志純太平記




 第九話 『世話焼き』

 「どうも、お久し振りでござるな」

 部屋に入ってきた優男にも、児島高徳は微笑も返さない。昨日に再び屋敷を訪れ、高徳に会いに来た男。かつて京での一件で偶然にも知り合った六波羅探題の構成員にして朝廷への内通者・伊賀兼光。

 あの時は黒い服を着ており、顔も隠していたのでわからなかったが、見る限りは普通の純朴そうな青年である。だが相変わらず口調は妙なものだ。

 「あの時はお互い大変でござったな。日野俊基殿やら皆様の浅はかな短慮により」

 「浅はか?」

 「そうでございましょう?美濃の野武士を京に入れたり、盛んに密偵の往来をやったり、あまつさえ武具などの発注を堂々と商人に頼むなど、拙者に言わせれば大手を振って幕府討伐を叫んでいるようなものでござる。やはり公家の考えることは、どこか抜けておりますな」

 「…………」

 「なにやら不服そうですな、高徳殿」

 「いや、早く用件を聞きたいと思っただけです」

 「ふふ、あなたは正直者だ。ですがそれだけでは自分を売り込むことはできませぬぞ」

 人を値踏みするような目で見つめる兼光に、高徳は悪寒とも嫌悪ともつかぬ嫌な感じを覚えた。そもそも先程からこの男は今回始めてしっかり挨拶をするような相手にも馴れ馴れしく接し、それに表に出れば洒落にもならない幕府討伐やら公家批判やら、まずい単語を連発している。

 (この男、どこか可笑しいのではないか?)

 そんな考えが高徳に浮ぶ。実際、兼光は最初こそ純朴な青年の顔をしていたが、今は暗く粘着質な印象を全身から出している。とても居心地がよい男とは思えない。





 「売り込むとはどういう意味ですかな?」

 「これは失礼。拙者はどうも口が過ぎるところがありまして、お気に触ったのならお詫びしまする。わかっていただきたいのは、いま天下は動いているということでございます」

 「確かに、そうですな」

 「室町幕府、朝廷の対立。大覚寺統と持妙院統の軋轢。更には武士達の争いなど。天下は混迷の度合いを深めております。こんなとき、頭のよい人間ならどうするか。そう、それこそ人をうまく利用し、自分を売り込むことなのでございます」

 「……俺に家臣になれということか?」

 「ふっふっふ、実直で真っ直ぐで物分りもよい。なかなかですな高徳殿。平たく言えばそういうことですが、拙者はただあなたが天下に躍り出るきっかけを作って差し上げると申しているのです」

 「つまり」

 「単刀直入に言いましょう。あなたには『影』になっていただきたい」

 「影……間者ということか」

 「そう、元々この備前国、更にここ児島の土地は昔から修験道の盛んな場所。よって多くの修験者がおりまする。彼らの助力を得られれば、この兼光にとって、ひいては朝廷のためにもなりまする」

 「ならばわざわざ俺のところに来なくてもよろしいではないですか」

 「異国の武士は異国の者が束ねるべし。まして修験者は厳格な人々の集まり、同じ土地に住み、共に辛苦を知る人を大将にいただきたいは当然の道理でござる。そしてそれは、修験者として立派に修行し、地位も名声も人望も備わった児島高徳殿。あなたを置いて他にはござりませぬ」

 確かに児島高徳は修験者としてそれなりに修行し、土地を治める和田家の養子でもある。人望はともかく、必要なものは揃っているともいえる。

 「修験者は間者を生業としているわけではない。全ては己に人生を問いかけ、山々の清き心に少しでも近づきたいと願う者達なのだ」

 「拙者にとって……修験道の心得などどうでもよいのです。拙者が欲しいのは、修験者の鍛え抜かれた精神と肉体、そしてそれを円滑にうまく指揮できる男なのです」

 「なるほど、ではもう一つ。俺は朝廷の信奉者ではない」

 「ほほぅ、これは驚きました。拙者はてっきり……ではあなたは、誰の味方なのですかな?」

 「…………俺は俺の心に従うまでだ」

 「ではあなたの心に聞きましょう。『もしも』のとき、あなたは朝廷か、それとも幕府に付きますかな」

 「さあ、な」

 「…………ふふ、どうやら拙者とあなたは似た者同士のようですな」

 兼光が笑顔になる、それはまったく屈託のない、邪気の抜けた顔で。

 「全ては自分の心のままに生きる。義や情に流されず、ただ己の欲するままに……そういう獣のような存在なのでしょう?あなたも」

 「……違う」

 「ん?」

 怪訝な顔になる兼光。

 「例え獣でも、人の情や恩を知っている。俺はそれを忘れない」

 「…………」

 平静を装う兼光だが、心の中は激しい怒気に渦巻いていた。こんなことは初めてだった。別に論破されたわけでも、馬鹿にされたわけでもない。だが、高徳の顔をまともに見られない自分がいた。

 「いずれ乱世は拙者や高徳殿を飲み込み、否応なく背中を押しましょう。その時までに、生き方を考えておいたほうが、よろしいですぞ。どう思おうと、あなたは既に関わってしまったのですから」

 そういうと、兼光は屋敷を去っていった。





 屋敷に残った高徳は一人、寝転がって天井を見上げた。静かな空間。こんなにも静かなのに、確実に世の中は動いている。

 高徳は静かに眼を閉じた。

 (あの方なら、日野俊基殿なら何と言うだろうか。そもそも、俺に何が出来るのだろうか)

