戦国島津伝




 第九章 『敗戦と名将』

 1561年、島津貴久は大隈の大名肝付兼続を討つ為、内城より出陣。弟の忠将(ただまさ)、十四歳の息子家久を従軍させた。

 「家久殿〜!」

 大声で家久を呼ぶのは叔父の忠将。豪胆な性格で、どんな状況でも笑って済ます。

 「これは叔父上。何か?」

 「な〜に、家久殿にとってはこれが初陣。怖くてちびってはせんかと思うてのぅ」

 「な!」

 一瞬で顔を紅潮させる家久。

 そんな様子を見て豪快に笑い出す忠将。

 「冗談じゃ、冗談。心配せんでも家久殿はわしの後ろに居ればよい」

 「む〜、そんな気遣いは無用です叔父上。自分の身ぐらい自分で守れますから」

 「ほほぉう、そうか。これは失礼したな。じゃが、気を付けなされよ、敵の肝付兼続は大隈一の戦上手。下手をすれば命を失う事になるやも・・・」

 「え?」

 困惑する家久に背を向け、忠将は馬を進めた。




 「親方様」

 呼ばれて館から一人の男が出て来た。肌は浅黒く、長身、自慢の名刀を腰に差している。

 「なんだ重興」

 「貴久率いる島津軍が動き出しました」

 「数は?」

 「およそ一千」

 「ふん、貴久、舐めよって」

 ギリッと唇を噛むのは肝付兼続。

 報告した男は伊地知重興(いじちしげおき)。

 「如何なさいます」

 「加治木城に急行する、城主の安楽には城から動くなと伝えろ」

 「ははぁ」

 重興は馬に乗り、駆け去る。

 「重郷!兼時!太原!出陣の支度を致せ、貴久の首を取る」

 重郷(しげさと)、兼時(かねとき)、太原(たはら)の三人は兼続の従者であり、肝付軍の切り込み役でもある。

 三人は兼続の命令にテキパキと動き、直ぐに出陣の準備は整った。

 城下に結集した兵を見て、不気味な笑みを浮かべる兼続。

 「貴久よ、貴様の命運・・・わしが絶つ!」




 内城を出陣した島津軍は、肝付家の要衝加治木城を無視し、廻城に迫った。

 ここを抜けば、西大隈に楔を打ち込める。

 加治木城は、北の横川砦から出陣した島津義虎(しまづよしとら)の五百が牽制、肝付軍は緒戦の戦場選びに出遅れた。

 「廻城の守兵は二百五十、城主の喜久磨長光(きくまながみつ)は小心者、陥落も時間の問題だな」

 貴久は側近の川上忠克(かわかみただかつ)に聞いた。

 「ですが、その〜、早急に落とさねば、兼続率いる大隈軍が到着してしまいます」

 「うむ、それよ。奴が率いる本隊を打ち破れば、大隈は取れる。肝心なのは廻城の兵と兼続の兵を合流させぬ事」

 「う〜ん、う〜ん」

 川上はいかにも困ったという感じに頭を捻る。

 「難しいですな〜、喜久磨は小心者。小心者というのは、敵が来たらビクビクして動かぬ者ですからな〜」

 「ここは、可愛い倅(せがれ)にでも聞いてみるか」

 その頃家久は、自分の旗本を務める者の名を聞き、絶句していた。

 「か、鎌田ですか」

 「そうよ、槍でも刀でも、人並み以上の使い手の鎌田なら安心であろう」

 ガッハッハと豪快に笑う忠将。

 家久にはその笑いが死刑宣告に聞えた。

 「家久様の身は、身命に賭けてお守りいたします」

 ゆらりと家久の幕舎に入ってきた鎌田。

 「よう言った鎌田!その意気じゃその意気!」

 バシバシと鎌田の背中を叩く忠将。少々痛そうにしながらも、鎌田は耐えている。

 「そ、そうそう家久様。先ほど殿から来るようにと仰せが」

 「父上から、分かった」

 勢い良く幕舎から出る家久。後を追ってピタリと後ろに付く鎌田。

 「な、何故ついて来る」

 「旗本の務めでございますから」

 旗本=護衛。改めてその役職と、人選をした叔父を恨む家久であった。




 「お呼びですか」

 椅子に座り、廻城周辺の地図を見ていた貴久が顔を上げる。

 「おう家久、まあ座れ。楽にしろ」

 椅子を勧められ、黙って従う家久。

 「話があると聞いて・・・」

 「うむ、分かってる事だが、我々は今、廻城を包囲している」

 「はい」

 「これを救援せんと、大隈の総大将肝付兼続が本隊を率いて向かっている」

 「・・・はい」

 敵総大将出陣という言葉に動揺しながらも、頷く家久。

 「我々は早急に廻城を落とさねばならんのだが、城主の喜久磨長光は小心者、中々城から出て来ようとせん」

 貴久が困った顔をして。

 「この状況、如何すべきかと思うての」

 ゆっくりと家久を見つめ、まるで試す様に語り掛ける。

 「そなたなら、どうする?」

 家久は目を閉じた。そして。

 「父上、城を落すのではなく、喜久磨を斬れば宜しいのでは?」

 「ほう、城ではなく、喜久磨の首をか」

 「この家久に、策が」

 「聞こう」

 その日、島津軍は一斉に軍を退いた。




 廻城に向かっていた肝付兼続の元に、城から凶報が届いた。

 「喜久磨が討たれた!?」

 「はい。我々を包囲していた島津軍は突如撤退、その直後に島津貴久から喜久磨様に書状が届き、それを読んだ喜久磨様は怒り出し、島津軍の殿軍に突撃。伏兵に遭い死亡しました。」

