志純太平記




 第十五話 『亡者』

 情けない話である。友人を救えず、天皇を救えず、敵に命を拾われ、挙句に命令を受けて放たれた。

 (おかしな男だ……)

 自分を救った男。足利直義といったか。足利といえば源氏の名門。そんな男がなぜ一介の国人に過ぎぬ自分を救い、罰することもなく金剛山行きを命じただけで野に放したのか。

 考える高徳だが、半ば諦めたように息を吐いた。

 (どうでもいいことだな……)

 実際自分は生かされ、こうして律儀に直義の侍女であるおかつを伴って金剛山に向かっている。天皇奪還の博打に敗れた高徳は、半ば自暴自棄となっていた。彼にとって天皇奪還は日野俊基との友情に応える手段であって使命ではない。足利直義は邪魔者ではあったが恨みはない。それに直義自身にも何か不思議な魅力があった。俊基とはまた違った人間の魅力。

 情けないとは思いつつも、高徳は過去の自分を捨て、直義の依頼を受けた。





 金剛山は河内国(大阪府東部)と大和国(奈良県)の国境にまたがる金剛山地の一つ。標高は1125m。現在の大阪府にとっても最高峰である。

 この山道を歩きながら高徳は後ろを何度も振り返った。直義に頼まれた金剛山道中の道連れ。いや名目上はこの人物のための旅である。

 「おかつ殿、何をしている。遅いぞ」

 「高徳様、旅は道々の景色を楽しむものです。早く進んでも利はありません」

 おかつという直義の侍女。彼女の金剛山への寺社参り同行を直義に頼まれている。いまの高徳にとっては別に何でもない道中だが、同伴者が問題だった。

 「喉が渇きました。休みましょう」

 「あの枝に止まっている鳥を見たいので休みましょう」

 「…………(黙って休む)」

 わがままで意地っ張り。何かと理由をつけて足を休め、そのくせ決して「疲れた」とか「頼みます」とかの言葉がない。更に彼女は知ったかぶりでお喋りだった。

 金剛山のどこどこにはもう何度も行ったとか、実は金剛山にいる著名な坊主は自分の身内だとか、自慢なのか虚栄心なのか、口を開けばそんな言葉ばかり。

 児島高徳も読心術が使えるわけではないが、彼女の言動や態度からそれが嘘だとはすぐに見抜けた。まだ幼いせいかもしれないが、おかつは人間的にまだまだである。

 高徳が歩幅を合わせると無理して前に進み、すぐに息が切れる。高徳が前に進むとあれやこれや理由をつけて彼の歩を止める。あんまり苦しそうなのでおぶってやろうともしたが、それも拒否した。

 お喋りを中断されると怒り、また自慢話の疑問点を取り上げてもへそを曲げる。

 (難しい女だ)

 修験者の修行を耐え抜いたこともある高徳にとっては金剛山への道のりも難しくはない。だが女の足ではそれなりに厳しい。そのことを考慮して今までおかつのペースに合わせてきたが、ある時からだんだんバカらしくなってきて、高徳は後ろからおかつの背中を叩いた。

 「痛いっ!」

 「しゃきっと歩け、逆に危ないぞ」

 「まあ、何と乱暴なお人ですか。私は足利直義様にお仕えす、あいた!」

 「俺は早く帰りたい。お前も早く帰りたいだろう」

 おかつは信じられない生き物を見るような眼で高徳を睨んだ。

 「な、なんて人ですか。だ、誰のおかげで命が助かったと」

 「そのうるさい口を閉じて歩け。お前を殺してそこらへんに捨てても直義は気にするまい」

 「〜〜〜〜!!」

 罵詈雑言の嵐を浴びせるおかつの背中をぐいぐいと押す。時には平手で軽くどつく。遂におかつは泣き出した。泣いても高徳の催促が止まないので、泣きながら山道を登った。幸い周りに人はいなかったが、おかつは半ばヤケクソ気味に歩を進めた。





