戦国島津伝




 第二章 『武人』

 自分の目の前で、木の棒が飛んだ。それは弧を描き、真後ろに落ちた。

 これで何人目だろう。

 ふと、義弘は思った。

 稽古とは名ばかりの拷問だった。もはや今の自分に勝てる者は数えるほどであると、義弘は心の中で笑った。

 武芸に関しては兄・義久にも、ましてや病弱な歳久や四歳の家久など歯牙にも掛けない。

 体は四兄弟で最も大きく、祖父である島津忠良の若い頃に似ていると老臣からは時々聞いた。

 祖父・島津忠良は名を変え、日新斎(にっしんさい)と名乗っていた。

 若い頃に島津家本家の島津勝久や薩州の実久らの各島津家の勢力争いに競り勝ち、民政を整え肝付家と手を結び、日向の伊東家を封じ込めた。

 兵の教育にも努め、まさに文武両道の名将と言っていい。

 戦場を離れた今でも臣下や領民、兵達にも熱い尊敬の念を集めていて、ほぼ神格化していると感じる。

 「手合わせしたいものだ」

 呟くように言った言葉に義弘自身が驚いた。確かに歳から言うとまだ五十代で、刀を取って戦えない歳ではない。

 だが、もしも自分が勝ってしまったらどうなるのであろう。

 別にどうもならない。ただ孫が祖父を打ち倒したという事だ。珍しい事ではない。

 「義弘様、日新斎様がお呼びです」

 側近の平田が義弘の部屋に入ってきて言った。

 大柄で愚直な男だと父から聞いた事がある。

 確かに余計な事は言わない。命令には黙って従う奴だと、三日も付き合うと分かってきた。

 「なに、日新斎様が。なにもこんな時期に呼ばなくとも」

 こんな時期とは、しばしば自分にも本格的な戦に参加できそうな気配があるのだ。北の豪族が反乱を起しそうだと言う情報は既に知っている。

 「今はまだ、新兵の調練もしなければならんのにのう」

 「義弘様、支度を」

 「は〜〜、よし、馬を連れて来い」

 「既に用意しております」

 祖父は最近よく我ら兄弟を呼び出す。この前は兄が呼び出されたばかりだ。

 恐らく自分が死んだ後の薩摩島津家の行く末を心配しているのであろう。

 馬で日新斎の館に向かうまで義弘は考えた。自分は統治者としては兄に劣り、知者としては弟の歳久の方が優れている。

 ならば自分にあるのは。





 そこまで考えた時、館に到着していた。

 すぐに奥に通され、日新斎に謁見した。

 「大きくなったのう義弘」

 まるで子供を見る様な目で自分を見ている。

 「亀丸城の居心地はどうじゃ?」

 兄弟四人の内、三人はそれぞれ別々の城に派遣されていた。末の家久はまだ四歳なので本拠の内城にいるが。

 「まあ、平地が多く騎馬隊の調練には持って来いですが、出来ればもっと大きな城が良いですな」

 義弘は他に誰もいない時は例え父親でも遠慮のない話し方をする。

 「なるほど、お前はもっと暴れられる場所が欲しいのじゃな、もっと走り回りたいのじゃな」

 「ははは、まあそうです。亀丸城も悪くはないのですが、どうも体が鈍る」

 「だからお前は、その不満を稽古や調練で発散させておるのじゃな」

 どきりとした。確かに自分でも稽古や調練は厳しくしていると思うが、それに不満をぶつけているとは考えていなかった。

 「いや、俺は別に・・・その」

 「若い内はそれくらいの方が良い、特に武士はな」

 「武士、ですか」

 「そう、武士とは常に平穏よりも闘争を求める者よ。お前は根っからの武士のようじゃな、義弘よ」

 「いや、自分はまだまだ至らず、未熟者です」

 「未熟か、非凡な者が自分の事をただの凡愚と思う。これは怖い、そう言う者は常人よりも何か大きな事をやってのけるものじゃ」

 自分は一体誰と喋っているのか、義弘には分からなくなってきた。

 「さきほど、わしはお前の事を武士といったな、武士にも色々ある」

 「武士は、武士では」

 忠良の目が、一瞬光った気がした。

 「戦に出て敵を打ち倒すだけの者はただの猪じゃ。もっと大きな物を見据え、譲れぬ志を持つからこそ、武士は武士と言われる」

 「何が、言いたいのでしょうか?」

 「お前に、譲れぬ物はあるか、義弘」

 静かに語り掛けてきた。まるで親が子に優しく説教をするように。

 「譲れぬ物?」

 「人は、男子は、大志を持って産まれて来るとわしは思う。たとえ小さな物でも」

 「志を持てと、言われているのですか?」

 「はっきり言おう、お前は劣っておる、兄弟の誰からも」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 劣っている。

 誰と?

 兄弟と。

 「どういう、意味でしょうか」

 「お前は何故刀を振るう。何故馬に乗る。何故戦をしたがる」

 「それは・・・」

 何か言いたかった。いや、言えたはずだ。この老人は、自分がただの乱暴者だとしか受け取ってはいない。はっきりと、違うと言えばいい。

 「お前がやっている事はただの猪の真似事じゃ。お前は武士であって武士ではない」

 「俺は、武士です」

 「名ばかりの武士じゃ」

 血管が切れそうだった。こんな老人に何時までも訳の分からん事を喋らしている事は、ない。

 だが、すんでの所で自分を抑えた。

 「いくら日新斎様でも、お言葉が」

 「義弘」

 明らかに、それまでの穏やかな口調ではなかった。

 「お前は、島津義弘だ。わしの孫だ。薩摩の武士(もののふ)だ」

 「・・・・」

 「何故お前が兄や弟達に劣るのか、それは、お前の心のありようが兄や弟達とまるで違うからだ。お前は確かに強い。刀や槍の扱いは家中でも抜きん出ているし、軍学にも通じている。兵の扱いも巧みだ。だが、大事な所が抜けている」

 何時の間にか、話に聞き入っている自分がいる事に、義弘は気付いた。

 「お前はただの戦人としか、武士としか己を見ていない。お前はお前であってお前ではない。島津の男だ。お前の体は島津の物だ。後大事なのは心だ、お前の心だ」

 降り注ぐ言葉は、一体何を意味しているのか。俺は俺ではないのか。

 「人は大志を抱く。ある者は侍を、ある者は文官を、ある者は長者を夢見る。お前は島津の夢を見ろ。天下という夢を胸に抱け」

 天下。
 その言葉だけが、その文字だけが頭に鮮烈に焼き付いた。

 それから日新斎と何を語り合ったのかは、父にも言わなかった。

 自分の居城に戻る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。

 自分はただの乱暴者じゃない。それははっきり言える。では何なのだ。

 俺は、武士だ。何者にも勝る武士だ、戦人だ。

 だが、大志は?夢は?野心は?

 島津の夢。

 天下。

 心の中で日新斎との会話を思い出し、義弘は一人居室に籠もった。


 第二章 完


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