 「廻城は?」

 「まだ落ちてはいません、ですが城内は混乱、出撃は無理かと」

 「く、貴久め、やりおる」

 兼続は貴久の強さに驚愕し、また、武者震いした。

 喜久磨は大方、敵の挑発に乗ったのだろう。気は小さいが、怒りっぽい男でもあった。

 「我々は竹原山に布陣する、急げ!」

 下知を下し、進軍速度を増した肝付軍は、廻城付近を一望出来る竹原山に陣を張った。




 島津軍陣営

 喜久磨長光に仕掛けた策が見事に決まり、上機嫌の貴久。

 「ははは、まさか家久の策がこうも上手くいくとは」

 「がはは全くじゃ、家久殿は成熟の天才かのう」

 貴久の弟・忠将も上機嫌。

 だが肝心の家久は、もう戦の全てに勝った様な態度の父や叔父を心配していた。

 「父上も叔父上も、戦はこれからなのですよ、気が緩みすぎです」

 「まあまあ家久様、前哨戦はこちらの大勝利、もっと喜びなされ」

 川上も顔を朱に染めて勝利の余韻に浸っている。

 家久が喜久磨に仕掛けた策とは、まず喜久磨に貴久から書状を届け、内容は『何時までも閉じ篭ってだらしのない男と、これ以上付き合っても仕様が無いから、我々は引き上げる』と言った挑発の文書である。