 ようやく高徳が休憩を命じたとき、ようやく金剛山に到着した。辺りは日が沈みかけていた。

 「よくやったおかつ殿。よく成し遂げられた」

 「……あなたはきっとろくな死に方はなさりません。地獄に落ちて更にその身を焼かれるのです」

 座り込んでぶつぶつと呪いの言葉を吐くおかつ。女性相手に無体なことではあるが、高徳にとってはどうでもいいことだ。彼は早く帰りたかったし、おかつのうるさい口も閉じていたかった。

 「何やら幕府の兵が多いな。それにところどころ荒れている」

 「……戦があったのです」

 「ほう」

 「確か楠木正成という人が金剛山に赤坂城という城を築いて幕府に歯向かい、敗れて死んだとか」

 「そうか、楠木正成が」

 かつて伊賀兼光の配下として活動していたとき、楠木正成の名も聞いた。直接の面識はないが、天皇の信頼も厚い武将だったという。

 「楠木か……」

 金剛山全体に漂う不穏な空気を感じ、高徳はその名を呟いた。





 金剛山は修験者の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が修行した山だと伝わる。高徳にとっても何かしら感慨深いものがある。

 翌日から観心寺などの寺を巡ったが、おかつの様子はどうもおかしかった。そわそわして落ち着かず、しきりに山の奥地に入りたがった。山間は慣れたものでなければとても危ない。獣が出没するし、野党の住処があるかもしれない。

 高徳が何度も止めるが、おかつは聞かない。まるで何かを探しているようだ。そこで山の中をずんずん進むおかつの背後から高徳はずばり言ってみた。

 「見つかりますかな、楠木正成の死体は?」

 おかつの動きが止まった。

 「楠木正成の死体は見つかっていない。いや見つかったが、それは本人の者ではなかった、違いますかな」

 「違いますよ」

 おかつは否定した。

 「何を言ってるんですか。楠木がどうのこうのと、私はこの金剛山の景色をもっと奥で見たいだけです。あなたは私の後をついてくればいいのです」

 「幕府は密かに正成を探した。だが見つからない。故に少しでも正成と関わり合いがありそうな者達を間者として何人も金剛山に派遣しているのではないですか?」

 「…………」

 「俺はかつて天皇方として働いた男。だから直義は俺を金剛山に向かわせた、あなたのお供として。もっとも、あなたのような足腰の弱い女にこの仕事を命じたということは、あまり期待はしていないということだがな」