 野に生きる風来坊は今、静かに眠る。





 鎌倉

 源頼朝が創始した鎌倉幕府の本拠地。ここに実質的な幕府の指導者である執権の北条高時がいた。

 「先年の京における事変。六波羅の早急な対処により収めることができた。あっぱれである」

 重臣や側近を前に、高時は優雅に団扇を揺らす。そこに側近の一人である長崎高資が前に出た。

 「ですが高時様、なにゆえ帝をお許しになりました。幕府の力を持ってすれば、帝を退位させるなど造作もないこと」

 「うむ、まあ、そうであろうな。しかし、やはり帝は帝。大事に扱ってやらねばなるまい。奥州での争乱も終わらぬうちは、特にな」

 執権の高時にとって、高資は目の上のたんこぶ。その権勢は高時ですら凌駕するとも言われ、幕臣達は彼を恐れた。高時にとって幕府に歯向かった帝を許すということは、高資に対するささやかな抵抗であった。

 またこの頃、奥州では安藤氏の内紛とエゾの反乱が勃発していた。金と権威に固執する幕府の腐敗が招いたという一因もあり、世はいまだに不穏な空気に包まれていた。

 そんな二人の会話を、末席から見守る若い青年。じっと見つめて動かない彼に、隣の男が声をかけた。

 「いかがした、高氏殿?」

 「いや…………別に」





 備前国

 屋敷の縁側で酒を飲んでいた高徳の側に、妻の貞子が座る。

 「何を考えているのですか?」

 「考えてなどいない、ただ酒を飲んでいるだけだ」

 「では何を悩んでいるのですか?」

 「悩んでなどいない」

 「本当に?」

 覗き見る貞子から軽く顔を背け、高徳は頬を掻いた。

 「自分でもよくわからん」

 「わからないことは口に出さねばなお、わからなくなりますよ。さあさ、この貞子にお聞かせを」

 「今まで俺は、好き勝手に生きてきた。人生の流れに身を任せ、争わず、関わらず。だが、今は心が熱いのだ」

 「心が?」

 「すまん。よく言えぬし、よくわからぬ。ここ最近、多くのことがあったからの」

 「…………もしお心の迷いが晴れたときは、真っ先に貞子に教えくださいね」

 「うん、そうしよう」

 それだけいうと、夫婦は再び酒を飲み始めた。とても和やかに、ゆっくりと味わって酒を飲んだ。





 同じ頃、伊賀兼光の宿泊する備前の屋敷を一人の少年が訪れた。

 「児島高徳殿の家人と申すはあなたでござるか?」

 「赤尾丸といいます。かつては京の日野俊基様の下で世話になっていました」

 「ああ、ああ思い出した。あの時、俊基殿の側におった少年ですな」

 「はい」

 「ふむ、こんな夜に一人でここを訪れるとは、なかなか勇気がおわりでござるな」

 「あなた様が、高徳の屋敷に行ったことも、そこで何を話されたかも、だいたいわかっているつもりです」

 「ほほぅ、これはまたすごい」

 「ですから、この赤尾丸は兼光様にお願いをしに参りました」

 「聞いてみましょう」

 赤尾丸は姿勢を正すと、少年とは思えないほどはっきりした声で言った。

 「どうか、児島高徳を朝廷の家人としてお召し抱えください」

 「…………」

 「あの男は口が悪く、無愛想ではありますが、その心中は純であり、義の美しさ、不義の醜さを知っております。使い方しだいでは、きっと朝廷の助けとなりましょう」

 伊賀兼光もまた、少年に対して座を正した。

 「わざわざそれを言いにここへ参りましたか。もとよりこの兼光も、高徳殿という人は是非とも欲しいと思っておりました。ですが、なぜあなたが?」

 「この赤尾丸もまた、朝廷にお仕えする家人の端くれだと心得ているからです。朝廷のためになるなら、いかなることもする覚悟」

 「うむ。この兼光、感服いたしました。あなたこそ忠義の臣でござる。高徳殿のことはこの兼光が必ず説き伏せてごらんにいれましょう。ともに朝廷を助け、この天下の政道を正そうではありませんか!」

 赤尾丸には本能的にわかっていた。この伊賀兼光という男が、本当は朝廷のことなどどうでもよいと思っていることが。だが、この男を通じて高徳が朝廷との間にパイプを繋ぐことも、将来高徳と朝廷の為になると確信していた。





 その後、伊賀兼光は児島高徳の屋敷を度々訪問するようになり、両者は一応の盟約を結んだ。児島高徳は地元の有力者と親密になり、有事の際は朝廷の助けとなるように働きかけること。伊賀兼光は朝廷と幕府の動向を高徳に流すなど。あまり兼光の提案に積極的ではなかった高徳を口説いたのは、兼光の一言だった。

 「日野俊基殿も、きっとそれを望んでおいででしょう」

 日野俊基……短い間だが、高徳の心に大切な何かを残した公家。彼の助けとなる。それが高徳の心と体を動かした。高徳にとっては単純な思考だったかもしれない。

 (ともに酒を飲んだ心地よき男に、手を貸してやるか)

 だが高徳の行動は、そんな男と男の友情の枠を超え、大きく彼の人生を変えていく事になる。





 そして時代は、元弘元年を迎える。



 第九話 完


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