志純太平記
第十七話 『将星』
金剛山千早城で挙兵した楠木正成はわずか一ヵ月後にかつての居城・赤坂城を奪還した。
更に吉野山でも護良親王が挙兵し、京周辺は一気に緊迫の度合いを深めた。
備前国の児島高徳はそれらの情報を父親から聞いた。
「どうやら大和国で再び戦乱が起こっているらしい。ふふ、面白くなってきたかもな」
養父のこんな顔を見るのは久し振りだった。かつて天皇が隠岐島へ配流の際にもそれを阻止しようと図ったりするなど、やはり豪族の長として内には熱いものがあるということか。
「ですが一度は幕府に負けた男。今度も敗北するのでは?」
「三郎よ、戦いは何度負けても最後に勝ちを拾うが上策と兵法も語っておる。まあ、普段から石の上で修験者の真似事をしているお前にはわかるまいな」
嫌味ではないが、本当にこの養父は普段からの高徳をだらしない奴と思っているらしい。当然ではあるが。
「父上は、幕府の敗北をお望みで?」
「……さて、どうだろうな。幕府に恨みはないが、色々面倒になっているのも事実。あらゆることが、北条一門の手の内というのも、面白くはない」
「幕府が倒れれば、次は帝の時代でございましょうか?」
「順当に行けばそうなる。古来より帝がこの国の中心だった。帝が自ら政治を行いたいと思うのは至極当然のこと」
「それが正しいことと?」
「そう思うから、お前も京でコソコソと帝の側近と会っていたのではないのか」
「……お気づきで」
「わしはお前の父だぞ。あまり見くびるなよ」
「ははっ!」
初めて、父に対し、胸が熱くなった。
「ところで父上は、もう何か手を打っておるのですか?此度の戦乱に対する……」
養父は静かに手招きした。
高徳が近づくと、小声で嬉しそうに話した。
「実はな、播磨国の赤松則村殿も挙兵なされるそうなのだ」
「播磨の……」
「お前は知るまいが、範村という男は高齢ながらも兵法家として優れているらしい。この男からわしに密書が届いてな、挙兵の際は兵を出して欲しいとのことだ」
「ほう、播磨からわざわざ」
「恐らく周辺の豪族にも出しておるのだろうが、わしはこの話に乗ってみようと思っている」
「父上が、自ら?」
「いや、是非お前に行ってもらいたい」
「私が……ですが」
「宗助や他の一族を引き連れてな。わしはしばらくしたら合流する」
なるほど保険か、と高徳は感づいた。ただこの場合もっとも安全な道でもある。
「赤松則村……動いてくれればよろしいですな」
赤松則村(円心)は村上源氏の末裔を自称する播磨国の有力豪族。彼の前には護良親王の書状が広げられていた。
「父上、周辺の豪族達からも加勢の密約が次々に届いております」
部屋に入ってきたのは則村の嫡男・赤松範資である。
則村には多くの優秀な息子がおり、各地で活躍している。今回護良親王の書状を届けたのは三男・則祐の手柄である。
「これで我が軍を合わせておよそ数千の軍勢が集まります」
「甘いな範資。我が軍は30人だ」
「はあ、ですが」
「我ら豪族の密約など、あってもなくても同じこと。ようは強い者に加勢をするのだ。弱い大将などに誰が付いていくものか」
「ではこの密約は……」
「保険のようなものだ。いまはまだ、幕府と正面から戦う気概は誰にもあるまい。だからこの赤松が他の先駆けを行うのだ」
則村はかつて正中の変においても反幕府の姿勢をとっていたが、挙兵前に主要人物が捕縛されたために時期を逃した経緯があった。だが今回は護良親王からの令旨(りょうじ)がある。
「大和の親王様や楠木が粘るようなら、この赤松にも勝算がある。よいか範資、武人は勝機を見定めなければならん。大魚を得るためにはな」
「はい、父上」
1333年
楠木正成は赤坂城で幕府軍を迎え撃った。数十万とも呼ばれる大軍である。
幕府軍は前回と同じく力攻めによる短期決戦を狙い、大量の矢や投擲用の槍を用意した。
赤坂城を前線拠点に金剛山全体を要塞化した楠木軍は、籠城して敵を引き付けては撃退し、時には打って出るなど獅子奮迅の活躍で幕府軍を足止めした。
「数は多くとも敵は弱兵。この正成の敵にあらず!」
正成は赤坂城の城門を空けると、手勢を引き連れ突出した敵軍に突撃した。
山を駆け下り、自ら刀で敵兵を切りつける。
「ようし、引けい!」
電撃的な速度で城に帰ると、配下が追ってきた敵兵に対して弓を乱射する。
「この命ある限り、正成は諦めんぞ!幕府の威光、何ほどのものぞ!!」
同じ頃、吉野でも護良親王が幕府軍を相手に戦っていた。相手が最重要人物ということもあり、こちらの方が敵軍の数は多い。
「親王様!則祐でござる。至急の用これあり!」
護良親王は吉野に設けた仮御所で仮眠を取っていた。
「どうした赤松」
「吉報でござる。我が父、則村が播磨国で挙兵いたしました!」
「おお、でかしたぞ則祐。播磨は中国方面のかなめ。これで西国も動く」
「はい、更に父の書状によれば、伯耆国の名和長年に働きかけ、帝を隠岐島より脱出させる手はずとか」
その報告に、親王は相好を崩した。
「はっはっは!父上がご帰還すれば、幕府も動揺するであろう。この護良も、これで心置きなく戦えるわ」
全国各地で、反撃の狼煙があがろうとしていた。
そして……。
上野国(群馬県)
薄汚い屋敷の奥で刀を磨ぐ一人の偉丈夫。背が高く耳が尖っている。
「お屋形様」
「……どうした?」
「幕府からまた軍費を出すようにと、命令が」
「また金の催促か。新田義貞もなめられたものよ」
「確かに近頃の幕府の態度。目に余るものがございますな」
「…………」
夜空を見ると、美しい星が輝き、自らの手元にある愛刀も光っていた。
その輝きを、義貞はいつまでも見つめていた。
第十七話 完
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