 「あなた私に向かって口がうるさいだの黙れだの、散々言いつつご自分は何ですか。ぶ、無礼ですよ、誰のおかげで命が助かったと……無礼ですよ」

 怒りと屈辱で顔を真っ赤にするおかつだが、高徳は軽く首をならした。

 「もう帰ろう。楠木が生きていたとしても、我々なんぞに見つかるようならもうとっくに見つかっている」

 「…………」

 優しく背中を叩くと、おかつは驚きと恐怖で道を戻り始めた。彼女は小心者だった。

 結局二日ほど無駄に過ごし、帰ることになった。





 最終日の夜。

 高徳は宿を抜け出して金剛山に向かった。彼一人なら夜のうちに金剛山から下山して戻ることも無理ではない。

 山にわけ入り、獣道を行く。人間の足跡、獣の足跡を見比べ、かすかな風や空気の匂い、振動にも気を配り、山を走破する。

 やがて、見事に岩や森で隠された隠れ家を発見した。高徳は迷うことなく堂々と扉を叩いた。

 返事はない。だが気配はある。高徳は声を出した。

 「俺の名は備前の児島高徳。ここは誰の家か?お聞かせくだされ」

 「…………」

 「答えぬならば仕方ない。俺は帰る」

 背を向けた瞬間、声がした。しわがれた老人の声だ。

 「道に迷ったのか?」

 「いいや違う」

 「ではどうなされた」

 「とりあえず後ろで狙っている得物を下ろしていただきたい」

 「!」

 扉の隙間から細長い筒が覗く。恐らく吹き矢だろう。

 「お前は誰だ」

 相手の言葉に怒りが灯る。

 「備前の児島高徳」

 「備前からここまで何しにきた」

 「得物を下ろせ」

 「断る」

 「なぜ?」

 「…………」

 「俺を殺せば仲間が来る」

 「くっ……」

 老人の口から息がこぼれた瞬間、児島は素早く身を屈めて背後の扉を蹴り上げた。

 「ぬっ!」

 老人は眼があまりよくなかったらしく、扉にぎりぎりまで近寄っていた。それが仇となり、見事に下敷きになる。

 高徳は久し振りの緊張感に興奮しながら隠れ家に飛び込み、老人の手から吹き矢を奪うと逆に彼に突き出した。

 「ぬぬ、くそっ!」

 観念したように老人は頭を垂れた。

 「俺が誰であれ生きて帰すつもりはなかったのだろう?」

 「…………」

 「案ずるな、俺は幕府の人間ではない」

 「…………」

 「楠木正成に会いたいのだ」

 「その男は死んだ」

 「どうかな」

 高徳は吹き矢をへし折る。老人は口を固く結んでそっぽを向いた。

 「楠木正成は赤坂城では死ななかった。いまもまだこの金剛山のどこかへ隠れている。もしそうなら、一度会ってみたかった。それだけだったのだ」

 高徳は申し訳なさそうにへし折った吹き矢の筒を老人に放り投げる。





 そこに蹴破られた扉を潜って初老の男が突然入ってきた。浅黒く、なかなか逞しい顔をしている。

 「お邪魔しますぞ」

 「お、おお」

 老人は一瞬焦った顔をしたが、すぐに座りなおした。

 「おや、政達殿、こちらの方は?」

 「……備前の児島高徳の申すものらしい」

 「備前?おおそれは遠いところをわざわざ、で何ようですかな」

 「楠木正成という男に会いたい」

 「それは、残念ですな。正成は先の戦で討たれてしまったそうな」

 高徳や壊れた扉など気にせず、どっかりと老人の隣に座る男。

 「わしはこの男の友人で、遠保(とおやす)と申す」

 「すまん、その男に危害を加えるつもりはなかったのだ」

 「はっはっは、剛毅な男だ。気にいたすな、のう政達殿」

 「う、うむ」

 「我々二人は元々武士での。楠木正成の討伐に参加いたそうとはせ参じたが間に合わず、そのままここにいついてしまったのじゃ」

 「それは残念なことで」

 「まこと、正成にあと少しの気概があればのう」

 「ですがきっと、正成は笑っておる」

 「ほう、なぜ?」

 「なんとなく、そう思う」

 「……高徳殿とやら、一杯いかが?」

 男が持参した酒を進める。

 「杯がござらん」

 「かまわぬ。そのまま飲まれよ」

 「……では」

 高徳はゆっくりと酒が満たされた水筒を飲み干す。

 「突然押しかけた上に酒とは、なんとも申し訳ない」

 「いやいや、恐らくは政達殿が何か嫌がらせをしたのであろう。気になさるな」

 「すまなかった、ご老人」

 「ふん」

 政達はとにかく早く高徳を追い出したいらしく、しきりに睨んでくる。高徳からしても、これ以上夜が濃くなれば帰りが危ない。高徳は月夜を見ながら立ち上がった。

 「数々のご無礼を許していただいたうえ、酒も頂戴して恐悦至極。何らお返しもできずに心苦しいが、これにて帰ります」

 「そうか、帰るか。少し下まで送ろう」

 遠保も立ち上がる。政達は黙っていた。





 不気味な静寂が山を包む。鳥や虫の鳴き声が聞える。その中を、高徳と遠保は静かに歩く。

 「後醍醐天皇は島に流され、正成も死んだ。戦はあっという間だったな」

 「戦は、終わったのですか?」

 高徳の質問に、遠保は答えなかった。去り際、遠保は満月を見ながら言った。

 「……月も満ちればやがて欠ける。そうは思いませんかな」

 「欠ければ、また満たせばよいだけです」

 「……高徳殿、この世は面白いな」

 「あなたも、面白い人だ」

 「ふっはっはっは!」

 そのまま、遠保は笑いながら消えていった。



 第十五話 完


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