 小心者で度量が狭い喜久磨は憤怒、せめて一矢報いてやろうと島津軍の殿軍に突撃。

結果、伏兵で呆気なく死んだ。

 「私は、失礼します」

 勝利の立役者家久は早々に貴久の幕舎を出た。

 「満月か、何か不気味だな」

 夜空の月を見て、家久が一人呟くと、近くにいた鎌田が呼応した。

 「確かに、不気味ですな家久様」

 「お前もな」

 ボソッと家久は言った。聞えたか分からないが、鎌田は微笑んでいた。




 翌日

 竹原山に布陣した肝付兼続の軍に対し、貴久は隣の林山に陣取り、睨み合った。

 「堂々と正面から打ち破る、我等島津軍の強さ、大隈の兵に見せつけよ!」

 「オウ!」

 と威勢の良い雄叫びが木霊する。

 「忠将は中央、川上は右翼、家久は左翼に展開せよ」

 「は、はい」

 初陣で一軍を任される事は稀である。昨日の戦で自分が父親に認められたと思い、素直に喜ぶ家久。

 「では、始めるぞ、各部隊は陣に戻れ」

 貴久の号令で、諸将は部隊を引き連れ陣に戻った。

 家久も左翼部隊を本陣から左の小山に布陣させた。

 「よ〜し、やってやる」

 斥候(偵察隊)の報告では、自分の前には約三百の兵がいるらしい。

 「三百か・・・一列横隊を二つ作り、敵が攻めて来たら弓矢を射かけよ!」

 家久が興奮しながら兵に指示を出した時、合戦の始まりを告げる法螺笛が吹かれた。




 肝付本陣

 中央を指揮する伊地知重興の部隊が、同じく中央を指揮する島津忠将の部隊と正面からぶつかった。

 「兵の数では同じ、だが、相手は剛勇で知られる忠将、一筋縄ではいくまい」

 総大将兼続が布陣した竹原山からは、敵の配置が手に取る様に分かる。

 「親方様、両翼の重郷、太原から攻撃準備は整ったと報告が」

 「よし。まずは敵の両翼を潰す、合図を!」

 「はっ!」

 新たな法螺笛が吹かれ、島津軍の両翼が慌しく動いた。




 右翼、川上隊

 「川上様、敵兵を確認、真っ直ぐ向かって来ます」

 「矢を射かけよ!敵が倒れた所を一斉に突撃、突破する」

 川上隊は、山林から出現した敵兵に次々と矢を射込んでいく。

 「う〜ん、よ〜〜し!敵の足並みが乱れたな、突撃する」

 右翼の川上隊は、山林の敵兵目掛けて突撃、敵陣の間近まで迫った。

 島津兵が突撃を繰り返し、もう少しで敵の片翼を打ち崩せると思った時、右側の空から次々と矢が飛来してきた。

 「くそが、全員右側面を固めろ!」




 同じ頃、島津軍の左翼に向かって次々と矢が飛来して来る。

 家久も必死に応戦するが、小山に陣取った家久隊は格好の的である。

 「これでは全滅だ、全軍一旦本陣に戻れ、体勢を立て直す」

 家久が下知を飛ばす。

 だが、敵は執拗だった、背を向けた家久隊に向かって白兵戦を挑んで来たのである。

 「正面に百、左に伏兵か、これは不味い。全軍退却!」

 「お待ち下さい、闇雲に逃げては逆に被害は拡大します。ここはそれがしが食い止めますゆえ、家久様は兵をまとめ本陣へ」

 「鎌田・・・」

 「ではごめん!」

 家久の旗本隊長鎌田は、旗本を纏めて後方の最前線に向かった。

 家久はそれを眺め、しばらくして兵に大声で密集隊形を作らせた。




 貴久本陣

 「何!両翼が崩された!」

 「はい。川上殿も家久様も、側面に回り込んだ敵兵からの攻撃に抗しきれず」

 「いかん、この戦は負けじゃ、忠将を呼び戻せ、退却する」

 「はっ!」

 貴久の素早い退却命令、この事が、被害を最小限に食い止めた。

 ここは敵領だという事を忘れていた。地の利は、あちらにあったのだ。

 貴久は頭を抱え、自省の念に駆られた。




 肝付軍

 「敵が退却を始めました」

 「追いに追え、この大隈から出すな」

 「承知しております」

 中央で奮戦していた忠将も、側面からの攻撃に力尽き様としている。

 「ん?親方様、中央の軍が押されています」

 「何?」

 確かに、中央の軍が徐々に後退して来る。相手の忠将軍はもう体力の限界である筈。

 「何だ、あの鬼は」

 敵の中央軍の先頭で槍を振るう男。奴一人に兵の士気が高まっている。退却はせず、遮二無二向かって来る。

 「あれが、島津忠将、噂通りの強者だな」

 静観している場合ではない、中央の重興がいよいよ苦戦している。

 「弓を放てぃ、奴を討ち取れば、この戦は終わる」

 弓兵が四方から忠将に狙いを定めた。




 島津家久はその光景を目撃した。

 叔父の忠将に向かって何百本の矢が飛んで行き、叔父は付近にいた敵将を突き殺し倒れた。

 「嗚呼・・・叔父上」

 悲しみが溢れ、涙が出て来る。

 叔父の奮闘によって、島津軍はどうにか退却に成功、味方の島津義虎の部隊と合流できた。

 敗戦である。数で勝り、地の利がある敵に、真正面から戦いを挑んだ。

 実に清々しい負けである。だが、悔しい。叔父を失い、側近の鎌田を失った。

 十四歳の家久、初陣にして敗北の味を知ったのである。

 間もなく島津領と肝付領の国境付近。

 ここまで来れば、一先ず安心。家久を含め、全員が安堵した、 その時。

 「家久様!」

 「菊次郎か、どうした?」

 最後まで家久の傍にいた旗本の一人、刈谷菊次郎(かりたにきくじろう)が駆け寄ってきた。

 「鎌田殿が、鎌田殿が見えました」

 「え、鎌田が!」

 鎌田が率いた旗本隊が見え、中央には背中に矢が刺さりながらも、馬に乗っている鎌田が確認できた。他の旗本も全員返り血や傷でボロボロである。

 「か、鎌田、良かった、無事か」

 家久が馬を寄せる。だが、鎌田は動こうとしない。

 「鎌田?どうした」

 家久が軽く触れる、それでも、動かない。

 「まさか・・・」

 馬が止まり、旗本達が鎌田の体を草の上に置く。

 「・・・鎌田、逝ったのか?」

 鎌田の体に手を当て、額を当て、泣きじゃくる家久。

 初めて、戦で身近な者が死んだのを見た。叔父上、鎌田。

 「ううぅ、死ぬな鎌田!死なないでくれぇ!」

 あれ程気色悪く思ってた者でも、どんなに嫌いな奴でも、目の前の死の別れは、十四歳の家久にとっては辛過ぎた。

 「は、旗本は主を守るが役目ぞ。主を置いて、先に逝く奴があるか!」

 家久がしばらく泣いていると、お尻に嫌な感覚が広がる。

 「ん?」

 サワサワ

 「・・・・・」

 サワサワ

 ガシ!

 目にも止らぬ速さでその悪手を掴み、腕の関節を辿ると、眼下の鎌田。

 「お前・・・まさか」

 「う〜、家久様、死ぬ前にこの感触をもう一度、ゴホゴホ!」

 わざとらしく咳き込む鎌田、そんな鎌田を見る家久の目は、涙からか怒りからか、赤く光っていた。

 少し離れた場所で涙を拭いていた旗本達が家久を見ると、今にも動けぬ鎌田目掛けて斬馬刀を振り下ろそうとしていた。

 慌てて近くにいた川上が取り押さえる。

 戦の敗北よりも、鎌田に騙された事が悔しい家久であった。


 第九章 完


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