震える俊基を見ていると、彼は胸が熱くなるのを感じた。初めて、他人を助けたい、役に立ちたいと思った。

 高徳は立ち上がると、腰の刀を抜き、静かに言い放つ。

 「隠れろ」





 それから少しして、五人の男達が俊基と高徳の馬が繋がれている池にやってきた。五人のうち一人が馬を降り、俊基の馬に近づき、辺りを見渡す。

 「いないぞ」

 「どこにいったのだ?」

 ガサッ!

 突然、池を挟んだ反対側に、高徳が姿を見せた。彼は慌てた素振りでその場から逃げ出す。

 「待て!」

 男達も馬から降りて後を追った。池の向こう側は深い雑草や木々が生い茂り、馬では通れないのだ。

 (やはり俺達、いや俊基を狙っていたのか、どんな理由で?)

 男達は「待て」とか「止まれ」と叫んで追いすがる。だが、高徳は山の中を猿か鹿のように走り、飛び、五人の男達を完全にまいた。

 「なんて逃げ足の速い奴だ!」

 「敵の作戦かもしれん。おいお前、戻って馬を見て来い」

 「わかった」

 「後は散らばって探せ。どうせ相手は公家だ。捕まえてお屋形様に差し出すぞ」

 「おう!」





 男達が散らばる様子を、高徳は草葉の陰から覗いていた。その眼は、獰猛な獣を思わせるように鋭く輝いていた。この辺りに詳しくはないが、今まで学んできた様々な力が一挙に全身を巡り、彼は殺意というよりも何か別な感情によって正確に、そして冷酷に、目の前の男達を抹殺するべく動き出した。





 高徳は修験者として修行してきた技と術を用い、音もなく男達の一人に背後から近づき、一気にのどもとを小刀で掻っ切った。

 男は声にならない不気味な叫びを振り絞ると、その場に倒れた。

 次の男は木の上から頭を叩き割り、別の男には目の前に蛇を投げつけて驚いたところを袈裟切り(相手の肩から斜めに切り下ろす)に斬った。

 もう一人も礫(つぶて)をぶつけて失神したところを、大きな石で殴り殺した。

 高徳が最後の男を始末しようと馬が繋いである池に向かうと、信じられない光景が目に入った。隠れていたはずの俊基が敵ともみ合っていたのだ。

 「離せ、無礼者!私を何だと思っておるか!」

 「うるさい、仲間が帰ってくるまで大人しくしろ!」

 公家の細腕では武士に叶うはずもなく、俊基は難なく引き倒された。それでも俊基は抵抗を止めず、相手の股間を蹴り上げた。

 「うぐっ!」

 相手は悶絶するが、すぐに気を立て直すと怒りで顔を真っ赤にしながら、腰の刀を引き抜いた。

 「こいつ、黙っておれば!」

 「ふん、この俊基。武士に斬られるくらいならば、帝のおわす方角を向いて舌を噛み切る!」

 武士の刀が振り上げられ、俊基が唇に力を入れたとき、高徳は腹の底から大声を出した。





 「やめろ!!」

 二人が振り向く。突然の高徳の登場に、武士は驚いた。

 「だ、誰だ、貴様」

 高徳は答えず、刀を抜いた。相手も対峙する。高徳にとっては、初めての一騎打ちである。今まで面白半分に刀傷沙汰の事件や、夜盗仲間と強盗などの悪事に手を染めてきた彼ではあるが、れっきとした武士と真正面から戦うのは初めてだ。俊基はじっと事の成り行きを見守る。

 しばらくの対峙で、先に焦ったのは高徳である。彼は全身から汗が噴出し、手元を震わせた。

 (なぜだ……)

 この状況にもっとも驚いたのは高徳自身。今までどんな状況に立っても、怖いだとか、恐ろしいだとかいう感情は持たなかった気がする。ただあるのは、飢えた心が欲する興奮。かつて自分を拾ってくれた公家の屋敷を焼いたのも、そんな無粋な感情の爆発だったのかもしれない。

 だが今は違う。明らかに違う。自分がもし敗れれば、俊基はどうなる。こいつらがどんな目的で俊基を狙うのかはわからないが、それは決して俊基の望むことではないはず。だからこそ、負けられない、負けたくない。

 高徳の全身を、感じたことのない高揚感が襲う。同時に焦りが無尽蔵に体内から沸き出る。

 「失せろ、従者風情がああああああ!!」

 相手の気迫に押され、高徳の対応が一瞬遅れる。真剣の戦いにおいて、一瞬の油断はすなわち、死。

 「児島高徳!」

 俊基の叱るような声に高徳は目を覚まされたかのように、後ろに倒れる。相手は高徳の立っていた場所に鋭い突きを放ったが、それは数秒の差で空を斬った。よほどの勢いがあったのか、相手はそのまま体を前に倒し、高徳の真上には無防備な相手の胸が。

 「でやあああああ!!」

 真っ直ぐに振り上げた刀が相手の胸を貫き、血飛沫が高徳の顔を濡らした。





 「すまぬ。頭の上に何か虫が落ちてきてな、思わず声を出してしまった」

 死体を片付けた後、日野俊基は呟くように言った。高徳はしばらく、倒れたまま呆然としていた。

 (五人の武士を……俺が殺した。たった一人で、この俺が)

 信じられないことだった。いかに児島高徳が極めて高い身体能力を持ち、山林の移動に長けた者であっても、五人の武士を相手に無傷で勝つなど、普通ならあり得ない。そんなふうに高徳が自分の勝利に呆然となっている中、日野俊基は逆に冷静だった。

 「貴公の此度の働き、私は生涯忘れぬ。恐らくあやつらは、北条氏の手の者だろう」

 「なぜ、北条が動く」

 美作国の守護は北条氏。鎌倉幕府の執権北条氏の一族である。

 「私が、ある重要な任務を帯びていることを知っているから。私を捕らえて、帝を追い詰めようとしているのだ」

 「…………」

 「今まで私が伯耆国に行く理由を、貴公は聞かなかったな。聞かれても答えはしなかっただろうが、今にして思えば、貴公はどこかで感づいておったのではないか?私と、私が帯びている任務の重大さを」

 高徳は答えなかった。全ては今更である。

 「幕府を倒す力を集める。それが私と一族が賜った帝の絶対守秘の勅命だ」

 池で血の付いた刀を洗いながら、日野俊基は暴露した。高徳はまだ倒れたまま、その言葉を聞いた。

 (なんだそんなことか)

 彼にとっては俊基の任務の内容より、彼を守りきれたことの方が何倍も価値のあることのように思えた。

 武士を斬った腕は冷め止まぬ興奮と、熱い満足感で、震えていた。



 第三話 完


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